ふたり

「……ッいい加減にしろ、このバカ!!」
「ごはぁッッ!!」
 ごすっ!! と、鳩尾に一発。昼下がりのリビング、床に倒れる少年。いい音がしたねえ、と述べる可愛らしいイキモノ、深い溜息を吐く青年。そして、繰り出した蹴りを収めた後、ぜえはあと肩で息をする、青い髪と眼の持ち主。
 それは、とてつもなくいつも通り、ごくごく当たり前の日常だった。平凡な景色の中、少年を蹴り倒した青年……それはもちろん、マルスそのひとである……は、これまたいつも通りの目つきで、いつも通りの言葉を投げる。
「毎日毎日毎日、一体何のつもりで……っ!」
「何のつもりでって、だから毎日毎日毎日、理由は言ってんだろ!?」
 それを受け返すロイの言葉も、また、いつも通りのものである。
「俺は! あんたのことが! 好きなんだって!  あっ、好きって、ケーキが好きとかそーいう好きじゃねーぞ!
 愛してるんだ! あ・い! わかってんだろうな!?」
 せっかくの大告白も、蹴られた腹部を押さえながら、息も絶え絶えの状態では、何の情緒も、更に言えばロマンも無い。
「……ッ、だから、そういうことをいちいち……っ!」
「いちいち言わねえと、あんたすぐ忘れるだろ! 薄情者!」
「忘れたいことだから忘れてるんだ! 決まってるだろ!?」
「……おーい。二人とも」
 ああ、これは、堂々巡りになりそうだ   短い遣り取りの間にそれを悟ったリンクは、頭にピカチュウを乗せたまま、そうっと二人に声をかけた。
「ああ!?」
「何だ!?」
「……。えーと、用事があるのはロイの方なんだけど」
 ものすごい剣幕で睨まれて、リンクはなんだか気が引けたが、それでもめげなかった。
「喧嘩は良いんだけどさ。ロイ、時間、良いのか?」
「は? ……時間?」
「買い物当番。今日、お前と、サムスさんだったろ」
「……………………」
 リビングの壁の仕掛け時計と、三つの針。かちかちと動き続ける秒針に合わせて、ピカチュウのしっぽがゆらゆら揺れる。
 しばらくの間、時計の文字盤とにらめっこをしていたロイは、やがて、はっ、と重大なことに気づいたらしく。
「……っそうだった! 何でもっと早く言わねえんだよ!?」
「いや、まさか、本当に忘れてるなんて……」
「俺、行ってくる! ありがとな、リンク!
    じゃあなマルス! 愛してるぜ!」
 返事もそこそこに、飛ぶように忙しなくリビングを出て行く。その直前に、まるで小さな子どもみたいにマルスに笑ってみせる。
「なっ、…………ッ何言って…………!!」
 マルスの反論が届く前に、ロイは消えていた。
 突然静まり返った広い部屋で、マルスは感情の出にくい顔を更に無表情に近くして、深い深い溜息を吐く。
「……まったく。あのバカ」
「まあ、ほら。喧嘩する程、仲が良いって言うじゃないか」
「……リンク。あれが、仲が良く見えるのか?」
 フォローをスッパリと斬り落とし、マルスは、前髪を押さえながらリンクを見上げる。既にその表情は落ち着いて、先程までの口論の影など、どこにも見えはしない。
 マルスが怒ったり、声を荒げたりするのは、ロイの前でだけだ。本人が知っているかは知らないが、リンクがそんなことに気づいたのは、最近のことだった。それだけ二人の喧嘩の現場を目撃しているということになるのかもしれないが、そのことには気づいていなかった。
「ロイは、お前のことが、好きなんだと思うけど」
「……どうだか。あんなこと、言って……嫌がらせとしか思えない」
「……うーん。そこはさ、ほら……」
「ねえ。オウジおにーさんはさあ、」
 ふいに。二人の声の間に、幼い別の声がすべり込む。
 オウジおにーさん、と呼ばれて、マルスは更に視線を上げた。リンクの金色の頭の上、長い耳をぴくぴく動かしてこちらを見ている、ピカチュウの真っ黒な瞳に。
「ロイさんのことが、スキなの?」
「……は……」
 そしてその問いは、完全に予想の範囲外であった。
 マルスは呆れたように、今度は小さな溜息を吐いて。
「……そう見えるのか? だったら、ある意味すごいと思うけど……」
「ちがうの?」
「……嫌いだ。……人のことを何だと思ってるんだ、あいつは」
「ふーん……」
 なるほどな、と納得して、ピカチュウはぱたぱたとしっぽを振って遊ぶ。質問の意図がいまいちわからなくて、リンクは一人、首を傾げた。
 ピカチュウの言葉に、それ以外の意味が無かったことは無い。
 こんなに小さな見た目で、ピカチュウは、普通なら想像も出来ないような、あらゆることを考える。
「じゃあさあ」
 そんなふうに見えるくらいには、二人は一緒にいるということだ。
 ささやかなでくだらない喧嘩が。いつも通り、に変化したのは。そう感じるようになったのは、最近のことだったから。
「どうしてロイさんを、構ってあげるの?
    キライなら、嫌いって、考えもしなさそうだけどね」
「…………え?」
 容赦の無い。
 ピカチュウの言葉に、マルスは、目をまるくした。
「……………………」
「……ピカチュウ?」
 驚きっぱなしの顔のままのマルスに気をとられながら、リンクはピカチュウに視線を寄越す。当のピカチュウは既に気が済んだらしく、どこから入り込んだのか  開け放した窓からだとは思うが  ふよふよと飛ぶ蝶を視線で追いかけて、ちょうちょ、などと言っている。
 リンクの横で、マルスは、未だに、首を傾げたまま。
「…………どうして?」
「…………」
「…………どうして、だろう。……そういえば……」
 真剣に考え始めてしまったらしいマルスの、あてのない独り言。そんなものを聞きながら、リンクもまた、首を傾げた。こうなってしまうと、マルスの「どうして」に解答を返せるものは、この場にはもういない。
「…………?」
 藍色の瞳が、意味無く天井を見つめている。清冽な美貌で飾られた横顔を見ながら、ピカチュウがひっそりと、にぶいなあ、と呟いたけれど。
 その呟きは誰にも届かず、空気に拡散して、消えた。

 いつものいつも通りが、違うものに変化するまで、後少し。
 マルスの簡単な疑問の解決は、まだ、遠い。


マルスは他者はもちろんのこと、自分の感情にも鈍そうだと思います。

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