公式設定と食い違ってたらごめんなさい
有川家の居間に足を踏み入れると、そこはこちらの世界独特の、少し香ばしい飲み物の香りで満たされていた。
「ただいま戻りました。……珍しいですね、九郎一人ですか?」
声をかけると、部屋の真ん中のソファに座っていた九郎が振り返る。
「おかえり。いや、景時と譲が庭にいる」
「そうですか。君はずっとここに?」
「そうだな。刀の手入れをしたり、たおるを畳むのを手伝ったりしていたらすっかりこんな時間だ……この世界は夜が長いのに、全く時間が足りる気がしない」
「同感です」
九郎はカップを手にしていた。彼は最近よくそれを飲んでいるな、と思いながらコートをかけ、弁慶も彼の向かいに腰を降ろした。
「ふふっ、君はすっかりコーヒーがお気に入りですね」
「ああ。今日はあめりかん、とか言っていたか……飲んでいるうちにこの苦みが落ち着くようになってしまった」
「大人の味、ですね、望美さんが言うところの」
弁慶はコーヒーが苦手だったが、九郎も最初は同様に、これは薬かと顔をしかめて敬遠していたはずだった。
が、京から来た中で唯一コーヒーを気にいった景時が、他の皆にも好きになって欲しいと……特に九郎に、次から次へと「これならどうかな?」と、様々な種類のものを勧めているうちに、ついに九郎までコーヒーが好きになってしまったのだ。
「すっかり景時の策にはまった気分だ」
「さすが源氏の戦奉行。素晴らしい手腕ですね。君も鼻が高いでしょう?」
「それは確かに、そうだな」
などと話していたら、噂をすればなんとやら、景時と譲が、その長身をドアの向こうから覗かせた。
「あ、弁慶おっかえり〜! 外、寒かったでしょ?」
「弁慶さん、すみません、ついでにおつかいまで頼んでしまって」
「いいえ、お世話になってるんだからこれくらい当然ですよ」
やってきた譲に野菜の入った袋を手渡すと、九郎が感嘆の声をあげる。
「お前、もうすーぱーを一人で歩けるようになったのか!?」
「要領の良さが僕のいいところですから」
「九郎さんは自転車乗れるじゃないですか。それだけでも十分凄いと思いますよ」
「みんなそれぞれ、得意分野本領発揮って感じだね〜」
「そうかもしれないですね」
景時の言葉に、九郎も譲も笑う。その後で、
「弁慶さんもなにか飲みますか?」
と、向こうでもこちらでも変わらず気の回る譲がそう聞いてくれた。
「ではいつものをいただけますか」
「はい」
彼は袋を手に台所の奥へ消えていった。景時と譲はそういうところがよく似ている、と、呑気に見送っていた弁慶に、九郎が少しくぐもった声で問いかけた。
「お前は、あまり飲まないな」
「コーヒーですか? そうですね、刺激が強くて、なんとなく薬を思い出してしまうので」
「うーん、オレも結構意外だったんだよね。弁慶、コーヒーはともかく、紅茶は好きかな〜、って思ってたから」
にこにこと返していると、景時も加わってきた。呑気ながらもどこか探るような視線、それは弁慶になにか新しい飲み物を飲ませたくて仕方ないように見える。
「景時厳選の紅茶を飲めないのは残念ですけどね」
「俺も紅茶派だと思ってましたね、はいどうぞ」
そうこうしているうちに譲が戻ってきて、景時にコーヒーを、弁慶の前には丸い湯呑みを差し出した。
「ありがとうございます」
微笑みを返しながら受け取る。冷えた指先が湯呑の熱さでしびれるようだったが、気にもとめずにふうふうと少し冷ました後、口をつける。
「ああ、おいしい」
内臓にしみわたってゆく温かさに目を細めながら、湯呑みを静かに卓に置く。
中に入っているのはごく薄い、色がついただけのような薄い緑茶。有川兄弟と神子が色々出してくれた中で、弁慶はこれが一番気に入ったのだが、どうやらこんな風に茶を飲むことはないらしい。将臣がエコだ、とか、節約の友だ、とかいつだか笑っていた。
「……弁慶さんは紅茶か抹茶に違いないって、先輩と喋ってたんですけどね」
「期待がはずれてしまいましたか。でも、紅茶も好きですよ。譲くんの淹れてくれるお茶は美味しいですからね。それに料理も」
京にいた頃から彼には頻繁に料理をふるまってもらったものだが、この世界に来てからはますます、むしろ住まいや着るものまで、何もかも彼と将臣に世話になりきりだった。以前は朔と譲で作ってくれていた料理も、今は景時や朔がささやかに手伝う程度で、ほとんど譲一人で受け持っているらしい。
「そうだな、譲には世話になりっぱなしだな」
「いえ、作業時間自体は、向こうよりずっと楽だから構わないんですが……」
「僕たちは随分我儘ですからね」
譲は笑って弁慶に答えたが、最後に言葉を濁らせた。
その先に関して、一度理由を聞いたことがある。どうにも、彼や望美には想像もつかない理由で、八葉の食の好みが面倒なものらしい。
例えばここへ来て二日目だったか、皆でスーパーに行った時のことだ。
なんでも好きなものを言ってくれ、と言った譲に真っ先にヒノエが「魚を食べたい」と注文を出した故に、その日の夕食は魚料理になったというのに、言い出した張本人は言葉にはしなかったものの、どうにも不満そうだった。後で譲が聞いた所、やはり地元熊野の魚にはかなわなかったらしい。
望美たちは悲しがるかと思ったが、やっぱりそうだよね、と妙に納得していて、挙句彼女たちがこれならどうだと、翌日、北の方でとれる魚、という、確かに熊野では見たことのない魚が出てきた際には、ヒノエは目を輝かせて大絶賛した。
という風に、八葉の好みは繊細で、大雑把だ。
「……そうだね〜。朔は望美ちゃんが好きな洋食に興味深々だし、敦盛くんは野菜しか食べないし、でも中華料理になると先生と並んでおいしそうに食べてるし、オレは発酵食品ってのがお腹に合わないみたいだし」
「九郎は放っておくと、甘いものばかり食べてますしね」
「九郎さんがそんなに甘いものが好きなのは、意外でした」
「それはだな…! 甘いものは運動にいいと、以前先生が仰っていたから」
「それにしたって、今朝も延々とみかんとクッキーを交互に食べていたようですけど」
くすくすと、軽い気持ちで九郎をからかうと、彼はむっとして切り返してきた。
「そういうお前はどうなんだ!?」
それは、何気なく思いついた言葉だったのだろう。その証拠に、口にしたあと九郎は、言ってから気付いた風に、不思議そうな顔をした。
「そういえばお前は……好き嫌いを言わないな」
「そうですね。あんまり味が濃いものはやはり苦手ですけど、それ以外は」
「じゃあ今日は弁慶さんの好きなものを作りましょうか」
「うん、それも面白そうだね〜」
「弁慶さんなら、やっぱり鍋とかでしょうか」
「今日は寒いからそれもいいね」
と、白虎の加護を受ける二人は仲良く話を弾ませる。
「で、何がいいですか?」
二人の、特に譲の純粋な好意はとてもありがたいものだった。けれど、弁慶は微笑みつつ彼らに返した。
「僕の事は気にしなくていいですよ」
「だが、折角の好意だ、甘えればいいんじゃないのか?」
それで誤魔化せればよかったのに、九郎がそう言うから、弁慶は苦笑いになってしまう。
「僕もできればそうしたいんですが、実は僕、一体何が好きなのかよく分からないんですよ」
「そうなのか?」
「意外ですね。弁慶さんはそういうの、色々分析してそうだったのに」
「ふふっ、そうですか、ありがとうございます」
言いながらなおも譲は不思議そうだった。こういう所は本当に彼と神子はよく似ている。微笑ましく思いながらも、慎重に弁慶は言葉を返した。
「あちらにいた頃は、旬のものを煮たり焼いたりして食べていたもので、食を選択する、ということにども慣れないみたいですね」
「だがそれは俺たちだって」
「同じはずなんですけどね。元々あまり、食べることにこだわりがない性格だからかな? 種類がたくさんあって、到底手がまわらない。情けない話ですが、未だに馴染めなくて目がまわりそうです。ですが、譲くんの料理は本当においしいですから、僕はそれだけで十分ですよ」
「そうですか……分かりました。じゃあ、また今度なにかあったら言ってくださいね」
言えば、譲は頷いてくれた。
「はい、必ず」
すると、そんな彼に隣の景時が手を上げ、
「じゃあ、今日は望美ちゃんがこの前言っていた、オムライスってのが食べてみたいな」
注文したので、弁慶も彼に倣って笑顔になった。
「ああ、それはいいですね」
「オムライスですか? 分かりました。作ってみます。きっと朔は好きだと思いますよ」
「うん、だといいな〜」
献立が決まったところで、譲と景時は準備に取り掛かるべく、台所へ向かっていった。
二人を見送った後、弁慶が再び茶を口にしようとしたろことで、向かいの九郎を目が合った。
「どうしたんですか?」
「いや……」
そういえば途中から無言だった九郎は、カップを握ったままじっとこちらを見ていたけれど、声をかけると、難しそうな顔で問うた。
「お前はもっとこの世界を楽しんでもいいのではないか?」
それにいささか驚いて、弁慶は刹那言葉を失うけれど、すぐに微笑み首をかしげ、
「そうですか? 僕は楽しんでいるつもりですけれど?」
「だったらいいが……すまん、少し顔色が悪いように思えたんだ」
「心配してくれるんですか? ありがとうございます。でも、多分外が思ったより寒かったからだと思いますよ。ほら、手を貸して」
と、コーヒーカップに添えられていた九郎の手を引き、自分の頬に触れさせると、
「……冷たいな。こんなに今日は寒いのか」
目を丸くしながら納得したようだった。
「ええ。もうすぐ年の瀬ですからね」
「そういえばそうだな」
そうして九郎は、ふっと大きな窓の外に広がる、今にも雪が落ちてきそうな白い空をぼんやりと見上げながら、
「……いつになったら帰れるのだろうか」
と、ぽつりと口にした。
その次の日だった。
昼食をとった直後くらいの、まだまだ楽しむべき一日は残っている、そんな時刻に、
弁慶はふらりと、突然意識を失った……ようだった。
気付いたら薄暗い部屋の中、寝台の上、目を開けたら九郎と将臣が覗きこんでいた。
「お、起きたな」
「……?」
最初、弁慶は訳が分からずに部屋の中を見回した。有川家だ。カーテンが引かれているから暗いけれど、漏れる光が昼間だと告げる。
そこに何故自分が? 疑問は浮かべど言葉にならない弁慶に、深刻な顔で黙っている九郎の隣の将臣が、対称的に明るく言った。
「突然倒れたから、みんな心配したんだぜ。医者に見せるにもお前が医者だしな。勘弁してくれ」
「……すみません。ですが僕は、一体どうして?」
「さあな、よくわかんねぇけど、昼過ぎに俺と九郎と、望美と景時でゲームやってたの覚えてるか? あんたその横で本読んでただろ? そしたらいきなりばったりと倒れたって、目撃した敦盛は言ってたな」
曖昧なままに記憶を辿る。たしかに九郎たちの隣で、敦盛と本を読んでいたのを覚えている。そしてその後の記憶が全くない。
「そうでしたか……望美さんや敦盛くんも、驚かせてしまいましたね」
誰が換えてくれたのか、着せられていた寝間着の襟元を掴みながら目を伏せた。腹がきり、と痛んだ。
「……で、他の奴らには何も言っちゃいねえんだけど」
そんな弁慶に、将臣が深刻を装って続ける。
「思うに、あんた、もしかして何も食べてないんじゃないのか?」
「……」
いよいよ言葉を失うしかなかった。彼はどうしてこうも勘がいいのだろう。前々から思っていたし、時として疎ましくもあったが、今はいよいよ忌々しい。
しかも今、ここで口にするあたりとことん性格が悪いらしい。
「おお、怖。そんなに睨むなよ」
「睨んでないですよ。酷いですね、病人にそんなことを言うなんて」
「ああ、分かった分かった、俺が悪かった。……で、とにかく、今譲がおかゆを作りはじめてるから。あと30分くらいで持ってくるからな、それまで大人しくしてろよ」
挙句、最後ににやりと、心底楽しそうに笑って、さっさと彼は出ていった。
ぱたりと響く扉の音。
後には静寂がただ残されたが、そんなものほんの刹那で壊される。
「……弁慶!」
そしてただ、九郎と弁慶、二人が残った。
「お前は馬鹿か!?」
「ああ、やっぱり怒られた」
「当たり前だ」
笑って返せば九郎はますます怒った。九郎に怒られるのはよくあることだったが、とはいえ今回ばかりは自分の非を分かっている弁慶とすれば、いよいよ笑って返すしかなかった。
そんな彼に九郎はなおもなにか言いたそうにしたけれど、弁慶が困っていると意外にも表情を曇らせ、
「……そういえば、お前はあまり料理を口につけていなかったように、今更思う。情けないが、気付かなかったな」
と、さっきまでとは裏腹に口にしたから、繕えなかった自分に胸がちくりと痛んだ。
「……誰にも見つからないように気を配っていましたからね」
「そんな面倒なことを」
「する必要はあったでしょう」
「だが、だったら」
そんな弁慶に九郎は容赦ない。
「だったら、何故譲の料理はおいしいなどと言ったんだ? 譲がどれだけ傷ついたと思っている」
「まさか。譲くんの料理がおいしかったのは、本当ですよ」
即答すると、九郎も即、問い返す。
「なら、どうして」
「……」
「弁慶」
そして鋭く睨まれてしまって、
「……切り替えが早いのが僕の取り柄だと思ったんですけど、まいったな」
結局、弁慶の方が白旗を上げた。
いつもの自分だったら、いくらでも九郎など誤魔化すことはできただろう。けれど上手く言葉が探せなかった。それはまだ、頭がもうろうとしているからなのかもしれないが、
多分……ああ、本当に情けないのは自分だ。
自分で気付けないほど、弁慶は弱っていたと言う事なのだろう。
逃れるように目を伏せた弁慶の手を、九郎はとった。つられて彼を見れば、九郎は少し泣きそうな顔をしていた。
「いいから言え」
そしてぎゅっと、弁慶の手を両手で握りしめて言った。
剣ばかり握っているせいで固い指先がどくどくと脈を打っている。何度となく繋いできた指と指、そんなものに、弁慶は妙に、こんなにも他愛もないことなのに安心してしまった。
「……美味しくて、僕には美味しすぎて、駄目だったんです」
それでも、
「僕はこの安寧を素直に受けとめることができなかった」
そこまでしかつぶやくことはできなかった。
この平和な世界をも僕のせいで壊れようとしている。そんな罪には耐えられない。とは、言えない。向こうでそうだったように話すことができなかった。
龍脈を壊してしまったと一番最初に吐露しておけば良かったのかもしれない。けれどあまりに大きな事柄すぎて、どうしても口にできなかった。そのせいで嘘を重ねたこともあった。それでもいつだって九郎は弁慶の話を疑いもせずに聞いてくれた。心が陰ることがあっても彼が笑ってくれれば許されるようだった。
今だって、こんなことになっても自分は半端にしか彼に本心を語っていないというのに、九郎はことりと弁慶の腹に頭を預け言葉を紡ぐ、
「……お前の気持ちは、少しわかる。この街はこんなにも穏やかだ。俺があんなにも夢に見た国がここにある。いとも簡単に。それが俺にはもどかしくて悔しい、と同時に……羨ましいな」
「……九郎」
「だが、だからこそ、無事に元の世界に帰った時に、この平和を少しでも持ち込めるできたらいいと、そう思う。だから俺は早く兄上の鎌倉に帰りたい。そしてその日が来るまで、この安らかな気持ちをできるだけたくさん抱えて持ち帰りたいと思うんだ。……お前もそれでいいのではないか?」
真面目な声は布団越しなれど腹に響く。
彼の言う事は、全く的を得ていなかった。
でもそれはとても九郎らしいし……なにより、もどかしくて悔しい、という表現が、弁慶の心にすとんと落ちた。
「……そうなのかもしれないですね」
この街はこんなにも穏やかだ。
温かで、まるで今弁慶を包む布団のように柔らかい世界、それは尊い、尊くて、なにより大切にすべきことだった。
だが、今、自分のせいで穢れようとしているこの世界では弁慶の常識は全く通じない。知識も何も。そんなものはこの世界では不要で、ゆえに何もできないというにに、ただ優しさに甘んじているだけの身がもどかしくて、少し弁慶は焦っていたのかもしれない。
けれどそう、例えば九郎がやはり前しか見ないのと同じように、
弁慶はきっとここでも穢れを払うしかないのだろう。そういえば、今までだってずっとただそれだけだったのだ。この温かな九郎の手を離れぬ範囲でしか、自分は何も成せはしなかったのだから。
力も込めることはできなかったけれど、弁慶はやっと笑えた。
「君がいてくれてよかった」
唐突な言葉。九郎は少し照れた顔で頭を起こしたけれど、すぐに、
「そんなの当たり前だ」
と、いつもの晴れやかな笑顔を返してくれたので、ああ、ほんとによかったと思った。
そのあとしばらくして譲が持ってきてくれた粥は美味しかった。さすがに全開と言えるほど、心はともかく体がついてきていなかったので、完食するのに相当時間はかかってしまったが、九郎だけではなく、譲と望美も喜んだ。
そんな二人に倒れた原因を語ると、二人とも最初は悲しそうな顔をしたが、
「そうだったんですか」
「気付かなくてすみません」
「いえ、君たちは何も悪くないですよ、どうか気にしないでください」
そんな風に揃って逆に謝ってくるものだから、いよいよ弁慶は申しわけなくなってしまった。けれど、横から九郎が実に真剣な口調で、
「そうだ。むしろ叱ってやってくれ。望美の言葉なら弁慶も聞くかもしれん」
と言ったところでようやく二人は笑ってくれて、ひとまずほっとした。
「明日はなにか、栄養のあるもの作りましょうね」
そして苦笑した譲に、望美が勢いよく提案する。
「あ、だったら私に案がある!」
「俺も手伝おう」
九郎まで告げると、望美が顔を輝かせた。
「九郎さんの手料理ですか?」
「ああ。お前たちにはいつも世話になってばかりだ。景時のようにこの部屋の道具を使いこなすことはできないが、野菜を切るくらいなら大丈夫だろう?」
「ありがとうございます。九郎さんは手際がいいから助かります」
けれど心が弾んだのは彼女だけではない。
「それは僕も楽しみにしてますね、九郎」
九郎の手料理など、久しぶりだ。それなら弁慶もたくさん食べられるかもしれない。
さあ、一体どんなものがでてくるのだろう。
弁慶は実に珍しく、次の日の夕食を待ちわびた。
だというのに、その晩食卓に並んでいたのは不思議な色の食べ物だった。
「……ただいま姫君、今日の夕食はお前も一緒に作ったって耳にしたから急いで帰ってきたよ……って、随分凄い色の食べ物ができあがってるね」
「おっ、カレーじゃん! そういえばこっち来てからまだ食べてなかったな」
「でしょ? こんな定番メニューみんなに食べて貰う前に事件が解決しちゃったらどうしようって思って、作ってみたんだよ」
「朔や九郎さんも手伝ってくれたから、凄くいい仕上がりになってるよ」
「……」
どうやら譲のお墨付きのようだが、ヒノエは複雑そうな顔で立ち尽くしている。
彼の気持ちは分からなくはない。本当にこの世界は不思議だ。どんな味なのか全く見当もつかない。向こうでは高価な香辛料をおそらくたっぷり使った料理に見える程度だ。
「弁慶、食べたらどうだ?」
「そうですね」
九郎はにこにこと弁慶を見ていた。九郎だけでなく、譲も望美も見守っている。
味は確かなのだろう。それでもいつになく、弁慶は及び腰だったが、結局彼らへの感謝と好奇心が勝った。
ぱくりと一口、すくって食べる。
「……おいしい」
「えええええ!?弁慶、こういうの駄目なんじゃなかったの?」
「いや、僕もそう思っていたんですが……でもおいしいものはおいしいです」
それは九郎云々抜きで美味しくて、
「ほら、やっぱり、困った時はカレーだね」
「まさか本当に評判がいいとは」
「ははっ、そういえば、髪黄色いしな、戦隊物の黄色担当か?実は」
「やめてよ将臣くん、弁慶さんのイメージ壊れる〜!!」
などと、良く分からないけれどとても楽しそうな望美たちの会話について、考えるのも煩わしい程ぱくりぱくりと口に運ぶ。ただ、
「よかったな、弁慶」
と、彼が嬉しそうな顔でこちらを見下ろし言った言葉には、心配をかけた昨日を思い出してしまった。
「ええ。君たちのおかげです。九郎も食べたらどうですか?」
「ああ、実はまだ味見してなかったんだ」
勧めると、九郎は目を輝かせた。おかしくてついくすりと笑ってしまう。けれど、
それもつかの間。弁慶と同じようにぱくり、と口にした途端、
「……っ!!!!! なんだこれは!!」
「九郎、大袈裟ですよ」
「やっ……痛っ……!!」
大慌てで目の前に……丁度良く用意されていたグラスを掴み、わき目もふらずにごくごくと、まるで口の中を洗い流すかのように九郎は飲む。
「……そんなに辛いですか?」
「いや、予想通りのリアクションだな」
「やっぱり、激辛はやりすぎだったみたいですね……」
「ううん、カレーはやっぱりこうじゃないと!」
作り方を覚えてくれたら向こうの世界でも食べる機会があるかもしれない。そう思って微かに楽しみにしていたのだけれど、それは早くも朽ちえたようだ。
だったら、九郎が言っていたように、今のうちにたくさん食べなければならないだろう。彼への敬意も込めながら、弁慶は手を伸ばし、
「九郎、君の分も貰いますね。ありがとう」
未だ涙目で口元を覆ったままの、隣の九郎へ微笑んだ。
最初は九郎にコーヒー飲ませたかっただけなのに話がまとまらないから
なんとなく弁慶に倒れてもらってしまった
(26.08.2009-03.10.2009)
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