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 秋が深まるにつれて、京がどんどんと赤色や黄色で染められてゆく。
 望美が育った鎌倉だって、結構凄い紅葉の名所だと思っていた。だけど、この京の紅葉もとても美しい。風に吹かれて枝が揺れたりしなかったら、写真や作りものなのではないかと思ってしまうくらい美しくて、最初の頃は朝食を食べるとすぐに梶原邸の縁側で眺めていたものだから、昔から望美の事を知っている譲や、偶然再会したばかりの将臣に驚かれた程だった。
 でも、それも二度目となるとまるで印象が違う。あんなに綺麗で生き生きとしていた山の赤が、今は京を焼き尽くす炎のようにみえて、少し寂しかった。

 今の望美たちの目的は、京で多発しているという怪異を止めることだった。街は怨霊で溢れている。こんなひどい事を誰がしているのかはまだ分からない、けれど怨霊や呪詛が絡んでいることは明らかならば、白龍の神子たる望美の出番だ。早く京の平和を戻さければ、と連日探しているものの、なかなか原因は見つからない。進展しないから、皆少しずつ暗くなっていた。
 けれど、ある程度怨霊の数が減った頃、景時が、『こういう場合はね、息抜きをしながら少しずつ探すのがいいんだよ」と言ってそれ以来、休み休みで捜索を行うようになり、また皆元気を取り戻してきたようにみえた。不思議と怨霊退治もはかどるようになった。
 そてに、のんびりするようになってから気付いたことだったけれど、考えてみれば皆それぞれに仕事もあるから忙しい。言い出した景時も、彼自身は戦奉行の仕事で結局休んでいない。本当にのんびりしているのは望美以外では朔と譲と敦盛くらいのように見えた。

 それでも奇異がそれなりに片付きはじめた頃。
 その日は丁度、曇り空で風が一段と冷たくて、将臣や景時は用があると朝から出かけてしまっていたので、休みにしようと決めた日だった。
 だったら、と、剣を持ち中庭に降りたところで九郎が声をかけてきた。
「望美、稽古をしないか?」
 兄弟子である九郎とはよく一緒に稽古をした。けれど、戦が進むにつれて、そんな時間は減ってしまったから……少なくとも、『あの日』以降では初めてだった。
「はい。私も体を動かしたかったところなんです」
 望美は笑顔で頷いた。彼と一緒に剣を振るのは好きだったし、励みにもなる。
 それに、ずっと九郎と話がしたいと思っていた。あまり口にしたくない話だけど……いい機会かもしれない。とはいえ、なんて言おうか考えれば、それだけで緊張してしまう。
「ん、どうした?」
「え、なんでもないですよ。お願いします、九郎さん」
 言われ、少し焦ったけれど、とりあえず今はなんでもないふりをして、九郎の隣に並んだ。

「1、2、3、4」
 二人で並んで、声を上げ、数を数えながら素振りを重ねる。最初は上から下へ、次は袈裟斬りのように斜めへ、と、少しずつ角度を変えて、振り降ろす。
「66、67、68、69」
 素振りを繰り返しながら、ちらりと九郎の方を見る。
 花をも断つ彼の剣筋はいつもまっすぐでぶれない。戦場でもそうだった。将臣が大きな太刀で怨霊を殴るように倒すのとは違い、九郎のそれはまさに断つ刃。それは、技術も必要だし迷いがあってはできないし、ということで、九郎らしいといつだか将臣が笑っていた。
「望美、気を抜くな、腕が下がってきている」
「はい!」
 ぼんやりしていたら声が飛んできたから、望美は慌てて姿勢を正す。

 望美と九郎は、共にリズ先生に剣を教えてもらう、いわゆる兄妹弟子だ。
 出会った時こそ、戦えない奴が戦場に出てくるなとかお前が戦える筈がないとか、散々言っていた九郎なので、第一印象は最悪だった。
 けれど、時間がたてばそれが優しさだったのだと分かった。確かに言い方は酷いけど嘘はつかないし、口調だって暖かかった。
 本当は忙しいはずなのに、望美の剣もよく見てくれる。どうしてですか? といえば、兄弟子だからな、と笑う。そんな九郎が、まるで兄のようで望美は好きだった。

「よし、ここで一旦休憩にしよう」
 ぐるりと一周分終わったところで、九郎が言った。
「はい、九郎さん」
 彼にならって、剣を携えたまま縁側に座ると、途端、どっと疲れを感じてしまった。
「今日は寒いと思っていたが、体を動かすとまだまだ暑いな」
「そうですね、冷たい麦茶が恋しいです」
「むぎちゃ……? お前の世界では、麦をすりつぶして飲んだりするのか?」
「いえ……よくわからないですけど、たぶん違います」
 と、九郎には言ったけれど、本当はむしろ暖かくて気持ちいい、と、望美は思っていた。
 九郎にとってはようやく夏の終わった京だった、だけど、望美にとっては、この前冬の厳島から跳んで戻ってきたばかりの、二度目の秋の京。
 でも、望美がそうして時空を超えて戻ってきた事など誰も知らない。この先の運命も誰も知らない。
 だから…まだ九郎と自分が共に並んで、汗をかき、のんびり稽古できる時間が嬉しくて、ひどく、恐ろしい。
「九郎さん、剣の稽古好きですよね、他に、たとえば買い物に行ったりとかしないんですか?」
「市か? 行くこともある。だが鍛練は欠かせないからな。望美こそ、譲が折角市に誘っていたのに、よかったのか?」
「はい……今日は体を動かしたい気分だったので」
「そうか」
 彼女の事情など、あの人の思惑など知らない九郎は、さっきの太刀筋そのままの曇りない顔で笑う。
 望美も笑顔で答えるけれど、彼を見ていても、剣をどれだけ振っても……この前、京の街はずれで向けられたあの微笑みが離れそうになかった。

 『君はいけない人ですね』と、口調こそいつものままに、嘘めいて真実をに告げられたあの時。
苦しくても苛立っていてもあんな風に笑える人なんだ、気付いたら、凄く怖くなって、一人でいたらどうすればいいのか分からなくなって……
 あれからずっと、よく眠れない。今日剣を手にしたのも、体を動かしたかったのもあるけれど、疲れればぐっすり眠れるかもしれないと思ったからだ。
 九郎が一緒に稽古をしてくれたのは偶然だったけど、お陰で望美の心の半分側はほっとしていた。
「九郎さんって、いい人ですよね」
 彼がいてくれてよかった。しみじみとしてしまって望美が言うと、九郎は相変わらずの笑顔で、
「まあ、兄弟子だからな」
と言った。望美も笑った。
 けれど……、兄妹のように接してくれる九郎が、望美はいつだって嬉しかったけれど、今は違う。彼が笑えば笑うほど、心の残りの半分がどんどんと思く、苦しくなってくる。まるで別の自分がいるようで、
「兄弟子っていうけど、でも九郎さん、みんなに優しいじゃないですか。譲くんとか」
……そのもう一人の自分が笑ったまま、暗い声で言ったから、望美はうろたえて口元に手をあててしまう。けれど、九郎はそれには気付いてない風に、ただ呑気に首を傾げていて……安心した。
「そうか? お前や譲は京に不慣れで危なっかしいからな」
 なのに不安な心は言葉を紡ぐのをやめようとしない。
「景時さんの仕事も代わったりしてるし」
「景時は戦奉行として、大切な仲間だ」
「じゃあヒノエくんとか敦盛さんは?」
「……ヒノエ? ヒノエは仲間だからな。でも俺はヒノエをそんなに気にしたつもりはないぞ、あいつは好き勝手にやってるだろう」
「仲間ですか」
 九郎はすらすらと望美の問いに答えた。兄弟子、戦奉行、初心者、仲間。九郎はいつもこんな感じだ、大事なものには名前を付ける。そう思ったのはいつだろう。何かにつけて九郎が望美を妹弟子だというようになったからかもしれない。
 望美はそれでよかった。彼に信頼されていることはとても嬉しかった。
「……だが、確かにお前は特別かもしれないな」
「えっ」
 とはいえ、いきなり優しい声で九郎がそんな事を言い出すから、望美は戸惑う。彼は照れもせずに続けた。
「他の仲間はともかく、お前にはいつでも信頼して欲しいと思ってるからな。兄弟子として、情けない姿を見せてはいけないと思っている」
「……その割に、昨日も将臣くんのこと、追いまわして譲くんに怒られてなかったでしたっけ? 私見ちゃいましたよ」
「あ、あれはだなあ!将臣が俺の髪をいじくりまわすから!」
「知ってます」
 まっすぐなリアクションがおかしくて、望美はつい声を零して笑ってしまう。
「大丈夫ですよ、そんな九郎さんも素敵です」
「なっ!? からかうな!」
「からかってないのに」
 望美は譲と違って、源平の合戦も鎌倉幕府も詳しくないけれど、こんなひとだったら、後の世に英雄として語り継がれるのもおかしくない気がする。そう思った。
「九郎さんらしいなあ」
「お前、まだ言うのか?」
「すみません、ふくれないでください」
「ふくれてなどない!」
 いつだってまっすぐで、偽りなくて、誠実で。
 こんな九郎に妹弟子として信頼されているのは凄いことで、誇るべきことのように思えていた。
 なのに、今はもう駄目なのだ。そんな彼を見れば見るほど、望美の心は曇ってしまう。嫌になる。

 なんで気付いてしまったんだろう。そういった恋愛ごとにはいつだって疎くって、周りの友達にも、散々からかわれてきたのに、どうして気付いてしまったんだろう。
 『僕、裏切ろうと思うんです』、言ったあの人は嘘つきだから、またいつもの嘘だと思ったのに、本当に裏切ってしまった。
 その上、行宮で彼の守るべき総大将、九郎に刃を向けた、その瞳で気がついてしまった。
 憎しみでも、悲しさでもない、彼は、九郎と敵対したことをとても喜んでいるように見えたのだ。
 それに望美は困惑した。信じたかったけれど、彼は九郎のことががずっと嫌いだったのだろうかとか、本当に利用していたのかのだろうかとかも考えた。
 でも違った。運命を最後まで辿ったら全然違った、あの人は自分の命ひとつで終わらせることができた事にほっとしたような顔をして消えてしまった!
 その記憶を抱えて、望美はここへ戻ってきた。
 あの人が一人で消えてしまう運命を変えたいと思った。けれどどうすれば分からないままに、この前、またあの京の外れで「裏切ろうと思うんです」と、言われてしまった。言わせてしまった。
 どうすれば運命を変えられるのだろう?
 どうすればあの人を救えるのだろう?
 九郎に伝えてしまいたい言葉が、泣きごとが喉元まででてきている。けれど、どうしても言葉を紡ぐ事ができなかった。なんて言えばいいのかも分からなかったし、それを口にしていいのかも分からない。
 分からない中で、それでも、ひとつだけ聞いてみたくて、望美はゆっくりと九郎を見上げ、問いかける。
「……九郎さんは、みんなを信じているんですね」
 余計なことは言わないように、両手でぎゅっと剣の鞘を握りしめる。
 口にしたら、大切なものが少しずつ、さらさらとこぼててゆくような気がした。
「当たり前だ」
 そんな望美に簡単に九郎は言った。あまりにもするりと口にした言葉はあまりにも軽い。他の人だったら、不誠実だとさえ感じるほどだった。でも九郎だったら……この人ならきっと、本当に簡単に、自分の軍にいるどんな些細な人さえも信じてしまうのだろうと思った。
「じゃあ……もし、信じてる人に裏切られたら、どうしますか?」
 そして、気付いたらそう聞いていた。余計な事は言ってはいけない、思っていたのに言ってしまった。
 どうしよう、と、望美は少し泣きそうになる。九郎が怒るんじゃないかと思ったからだ。俺が信じた仲間を侮辱するなと言うと思ったからだ。
 でも……もしかしたら、望美がそんな心中を顔に出していたからだろうか、じっと望美を見て少し考えたあと、九郎はとても真剣な顔で、
「お前ならどうする?」
と言った。逆に聞かれてしまい、ますます望美は困って、鞘ごと剣を胸に抱える。その間も九郎はじっと彼女を見ていた。その目を見、ゆっくりと、言葉を選びながら望美は自分の問いに答える。
「悲しいです。でも、たぶんずっと、なにか事情があったんだとか、仕方ないんだとか、……その人の本質みたいなもののことは、いい人だと信じてしまうと思います」
 すると、九郎はほっとしたような、寂しいような顔をした。
「お前はいいやつだな」
「九郎さんは……違うんですか?」
 言いながら、望美はこの先の未来で見た、行宮での九郎を思い出した。戦場とは思えない程静かだった場所で、どうして、と、すり切れそうな声で九郎は叫んでいた。あれは……望美には、とても悲しかった。
 けれど九郎は首を横に振る。
「俺も多分、裏切られたと理解できなくて、信じ続けてしまうと思う。だがそれは悲しいからじゃなくて、相手の人柄を信じるのでもなくて、自分が信頼していた相手が裏切るなんて、そんなことがあってたまるかと思っているからだと思う。自分の判断が間違っていたことを、認めたくないんだ」
そう、聞いたことないほど真剣な声で言った後、
「……俺は、未熟だな」
と、うつむいてしまった。けど、彼の言葉は、望美にはどこかぴんと来なかった。
「そうかなあ……」
 だって、九郎は自分の間違えを認められる人のように見えたのだ。望美自身にもそうだったし、先生にも、ヒノエにも、敦盛にだって。
 本当ならそう、力いっぱい言いたかった。でも先に九郎に謝られてしまう。
「ああ、また泣きごとを言ってしまった。すまなかったな、望美」
「いえ…私も変なこと聞いて、ごめんなさい」
「全くだ。驚いたぞ……ん、まさかお前、裏切るのか?」
「えええええ!?」
「ははは、冗談だ」
 しょんぼりしていた九郎は、そう言って笑う。彼が顔をあげたのは良かったけれど……でも、それに望美の沈んだ方の心が苛立ちを覚える。
 どうしてそんな風に、全然疑ってくれないんだろう!
「じゃあ、弁慶さんは!」
 思わず、口に出していた。九郎は首をかしげて、
「弁慶が、どうかしたか?」
と、望美をからかった後と表情を変えずに……少しも疑いをいだこうとしていない様子で、無造作に腕を組み、綺麗な目で望美を見下ろす。
 そんな顔をされたら、耐えきれない。嬉しい筈の彼の信頼が心に突き刺さって、痛い。
「い、いえ、あの、九郎さんにとって、弁慶さんってなんなのかなーって」
「ああ、さっきの話か」
 だから結局望美は笑ってごまかし、大慌てで話題を変えた。それに実際、気にもなっていた。九郎はなんていうのだろう、軍師? 薬師? 幼馴染?
 色々想像したのに、なのにどれとも違う答えを九郎は返した。
「そうだな、あいつは、弁慶だ」
「弁慶さん……ですか?」
「ああ。弁慶は弁慶だな……そうとしか言えない」
 言う声は穏やかで、目はとてもとても優しかった。望美の息が止まる。剣を落としそうになる。
「どうした!?」
「いえ、なんでもないです!!」
「望美……?」
 受け止めてくれた九郎からそれを受け取りつつ、望美は作り笑いすらできなかった。
「ほんとに、なんでもないんです」
 目を伏せる。だって、それは、なんて素敵な特別扱い。
 さっき九郎は望美は少し特別だといったけれど、そんなの、……全然敵わないじゃないか。
 さらりと風が吹いて、望美の長い髪を揺らした。

 いやだなあと望美は思った。
 弁慶に置いて行かれた時、彼女は本当に嫌だった。誰より大切な人が、訳も話さずに死んでいったのが悔しくて、もっと知りたいと思っているのに、何も言ってくれなかったことが切なくてならなかった。
 けれど、九郎を前にしていると、弁慶の気持ちが少しだけ分かるのだ。喋れないな……と、思ってしまうのだ。
 だって九郎はきっと、彼の全てを賭けて、封印の力以外には何も持たない望美にはできないような方法だって使って彼を止めるだろう。もしかしたら、ごくあっさりと。
 そんな兄弟子を持つことは、望美にとって誇るべきなんだと思う、弁慶を助けたいのならば彼に言うべきなんだと思う。
 それが九郎が自分に向けてくれる信頼に対して一番の方法だと思った。
 でも、それで本当にうまく行くのか、望美には分からない。だから言えない。
「九郎さん」
「なんだ?」
 優しい人だ。自分は妹弟子として、どうすればいいのだろうか。 どうすれば信頼に応えることができるだろうか?
 再び二人の自分がぐるぐると心の中で渦巻いて、迷ってしまう。揺れる心で、うろたえるように九郎の白い羽織を見て、指先を見て、傍らの剣を見た。
「望美、本当にどうしたんだ? 何かあったのか?」
 それでも結局、答えはでなかった。
「……そろそろ、稽古再開しませんか?」
 それでも結局、望美は何も言えなかった。弁慶を失うのも嫌だけど、九郎の顔をゆがませるもの嫌で、それに……弁慶の窮地を当たり前のように救ってしまう九郎を、たぶん、見たくなかった。それを見るのが少し、悔しかったんだ。
 それは妹弟子としては失格だと思う。胸が苦しくて、少し泣きそうになった。
 だけど、おかげで覚悟はできた。
 どうして今まで何も言ってくれなかったんだ! と、あの人が消えた時に望美は思った。
 けれど気付けば彼と同じ事をしている。それはまさに、信頼をくれる彼への一番の背徳。
 だったらもう弁慶を必ず生きて九郎のところへ連れて帰らなければならない。
 兄弟子を裏切るならば、必ず結果をださなければならない。
 立ち上がり、さらりと剣を抜いた望美を、九郎は少し困ったような目で見あげていたけれど、
「ああ、勿論だ」
再び隣に立って、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
 大きな掌を感じながら、望美はゆっくり瞳を閉じる。
 なんでこの人の好きな人を好きになってしまったのだろう。こんなの、もう……望美だってあの人が好きなのに、とても好きなのに、譲るしかないじゃないか。
 それはとても悲しい事だった。けれどどこかでとても嬉しい事だった。






個人的に九郎に何も言わない望美が見てみたかったのでこの話になってるんですが、
九弁前提だったら本当のところ望美は言うんじゃないかなって思ってる
(26/02/2009)