home >> text
 随分と遠くまで来てしまったみたいだ。九郎はひたすらに走りながら後悔した。
 高館まではあとどれくらいだろう、一里くらいあるのだろうか。
 こんなところまで来るつもりではなかった。ただ少し狩りをしようと思ってただけ。なのに、狐を追いかけて駆け回っているうちに、いつの間にかとんでもなく遠くまで来てしまったみたいだった。
 天気がいいのは幸いだ、でも日はとうに天頂を過ぎている。少しずつ寒くなってきたし、なにより完全に落ちてしまったら方向が分からなくなる。
 普段だったらこれくらいの距離、たいしたことないのだけど、今は冬、道は雪がふきだまったり固まったりで走りにくいことこの上ない。もうすぐ弥生だから、雪を愛でられるのは今だけだ、と、朝にすれ違った(たまたま雪に荷を落としてしまって困っていたのを九郎が助けた)物売りは言っていたけど、九郎はどちらかといえば、雪は好まない。寒いからやだといって館に閉じこもったままの友人ほどではないと思うけど。
 早く帰らなきゃ。気持ちは逸る。一面の白銀にますます追い立てられる気がした。懸命に足跡をつけながら、九郎は駆ける。
 だけどその途中、九郎はふと立ち止まって、振り返った。
 視線の先、白に埋まって薄紅が見えた。近づいて覗き込むと、小さな…とはいっても、この時期からしたら立派な花が一株咲いていて、目を奪われた。
 九郎は特段花に興味などない。だから普段だったらこんなにじっくり眺めることも、そもそも足を止めることさえないだろう。けれどどうしてか、今日は魅入ってしまう。かがみこみ、雪をそっと払ってしまう。持って帰りたい、と思ってしまう。
 あの茶色がかった金の髪にこの薄紅は映えるだろう、と、ふと思ってしまう。
 それに、九郎は慌てて首を振った。俺は何を、あいつは男だ、しかも、一見柔らかな見た目に反して気が強い。花など送ったら怒りかねない。少なくとも九郎だったら怒る。
 だけど、九郎は花に手を伸ばそうとする……けど、今摘んでもこの寒さでは家に帰るまでにしおれてしまうかもしれない、だから代わりに腰に挿していた太刀の鞘を抜き、地面にぐい、と突き刺した。そのまま傾けて抉る。すると思ったよりも綺麗に株ごと土を掘ることに成功した。
 それを、本当なら狩った獲物を入れるつもりだった麻袋にまるごと収める。……もしかしたら狐を逃がしてしまったのも、他に何も射止めることができなかったのもこのためだったのかも、などと前向きな考えは持てなかったけど、素直に丁度よかったかな、とは思った。
 身を繕い、改めて立ち上がって、九郎はさっきよりも急ぎ足で走り始めた。


 空が赤くなるより前に無事に高館に戻ってくることができた。
 乱暴に靴を脱ぎ捨てて、家に飛び込むと、すぐそこに弁慶がいた。
「おかえりなさい九郎、なんだかまた随分と慌ててますね」
 いつものことだけど、と、付け加えつつも笑顔の彼を見、ああ、やっぱりあの薄紅は彼に似合いそうだ、と九郎は改めて思った。一息つく。
「ああ、お前に見せたいものが……」
 けれど、ここにきて唐突に、九郎は口ごもり、動かし続けてきた両の足をもぴたりと止めてしまった。まるで氷柱のごとくに凍りついてしまったかのように。
「見せたいもの?」
「あ、ああ」
 弁慶は期待のまなざしでこちらを窺ってくる。でも、冷静になれば、彼に花をあげるなど、いくらなんでも唐突すぎるし、なにより、かなり恥ずかしい。九郎は自分の顔が一気に赤くなるのを感じた。それは走ってきたせいに違いない。別に、俺とこいつはただの友人だ、だからそういう相手に花をあげても、なんでもない、なんでもないんだ、と、言い聞かせ……でもしないと、とてもじゃないけどまともに弁慶の顔を見れそうな気がしなかった。
「九郎?」
 不思議そうに、いつもの癖で顔を寄せてくる弁慶に、余計なことでも口走ってしまいそうだから……本当はちゃんと髪に飾りたかったのだけど、必死の思いで九郎は彼を押し返すように、ぐいっと袋を突きだした。
「やる!」
「僕に? へえ、なんですか?」
 受け取った弁慶は好奇心を隠しもせずするすると紐をといてゆく。そんな彼を見ているだけで九郎の心臓は張り裂けそうだった。ここまで駆けてきた時よりも余程だ。弁慶はなんと言うだろう、怒るだろうか、それとも、九郎がしているように顔を赤らめたり、するのだろうか。それはないか。
 ついに袋を開いた弁慶は、だけど九郎が思っていたのとは少し違う反応をした。
「これは」
 目を見開いて驚いた。そして、九郎を見、嬉しそうに微笑んだ。
「まさか君からこんな、しかも綺麗な逸品を貰えるなんて。嬉しいな、ありがとうございます」
 それに九郎の方が拍子抜けした。
「……それだけか?」
「どうして?」
「だって、あんまり嬉しそうだから……お前がそんなに花が好きだったなんて、知らなかった」
 皮肉のひとつも零さないなんて。不意打ちもいいところだった。けれど。
「自分で持ってきたくせに不思議なことを言う九郎ですね。たしかに花には興味はありませんが、だけどこんなに見事で美しい株が、この時期に、しかも雪の中で咲くなんて珍しい。大事にします」
 続ける弁慶の微笑みは九郎の持ってきた花よりもなお可憐に見えて。
「そうか」
 よかった。と、今度こそ喜びをあらわにした九郎だったけれど、それもつかの間。
「ええ。さっそく……どうでしたっけ、先に乾燥だったかな」
 なんて言葉が耳に飛び込んで来て、今度は九郎が目を見開いた。
「……乾燥?」
「だってこの草、毒草じゃないですか。ほら、持つとかぶれるんです。結構使い道があって便利なんですけどね。……もしかして九郎、知らなかったんですか?」
 ほら、と向けられた弁慶の手のひらは、確かにところどころ赤くなっている。
「…………」
 ああ、そういうことか。ようやく、九郎は今までの色々を、すっかりと納得した。おかしいと思ったんだ。途端、ここまで駆けてきた疲れがどっと出て一気に体が重くなる。
 それでも……花の美しさを喜んでもらえたわけじゃないとはいえ、毒草を貰って目を輝かせるのも弁慶くらいだよな、と思えば、なんだか可笑しい気分にもなってきた。そして。
「お前がいいならそれでいい」
 肩をすくめつつつい九郎は結論付けた。こうなると、さっきまで変に一人で緊張していたことすら嘘のようだ。でもこれでよかったのかもしれない。よく分からないまま、九郎は妙な満足感に包まれた。
 すると、安心したせいか、そういえば履物を投げ捨ててきてしまったんだった、と思い出して、九郎は踵を返し、慌てて足を踏み出した、けれど、そんな九郎に弁慶が続けた。
「ああ、だけどこの花には」
 朗らかな声。つい、九郎は素直に足を止め振り返る。すると弁慶はいつの間にか……持つとかぶれるというその花を、肩から落ちる髪と共に胸に抱え微笑んでいた。
「……そう遠くない春の来訪を今か今かと待ちわびてしまう、そんな効能もあるんですよ、九郎」
 案の定、薄紅の花は彼によく映えた。



話書くにあたって一応元ネタの花を作っておこうかなって適当に2月に咲いてそうな花探してたんですが、
おもむろに2月11日の誕生花をなんとなく調べてみたところ、
(一説によると)プリムラ・オブコニカって花だそうで
それ和名だと常盤桜って呼ばれるそうで、しかも毒草ってことなので
弁慶すぎる!と軽率に使ってみたのだけれど、たぶんこれ雪の下で咲ける花じゃない
(28/JAN/2011)(29/JUL/29) 



home >> text >> pageTop
サソ