「いつか、ねえ」
「僕は、大きくなったら、背中に翅(はね)のある、蝶になるんだ」
そのときは。
「そうしたら、僕は、空を飛べるよ」
そのときは、僕は。
「空っていうのは、広くて、高くて、とてもあおいんだって」
そのときは、僕は、置いてきぼりになるけど。
「どんな色なんだろう。どれだけ素適なんだろう」
君が願うなら、叶えてあげたかった。
君は僕の、友達だから。
君のために、何でもしたかった。
君を守りたかった。
「もしも、ねえ。空を飛んだら、空の上から、君を見つけるよ」
僕も。
僕も、君を見つける。
「約束だよ」
……忘れないよ。
青の彼方に scene.3
次の日。
庭には、木で出来たベンチが二脚、置いてある。マリオとルイージの手作りだ。
そのうちの片方に、リンクはのんびりと座っていた。
背もたれに背中をまるごと預けて、ぼんやり空を眺めている。
いい天気だ。
もう、何度だって目にした、青い空。
もこもこの羊のような白い雲が、ゆっくりと流れていく。
「……怪我……、……だいじょうぶ?」
「ん? ……ああ、」
同じベンチの端の方に、ちょこんと座っているピカチュウが、
思いきり気のすすまない様子で、おずおずと尋ねた。
リンクは、視線だけちらっと向けた後で、笑いながら答える。
「大丈夫だよ。見た目ほどひどくないんだ」
「嘘つき」
「……え。」
ずばっと、斬られるように言われて。
リンクは言葉を詰まらせる。
「……痛くないわけ、ないじゃないか……」
「…………。」
そしてそれは、ピカチュウの言うとおりだった。
「……あのなあ、だったら、別に訊かなくても」
「だって、人間は、こういうとき、こう言うんでしょう?
……大丈夫? って……」
「……それは……、」
確かに、そうなのだが。……もちろん、例外もあるが。
視線を合わせようとしないピカチュウを、じっと見下ろして、
リンクは、優しく微笑む。
さりげなくピカチュウの方に寄って、言った。
「……あのさ、ピカチュウ。別に、人間のフリをする必要は、ないと思うぞ?
お前は、人間じゃなくて。ポケモン、っていう生き物なんだからさ」
「……」
「カービィも、プリンも、ヨッシーさんなんかも、自分のとおりでいるし。
誰も、お前に、人間らしくいてほしい、……なんて思ってないよ」
「……本当?」
「ああ」
「……そう……、」
おそるおそる、ピカチュウはリンクを覗く。
ベンチの上を、とことこと五歩歩いて、
リンクの足に、手を前に出して、おなかから寄りかかった。
すがるような体勢のピカチュウの、ふわふわの頭を、そっと撫でる。
「……そういえば、」
「なあに?」
「あの時。名前。呼んでくれてたな」
「……」
それだけで、とても嬉しそうだった。
空はおだやかに流れ続ける。
「……ねえ、あのね」
「ん? 何だ?」
ふ、と。
ピカチュウが、ぽつりと呟く。
「……あなたは……。……強い?」
「……え?」
小さな声。
消えてしまいそうな。
でも、
確かな、願いだった。
「……強くて、それから、大きくて、誰にも邪魔だなんて言われなくて。
僕は……、僕は、強くなりたいけど、僕が、強くなるまで。
……僕の前から、いなくなったり、しない?」
「…………」
真っ直ぐに見つめる、黒い瞳。
それは、ピカチュウにとって、心を許したことに、変わりない。
これは、ピカチュウの、たったひとつの願いだ。
大事なものを、なくした。
自分の力で。守りたかった。
「……ああ。約束するよ」
「…………」
だから。
保障なんてないけど、約束する。
守りたいから。
「お前が言うかぎりは、どこにもいかない」
「……うん」
口元が、ふわり、とほころぶ。
子供っぽい、かわいらしい顔で、
ピカチュウが、笑った。
「……ありがとう」
「……どういたしまして。」
ぽんぽん、と、ピカチュウの頭を撫でる。
嬉しそうに、手に甘えてくるピカチュウを、ああ可愛いなあ、と思った。
やがて。
リンクの手が離れるころ、ピカチュウは、リンクの向こう側を見た。
青い空。
おだやかに、雲が流れていく。
「…………。」
そういえば。
「……なあ、ピカチュウ」
「? なあに?」
青い空を見ていて、思い出す。
ピカチュウを見上げて、電気を喰らっていた日のこと。
高い、木の上にいて、
ピカチュウがずっと、こっちを向いてくれなかった、
そんな日々。
そのときもずっと、ピカチュウは、空を見上げていた。
「ずっと、気になってたんだけど、」
「……うん」
庭の隅。
ピカチュウが願った彼よりも、ずっと背の高い木を指して。
「……何でいつも、あの木の上にいたんだ?」
******
「……で、結局オレとピカチュウが一番仲良くなって、
みんなとちゃんと打ち解けられた、ってわけだよ」
「……そうだったのか……。」
ぱたん、と、写真のあったアルバムを閉じる。
わざと背もたれに寄りかかると、カップを手に取った。
一口、口をつけて、笑いながら言う。
「あの時は大変だったなー。咄嗟に左腕を庇ったまではよかったんだけど、
その後、実は右の手首は捻挫してましたー、とか。
風呂入ったら、擦り傷は沁(し)みるし。……今更、別に、いいんだけど」
「……。……え、……良くないだろ。手……、って。
……大丈夫、だったのか?」
「はは、……まあ、左手じゃなかったし。
それでも、しばらく剣上手く使えなくて、一人で大騒ぎだったよ。
……でも、それでもさ」
ふう、と、一息ついて。
どこか、遠くを見る。
「オレの怪我なんか、放っておけば治るけど、
……何て言うのかな、心の傷、……みたいなの……はさ、
……放っておいても、治らないことの方が、多いだろ?」
「…………」
「……つまりさ、そういうことだよ。
右手怪我した価値は、充分さ」
やわらかい、それでいて、芯の強さを伺える、微笑み。
すぐにリンクは、照れくさそうに笑って、髪を掻き乱した。
「……なーんて、何言ってんだろうな、オレは」
「……。……いや……、」
マルスが何か言いたげに、口を開いた途中で、
「リンクー、ちょっとだけ、いい?」
「え? ……あ」
窓の外から、声がかかった。
窓ガラスの向こうに、ピカチュウがいた。
「ピカチュウ」
窓に近寄り、かたん、と窓を開ける。
ピカチュウがリンクを見上げ、リンクはピカチュウを見下ろした。
窓の外の、柵の上にいるピカチュウは、
こっそりとマルスを伺いながら、言った。
「あのね、マリオさん、どこにいるか知らない?」
「え? ……ごめん、知らない……な。部屋にはいなかったのか?」
「うん。いなかったの……、……困ったな、今日、一緒に買い物当番なのに」
「買い物当番? ……そうか、じゃあ、一緒に探そうか?
で、見つからなかったら、オレが一緒に行くよ」
「……え? ……でも……、」
ちら、と、ソファーに座って、こっちを見ているマルスに目を向ける。
リンクはそれの意図を理解すると、笑って、ピカチュウの頭を撫でた。
別にいいんだよ、と、小さな声で言い訳して。
やがて。
まだ納得はしてない様子で、それでも、
ピカチュウはいつものように、へらっと笑う。
「……じゃあ、お願いしてもいい?」
「ああ、いいよ。
……っと、その前に……」
リンクが窓を離れて、マルスのいるローテーブルに戻ってくる。
どうやら、広げたアルバムを片付けてから行こうとしているらしい。
そんなリンクの考えを悟ったのか、マルスはその手を止めた。
「……?」
「いいよ、ピカチュウと行ってきて」
リンクを見上げて、微笑む。
「ここは、僕が片付けておくから」
「え? ……でも、いいのか?」
「ああ。夕飯の支度が遅れると、うるさいのもいるだろ?
……話も、聞かせてもらったし」
「……。
……そうだな。じゃあ、まかせていいか?」
「うん。行ってらっしゃい」
リンクが、苦笑混じりの顔を向ける。
悪いな、と手を軽く振って、リンクは窓に向かった。
玄関に回らず、ここから外に出るつもりらしい。
「……リンク、」
「うん?」
窓の縁に手をかけたリンクを、呼び止めた。
リンクが、不思議そうにこっちを見た。
ふわりと微笑んで、告げる。
「……リンクは、すごいな」
「……? ……すごい?」
一瞬、怪訝そうに、首をかしげて。
やがて、前と同じように、青年らしい微笑を向けた。
芯の強い、やわらかい微笑み。
きっと、あの子も、大好きな。
「……よくわかんないんだけど、褒め言葉ととっていいのかな」
「ああ。……それじゃあ」
「ん。アルバムの片付け、よろしくな」
そう言ったなり、窓から簡単に、庭の方に跳び下りる。
ピカチュウがその頭に乗るのを、マルスは部屋の中から、見ていた。
******
『……キャタが、いないかなあ、って思って……。』
『……え?』
その顔から、一切の表情が消える。
その瞳を、空へと移した。高い、高い空を、ずっと。
『……キャタはね、大きくなったら、大きな翅のある、綺麗なちょうちょになるんだよ。
……キャタ、大きくなって、空を飛ぶんだって言ってた。
……僕は、僕だけ置いてきぼりになるから、やだなあ、なんて思ってたけど』
あの空は こんなにも近そうなのに、けっして届かない。
この手を伸ばしても、こんなに思っても。
『もしも、……キャタが、もう一度生まれたら……。今度こそ、空を飛ぶんだろうな。
僕ね、キャタが、他の何に生まれていても、
ああ、あれってキャタだなあって、絶対わかる。そんな気がする』
そして自分では、その空を見上げることでさえ、あまりにも遠すぎて。
『……高いところにいれば、少しでも、空が、よく見えるから』
『…………』
彼はくるっとこっちを向くと、恥ずかしそうに笑った。
何言ってるんだろ、ごめんね忘れてね、と。
そんな彼の話をずっと聞いていた青年は いきなり彼を、ひょいっと抱き上げた。
『っ、わっ……!?』
『……あの木ぐらい、高くは無いけどさ、』
そして、小さな彼を、自分の頭の上に、乗せて。
慌てて自分を覗き込む彼に、視線だけ上げて、笑った。
『これなら少しくらい、空に近いだろ?』
******
「……やっぱり、……すごいよ」
ふわり、と、また微笑むと、
マルスは開いたままだった、アルバムを閉じて、重ねた。
本棚を埋める、一冊のアルバム。
怪我だらけの青年と、小さな彼の写真が、たったひとつ。
窓に向かう。
白いカーテンが、ふわりと舞い、
マルスの髪の先を、掠めた。
風が吹いて。
外を覗いて、見上げる。
いい天気だ。
空は、今日も広く、高くて、手が届かない程に遠くて、
青い。
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100題の、002「空」。
お時間のある時に、ふと思い出したら、読んでくださると嬉しいです。
何か、いろいろと、思うところがある……かもしれません。
あとがきにちょこっと書きましたね。
私の初めて書いたリンピカ話は、このお話だったりします。
完成までに3年ほどかかっているという曰くつきのシロモノ。
読んで下さった方、ありがとうございました。
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