歌
就寝する時刻になってもピカチュウが自室に現れないことを不思議に思ったリンクがようやく彼を見つけたのは、ピチューの部屋を訪ね、窓から庭へ跳び下り辺りを見渡し、リビングを探索して、そこで本を読んでいたマルスに居所を尋ねてみるものの空振りした後、諦めて自分の部屋に戻ろうと階段を上りきった、まさにその時だった。 見つけたのは姿ではなく、少年のような声だ。だから見つけた、ではなく、聞こえた、が正しい。間違えようもない声は、物置にしている空き部屋から聞こえてくる。 「……ピカチュウ?」 そっと扉を押し開ける。瞬間、鼻をついた、古い埃のにおい。ダンボールに詰め込まれた、正体不明のあらゆるもの。屋根の上へ行くためのはしごがかけてある天窓が開いているのを見て、リンクは迷わずそれを上る。 顔を出す。頬に冷たい空気に触れたと同時に、不明瞭だった声が鮮明になった。 「…………」 「ん? ……リンク。そんなとこで、何してるの?」 窓から頭だけ出した格好のまま声をかけようかどうしようか迷っていると、リンクの気配に気づいたのか、ピカチュウの方が振り向いて声をかけてきた。 ピカチュウは深く考えることもなく、見たままありのままをハッキリと口にする。 「変だよ、その状況」 「え……ああ、うん。えっと、お前を探してたんだけどさ」 「うん。じゃあ、声、かけてくれればいいのに」 「いや……お前、歌ってたからさ」 こちらも正直にそう言うと、ピカチュウがきょとん、とした。くりくりとした黒い眼を瞬かせて、かわいらしく首を傾げる。 「聞こえてた? ……って、そうか。リンクは、普通のヒトより耳が良いんだよね」 「ああ、まあ……これだし」 とがった耳を指しながら笑うと、ゼルダさんにも聞こえたかな? とピカチュウは言った。そうかもなとリンクが返すと、ピカチュウは笑う。 リンクはそこでようやく屋根にのぼった。ピカチュウの隣に腰を下ろす。 今度はこちらが首を傾げて、リンクは尋ねた。 「何、歌ってたんだ?」 「んーとね、お祈りのうた」 「お祈り?」 「今夜は、お月さまが、いないから」 ぽつりとピカチュウが落とした呟きに、リンクは顔を上げ、視線を空に向ける。黒く塗りつぶした空は世界の端の更にその向こうまで広がっているけれど、見えるのは街の明かりと星だけで、あの大きな光はどこにも見えない。 ああ、新月なのかと、リンクは今更気づいた。 「…………」 「僕の棲んでいた森ではね、こういう夜は、空にお祈りするんだ。 お月さまをさらっていかないで、って。 お月さまがいなくなっちゃうと、お日さまが、顔を出さなくなってしまうから」 「……そういうもの、なのか?」 「ちがうのかな? よくわかんないけど」 マルスさんとか、スネークさんなら、本当のことを知っているかもね。でも少なくとも、僕はこれを信じているから。ピカチュウはそう言うと、どうでもいいことのように、話を続けた。 「で、そのお祈りのうたを歌うのが、今日は僕たちの番だから……」 「……。当番制?」 「あんまりいっぱいの声で歌うと、今度は森が怒るでしょ。うるさいって」 「……。そういうもの……なのか?」 「めんどくさいだけかもね。実際、僕もちょっとめんどくさいし」 「…………。」 そんなふうにお祈りされてもなあ、と思ったが、とりあえずは胸の中に押し止めておくことにする。 ぼんやりと空を眺めていると、今度はピカチュウが尋ね返してきた。 「リンクも、森に住んでいたんだよね」 「ん? ああ、そうだな」 「リンクの森には、そういうのはなかったの?」 「……さあ。どうだったか……」 この小さな親友の好奇心が“人間”に向けられるのは珍く、リンクは内心驚いてしまった。あるいはそれは人間ではなく、“森”にあるのかもしれないが。 ピカチュウの興味に応えるべく、リンクはがんばって思い出の中に解答を探す。 残念ながら、期待に沿うような答えはどこにもなかったのだが。 「…………、」 リンクは、自身がもうずっと忘れていた、あるひとつのことを思い出した。 「……オレも、歌ってたなあ」 「え?」 長い耳をぴくんと動かして、ピカチュウがリンクの呟きを拾う。 「うん、歌ってた。……ような気がする」 「ええ。ような気がする、って」 「だってさ、もう、ずいぶん昔のことだから」 ピカチュウに視線を落として、リンクは少し困ったように笑う。 こんな新月の夜には、確かに歌っていた。口ずさんでいた旋律も、今はもう思い出せないけれど、歌っていた。 光の届かない夜は、森に住みながら森の子ではない子どもには、ずいぶんとこわく、おそろしく、そして寂しかったからだ。幼い心を蝕む恐怖から逃れるために、少しでも気を紛らわすために。はやく朝が訪れることを祈って、歌っていた。誰にも聞こえないほどに、声を震わせながら。 「それは、どんな歌だったの?」 「さあ……忘れたなあ。もう」 「ふーん……」 あんなに怖がっていたくせに、ほとんど思い出せないのは、あんなこととはずいぶんの間、無縁だったからだ。寂しさはその後も、いつだって胸にあるけれど。 「いいんだよ。もう」 ぽん、とピカチュウの小さな頭に手を置いて、リンクは笑う。 「オレには、あのときの歌は必要がないんだからさ」 リンクの言葉の意味がわからず、ピカチュウは不思議そうに瞬きをする。わからないのは当然で、できればわからせたくもなかった。代わりにお前が歌ってたのを教えてくれないかと訊くと、ピカチュウは子どものように元気よく頷く。 人間であるリンクにはまるで意味のわからない、奇妙な言語で出来た歌が、月のない暗い夜に響いた。
リンクが、ぴーか、ぴかー、とか歌ったんでしょうか。セルフツッコミ。 |