「……彼は……」

オリマーは視線を少年に向け呟く。はねた赤い髪、碧色の瞳、大人になる途中の背丈。
彼はオリマーが訪れた後すぐに姿を消したため、会話を交わしたことはほぼなかったが、
その存在感に関する記憶は、しっかりあった。
いつだってありのままの姿で、ある特定の青年の傍にいたもの。

少年は今も、青年の傍にいる。
失った場所を、自分の望んだ場所を、文字どおり、力ずくで手に入れて。

「……ピカチュウくん。彼は……屋敷にいたね?」
「うん。
 馬鹿で、元気で、うるさくって……だけど、ちょっとだけ、いいひと」

叩きつけられた刃と刃が鋭い音をたてる。
それを見ているオリマーの目には、リンクと少年が互角に戦っているように見えた。
二人の実力に差があることはわかったが、表情から、剣の軌跡から、
気持ちの方に逆の差があるように思えたのだ。

「……あのひとは、ロイさん……」

この“世界”を闇へ突き落とし、理を覆し、戦場へと変貌させた。
禁忌に触れた。
その張本人は、今、実に勝気に笑っている。
思い出の中のそれと、まったく変わらないかたちで。

「……マルスさんの……恋人だよ」

ぽつりと呟いた声は、虚無の闇の中に、消えた。




step16:再会




アイクは宙に佇むもう一人の敵の姿に、尋常ならざる気配を感じた。
途端、背筋を駆け上がったものは、一体何だろう。
畏怖   だろうか。少なくとも、自分の経験したことのないものだ。

それは、人間のかたちをしているが、アイクの知る人間ではない。
妖しい気を纏う身体、背中には、光と闇とを織り、死と絶望を模した翅。
頭部に顔の造形らしいものは見えないが、何か暗い情念が宿っているように思えた。

「……ふん。……なんだろうな、あいつ」

隣から聞こえてきた呟き。アイクは、神弓を構えるピットに視線を移す。
彼も翼を持つが、あんな禍々しさはどこにも無い。
ピットは禁忌から目を離さず、思うまま、感じるままを口にする。

「ずいぶん命に似ているわりには、命のにおいがさっぱりしないな」
「……そういうものか。俺にはわからん」
「そんなもので目の前のものを分けるのは、人間には無理なことだ。
 人間には、人間の、ものの見分け方ってのがあんだろ」

それと同じだと言われ、アイクはなんとなく納得した。
あれが“何”であるのかはわからなくとも、自分の知る何者でも無いことだけは、
アイクにもはっきりわかるからだ。
勘とか、直感とか、そういう類のもので。

アイクは今度は、蒼の双眸をもう一つの戦いへと向ける。
こちらは既に始まっている。斬り結ぶ、赤の少年と、緑の青年。

「本当は、あっちに行きたかったんだがな」
「あはは。まあ、あっちが勇者さんをご指名だからな、しょうがねえだろ。
 やり甲斐、ってだけなら、こっちの方が上だと思うぜ?」
「……まあな……。それにしても」

禁忌と呼ばれるものは、まだ仕掛けてこない。
警戒だけはしつつ、アイクはあちらの戦闘から目を離さずにいる。
ピットはピットで、矢を禁忌に向けながら、
意識の方は後ろにいるオリマーと、そしてピカチュウに向けていた。

二つの刃の軌跡を追っていたアイクは、やがて呟く。

「……あいつは、どうしたんだ?」
「ん? どうしたんだよ、団長さん」
「あいつ……リンクが、なんだか、らしくない。動きが鈍いというか」
「だろうな。だから、あいつを選んだんだろ」

俺達では、きっと、ああはいかないから。賢いことだと、ピットは吐き捨てた。

「人間は、面白いな。
 どんなに体が優秀でも、心に枷さえはめてしまえば、いくらだって弱くなる。
 ……そのくせ、心が強ければ、体が、自分が持てる以上の力を発揮する……」
「…………」
「勇者さんは、普通の人間よりも、枷がずいぶん頑丈らしいな」

赤の少年は、いまやこの“世界”のものの、明確な敵だ。
剣を向けている以上、リンクもきっとそこはわかっているのだろう。
わかっていても、実力を全開にできないのが、リンクがリンクたる所以である。
そこはよく知っていたので、アイクも、ピットの言うことは理解できた。

理解できないのは   その心すらも利用する、少年の冷酷さだ。

「冷酷、か。でもそれは、意志の強さと言い換えることができるんじゃないのか。
 団長さんだって、“意志の強さ”で、あらゆるものを切り捨ててきたんだろう。
 団長さんだけじゃない、勇者さんも、王子さまも、船長さんも、ピカチュウも。
 俺も。……生きているものなら、だれでもな」

その瞬間、沈黙していた絶望の気配が唐突に膨れ上がった。
アイクとピットは同時に振り返る。
ピットは高く跳躍し、空中から矢を放った。
それに合わせ、アイクも飛び出す。

「あれも、だ。
 ……戦ってやるよ、光栄に思いな、“禁忌”!」

ピットの宣言を聞きながら、アイクは大きく振りかぶった。
己の世界を脅かす禁忌に、向かう。






強くなった。自分が気後れしていることを抜きに、リンクは少年をそう評価した。
ロイは、自分の長所と短所をしっかりと把握している。
自分のどの部分が敵より優れているのか、その判断力が冴えている。
短所を克服できているとは思えなかったが、伸びた長所がそれをきちんと補っている。
だからこそ、自分が相手に選ばれたのだ。
リンクの頭の一部分は、そこだけが他人であるかのように、ひどく冷静だった。

「……っ」

振り下ろされた剣を受けた。腕を伝わる衝撃ごと横に流す。
上体のバランスを崩したところを狙い剣を突き出したが、ロイは体ごと捻ってかわした。
咄嗟に腕を返し手の甲で腹部を撃つ。
そちらは命中した。ロイは短い息を吐き出し、仰向けにどっと倒れ込む。

リンクはすぐに追い討ちをかけた。刃先を床に向け、真っ直ぐ振り下ろす。
この攻撃は囮だ。この間があれば、横に転がって避けることができる。
そこを蹴り飛ばせばいい、戦いに優れたリンクの頭は、無意識でそう考えていた。

しかし、

「っ、と!」
「な、……!」

ロイは体を起こすと真正面から飛び込んだ。リンクの剣が少年の左腕を切り裂く。
ぱっと飛び散ったロイの血液が、目の前を赤く染める。

少年の体当たりで、リンクは後ろによろめいた。
刹那、利き腕を狙ってロイの刃が飛んできた。右腕で庇う。
反射的な動きだった。痛みに構わず右手でロイの手首を取り、前方へ投げ飛ばす。

ロイは受身を取って振り返り、リンクは跳んで下がった。構えたまま距離を置く。
二人はそれぞれ袖口を血を染め、お互いの動向を探った。

「は……っ」
「やる気ないのかよ、お前。ほんっと、お人好しだよな」

つ、と唇の端を上げ、ロイが笑う。

「俺の血を見て動揺するとか。まあ、お前らしいけどさ」
「…………」
「あの人を、このまま、俺に渡していいのかよ?
 俺は、とんでもないことをしでかした、敵、なんだぜ?
 みんなの街を狂わせて、みんなを戦わせて、さ」

歌うように紡がれるロイの話を、リンクは苦しく歪められた顔で聞いている。
ぐ、と握り締めた拳に、命の滴が伝って落ちてゆく。

「それに、街と、あの人のことを抜きにしても、
 お前には、俺に、剣を向ける理由があると思うけどな」
「……なん……だって?」

剣を担いだ手で肩を軽く叩きながら、少年は青年の空色の瞳を見据える。

「聞いてないのか? あいつも、変なとこで情にもろいよなあ。
 さすが、リンクの親友らしいっていうか……」
「……ピカチュウが……なんだって言うんだ?」

いっそう不穏な空気を感じた。聞いてはいけない、聞かなければいけない。
攻撃を受けた腕を、ぐ、と押さえつけながら、リンクは続きを待つ。
聞いてはいけない、聞かなければいけない。
それを決めるのは、この場合、もう、自分自身ではないのだから。

ピカチュウは、言っていた。
忘れていたと、言っていた。
亜空間でロイと出会っていたこと、ロイが探し求めていた敵であったこと。
忘れていたのは、信じたくなかったから。
ロイが、皆を、傷つけたという事実を。

「ピカチュウを傷つけたのは、俺だよ」

ピカチュウは、言っていた。
“サムスさんが、助けてくれたから”と。
詳しいことを、語らなかった。
そんなに大した意味ではないのだろうと、思ったのだ。

「あの島な、研究施設があったんだよ。ピカチュウは、そこにいたんだ。
 檻の中で、何日も一人きりで。
 あいつは、命の力を奪われていたんだ。実験動物にされていたんだよ」

ピカチュウは、言っていた。
人間が、嫌いだ、こわいんだと。

「お前たちの“世界”をひっくり返したときにな、あいつが巻き込まれたから。
 追い出さなくちゃいけなかったんだ。
 で、俺が捕まえて、そこに放り込んだってわけ。ちょうどいいかと思ってさ。
 体の方も一緒に傷つければ、俺のことをしっかり忘れてくれるかなー、って」
「……っお前……!」
「嘘だと思うんなら、そこにいる本人に確かめてみたらどうだ?
 まあ、それでも   

リンクは振り返らず飛び出した。両手で柄を握り締め、上段から振り下ろす。
ロイはそれをほんの少し身を屈めて受けた。
二つの剣を間に挟み、碧色と空色の視線がかち合う。

リンクの目に浮かんでいたのは、怒りだった。
しかし、こんな時でさえ。
その奥にある深い悲しみの方が勝り、強く滲み出ている。

予想済みだったらしい。ロイは、ふ、と笑って。

「お前は、俺を、本気で斬ることは出来ないんだろうけど」

だからロイは、戦いの相手にリンクを選んだ。
リンクが、友達だから。
リンクが、ロイのことを、よく知っているから。
そして、少年の、いとしい恋人のことを。

呼ぶ声は、しかし声にはならなかった。
代わりに彼らの剣が、悲鳴のように響く。誰かの絶望のような、この亜空間に。




「くっ……!」
「おい……!」

禁忌の攻撃に、ピットの軽い体が吹き飛ばされる。
アイクはその足首を宙で掴み、無理矢理自分の方へと引き寄せた。
ピットが珍しく痛みを訴えるような顔をしたが、アイクはまるで気にしない。
そのままピットは一度地面へ降り、恨みがましく彼を見た。

「ったく、天使様をこんな扱いかよ」
「あのまま吹き飛ばされるより、よっぽどマシだろう」
「まあな。ありがとよ、団長さん。……で……、」

ピットは後方に控えていたピカチュウに、ちらりと目を向けた。
それに気づいたピカチュウもまた、ピットの不機嫌な視線に応える。
彼らが人間と呼ぶものより、彼らはとても耳が良い。
ロイとリンクの会話が、聞こえていたのだ。

「ピカチュウ。あの馬鹿犬が言ったこと、本当か?
 ……お前……そんなふうに痛めつけられたのか?」
「……うん。そうだよ。ここで、僕、ロイさんに捕まった。
 それで……あの場所に、閉じ込められた。
 それを……、サムスさんが、助けてくれたんだけど……」
「ピットくん。……何の話だい?」

ピクミン達を呼び戻したオリマーが、不安げな様子で尋ねる。
話していいかとピットが訊き、べつにいいよとピカチュウが答えた。
その瞬間、禁忌が腕を鞭に変え、それをこちらへ飛ばしてくる。
四人別方向へ跳んで避けると、ピットはかなり簡潔に、かなり早口で語った。

「亜空間への入り口になったところに、元々、島があったろ」
「あ……ああ。私は、そこにいたからな。なんだか奇妙な施設があって……」
「その施設だ。ピカチュウは、そこに捕まっていたらしい。
 実験動物がどうとか言ってたぜ。ひどいことをされたらしいな。
 で、そこにピカチュウを投げ入れたのが、あいつらしい」
「……。ピカチュウくんは、真の敵にここで会っていた、と言ったが……。
 なるほど、つまり、そういうことか」
「ああ。だから、勇者さんが怒ってるんだ」

あんなふうに。言いながら、ピットは禁忌に向け矢を放った。鞭が途中で焼き切れる。
続いてアイクが鞭に変化していた腕の付け根に切りかかった。
禁忌はその箇所を瞬時に霧に変えると、もう片方の腕でアイクを弾いた。
床に叩きつけられる直前、受身を取って顔を上げると、
霧に変わっていた腕は既に、元の形を取り戻していた。アイクは軽く舌打ちをする。

「……ふん。解せないな」
「ああ。まったくだ」

アイクの呟きに、ピットが同意する。禁忌を間に挟み、二人は構えた。
オリマーはピカチュウを心配そうに振り返ったが、小さな子どもはもう冷静だった。
僕も行くよ、と伝え、軽やかに床を走ってゆく。

残ったオリマーはピクミンの隊列を正し、真っ直ぐに目を向けた。
禁忌ではなく、赤い髪の少年へと。

ピットは周囲の者の様子を伺いながら、かたい音をさせ神弓を分離させた。
禁忌は翅を震わせ、今度は体に光を集め始めた。
光というより、あれはどちらかといえば電気に似ている。
攻撃の予測を立てつつ、ピットはあちらの戦いのことにも思考を向ける。

「やる気がないのはどっちだよ。あの馬鹿犬は、いったい何がしたいんだ?
 ピカチュウを追い返すだけなら、わざわざ自分が出て行く必要すらねえだろ。
 何でわざわざ、勇者さんの神経を逆撫でするようなこと、してんだ。
 そんなことしない方が、よほど楽に、自分の目的を果たせるだろうに」
「……目的、」

ピカチュウはピットの斜め後ろを場に選んだ。四本足で姿勢を低くしながら呟く。
意識の半分はロイとリンクの戦いにやりながら。

「ピットさん。ロイさんの……目的って、何だろう」
「え? ……何って、そりゃあ……」
「そうじゃなくて。わかってるよ、わかってるんだけど……。
 だけど、わからなくなってきた」

ピカチュウは少しだけ振り向く。
ロイとリンクが切り結んでいる、その向こう側にいる、少年の“目的”。
命の色を失い、今はもの言わぬ人形と化した青年。

「ロイさん」

人形は、ただ、虚空を見つめている。瞳には、何も映さない。

「あなたは……だれのために、こんなことをした、って言う気なの?」






間合いを詰めては離れ、懐に飛び込んでは後方に下がる。
何度もそれを繰り返したが、二人の基本的な立ち位置は、最初の時から変わらない。
青年の人形を背に、ロイがいる。間合いをとって、リンクがいる。
ロイはリンクの考えをとうに読んでいた、だからこそこんなふうに戦っているのだ。
本当に強くなった。悲しい方向に。
リンクは右手で口元を拭うと、剣に付着した血を払って落とした。

ロイはそんなリンクを見て、大げさに溜息をついた。
演技がかったわざとらしい仕草が、なんだかひどく懐かしい。

「なんだよ、つれないな。せっかく、本気のお前と戦えると思ってたのに」
「……ロイ」
「筋金入りのお人好しだな。
 ……で、自分じゃ無理だから、今度はこの人に説得してもらおうって?」
「…………」
「お前が、この人を元に戻そうとしてるのは、わかってるけど」

色の無い人形に視線を向ける。その瞬間、ロイの顔つきが険しくなった。
怒り、苛立ち、痛み   それから、後はなんだろう。
様々なものが入り混じった表情が、ただ、とてもつらかった。

「……お前……本当、いつもいつも、人の話を聞かないよな」

そんなところばかりが変わらない。リンクは苦笑する。
いっそ、暴力的な方へ曲がってしまった部分もまるごと変わらなければよかったのに。
こんなことになってしまうのだったら。

リンクは一つ息を吐いて顔を上げた。真一文字に結んでいた口を開く。

「ロイ。……なあ、やめないか? 今からでも、いいから」
「無理に決まってるだろ。俺の目的は、まだ果たされてないんだ」
「……目的が果たされれば、やめるのか?」
「目的を果たすには、とりあえず今ここにいる、お前らを倒さないといけないからな」
「…………」
「この人の影は、まだ、この迷宮のどこかで、彷徨っているんだろ」

ロイは愛おしそうに人形を見上げる。
さっきもそうだった。
ロイはけっして、それに手を触れようとはしない。

「まずは……あれをこの人まで連れ戻さなくちゃいけないからな」
「ロイ……」
「今、この人を元に戻したって、それは半分だけだから。
 あの影がいなくちゃ、この人は完全じゃない。それに……」

ロイはリンクを睨みつけた。背筋を何か得体の知れないものが駆け上がる。

「……あの影が無いと、俺はこの人を、元に戻すことすらできないしな」

なぜなら、

「お前らなら、この人にさわるだけで、この人を元に戻せるんだろうけど。
 俺じゃあ、駄目なんだ。
 俺はもう、あの“世界”のものではないから。俺は、もう……」

ロイは両手で剣の柄を握り締め、前に掲げた。
夜の色をした亜空間で、白い刃が赤く輝く。
やがて赤い光は火に変わり、炎が刀身を荒々しく包んだ。

リンクは一歩後ずさる。ロイの瞳に、尋常ならざる暗い闇を感じて。
少年はゆっくり顔を上げ、炎を纏う剣をリンクに突きつけた。

「……俺はもう、あの人の傍にはいられないのに」
「ロイ……」
「馬鹿みたいだろうさ。ガキっぽいだろうよ。わがままだ、わかってるよ。
 だけどな。
 それならそれで、構わない。俺は、あの人を取り返す。
 あの人を取り返せるなら、俺はそれでいい。他には、何も望まない……!」

淡々とした、ちょっとした出来事で満たされていた。いとしい日常を奪われた。
奪われたなら、取り返すしかないのだ。
少なくとも、この“世界”から追い出された少年には、
そのためにとる手段が、これしかなかったのだ。

ロイはリンクに斬りかかった。リンクはそれを剣で防いだ。
ぎりぎりと、二つの刃がぶつかり合い拮抗する。
柄を握り締める拳が熱い。炎に焙られているためか、傷のためか、それとももっと別のことか。
リンクには、わからなくなっていた。

「ロイ! お前っ   いい加減にしろ、ロイ!」
「真面目にやれよ、リンク。
 俺は、お前を倒して、邪魔なもの、全部消して   あの人を、取り返す!」

炎がより強く明るくなる。少年の怒りのように、青年の嘆きのように。




その瞬間。
禁忌が翅をいっぱいに広げた。
痛みに喘ぐ声、弾かれる音。妖しい輝きが、視界を駆逐する。

皮膚から体の内側へ入り込む。雪のように冷たく、氷のように鋭い波動。
振り返る間も無かった。
リンクもまた衝撃に膝を折り、そのまま床へ叩きつけられる。
飛ばされた帽子の中から、一つに結わえた長い髪が背中へ落ちた。

それはこの“世界”の者の色を奪う攻撃だった、それゆえに。

ロイだけが、平然と。ただ、そこに立っていた。



   ***



今ひとたびの静寂の後、しかし残ったものは無音の闇ではなかった。
世界の禁忌、無言の青年人形、その傍に佇む赤い髪の少年。
ひどく冷めた視線の先には、“世界”を救う戦士たちがいる。
禁忌の翼に払われ、形のない大地に倒れた。しかし、まだそこにいる。
生きている。

「……く……」
「……ふーん。流石だな」

感嘆と驚きが半分ずつ混ざったような声で、ロイはぽつりと呟く。
リンクはなんとか上半身を起こすと、前髪を払い視界を確保しながら辺りを見渡した。

比較的遠い位置にいたらしいオリマーは既に構えてそれぞれの様子を窺っていたが、
直撃を受けたであろうアイクとピットは、倒れたまま動かない。
そんな柄じゃないくせに、死にはしないだろうけど   
リンクは舌打ちすると、剣を支えに立ち上がった。
まだ立てる、動ける、まだ、生きている。

「リンク」

呼ぶ声。足元に気配を感じる。
見下ろすとそこには、オリマーの近くにいたはずの、ピカチュウがいた。
いつの間にかここまで来ていたらしい。
おそらくは、自分を心配して。そして、ロイと話したくて。
おいで、とリンクが言うと、ピカチュウはぴょんとはねて、金色の頭に飛び乗った。

ロイの瞳が、激しい苛立ちに揺らめく。

「…………」
「……。ねえ、ロイさん。違うでしょう」

ロイが剣を抜く、リンクも剣を握る手に力を込める。
禁忌が再び翼を広げる。

「なにを考えているの。違うでしょう?」
「…………」
「僕は、ちゃんとぜんぶ、思い出したよ。あなたが話したこと、ぜんぶ。
 ロイさん。なにを、考えているの。なにを考えれば、こんなことができるの。
 あなたは      

こんなときに思い出すのは、なつかしい日ばっかりだ。
絶えない口げんか。呆れるほど微笑ましかった。泣きたくなるほど幸せだった。
氷のような顔をしていた心が、花のようにほころんでゆくのが見えた。

ロイが望んで、成したことだ。マルスの願いを聞いていた。

「マルスさんの笑顔を、望んでいたんでしょう!?」

ピカチュウが激昂し声を上げたのと同時に、ロイはリンクに斬りかかった。
それを左の剣で受け止め、右腕はピカチュウを禁忌の方へ放り投げる。

「ピカチュウ! そっちは任せたぞ!」
「うん、大丈夫   あとはマルスさんを!」

禁忌が腕を上げるのが見えた。
けれどリンクは、ピカチュウが攻撃に転じたとき、どれだけ速いか知っている。

リンクは目の前の少年に集中した。呼吸を合わせて剣を弾き返す。
少年は先程までと比べ、明らかに動きが悪い。
しかし、生まれつきなのだろうか、負けん気が人一倍強いこと、
それがけっして侮れるものではないことも、知っている。

「……何が」
「ん?」
「何が、わかるんだよ。俺とお前らは、こんなに違うじゃないか。
 俺はもう、この“世界”の住人じゃない。俺は、もう戻れない。
 それで、どうして   なんで、なんて、言えるんだよ!」
「信じてるからだよ」

ロイの怒りに抵抗しながら、リンクは気づいた。
自分と同じ。
怒りの向こうに隠した、悲しみの姿に。

「オレも、ピカチュウも、お前を信じてるんだ」
「……ッ」

ほんの一瞬、攻撃の手が止まる。
少年らしい潔癖さが、元の姿を取り戻した青年にはとても懐かしかった。




閃光に思わず目を閉じた。刹那、虚無の空間をつんざくような雷鳴が轟く。
なんとか瞼を開いてみると、禁忌の足もとに着地する、小さな生き物の姿が見えた。
再びの閃光。頬が電撃を纏い、次の瞬間、上空から雷が降りそそぐ。
両腕で体を覆い悶え苦しむ禁忌を見上げ、ピカチュウは一度攻撃を終えた。

「こうかはばつぐんだ! ……なんちゃって?」

つばさのあるものだからね。そんなひとりごとが聞こえる。
ほんの少しの間を置いて、今度はちゃんとした声が届いた。

「ピットさん! アイクさん! 起きて、起きてよ!」

ピカチュウは短い腕でピットの肩を揺らし、しっぽでアイクの頭をべしべし叩く。
こんな場面でなんとなく扱いの差が見えて、オリマーは少し気の毒に、
そして少しおかしくなってしまった。
やがてピットが、続いてアイクが顔を上げ、身体を起こす。
アイクの不機嫌そうな目は、辺りを見渡すより、まずピカチュウに向けられた。

「お前、いくらなんでもこの起こし方はないだろう」
「こうでもしないといつまでも寝てるでしょ。早寝遅起きは罪なんだよ、アイクさん。
 ピットさん、大丈夫?」
「ああ……、……っつ、本気出すとか、俺の性分じゃねえんだけどな?」

頬の傷を拭い、重い足取りで立ち上がったピットは、それでも軽口に変わりはない。

「まあ、たまにはいいじゃない」
「あっちは、どうなったんだ?」
「リンクと僕の声は届いたよ。マルスさんの声なら、もっとちゃんと届く。
 ……取り返せたら、の話だけど」

だから僕たちは、こちらへ集中していい。
言外にそう含ませたピカチュウは、くるりとオリマーに向き直った。

「オリマーさん」
「え」
「……本当に、神さまの言うとおりだったのかもね」

不思議そうに首をかしげるオリマーを、ピカチュウの黒い瞳がじっと見つめる。
五色五匹のピクミンたちが寄り添うのを、ときどき奇妙そうに、視界に入れながら。

「リンクに、力を貸してくれないかな。ロイさんを、なんとかしなくちゃ」
「……、そ、れは。しかし、リンクくんでも大変そうなのに、私では……」
「オリマーさんは、ロイさんのこと、あんまり知らないでしょう?
 ロイさんも、オリマーさんのこと、あんまり知らないよね」

なにせ、ピカチュウに問うてみなければ、名前すら曖昧だったほどだ。
それほど急に、彼は姿を消した。
そういえば、彼が突然この“世界”から消えたことには、どんな理由があったのだろう。
ふと、オリマーは疑問に思う。

「ロイさんを止めて……マルスさんを取り返すなら、あなたが一番、可能性があると思う。
 僕たち、みんな、ロイさんのこと、よく知ってるから」
「…………」
「あなたの、たくさんの疑問にも、きっと答えが出るよ」

そんなことを特別、口にした覚えは無いが、
ピカチュウには他人の心を読む力でもあるのだろうか。
新たに沸いた疑問を顔に出すと、ピカチュウはおかしそうに笑った。

「人間は嫌いだけど、人間の観察が趣味。
 ……最近この街にきたヒトたちとは、喋ってないことがたくさんあるよね。
 だから、街を元に戻さなくちゃ。戦いを、終わらせないと」

ピカチュウは一度だけリンクに視線を向け、しかしすぐに禁忌を強く睨みつけた。
迷いのない小さな背中が、オリマーに全てを託したことを物語っていた。
オリマーは、考える。
ロイとリンクが斬り結ぶ様子を、懸命に思い出しながら。
少年のことを知らない、少年に知られていない自分に、一体何が出来るのか。
少年は、何がしたいのか。
そして、自分は、何がしたいのかを。

「……なぜだろう?」

この世界で出会った、少年と青年。
この世界の住人ではなくなった、少年。
恋人と引き離された、少年。
少年の手では触れられない、恋人。

彼を取り返すだけなら、
かつての仲間たち、つまりこの“世界”の住人の手を借りたって良いはずだ。
彼には今、影が無いという。
そんなもの、彼を目覚めさせた後、探しに行けば良いだけの話である。
なのに、なぜ。

恋人を、自分の手で、という、いかにも少年らしい夢を見たのだろうか。
こんなことをしでかしておいて、今更仲間にそんなことを頼むことが出来ないのか。
オリマーは、思い出す。
僅かな記憶に残る少年の、原動力は。行動や言葉や、強い想いは。
少年の恋人の、青年にあるはずだ。
それなら。
それなら   

「…………!」

短く笛を吹く。五色五匹のピクミンたちが、オリマーの周りに固まった。
赤いものの頭を、一撫で。
もうなにも振り返らず、オリマーは走り出す。
赤い少年へ。

禁忌の気配が動く。ピカチュウは素早く反応した。亜空間を、高く跳躍する。
腕をすり抜け、頭上を飛び越え、翼の付け根に目を向ける。
耳をぴんと立て、頬をばちばちと鳴らす。
禁忌の体を挟んで向こう側では、アイクとピットも揃って走り出していた。

「邪魔はさせないよ、“禁忌”。
 あなたが“何”なのか、何でロイさんに力を貸したのか、知らないけど   

閃光。
禁忌は振り返り、ピカチュウに暗い力の塊を放り投げた。
一拍遅れて降りてきた雷が、世界を蝕む光と闇を打ち砕く。
ピカチュウは。

「みんなを、この“世界”を歪めるなら、僕は許さない!」

電気を全身に纏わせて、空中から禁忌の胸に突っ込んだ。
アイクの剣が、ピットの神弓の先が、同時に背中から突き刺さる。

命の持つそれとは明確に何かが違う、咆哮のような声が、音が上がる。
それはピカチュウの体を、アイクとピットの腕をびりびりと震わせたが、
彼らはもう怯まない。

生き物の肉を突き刺したものとは違う、奇妙な、しかし確実な手応えがあった。
翼の怪しい煌めきが、僅かに輝きを失う。
訴えられた痛みには気づかないふりをしながら、
世界の住人たちは、更なる攻撃の一手を繰り出した。




軽い足音をとらえ、尖った耳がぴくんと動く。
叩きつけるように荒々しく振り下ろされた刃を、リンクは横に流し、軽く往なした。
重心を崩した隙を突いて、ロイの腹を蹴り飛ばす。
咄嗟に剣を盾代わりにしたが、衝撃は抑えられなかったらしく、ロイの顔が苦痛に歪んだ。

追撃はせず、そこで距離を置く。少年の心の軋む音を、遠くに見つめる。
上がった息を整え、額の汗を拭った。懐かしい思いを感じた。

「く……」
「ロイ。もう一度だけ、訊くぞ」

淡々と告げると、ロイは一瞬、怯んだような顔をした。
少年のこんな素直さが、リンクには、羨ましくてたまらなかった。
今となっては、苛立ちを覚えるほどに。
人形と化したままの、少年の恋人も、きっと。

「やめないか? ……こんなことしなくても、本当は良かったはずだろ?」
「…………」

碧色の瞳が揺れる。
そこには確かにためらいが、そして、頑なな意志がはっきりと存在した。

剣を握り締めた手に、力が込められる。
ゆっくりと唇を開いて、そして。

「いやだ」
「ったく……。……仕方ないな!」

短い溜息を吐いて、リンクは駆け出した。
高く跳躍し剣を両手で振り下ろす。ほぼ同時に構え、ロイはそれを受け止めた。
視線が合う。
何度か斬り結んだ後、高い位置から振ってきたロイの攻撃を、
リンクは姿勢をうんと低くして受けた。左手がじんと痛む。

刹那。リンクはわざと体勢を後ろに崩し、身を引いた。
足がもつれ、ロイの体は前に倒れる。
子どもらしい大きな瞳が見開かれる、その横を。
軽やかに走り抜ける、人影。

「オリマーさんっ!」
「…………!」

リンクの叫びが亜空間に響く。オリマーは振り返らない。ひとつのもののために、走る。
向こう側。少年が、大切そうに守っていた。
もどらない、青年の人形へ。

地面を蹴り、跳び込む。五色五匹のピクミンたちの茎を引っ掴む。
腕を振り上げた。
青年人形へ向けて、オリマーはピクミンたちを投げつける。

「いけ!」
「……ッ、させるか!」

判断は早かった。
ロイはリンクの肩を左手の支えにしながら、素早く反転し右腕を振り下ろす。
剣から生まれた炎は刃の切っ先の軌跡に沿って広がり、
ピクミン達を一瞬で焼き尽くした。

「は……っ」
「ロイくん。
 君は本当に、マルスくんのことが大切なんだね」

しかし、オリマーは冷静だった。

「あれと手を組み、こんなことをしてしまうくらいに。
 しかし、こんなことを、してしまったのに……、
 マルスくんを、傷つけたくはなかった。そうだね?」

炎の気配が消える。
そこにあったのは   青年人形に飛び込む、赤い色のピクミンの姿だった。

「……っ!? な……、しまっ……!」
「だが……マルスくんのことが大切なら。
 君は、ちゃんと聞くべきだ。マルスくんの声を……!」

ピクミンの小さな手が、他ならないこの“世界”のものの手が、人形にふれる。
髪、肌、手足の先まで、美しい色が戻ってゆく。その場に、崩れ落ちる。
役目を終えた花は、
短く儚い命を、そこで終えた。

いつの間にか、あちらの戦いの音も止んでいる。
この“世界”のものも、この“世界”から追い出されたものも、
皆がただひとつを見ている。

亜空間に残されたのは、今は静寂ばかりだった。


   そして。


「…………ん……」

呻きのような微かな息が零れる。それは、彼が愛した日常によく似ていた。
ゆったりとした動作で上半身を起こす。顔にかかった髪を、払うしぐさ。
欠伸を噛み殺し、目を覚ます。何度か瞬きをして。
ぼんやりとした様子で、青年は辺りを見渡した。

「……ここは……?
 ……僕……、……一体、どうなって……」
「……マルス……」

ぽつりと、声が漏れる。
なにかとても大切なものを紡いだような、そんなふうに聞こえた。
青年は、振り返る。
青より深い藍色の瞳を、大きく見開きながら。

「……。……ロイ……?」
「マルス……」

少年が、愛おしそうに恋人の名前を呟く。
マルスの視界に、ロイの顔が、色が映る。
どことも知れない亜空間の中、そこには。
赤い髪の少年が、ひとりで、立っていた。

「……ロイ……? ……本当、に?
 どうして……。どうして、お前が、ここに……。
 ……みんなは……」

マルスは、世界のなれの果てを見つめる。
佇む少年。
リンクと、ピカチュウ。
翼を広げた禁忌、傷を負い、こちらを見ている仲間たち。
そして、自分自身。
目の前の、恋人。
答えが、そこにある。少年が、証明する。

「……。……お前……は……」

ずっと、疑問に思っていた。
なぜ、世界は、急に姿を変えたのだろう。

「……マルス。俺      

なぜ、世界は変わってしまったのだろう。
なぜ、この世界は、戦場になったのだろう。
なぜ、この世界でなければならないのだろう。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
なぜ、戦わなければならないのだろう。
なぜ、彼はこんな戦いをはじめたのだろう。
なぜ、彼は、こんなことをしたのだろう。

なぜならば、

「……あんたに、会いたかったんだ」

聞こえる。手が届く。ただそれだけが、少年の目的だった。

ロイのあざやかな碧色の瞳は、今も飽くことなくマルスを見つめている。
世界のなれの果て、戦いの果て、理を越えた亜空間で。
ロイとマルスは、ようやく再会した。

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