心の仮面

 街がにぎやかになるらしい、この屋敷にも、ヒトがたくさん増えるんだって。
 一体どの耳が拾ってきたのか、カービィが先日丸一日かけて住人の間に広めた噂は、マスターハンドの突然の来訪により、どうやら事実であるらしいことが発覚した。せっかくのサプライズだったのに、皆の驚く顔を楽しみにしていたのに、貴様許さんぞ   勝手に来て勝手に落胆したあげく勝手に暴れ始めたこの“世界”の管理者は、どうしようもないので皆で必死に退治した。あんな大声で話し合いしてたら、聞こえるに決まってるじゃん、とは、カービィの言である。そんなことより住人達はむしろ、管理者の話し相手とやらが気になったのだが、その正体がわかるのは、もう少し後のことになる。

「大変だったな」
「ほんとにね」
 屋敷の敷地内、庭のベンチに腰掛けながら、リンクとピカチュウは、同時に深い深い溜め息をついた。リンクは右の二の腕に、ピカチュウは左耳に、それぞれちょっとした手当ての後がある。よく晴れた青空、ぽかぽかの陽気。今朝の乱闘がすべて嘘であったかのように、今はただただ、のどかだ。
「リンク。それ、大丈夫?」
「ん、ああ。ちょっとかすっただけだよ」
 しっぽの先端の焼け焦げた痕を舐めながら尋ねたピカチュウに、リンクは穏やかに笑って返した。マスターハンドの銃弾、吹き飛ばされた小さな体、盾を投げ捨てそれを受け止めた右腕。
「それにしても、あいつ、本当に強かったな。びっくりしたよ」
「僕もみんなも、マリオさんとリンクの方に、びっくりしたけどねえ。
 ……助けてくれて、ありがと」
「うん。どういたしまして」
 朝は剣を握っていた左手で頭を撫でてやると、ピカチュウは嬉しそうに笑った。

「……で?」
「んー?」
 長い耳を揺らしながら、ピカチュウはこくんと可愛らしく首をかしげる。それを見て苦笑すると、リンクは出来るだけ何でもなさそうに、さらりと仕掛けた。
「お前は、大丈夫なのか、って」
「……んー、あんまり、自信はない」
 ピカチュウは、かわそうと思えばかわせたはずだ。きちんと意味を汲み取って返してきたのなら、このままこの話題を継続しても良いのだろう。リンクはそう考えた。
 街がにぎやかになるらしい、この屋敷にも、ヒトがたくさん増えるんだって。
 カービィにそう聞かされた時から、リンクはずっと気にしていた。ピカチュウの“人見知り”のことを。
「いやなヒトが、くるかもね」
「……ピカチュウ」
「でも、いいヒトも、くるかもしれない。でしょう?」
 意外と前向きだ。しかし、そう言ってはいても、この小さな親友は、最近ひどく落ち着きがない。早々に改築準備に入った屋敷は、既に空気が違う。新しい何かが始まる気配は、日を追うごとに、きっと、もっと強くなる。
「こわいよ、こわいけど……でも、大丈夫。
 悪いことばっかりじゃなかったもん。なんとかなるよ。きっと」
 ね。
 振り向いて笑ったピカチュウを、リンクはじっと見つめる。まるく大きな黒色の瞳に、人間の世界はどう映るのだろうか。
 考えたところでわかるはずもない。リンクもまたふ、と微笑むと、ピカチュウの頭をぽんぽんと撫でた。
「いつでもきていいからな。こわいことがあったら、絶対守ってやるから」
「うん。リンクの、その『絶対』は、本当に絶対だね」
「……。本当じゃないときがあるのか?」
「絶対料理を成功させる、って言われても、無理だもん」
「…………。」
 反論できない。視線を泳がせ、苦い顔で黙り込んだリンクに、ピカチュウは声をたてて笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「うん。……あ。あのね、リンク」
 ピカチュウの声の調子が変わる。リンクは一度はずした視線を元に戻した。ピカチュウはリンクの膝の上に跳び乗り、ぴんと立てた耳をぴくぴくと動かす。よく慣れた重みが、太陽の光にあたためられた毛並みが、妙に安心感を与えてくれた。
「リンクも」
「うん?」
「リンクも、こわいこととか、いやなこととか、
 自分ではどうしてもどうにもできない悲しいことがあったら、
 僕のところにきていいからね。いつでもだよ」
 それは、
「僕、小さいから、守ってあげられるかはわからない。
 だけど、力になるよ。
 リンクがたいへんなときは、絶対リンクの近くにいるからね」
「…………」
 一度は失ったものだった。ずいぶんと昔のことであったような気もするし、つい最近のことであったような気もする類の。欲しくて欲しくてたまらなくて、一度は手に入れたもの。今度は、自分でも与えたかった。あたたかな、優しい力。
 ピカチュウは勘が良い。何か予感があったのだろうか。
 新しい住人により開かれる、新しい扉のこと。
「……うん。頼りにしてるぞ」
 リンクはピカチュウを抱き上げると、小さな子どもにするみたいにぎゅっと抱きしめた。春めく、太陽のにおい。
「ありがとな。ピカチュウ」
「うん。どういたしまして。苦しいから、はなしてくれない?」
 穏やかな気持ちに満ちた言葉に、冷静そのものの返事が聞こえて、リンクは慌てて腕に込めた力を緩めた。
 手の中ののぬくもりと同じく、あの日と同じ空が、青い。


新しい秘密ができる時。

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