何か、大切なことを忘れてる。
何が、大切だったのだろう。

誰が、泣いているんだろう。




あの、声は……。



   ******



「…………ん……、」
「……ぴちゅ……、」

広い部屋、大きな窓の向こうには、薄紫色の空と、白い三日月。

窓際寄りに置かれているベッド。
その上でたった今、ベッドの持ち主   ロイが、頭を抱えながらゆっくりと起き上がった。
枕もとにちょこん、と座っていたピチューが、それに気づいて跳ねるように立ち上がった。
ロイの目をじっと見つめ、そして、次の瞬間。

「……ロイおにーたん〜ッ!!」
「え、わっ……。……ピ、ピチュー?」

何故か、泣き出してしまった。
それと同時に、ロイの腕の中に、がばあぁっと飛び込んでいく。
自分のお腹の辺りに縋って泣きじゃくるピチューの頭を撫でながら、
ロイはすっかり見慣れた、自分の部屋を見渡した。

「……俺……、……?」

丸テーブルの上に、畳まれて置いてあるマント。
ベッド脇のサイドテーブルの、サークレット。
窓の脇でまとめて留められている、淡い緑色のカーテンに、
枕の柄(がら)。

「…………、」

部屋に置いてあるものすべてが、見慣れたものだった。
なのにそれに違和感があるのは、どうしてだろう。


いつ、マントをあんなに丁寧に畳んで、あのテーブルの上に置いた?
朝着けたはずの、サークレットはいつはずした?
それに、カーテンはいつも、留め具なんかでまとめない。
第一自分は、一体いつ、眠ったんだ?


「……俺は……、」
「階段から落ちたんだよ、ロイ」

思考にふけっていたところに、急に声をかけられた。
驚きと動揺とで、肩が一瞬、ぴくん、と揺れる。

ピチューと一緒に振り向いた先にいたのは、白衣を着た中年男性だった。
それから全身緑で金髪の青年と、その頭の上に、黄色いねずみもどき。
大丈夫か? とか言いながら、全員が違うタイミングで、ベッドの周りに集まった。

「ったく……。……頭は? どこか痛いとか無いか?」
「あ、ハイ。大丈夫です、俺、頑丈ですし」

白衣の中年男性は、マリオ。
いつもは赤い帽子に赤いシャツ、オーバーオールを着てる。覚えてる。

「打ち所がちょっと悪かったらしくて、気、失ってたんだぜ、お前。
 良かったよ……。どうもなくて」
「……気、失ってた? ……俺が?」

全身緑の金髪の青年は、リンク。
自分とは段違いの強さの、苦労人剣士だ。覚えてる。

「覚えてない? ロイさん、エリウッドさんと話してる時、
 階段から落ちたんだ。大変だったんだよ。それから、色々」
「父上と……。……そっか、悪ぃな、面倒かけたみたいで。……父上は、」
「帰ったよ。何か、緊急に連絡が来たらしくて。
 ロイさんに、よろしくお大事にまた来るよって」

黄色いねずみもどきは、ピカチュウ。
何故かいつもリンクの頭の上にいる、なんだか不思議な子。

自分の父親の名前は、エリウッド。
自分は、フェレ家の長男の、ロイ。

全部、覚えてる。

「……あのさ、今、何時くらい?」

ロイは自分の頭の中で、片っ端から記憶を呼び戻していた。
一番新しい記憶の中にあったのは、自分の父親の顔だった。
そうだ、確か、階段で、話をしていたんだ。
二人だけで会話をするなんて、久しぶりだ、なんて言いながら、話をしていた。

「え? ……えっと……」
「……んっとな、今、夜の7時。遅くなったし、夕飯の買い物に行かなきゃな」
「……7時?」
「ああ、7時」
「…………。……え……、う、そだろっ!!?」
「嘘じゃないよ」
「そんなにすっぱり言い返すなよ、ピカチュウ!!
 ……あーもうっ……、」

      …… ……話?

「っておい、こら!! まだ動くな、ロイ!!」
「だって俺、今日行くトコがあったんだよ! 約束してたんだ、
 3時半に、公園のトコで   ……」

約束……。

「…………」
「いいからロイ、少し落ち着けよ。……お前そんな元気だけど、頭打ったんだから。
 大人しく、マリオさんの診察、受けた方がいいぞ」
「そんなに慌てなくてもいいのにねえ……。……誰と待ち合わせしていたの?」
「…………」

3時半に。
公園のトコで。

額を右手で押さえ、目を大きく見開くロイ。
それに一番早く気づいたのはピカチュウで、……気になって、リンクの頭から跳び下りる。
ベッドに腰掛けているロイの元までとことこと歩き、
床に向けられた顔を、そぉっと覗き込んだ。

「…………」
「……ロイさん?」

「……。……誰……、」

ロイが、ぽつりと呟いた。
ピカチュウが、ふっ、と表情を消した。

その、ちょうど同じ時。




      なんだ、……やっぱりここにいたのか……」

開けっ放しの扉の向こうから、呆れたような声が聞こえた。

「……! ……あ、」

扉の向こうにいたのは   青い髪の、王子。
声と同じく、呆れたような顔をして。

一番扉に近いところにいたリンクが、一番早く彼に気づいた。
それからマリオ、続けてピカチュウが振り向いた。
そして最後に、ロイが、ゆっくりと顔を上げる。

「…………」

彼はようやく顔を上げたロイの瞳を見、溜息をついた。
向かって歩くと、ぺたぺたと、スリッパの音が少しだけ響く。

「……中々来ないと思ったら……、まだ屋敷にいたんだな。
 ……理由は何だ? 寝過ごしでもしたのか?」
「…………」
「……?」

彼の瞳を凝視したまま、まったく返事をしようとしないロイ。
彼が怪訝そうに、首を傾げる。
それを見かねて、彼の斜め後ろにいたリンクが、彼に告げた。

「それが、……こいつ、昼頃、階段から落ちたんだ。
 頭打って気失って、今起きたんだよ。……朝から出かけてたから、知らないんだよな」
「……え……、」

階段から、落ちた?
彼がリンクに、そう訊き返す。

自分のことが話題に上っている間にも、ロイは、彼をずっと見て。

やがて彼は再び溜息をつくと、ロイの正面に歩み寄った。
腕を伸ばせば、捕まえられる近さ。
彼は左手を膝にかけ、膝を少し折ってかがむと、右腕をそっと伸ばした。
ロイの側頭部に、優しく触れる。

ロイの瞳が、動揺に揺れた。
ピカチュウがそれに気づいた。

「…………」
「そうか……。
 ……まったく、バカだバカだと思ってたけど、そこまでバカだとはな……。
 ……大丈夫なのか? まだ、寝てなくて、平気なのか?」
「……。……あ、……」
「……? 何だ?」

「…………ロイさん、」


ロイの頭を撫でながら、彼が、首を傾げる。
ロイはただそれを、じっと、見つめているだけ。

「……俺……」

白衣の中年はマリオさん。
緑の金髪青年はリンクで、
黄色ねずみはピカチュウ。
その小さな弟はピチュー。

父親の名前はエリウッド。
自分自身の名前は、ロイ。


じゃあ、それじゃあ、あの時、話をしていたのは、何についてだった?
慌てるほどに大事な約束を取り付けていたのは、一体誰だった?



「……貴方、は……」



今、自分の目の前にいる、青い髪の、この人は   ……。





「……誰……、……ですか……?」







何か、忘れてる。
こんなにも胸が疼くのは、どうして?












窓の外の白い月が、雲の中にかくれて、消えた。




の片端
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