竜
「竜を倒した、英雄なんだっけ。あんたって。あんたの“世界”では」 頭の横に投げ出されていたマルスの手を取り、ロイは唐突に、こんなことを言い出した。虚ろに閉じかけていた瞼が上がり、滲んだ藍がロイの瞳を追いかける。無防備な表情で首を傾げながら、マルスは気だるそうに唇を開いた。 「……どうしたんだ、急に……」 「いや、別に。今、ちょっと思い出したからさ。だったよな?」 「うん……。それは、間違いではないけど……」 語尾を適当に濁しながら、マルスはふい、と顔を逸らした。白い寝具に散らばった髪が、白い首筋に掛かり肌を彩る。 瞳に落ちた暗い影に、ロイはマルスにとってそのことが、あまり触れられたくないのであろうことを理解した。取った手をまじまじと見つめながら、ロイは、不器用だな、と呟いて。 「……姉様を捕らえたことも……、……皆の世界を壊そうとしていたのも……。 ……許してはいけないこと……だったから……」 「……それは、あんたが? それとも、別の誰かが?」 「僕が、に、決まってるだろ……。……それに……、」 「利害が一致したから、って? …………優しいよな」 「………………。」 わざとらしい口調で言ってみると、下から睨みつけられる気配があった。 とがった視線を向けられて、ロイはごめん、と言いながら苦笑する。手の中で弄ぶ指先の、雪の色を灯した鱗によく似た爪のかたち。小さく音をたてながら口づけると、未だに熱が残っているのか、マルスの肩がびく、と震えた。 「ッ……、……何が、言いたいんだ……?」 「……ちょっとな。考えてるだけだよ……」 細い身体を抱き寄せて、耳の付け根に噛み付くようにキスをする。瞬間、マルスは驚いたらしく、反射で思いきりロイの髪を引っ張った。 もう大して痛くは無い。歳を重ねるたびにこの身体は、少しずつ人であることを忘れていく。少し前までは、どうでもいいことのはずだった。どうにもならないことを気にするようになったのは、一体いつからだっただろう。 「考え……?」 「ああ。マルスが、俺のお願い、聞いてくれれば嬉しいなーって」 ぐ、と握り締めて押しつけた手首。硬質を纏う指が、透き通るような肌の下に、人の命の脈を見つける。 視線をロイへと向けたマルスは、そして僅かに目を見開いた。ロイは理由を悟って苦笑する。 月明かりに晒された首筋には。きっと、今まで見てきたものよりもずっと異質な、氷の色の鱗が出ている。人に混ざった血は、少年から少しずつ人であることを奪っていく。全ての世界を数えても、自分と、自分の父親と、そして目の前の恋人しか知らない真実。 ふ、と一度目を閉じて。ロイはマルスの耳元に唇を寄せて、そっと呟いた。 「どうすれば……。あんたは、俺を、殺してくれるかなって」 「 そんな重責を負わせる気なんか、はじめから無いけれど。 「あんたには、馬鹿なことでも。俺には、違うんだ。 ……マルスを失った後……、そんな世界で、生きてはいけない」 こんなことを言うことは、卑怯だとわかっているけれど。 「…………」 「この先、生きていけば、きっと、俺はあんたを忘れていく。 顔も、体温も、声も、少しずつ。 そんなの……、俺には耐えられない。だから 自分の身体に浮かんだ硬質を見つめながら、ロイは告げる。竜の血筋を受け継いだ、氷色の証。そして目の前には、竜を殺す力を受け継いだ人がいる。 出会わなければ良かった、などと思えるはずが無かった。そんなことを思うくらいならば、きっと少年は、とうに自らの命を絶っている。 マルスの腕が伸びて、手のひらがロイの首筋を辿る。 「その前に 「…………」 恨むような色合いの瞳が嬉しかった。マルスは、このまま歩き続けることを望んでくれている。せめてその道の終わりが、同じような距離にあれば。きっと、こんなことは願わなかった。 マルスは月の淡い光のように悲しく微笑み、ロイの赤い髪を撫でる。 その手首を再び取って。その下にふれた脈のぬくもりに、ロイは愛おしそうに口づけた。
半分だけ竜なロイ様。寿命の違い、にはつくづく弱いです。切ないです。 |