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平泉行く4章で将臣くんにあった後の話


 弁慶の隣に常にいる源九郎義経という男は、良く言えば正直、悪くいえば単純、という面が目立つ人柄だ。
 それは今も昔も変わることなく、彼の、そういうところも含むまっすぐなところが大将として皆の信頼を集めていたし、なにより弁慶自身も好ましく思っていたので、それに関して今更どうこう言うつもりも、思う事自体もそうはなかったのだけれど、
さすがにたまに、彼があまりにも人を疑うと言う事をしないので、色々思う事もある。
 例えば。

「……お前は、そんなに俺が頼りないのか?」
 そう、唐突に、神子や八葉たちと勝浦へ向かう道すがら、九郎が言った。
「ふふ、なんのことですか?」
 彼の言葉とは裏腹に、最初、弁慶は軽い気持ちで、隣を歩く彼を見た。九郎はさっぱりした性格である半面、時にすごく些細なことにこだわる、というか、引きずる性格だったので、きっとまた、他愛もないことで気を病んでいるのだろう、と、高をくくっていたからだ。
 けれど、抜けるように高い空からまっすぐ届く焼けるような陽射しなど、気にもかけていない風の九郎の、その顔はそれなりに真剣だったので、これは少し違うかな、と、弁慶は一度、立ち止まった。
「九郎?」
 とはいえ、彼がそんなことを言う心あたりが全くなかったので、改めて、きちんと向き直りつつ問いかけた。すると、九郎も歩みを止めて……どこか不愉快に、
「将臣と別れた後のことだ」
と言ったので、ようやく何を言いたいのか、合点がいった。

 それは、おとといの事。
 今、弁慶や九郎たちが、鎌倉殿の命で……もしくは、幾らかの涼を求めるために、皆で熊野本宮大社へ向かっている道中、熊野の入り口、新熊野権現で、八葉の一人である将臣と再会した。
 ただし彼は用があるから、と、すぐに去ってしまったのだが、彼を見送ったあと、そういえばつい、余計なことを言ってしまったのだった。
 ……将臣がいなくなってよかったかも、と。
 それを九郎が嫌がった。幼馴染が、兄弟が離れるというのによかったとはどういうことだ、などと、言ったのに対して、つい、
「『君と一緒にいるせいで、僕も随分性格が悪くなった』、って、言ってただろう」
なんて、冗談半分で言った事が、九郎はどうにも引っかかっている、そうだ。
「言いましたけど、そうですね……、」
 確かに、いくら何も知らずに将臣の肩を持つ九郎にちょっと感情的になってしまったとはいえ、完全に失言だったな、と、今なら思う。
 けれど言ってしまったものは仕方ない。とはいえ、その時の弁慶の本心を言えるはずはない。誤魔化さないといけないな、と、弁慶は内心でだけ溜息落とし、九郎に笑った。
「将臣くんと別れて寂しいのは、望美さんや譲くんのほうなのに、九郎が彼女たちの悲しみに追い打ちをかけるような事を言うものだから、つい僕もそんなことを言ってしまったんでしょうね」
 それに、九郎は首をひねり。
「そういう会話の流れだったか? なんか、違うような気がするが」
「違いましたか? 僕はそう思っていましたが」
「……俺の勘違いだったか?」
 更に、腕を組んでおとといの記憶を探る方へ夢中になってしまった。
 弁慶はそれを心底複雑に静観した。だって、一昨日の詳細など思いださずとも、どう考えたって、譲や望美の寂しさに追い打ちかけるような「何か」を九郎が言った程度で弁慶が九郎に「僕も性格悪くなった」なんて発言をするはずがないのだから、九郎の何が不甲斐なかったのかを追求することはできるのに。……こんなんだから、弁慶は自分の性格の悪さを痛感してしまう。あまり気にしていないけど。
 とはいえ、正直助かった。弁慶が、将臣がいなくなってよかった、と言ったのは当然、彼がどうにも平家に縁がありそうだと思ったからだったので、もし、九郎が勘付いてしまったら、それこそ彼らが悲痛な運命を辿りかねない。
 だから、本当のところ、九郎は知らずとも、知ろうとさえしなくともよかったのだ。その上、今もなお九郎に真実を知られるわけにはいかないので、実際の所、現状はいい流れだった。
 けれど楽観はできない。こうなると九郎は長い。一度割り切ってしまえば、……そう、昨日、熊野側の上流で、平家の公達である敦盛への確執を解消したように、後は驚くほど禍根を持たないのだけど、納得するまでは長い。今だって、延々とおとといの話を詳細に思いだすことに必死だ。
 どうしたものか、思案しながら、弁慶は大人しく目を伏せる。
「君のせいにしたのは悪かったです」
 なのに、
「そうではなくて、俺のせいで、お前にはいつも気苦労をかけているのだろう? だからああいう言葉が出たんだと思う。だったら、俺はもう少ししっかりしたい。一昨日のあれも、本当は、俺は何かを見落としていたんじゃないのか? だが、それがなんなのか見当もついてないんだ。だから、あれは一体、何を言ったかったのか教えて欲しい」
……弁慶に不満があったわけではなかったのか。少し見当違いの事を言われて、ますます困ってしまった。
「何と言われても……後でにしませんか? 望美さんたちと大分距離があいてしまったし」
「じゃあ歩きながら話せばいい」
 九郎はどうあっても引き下がらない様子。仕方ないな、と、最早一町ほどにも遠くなってしまった神子たちを追いながら、言葉を探ることにした。
「見落としていた、という話ではなかったんですよ。ただ、さっきも言ったように、僕は多分、君に皆の気持ちを汲んで欲しいと思っているんです。全ての人の心を読め、なんて、そんなことは言いませんが、君はたまに、不必要な発言をしますから。それで、春にも望美さんに勘違いされていたでしょう? 九郎は怖い、って」
「あれは、勘違いされるくらいで丁度いいんだ。戦場なんて、来なくていいならその方がいい」
「僕は君のそういう優しさは好きですけれど、軍を円滑に回すには、たまには言葉を探ることも必要ですよ。僕も調整しなくて済みますからね。ふふっ、春は大変でした。九郎は本当は望美さんが心配で仕方ないんですよ、って、どれだけ彼女たちに説いてまわっていたことか」
「そんな事をしていたのか!?」
「ええ。ついでに九郎のいいところをたくさんお話しておきましたよ」
 九郎は顔を赤くすることも忘れて、絶句した。弁慶はくすりと笑ってしまう。……この辺でいいだろうか。
「思った事をはっきり言うのは九郎のいいところですよ。ただ、君は口が悪いからたまに心配になるだけで……そうですね、ああ、ではこういうのはどうですか?」
「?」
「僕に嘘をついてみてください」
 言うと、九郎は首をかしげた。
「嘘? 突拍子もなく、なんでだ?」
「不用意な事を言わないようにしても、顔に出しては駄目ですからね、将としては必要なこともありますよ。たとえば、窮地にたたされたとしても、それを皆に気取られたら、士気が下がるでしょう?」
「確かにそうだな」
 微笑み浮かべ、説明すると、うむ、と、九郎はごく真剣な顔で頷いたものの、
「では明日が終わるまでに、僕を一度騙してください」
その提案にはげんなりとした顔になる。
「お前を騙すのか、骨が折れそうだな……」
「そんなことないですよ。九郎には、いつだって僕の心は揺り動かされっぱなしですからね」
「またそういう事を、往来で言うな!」
「ふふっ」
 そして今度は、素直に顔を赤らめるものだから、弁慶はいよいよ楽しくて仕方ない。適当に口をついた言葉だったけど、全くその通りだと思う。だって弁慶は九郎のそんなところがたまらなく好きなのだ。
 なんてを考えていると、まるでこちらの心を読んだかのように、九郎は更に顔を赤らめたけれど、ごほん、と一度、似合わない咳払いをした後、随分と勝ち気に笑って言った。
「では、勝負と行こうか。俺がお前を無事騙せたら、言う事をひとつ聞いてもらう。逆に、もし全て見破られたら、お前の言う事をひとつ聞く。どうだ?」
「それは面白そうですね。受けてたちますよ。というか、僕相手にそんな勝負を挑むなんて、九郎も随分と不敵ですね」
「これしきのことでひるんでいたら、兄上の国造りの手助けをすることなどできないからな」
「そういうことなら、遠慮はいりませんね。楽しみにしてますよ、九郎」
「望むところだ」

 弁慶にも、九郎には更に馴染みの薄い熊野の地、波音絶えない見晴らしのいい海沿いの道。そんな景色とは不似合いに、勝負だ嘘だと物騒な事を言い、挙句、強気に九郎は笑む。その目はぎらりと、こちらを狙うよう。それでも彼の纏う爽やかさが翳ることなく、はらりと潮風に揺れる長い髪もどこか軽やかだ。
 そんな彼を見て、弁慶も微笑んだ。
 単純に見惚れたし、九郎が弁慶を騙してくれるなんて、こんな楽しいことはないし。
 なにより。
「……ふう、よかった、無事に誤魔化せた」
 つい、歩みを速めた後ろ姿に安堵すると、九郎が振り返った。
「何か言ったか?」
「ええ、九郎には熊野の海の青がよく似合いますね、って、改めて思ってしまって。ひとりごとですよ」
 言って、弁慶は彼に駆け寄った。



 その日のうちに、無事勝浦まで着くことができたので、翌日は、将臣と別れた直後に熊野川の上流で出くわした怨霊について、街で情報を探ることに決まった。
 ただし、熊野に縁ある弁慶とヒノエはそれぞれ単独で、九郎は景時や朔と、敦盛と譲と白龍、リズ先生は一人で、そして望美も何故か一人で出かけたい、というので、そういう組み合わせで出ることになり、残念ながら九郎と弁慶の勝負は、まず昼まで持ち越しということになった。
 そうして朝から街を探ってみたものの、ろくな情報はなかった。弁慶が半日で掴めるような話だったら、とっくにヒノエが掴んでいるはずなので、予想していたこととはいえ、微かに期待はしていたので、やはり微かに心は曇る。
 ヒノエが何か手がかりを掴んだかもしれない。昨日より更に青い空で、遠慮もなく輝く陽が真上まで昇ったところで、弁慶は一度、宿へ戻った。

 が、宿にあがった途端、いかにもヒノエが好みそうな風流な建物に不似合いな、慌ただしい足音が近づいてきた、と、思ったら、見慣れた長身が目に入った。
「弁慶、待ってたよ〜」
「景時、どうしました、随分と慌てて」
「それが、突然九郎が倒れちゃって。朔は風邪じゃないかって言ってたけど、やっぱり、こういうのは弁慶に聞くのが一番安心だからさ」
「九郎が」
 心配そうな顔の景時を押しのけ、弁慶も奥へ向かい、借り受けた間の御簾をくぐると、中で待ちかまえていたのだろう、朔が、奥の衝立を指差した。
 覗くと、九郎が布団にくるまっていた。
「弁慶」
 九郎はやってきた弁慶をぼんやりと見上げていた。声も虚ろだ。とはいえ、最悪ではないようだ。少しほっとした。
「意識はあるんですね。でしたら、大丈夫でしょう。後は僕に任せてください。ああそれと、うつるといけないですから、くれぐれも望美さんたちを近づけないでください。君たちも勿論ですよ」
「うん、分かったよ」
 そして、彼らを微笑みで見送ってから、九郎の枕元に着座した。
「どうしたんですか」
「分からん。外を歩いてたら、突然くらりとして」
「熱は……熱いですね、うーん」
 ぺたり、と額に触れる。かなり熱い。
 けれどそこで、ぴたりと弁慶は動きを止めてしまった。
 そういえば、今日は九郎の嘘を見破らなければならないんだった。
「……嘘じゃないぞ」
「覚えてましたか」
「当たり前だ……」
「君がこういう嘘をつくとは思ってませんよ」
 少なくとも、景時や朔を巻き込む九郎ではない。ただ、忘れていたことに、自分で驚いただけで……弁慶は、再び九郎を診る。
「まだなんとも診断できませんね。もしかしたら、今日は陽射しが強いから、それにやられてしまったのかも」
「だが、ひどく喉が渇く」
「それも症状のひとつですからね。どうしたものか。とりあえず、冷やしましょうか」
 九郎は火照った顔で、息苦しそうに弁慶を見上げていた。いたましさを隠し、笑顔を向けた後、弁慶は、朔の用意してくれたのだろう、手拭いを水に浸し、堅くしぼって彼の首筋にあてた。
「気持ちいい」
 次に、既に着替えていたらしい、寝着の襟から手を差し入れた。
「くすぐったい」
「じっとしててください……汗を随分かいてますね。やはり風邪でしょうか」
 そして、弁慶は立ち上がって、まだ崩しきってない荷の中から薬箱を持ちだした。九郎のところへ戻りつつ、箱から塩を取り出し、朔がやはり用意してくれていた杯の水にさらさらと溶かした。
「これも飲んでください」
「……辛いな」
「少しずつでも構いませんよ」
 顔をしかめつつも、懸命に飲む九郎を、弁慶は見守りながら、更に薬をいくつか選ぶ。
 とはいえ、どうにも気が抜けなくて、九郎の気配も探ってしまう。卑怯な真似は厭う九郎とはいえ、なんだかんだで、勝負事に手を抜こうとはしない性格だから、一体どこで何をしかけてくるのか、見当がつかなくて、やりにくい。
「ふふ、また疑ってるな」
 すると、こちらの事をお見通しなのか、九郎は力なくも笑った。
「そうですね、どうにも癖で」
「お前も大変だな」
 からかい混じりの言葉だった。なのに、それはぽつりと、弁慶の心に落ちた。言葉よりも、彼の表情が締めつける。瞳が若干翳ったのは、病の辛さだけじゃないだろう、きっと。弁慶の自惚れでなければ。
 昨日の真剣な顔がよぎる。余計な事を言ったな、改めて、一度息吐いて弁慶はにこりと、九郎に微笑んだ。
「これからの君の方が、きっと大変ですよ、九郎」
「? どういう意味だ?」
 九郎は不思議そうに、弁慶の動向を眺めていた。が、彼があるものをとりだした所で、
「……もしかして」
と、ひどく怯えた声で言った。
「ええ、ご名答です」
 愕然とする九郎の枕元に、弁慶は5つの包みを並べた。どれも風邪の薬だが、このうちのひとつを九郎はとても嫌っている。
「……全部飲まなければ、駄目か?」
「情けないですよ、九郎」
 九郎は完全に、飲む前から気押されていた。とはいえ、あれが好きだという人間はまずいないだろう。仮に望美や朔が熱を出した時には同じものを処方しないと思うし、自分でも飲むかどうか。けれど効果は抜群なので、九郎が倒れた時には容赦なく飲ませるようにしていた。
 九郎はぼんやりと、いよいよ虚ろに包みを見つめる。
「今飲まなければならないか?」
「いえ、今日中に飲んでくれれば、構いませんよ」
「……分かった」
 弱っているせいか、心底嫌そうな九郎の額を弁慶は撫でる。大分熱い。冷たい手が気持ちいいのだろう、彼は微かに目を細めた。
「午後も出るのか?」
「そうですね、怨霊の事が気になりますからね……心細いですか?」
「……少し」
 軽い気持ちで口にした言葉だった。なのに、そんな風に言われてしまうと、かすかに驚いてしまって、そして、
「また、疑ってるだろう」
 彼の笑顔と、今日数回目のやりとりに、弁慶はやっぱり苦笑するしかなかった。
「うーん、九郎には隠し事ができないですね」
「よく言う」
「だけど、本当、だったら嬉しいですね。早く戻ってきましょうか」
「いや、いい。俺も怨霊は気になる。行ってくれ」
「ええ。では……ああ、そうだ九郎、」
「?」
「くれぐれも、大人しくしていてくださいね」
 そうして、少しの名残惜しさを感じつつもゆっくりと弁慶は立ち上がり、朔の用意してくれていた昼食をとって、再び街へ出た。


 午後もやはり、目新しい情報を手に入れることはできなかった。けれど、今度は躊躇いもなく、夕暮れより早く帰ってきて、丁度出くわした譲にヒノエと少し話をして、まっすぐに九郎のところへ向かった。
 九郎は眠っているようだった。静かに枕元に腰を降ろし、顔を近づける。寝息はまだ早い。汗でべったりと張り付いた前髪に手を差し入れ、触れると、
「ん……」
九郎がうめいた。
 起こすまいと、弁慶は無言でゆっくり手をひく。でも彼の瞳はぼんやりと開いてしまった。
「帰っていたのか……ああ、陽が落ちる時間か」
「ただいま、九郎。君は、ずっと眠っていたんですか?」
「そうだな……お前が出ていって、その後に譲と敦盛が来て、白龍も来て、静かになって、気付いたら寝ていた」
「大人しく……していた、ようですね」
 九郎のことだ、うっかり剣でも振り回しかねないと思っていたが、太刀は枕元にさっきと同じままにあるように思える。
「覚えていたんだな」
 つい癖で疑ったが、そういえば、勝負のことは忘れていた。九郎は楽しそうに笑っていた。
「君も、好きですね」
「お前ほどではないと思うぞ」
「ああ、起きなくていいですよ」
「だが、落ちつかない」
 そうして、こちらの言う事きかずに起き上がろうとするので、仕方なく、弁慶が彼を支えた。
 身を起しても、九郎は寝起きだからか、至近距離で随分とまどろんでいて、それでいて妙に嬉しそうで、こんな状況でもなければ、可愛いですね、なんて素直に言ってしまいそうなほどだった。
 だけどそんな、普段の彼らしくない姿。病だから、かもしれないが、それにしたってなにか妙な気配で……、ぴんときた。
 彼は嘘をついている。
「大丈夫ですか? 九郎」
「久しぶりに起き上がった気がする」
「ふふ、まだ半日ですよ」
 とはいえ今のところ、怪しいところはない。強いて言うなら譲たちのくだりが違いそうだったが、今それを確かめる術はないので、先に薬師としての用件を片付けることにした。そちらの方が今は余程気になるし。
「そういえば、薬は、全部飲みましたか?」
 単刀直入に弁慶は問うた。すると九郎はうっ、と、あからさまにしまった、という顔で言葉を詰まらせたので……こちらの目が細くなってしまうのも、当然だろう。
「飲んでないんですね」
「きょ、今日中に飲めばいいと、お前は言った!」
「確かに、そうですね。では、食後に飲んでくださいね」
「当たり前だ!」
 腕の中の九郎は結構必死に反論した。慌てふためく姿は随分本調子にみえる。この調子なら、明日は外へ出かけられるかもしれない。
「ふふっ。そういえば九郎、譲くんがお粥を作ってくれるそうですよ。ヒノエも、新鮮な魚がどうのって言ってましたね。どうしますか? 向こうで食べますか?」
「いや、皆にうつしてもいけないだろう。……ここで食べても構わないだろうか」
 食欲もあるようだ。良かった、と、まずは思った。
「ええ。じゃあ、運びましょう。水もきらしていたんですね。持ってこないと。……僕もここでいただこうかな」
「……いいのか?」
「久しぶりに、二人きりで食事っていうのも、いいものだと思いませんか?」
 にこりと笑って言えば、
「ありがとう」
と、九郎も笑った。

 さあ、ここからが軍師としての本番だ。
 九郎が心配なのも、九郎と二人で食事が楽しみなのも、勿論真実だったけれど、それとこれとは話が別だ。自然と足早に弁慶は宿の中を歩く。
 早速、食事を受け取りながら、譲に聞いたら、残念ながら彼らは昼間、九郎の元を訪れていたそうだ。
 ならば、九郎は今から嘘をつく。必ずだ。普段ならまだしも、病を治す為、早く寝るべき彼からすれば、残り時間は僅かだ、きっと焦っているに違いない。それを逆手にとらない手はないだろう。
 病人相手だと思っていたが、かなり回復しているし、なにより、九郎自身も相当張り切っているのだから、こちらも全力で見破るのが礼儀というものだ。弁慶はしたり顔で、食事を抱え、九郎の所まで戻った。
 そして、どうにか一人でも起き上がっていられるようになった九郎と向かい合って、譲の作ってくれた粥に、朔が葉野菜と煮てくれた魚を食べた。
 食べながら、今日弁慶が歩き回った話をした。九郎は随分と楽しそうにそれを聞いていた。
「一日中籠っていて、飽きてしまいましたか?」
「そうだな、それもあるかもしれない」
「九郎は外に出るのが好きですからね」
 先に食べ終わってしまったこともあり、九郎の喉の調子も悪かったので、九郎がゆっくりと食事をとっている間、弁慶は延々と勝浦での話を聞かせた。丁度ひとしきり喋ったところで、いつもの倍ほどの時間をかけて、九郎が食事をとりおわり、
「ごちそうさまでした」
望美や譲の風習を真似、ぺこりと頭をさげながら、弁慶に食器を手渡した。
 それを弁慶は受け取りつつ、
「しばらくゆっくり眠りますか? ……ああでも、その前に」
入れ代わりに、水の満ちる杯を、ぐいと差し出した。
「今度こそ、飲んでもらいますよ」
「何を?」
「薬ですよ」
 嘘を見破る前に、薬師としての最後の仕事だ。どれだけ嫌がっても逃がすつもりはない。にっこりと微笑みながら、弁慶は九郎を追いつめるように見つめた。
 案の定、九郎はためらった。けれど刹那だった。彼は何故かいきなり声を漏らして笑い始め、そのうち腹を抱えて笑い始めたのだ。
「何がそんなにおかしいんですか」
 それにただただ、弁慶は驚いて、眉をひそめる。が、対称的に、九郎はいよいよ面白そうに、ごそごそと布団の中から何かをとりだした。
 ……それは、弁慶にはあまりにも馴染みの、
「あ」
「酷いな、散々疑ってた癖に、俺が薬を飲まなかった、ということは疑ってくれないのか」
薬包紙が、5つ。
「……飲んだんですか」
「勿論だ。早く風邪を治さなければ、皆に迷惑かけるだろう? ……お前に看病してもらうのは、悪くはなかったが」
「……」
 全く、してやられた。実際、以前はよく、この薬を飲む飲まないで、九郎相当言い合いしたものだったので、まさか……それを利用されるとは、思ってなかった。盲点だった。
 にやにやと、勝ち誇る九郎に、正直に弁慶は負けを認めた。
「……僕の、完敗ですね。参りました」
「ああ。だが俺も苦心した。お前の日頃の苦労が分かるような気がした」
「ふふっ、僕だったら、これくらいなんてことないですから、それは気にしなくていいですよ」
「大した奴だな。だが威張ることじゃないだろう」
「そうでもないですよ」
 九郎の顔には、勝利の喜びで溢れていたけれど、微かに安堵が混じっているように、弁慶にはうつる。風邪をひいているせいもあるかもしれない。けれど、きっとこんな、日頃息を吸うように嘘をつく弁慶からすれば些細な嘘だったとはいえ、真正直な九郎からすれば大事で、緊張していたのかもしれない。……今思えば、楽しそうに話を聞いていたのもその裏返しだったんだろう。それに弁慶はほころばずにはいられなかった。
 だって、得意分野で負けたというのに、……全く悔しくない訳じゃないけど、予想していたほどには悔しくないのだ。
「正直、もっととんでもない事を言うんじゃないかと思ってたんですが」
「普通だったか」
「そうですね、でも、九郎らしい嘘でした」
 きっと多分、それゆえに清々しいのだろう。
 それに多分、九郎と化かしあいなんて、新鮮で、楽しかった。
 勝負は終わった。
 改めて、弁慶は座を正して、九郎に向き直った。
「では、敗者として、勝者に従いましょうか。九郎、君は僕に何を望みますか?」
 さあ、この九郎は敗れた弁慶に、一体どんな命を下してくれるのか。もっとも、九郎の願いなら大体、どんなことでも聞いてあげたい弁慶だけど。
「それはもう決めてある」
「そうなんですか?」
 そんな、かしこまって問う弁慶に、九郎はいつもの笑顔で返した。
「ああ。弁慶、明日は俺に嘘をつくな」
 それは……嘘同様に、彼らしく素朴で、かついくらか意外な命で、弁慶は、にこにこと、得意の笑顔を浮かべつつも……言葉を詰まらせた。
 そんなに九郎には嘘をついてないんだけどな、多分。いや、多分。
 いつかのようにまたうっかり、余計な事言いそうになったけれど、そこはしっかり飲みこんで、
「仕方ないですね。約束しましょう」
代わりに告げたのは、そんな言葉。
 全く、九郎に嘘をつかないなんて全く確約できないのに、さらりと言ってしまうあたり、やはり九郎に嘘吐き扱いされても仕方ないのかもしれない。
 けれど、複雑な弁慶とは裏腹に、
「言ったな? では明日は、俺がお前の嘘を見破るぞ」
「受けて立ちましょう。ふふ、今度こそ負けませんよ」
九郎は至って楽しそうなので、まあいいかな、と思った。

 とはいえ。明日一日、どうしよう。彼に誓った通り、誠実に素直に生きるか、それとも、嘘を嘘と気取られる前に、真実を装い無理に押しとおしてしまうか。
 笑顔の裏で、弁慶は結構真剣に考えずにはいられなかった。






下書きから清書まで半年の期間があいてるんですが、
今思えば何で九郎が風邪ひいてるのか分からない
他にも3つ4つ同時期に病気ネタを書いていたので自分の中でなんかそういう時期だったんだと思います
(08/04/2010)

サソ