どうしてこんなことに、というのが弁慶の本音だった。
かすかに上がりはじめた自分の呼吸をどこか冷静に聞きながら弁慶は目の前の九郎を、覆いかぶさりこちらの帯をゆるゆるとゆるめにかかっている彼を見る。
真正面から好きだ、と言われたのが10日ほど前。
九郎はいたって真剣にそう弁慶に告げたけれど、あまりにも脈絡がなかったので、言葉通りに…つまるところ好きか嫌いかの話なのだろうと捉えていて、僕も君が好きですよ、なんて軽く答えてしまったのだけど、
ちゃんと意味を分かって、恋情として好きという意味だったのか、と知ったのは3日前に、やはり真摯かつ緊張した面持ちでくちづけされた時だった。
そして、今。
確かに弁慶も悪かったと思う。3日前と同じようにくちづけせがみ顔寄せた九郎に、それだけでいいんですか? なんて言ったのが悪かったのだと思う。弁慶からしたらそれは、『それだけで留まれるなら、きっと君は親愛の情を恋だと思いこんでるんですよ、誰かに何か吹き込まれたのでしょう?』のような意味で……つまり牽制の意味でそう言ったのだけど、わざわざせせら笑いながら言ってやったというのに、九郎は何を勘違いしたのか了承だと捉えたようで、顔を真っ赤にして驚いた後、やはり真剣な顔で弁慶の肩をぐい、と押し、床へと封じ込めてしまった。
しかもまだ日は高い。いくら高館の館は広くて、いくらここが部屋の奥で容易に人目にはつかないからといって、九郎がそういう行動に出たのがいささかどころでなく意外で、とはいえこのまま流されてもいいのだろうか、なんて思いあぐねいているうちに九郎はどんどんと手を進めて行ってしまったので……正直乗り気ではないものの、見守ることにした。
にしてもどうしてこんなことに。
彼とは元々友人だ。出会ってもう5年ほどにもなるし、京からふたりきり平泉まで来てしまった仲だ。肌など見慣れているし、こういう意味でなく、なら触れあったことも何度もある。現に、九郎が肌辿ってゆく指の感触も、心許なく掴んでみた腕の感じも全く知らないものじゃない。
こういう時、友人と恋仲の境界はひどく曖昧だ。故に今、九郎が弁慶の纏う衣をどれだけ乱しにかかっていても、その過程で彼の手がこちらの肌をかすめても、少しも理解できない気がする。ありふれた日常の延長である気がしている。九郎が真剣な顔をすればするほど、彼が遠く見えた。自分の息が上がるほど冷めてゆくような気がした。
そう思い丁寧な九郎を眺めていたものの、徐々に、たとえば彼の舌が自分の肌をぬるりと辿る感触で、安易に意識は絡め取られてゆく。腕を、胸におちるくちびるの感触はもはや友人同士のかわすそれではない。僕が九郎と。そんな言葉が廻った。呟きはしなかった。なのに九郎が顔をあげて、目が合った。
彼の事をどう思っていたのだろう……というのは実は自分でも曖昧で、測りかねているところがあった。お前は俺の友だろう? と、いつだか、本当に当たり前のように言われた時には確かに胸鳴ったのを覚えている。そして九郎が自分に好きだと言った10日前の言葉を認めなかったし、結局今の行き違いもなにより今の行き違いを否定しなかった。だけど、いざこうして見ると、
熱っぽく自分を見る九郎に、弁慶はいささか、
……つまらないな、と、思った。
目が合ったのは一瞬だった。多分それは、確認だった。自分が今どういう目で彼をみていたのかは知らないけれど、九郎は更に弁慶の衣を開いてゆく。暴いてゆく。どうするのだろう、本当に分かっているのだろうか、と、この期に及んで……否、今だからこそ、弁慶はぼんやり思いながら見ていた。そのうちすっかりと九郎は弁慶の全てをさらけ出してしまった。その上躊躇すること全くなく、ゆるりとたちあがった弁慶のものに指を絡めたものだから、
「っあ」
声が出た。とっさに弁慶は手で口元を覆う。九郎が弾かれたように、けれど手を止めることなくこちらを見た。
だけど弁慶は声を出すことを必死に堪える。すると、九郎が言った。
「我慢するな」
「……」
何気ない一言だった。だけど弁慶の瞳はすっと細くなる。
「弁慶?」
「聞きたいですか? そんなに」
必死に声を押さえたのは、自分でも驚いたからだ。それはひどい甘さで、
……確かに昔から中性的な容姿だと言われていた。丁寧な口調が拍車をかけるとも言われた。
……だから僕をそういう目で見る者はそれなりにいた。だからって、君も、
『僕を女人のように扱いたいと?』
呟きはしなかった。自分がどんな顔をしているのかもしらない。だけど九郎はやっぱり真剣な目で、そして顔を真っ赤にして、
「…………もし逆の立場だったら、聞きたくないか?」
と、言った。それに今度こそ言葉を詰まらせた。
「嫌なら無理強いはしないが……」
「いえ……そうですね」
確かに……特別そうするつもりはないけれど、多分、そうだろう。彼に求められるというならば、それだけで満たされるに違いない。とはいえ当たり前のように言う彼に、問うたこちらが面食らった。触れたままの指先が震えているような気がしたけど、それはまたなめらかに動きだしてしまったから、よく分からない。
「あ…」
弁慶は再び声を漏らしそうになったけれど、のみこんでしまった。今度は無意識だった。九郎がやはり、ちらりとこちらをみる。その目はいくらか寂しそうに見えた。だけど何も言わなかった。
「九郎」
だから弁慶がそう呼んだ。九郎は手を止め、顔をあげる。何かを我慢しているような顔をしていて、なんということもなく、ああ九郎だなあ、と思った。
「……止めないで」
少し目を反らして弁慶は言う。
「弁慶?」
「……気持ちいい」
途端、視界の端で九郎の顔が更に真っ赤に染まったのが見えた。なんだか可愛くて、くすりとつられて笑ってしまうと、九郎も照れたまま笑む。
彼と自分とは5年近くも共にいる。元々源氏の御曹司である彼と、熊野別当家を飛び出し一介の僧でしかない弁慶だ、なのにそういうことは置き去りで、
だからきっと今だって、弁慶が男とか女だとか、そういうことは気にしていないのかもしれない。自分と同じ体のつくりをしている自分相手に、戸惑わなかったのもきっとそういう事なのだ。分かってなかったのは自分の方か。
真似できないな、と、素直に思う。羨ましいとも思えない。けれど、こうして素直に空いた手で弁慶を抱き寄せ顔寄せ貪るように口づける九郎は好きだな、と思った。
水音に混じって自分の声が聞こえた。あられもない声だ、けれどもう押さえようとは思わなかった。
(16/06/2010)