兄弟

「ぴぃーーーちゅうーーーっ!!」
「ピチュー、ひさしぶり! ああ、ちょっと大きくなったね」
「ぴちゅ! おにーたん、あえて、うれしいでちゅ!」
「うん。僕も、すっごく嬉しい」
 目の前でころころとじゃれ合っている二匹のでんきねずみを眺めながら、リンクはいかにも微笑ましい、と言わんばかりの顔で微笑んだ。人間で言えば子供と大人の関係であるというピチューとピカチュウは、それにしては耳やしっぽの形が微妙に異なるのだが、彼らはポケモンという種族だ。きっとそんなものなのだろうと、リンクは疑問に曖昧な答えを出した。
 今日は増築された屋敷に、新しい住人がやって来る日だ。先程屋敷の門のところで、赤い髪の少年が、青い髪の娘……ではなく、青い髪の青年だった……に斬りかかられていた時は、新しい住人に多少の不安を覚えなかったことも無かったのだが、目の前の楽しそうな光景に、リンクはようやく安堵した。リンクの小さな親友は、弟が来る、と聞いてからこっち、とても嬉しそうだった。兄弟の再会を喜ぶピカチュウに、リンクは自分まで幸せになってしまう。
「荷物は、もうお部屋に置いてあるって。どうする? 探検、してくる?」
「ぴちゅ。いってくるでちゅ!」
「はいはい。踏まれたり、吸われたりしないように、気をつけてね」
「ぴぃーちゅう!」
 ピカチュウのまわりをくるくると三度回ったピチューは、その勢いのままに、リビングを飛び出した。小さな足音が遠くなり、廊下の向こうへ消えていく。
「ピチュー、だっけ? かわいいな」
「うん。かわいいでしょう。だいぶ、しっかりしてきたしね」
 リンクのささやかな印象に笑顔で頷いたピカチュウは、その後はいつものように、ソファーに座っているリンクの膝の上に飛び乗った。
 ふかふかの頭を撫でる大きな手に懐いてくるピカチュウに、リンクは、ふと尋ねる。
「弟、か。兄弟は、あの子一人だけか?」
「…………」
 それは、ごく自然な疑問であったはずなのに。ピカチュウは珍しく、黒い目をぽっかりと開いたまま、一拍の間、口を噤んだ。
「…………きょうだいは、ひとりだよ」
 そして、
「でも、あの子は、違う。僕とピチューは、本当の兄弟じゃないんだ」
「…………。…………え?」
 ごく自然な疑問だった。リンクには兄弟がいない  正確には、いるのかどうかわからない  から、どんなものなのだろうと思っただけの。
 返ってきた答えは、完全に予想の範囲外のもの、であった。
 空によく似た青い目に、ピカチュウの黒い目を映しながら、リンクはもう一度、今度はゆっくりと尋ねてみる。
「…………違う……のか?」
「うん。
 森でね、あの子、食べられそうになってて。それを助けたんだ」
「…………。……食われっ……!?」
「ありがちな食物連鎖だよ。人間が、ドウブツ狩るのとおんなじ。
 それともリンクの“世界”には、そういうの、ないの?」
「…………い、……いや……あるけど、」
「でしょう? で、助けたら、懐かれたから。だから、兄弟」
「…………」
 さらさらと、まるで世間話のように、ピカチュウは語るけれど。頭の中で人間に置き換えて、リンクは多少、顔色を悪くした。既に、リンクとこの小さな親友は、種族の壁というものの根底的な部分を、すっかり乗り越えている。だからそんな想像に及んだのだ。
 ぽんぽん、と小さな頭を撫でながら、細長い息を吐いて、リンクは一言。
「……何か……いろいろ、あるんだな」
「あなたに比べれば、ずーっと普通のことだと思うけれどね」
ピカチュウのわかりにくい心遣いにやわらかく苦笑して、時の勇者と呼ばれた青年は、今度は軽い溜息を吐いた。

「でも、僕はピチューが好きだし、ピチューも僕が好きみたい。
 だから、兄弟、っていうのが本当か本当じゃないか、なんて、
 僕達にとっては、大した問題じゃないから、どうでもいいよ」
「……そっか」
 膝の上からはねたピカチュウは、リンクの肩、そして頭の上へとよじ登った。いつもの重さに心のどこかを満たされながら、リンクはピカチュウの、いつもらしい声を聞く。
 いつも、本人にとって一番大事な本質だけを見落とさないピカチュウが、リンクにはほんの少し羨ましかった。
 そしてまたリンクは、純粋な疑問でピカチュウに尋ねる。一番大事な本質を。
「だったら、“本当の”きょうだい、っていうのは?」
「…………。……おんなのこだよ。おんなじたまごからうまれた……、」
 ポケモンは、たまごから生まれる。それは昔、聞いていた。そして、一つのたまごから二体の個体が生まれるのは、ひどく珍しいことであるということも。
 ピカチュウのどこか不穏を孕んだ声は、リンクにとっては珍しいものだった。ピカチュウはいつもきっぱりしていて、言いたくないことは言わない性質だから。
 言っている、ということは、言いたくないことではないのだ。それなのに、頭の上から聞こえる少年のような声は、とても不安定で、揺れていた。
「……ピカた、っていう、おんなのこ。人間の、パートナー。だけど……」
 曰く、“ピカチュウ”というのは、本人の名前ではなく、種族の名前であるらしい。つまり今の現状は、飼い犬を犬と呼んでいるようなものだ。お前自身の名前は無いのか、と、以前一度だけ尋ねたが、人間のパートナーになってしまえば、つけてもらえるよ、という、そっけない答えが返ってきた。
 勝手に名前をつけるわけにはいかなくて、リンクは、屋敷の住人は、今でもピカチュウをピカチュウと呼んでいる。返事をするのは一人だけだ。ここはピカチュウの“世界”ではなく、まったく違う世界であるから。
「カノジョに会うことは、もう、無いし。会いたいとも、思わない。
 ……カノジョはカノジョ。僕は僕。選んだものが、違うんだ」
 揺れる声。揺れる景色と、揺れる、こころ。
 なんだかひどく不安になって、リンクは空色の視線を上げる。ピカチュウのとがった耳が、ぴょこぴょことはねていた。
「……大丈夫か?」
「? 何が?」
 思わず声をかけてみれば、ピカチュウは頭の上から、ひょっこりと顔を覗かせて。かわいた頬、嬉しそうに笑うあたたかな様子。いつもの景色がそこにあって、リンクは逆に不安になった。
 その先、ピカチュウが、彼の半身について語ることは無く、話題に上らないので、リンクもまた次第に、意識しないようになっていったのだけれど。

 ピカチュウのひみつ、兄弟のひみつ、ピカチュウの兄弟の世界のひみつがリンクに触れるのは、また、ずいぶんと先の話になる。


いろいろと仕掛けがあるのですが、出てくるのは、やはり、先の話になります。

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