例えばそんな日。/その4
ロイの部屋には、ただ、沈黙が流れていた。
お互い、お互いの顔を伺いながら、……そのくせ何を喋ればいいのかわからない。
気持ちは、言わなきゃ伝わらない。
よく心得ているつもりなのに、
こういう……何か言わなければいけない、肝心な時に、伝えられない。
「……怪我は?」
「……え?」
長い長い沈黙の後、ようやくマルスが切り出す。
長い間考えた末、ようやく見つけた答えは、大して考えなくても出てきそうな言葉だった。
人というのは、そんなものなのだろうか。
「……怪我の具合はどうだ、って訊いてるんだ」
「ああ……、……うん、大丈夫。まだちょっと足が痛いだけ」
「……そうか……」
ちら、と足の方に目をやり、また溜息をついた。
そして、ロイの身体の陰でもぞもぞと動いている物体に、ようやく気づく。
「……その猫……」
「猫? ……ああ、コイツか。うん」
茶色と白のまだらの子猫。
頭を優しく撫でてやり、マルスに笑いかける。
子猫の首根っこをひょいと掴み、マルスにずい、と突き出して。
「抱いてみる?」
「……いらない」
いかにも嫌そうな顔をして、その申し出を断った。
ロイは残念そうな顔をして、その子猫を自分の肩に乗せた。
「マルスに猫は似合うと思うんだけどなー」
「……わけのわからないことを言うな」
第一、猫なんか嫌いだ と、マルスは顔をそむける。
「え? ……マルス、猫嫌いなんだ?」
「……嫌いだよ」
指で子猫の喉を鳴らす。
子猫は嬉しそうににゃあ、と鳴くと、ロイの頬に顔を摺り寄せた。
その動作が、マルスには妙に気に喰わない。
話したいのは、別に猫がどうこう、とかいうことじゃなくて。
この部屋に来たのは、ロイが猫と遊んでるのを見る為じゃなくて。
ロイに、怪我の具合を聞く為でも、
大丈夫だから なんて答えを聞く為でもない。
ましてや、何もせずにぼーっとしたいわけでもなかった。
言わなければいけないのは、もっと違うこと。
伝えなきゃいけないのは、この心の中。
「……そういや、マルスは」
「……?」
「……何の用事で、俺のトコ、来たんだ?」
「……」
その、ロイの何気ない一言で マルスの苛立ちは、頂点に達した。
「……大丈夫な……わけ、ないだろ……」
「……はい?」
マルスが小さな声で、ぽつ、ぽつと言う。
一言一言に、たくさんの不満を込めて。
今度は聞き逃さなかったらしい、ロイが、マルスを見た。
とりあえず、猫はお腹の上に置いておいた。
ベッドから身を乗り出し、うつむいているマルスの顔を、下から覗き込んだ。
どう表現すればいいのかわからないが、
悔しそうな、面白く無さそうな、……とりあえず、楽しそうな顔はしていなかった。
「……猫なんて……助けたりするから、……木から落ちて、そんなに怪我もしてるくせに……。
……歩けないくらい、痛かったくせにっ……」
「……マ、マルス?」
「……大丈夫なんなら……、
……ゼルダさんに看病してもらう必要だってないだろ……っ」
「……」
うつむいたままのマルス。
ロイが右手で身体を支え、左手をそぉーっと、マルスの顔に伸ばす。
途中、ぎっ、とマルスがロイを睨んで、ロイは慌てて手を引っ込めた。
「人がわざわざ心配してるのに、お前はお前で猫なんかと遊んでるしっ……
……それにっ……、」
「……マルス、」
視線を下げてしまったマルスの頬に、また、左手を伸ばす。
今度こそ、マルスの顔を、ゆっくりと捕らえた。
触れた瞬間、マルスの身体がびくん、と怯えた。
一瞬閉じてしまったマルスの瞳が、ゆっくりと開いて、ロイを見つめた。
「……朝から、どうしたんだろーとは思ってたんだけどさ」
「……」
「……心配……してくれてたんだ」
「……別に……、そんなわけじゃ、」
「さっき自分でそう言ったじゃん」
「……」
ロイが、やわらかく微笑む。
その前でマルスは、悔しそうに顔をゆがめて。
「マルスを怒らせるために、言ったわけじゃなかったんだよ。
……ただ、マルスはさ、心配しすぎるから。
心配してもらうのは嬉しいぜ? ……ほら、愛してくれてんだなーって思えるから」
「……」
「……睨むなって、……冗談じゃないんだけどさ、
……でも、うん。……嫌な思いさせちゃったんだな、……ごめん」
「……」
ロイの左手が、ゆっくりとマルスの輪郭を辿る。
マルスはくすぐったそうに肩を竦めたが、その手を止めようとはしなかった。
「……それにしても、……」
「……?」
ロイが急に、手の動きを止める。
マルスが不思議そうに見つめる中で、
「……くくっ……、」
急に笑い出した。
「……? ……ロイ?」
「……はは……っ、あーもうっ……!」
「え……、……、わっ!?」
マルスの首に腕を回し、ぐい、と引っ張った。
ベッドに倒れ込むマルスの身体を器用に片手で受け止めると、笑いっぱなしでマルスを抱きしめる。
「本ット、……かっわいいなぁマルスはーっ」
「な、ちょっ、と……ロイッ!?」
ぐりぐりと頭を撫で回しながら、かわいいかわいいと連呼するロイ。
「ロイってば!! ……何なんだ、急に!!」
「えー!? だってさ、……まさかマルスがやきもち妬いてくれるなんて思ってなかったから!」
「……え? ……今、何て言って……」
頭に疑問符を浮かべ、ロイを見上げるマルス。
自分のことなのにわかってなかったのか、と、ロイは笑いながら言った。
「だから、やきもち妬いてくれてたんだーって。
ゼルダがどうこうとか、猫がどうこうとか、全部やきもちだろ、それ」
「……、」
「……そんなかわいーカオしたって、騙されねーからな。
やきもち。嫉妬。……ああそっか、マルスってもしかして、俺が初恋、とか?」
にっこり笑ってロイが告げる。
……顔を真っ赤にさせて、マルスが慌てて言う。
「な、そんなわけないだろっ!! ……大体僕は、やきもちなんかっ……」
「やきもち以外の何モンでもねーよ、……だってさ、」
ロイが、ぴたっと笑うのを止めた。
マルスの身体を起こし、まっすぐにマルスの目を見る。
「俺がゼルダと話してるの見て、ちょっとくらい気に喰わなかったりした?」
「……」
「その顔は図星だな。……そうだろ。
……あー……どうしよ、すっごい嬉しい」
「……嬉しい?」
「だって、やきもち妬くってことは、俺のこと好きだってことだろ。
嬉しくないわけないじゃん」
顔をほころばせ、マルスにそう告げた。
……頬を微妙に赤らめ、悔しそうな顔で、マルスが視線をロイから外した。
「……マルスー?」
「……うるさいっ……」
「……こっち向いてってば、」
「……僕は、別にっ……妬いてなんか……」
「……はいはい、わかったから」
ロイは再び、マルスの首に腕を回した。
手をゆっくりと上に移動させ、髪の感触を楽しむ。
マルスがこっちを見たのを見計らって、そっと身体を引っ張った。
「……、」
唇が触れるだけの、小さなキス。
「……ん……、」
瞳を閉じ、マルスが小さく声をたてる。
それは息苦しさをうったえている証拠で、……ロイは、ゆっくりと顔を離す。
「……」
「……マルス、」
濡れた瞳でロイを見つめるマルスに、どうしたって煽られてしまう。
再びその体温に触れたいと、顔を近づける。
そして、また唇が触れ合いそうになった、瞬間 、
「……にゃあ……、」
「……へ……」
ロイの向こう側から、気の抜ける鳴き声が聞こえた。
……例の、猫の声。
「……猫……」
「……ちっ、いいトコだったのに……コイツは」
首の後ろの皮を引っ掴んで、ロイが不機嫌そうに言う。
マルスはしばらく呆然と、目の前の一人と一匹を見つめると、
……くす、と小さく笑った。
「仕方ないだろ? ……猫は、人間の都合なんて知らないんだからな」
「でもさー…… ……ったく、ゼルダに連れてってもらうんだった」
「ふふ……、……そういえばそいつ、名前はあるのか?」
「え? ああ、あるよ」
「そうか……。……何て言うのか、訊いてもいいか?」
「いいよ、別に。えっとな…… 」
おわり。
その3
終わりましたー……燃え尽きた……。
私、小説というのは、頭の中である程度絵を想像しながら書いているんですがー……甘すぎました。
猫の名前は、自由に想像して下さい……考えてません。
それでは、
約4回に渡ってしまった、長ったらしい話を読んでいただき、本当にありがとうございました。
03,07,13(完結)