刹那

    ひとまずの復興を祝って、花火が上がるらしいよ、と。
 多少顔色の悪い、けれどとても穏やかな表情でレオナルドが告げたのは、デインの短い夏の始まり、ある晴れた日の、涼やかな朝のことだった。

「おー。今の、でかかったな!」
「うん。すごかったね」
 闇夜に塗り潰された空を、琥珀色の光が尾を引きながら流れていく。それが完全に消えて一拍の後、次に空を飾ったのは、紅蒼碧の色をした、小さな花の群れだった。街に響き渡る炸裂音、星を押し潰すような閃光。街中の人々の目に映って、呼吸と同じ速度で消えてゆく。
 デインの城下、石塀に腰掛けながら、エディもまた等しくそれを眺めていた。以前と少しも変わらないまま、隣にはレオナルドを伴って。もっとも彼は石塀に腰掛けているのではなく、凭れている状態なので、隣とは言い難いのかもしれないが。
 女神の片割れから人々の息を取り戻して、約四ヶ月。完全な復興には程遠いものの、滅びかけた大地、人々は、相当の活気を取り戻していた。季節は、短い夏の始まり。時期と時季のどちらも丁度良いということとなったのだろう、花火が上がるという報せはあっという間に広がり、デイン中の民を喜ばせた。もちろんエディも、そして、エディに報せを持ってきたレオナルドも。エディ自身には、花火より余程嬉しいことが、別に今、存在しているのだけれど。
 大戦の後、そのまま軍に残り従事しているレオナルドは、本来ならば今日は、街の警固に当たるはずだったのだ。ところが今朝になっていきなり彼は、今日は休暇になったと言って、エディの元へやって来た。
 士官教育を受けており、神射手の称号を得た結果、異例の若さで弓将軍に取り立てられたレオナルドは、忙しい日々をそつなくこなしているけれど、それでもやはり、子供、なのだ。
 彼の体調や心情や、他にもたくさんのことを気遣った彼の部下、彼の上司に多少の羨望を抱きながら感謝をしつつ、エディはレオナルドを見下ろして、にっこりと笑った。
「な。きて、よかっただろ」
「うん……。……でも、本当に、良かったのかな」
「まだ言ってんのか?
 いいじゃん、休めって言われたときくらい、ちゃんと休んでも」
 真面目なレオナルドは、気を遣わせたことに色々と思うところがあるらしいが、エディは純粋に嬉しかった。ここ最近レオナルドは、休日もずっと仕事に出ていて、ろくに話も出来ず、顔も見れなかったから。
 花火が上がることより嬉しい、ささやかな、かつ、最上級の幸福で満たされながら、エディは大きな音に釣られて、再び顔を空に向けた。
 花のように色とりどりの火が、花のように咲いて、花のように消えていく。苦しい時間を乗り越える、デインの民を、デインの国を祝うために。
「……。なあ、レオナルド」
「? なに?」
 しばらくそれを眺めていたエディは、ふと浮かんだ純粋な疑問に、習い性のようにレオナルドを呼んだ。闇夜を彩る光に注がれていた視線が、エディの灰色の瞳に向けられる。
「花火ってさあ、火、だよな?」
「花火、っていうくらいだから、そうだろうね」
「じゃあさ、なんで、あんな色してるんだろうな」
「……ああ。それなら、確か……」
 昔聞いたことがある、と言って、レオナルドはいくらか考えるような仕草を見せた。エディの胸の中には、そんなことを誰に聞いたんだろう、という新たな疑問が浮かんだが、とりあえず置いておく。
「……金属……」
「は?」
「火、ってね。金属に触れると、色が変わるものなんだって。
 金属の種類によって、変わる色、っていうのも、違うらしくて……」
 既にエディは眉を顰めて、ものすごく申し訳無さそうな顔をしているのだが、レオナルドは気づかない。
「だから、火薬に金属の粉を混ぜて……。……それで色を変えてる、って……」
「……よく、わかんねえ」
「詳しい仕組みは、僕だってわかってないよ。文字の並びとして、知ってるだけ」
 同じだよ、とレオナルドはやわらかに微笑むが、彼のわからない、と自分のわからない、では、どうも本質が違うような気がしてならない。が、そんなことを気にしても仕方が無いので、エディは深くはつっこまなかった。
 ただ、
「うん。わかんねえけど、なんか、すごいのはわかった」
「そうだね。……すごいよね。
 よくわからないし、それでも、あんなに綺麗で、こんなに喜ばれて……」
 エディは石塀に座ったままの格好で、辺りの景色を見渡した。運びかけた木材、その持ち手である男達。昼間は炊き出しを行っていた家族、野菜を持って駆け回っていた傷だらけの指の娘。石段に腰掛けて笑っている老夫婦、見回りの途中で立ち止まった兵士達、手を取り走る子ども達。
 たくさんの人がいる。帝国の駐屯軍に虐げられていた時も、束の間の平和も。仄暗い痛みに耐えなければならなかった戦いの間も、そして、ようやく訪れた現在にも、見渡す景色にはいつだって、たくさんの人がいた。
 そして、エディの隣にはいつだって。出会ってからずっと、レオナルドがいる。
 知らない星を見上げても、今は人々の歓声と、花が咲く音と美しい光に、かき消されているのだけれど。
「……それでも、あんなに一瞬で、消えてしまうんだね」
「…………レオナルド」
 上がる花、咲く花、消える花。紅蒼碧、琥珀色や、星の色。一心に視線を注いだ空に、花火が上がって散っていく。
 赤い命、青い空、眠る緑。金色の瞳を信じるままに、真っ白い世界に立ち続けた。
 あんなに苦しかったけど   結局、自分は、ここにいる。
 誰よりも、大切だった。何よりも、傍にいたかった。諦めなかった望みや、手放さなかった願いのまま、隣には、彼を伴って。
「……いいんじゃねえの? べつに」
「……?」
 石塀から飛び降り、今度こそ文字通りレオナルドの隣の位置を得たエディは、彼を真っ直ぐに見つめて、ぽつりと言った。夜色の瞳に光が映り込んで、青い宝石みたいに見えた。
「一瞬でも、なんでも、きれいなことに、かわりはないし」
「……」
「おれ、今日見たもの、忘れない自信もある。
 おまえといっしょに見たものを、忘れたりするわけない」
「……エディ」
 ふいに。
 どん、と大きな音が聞こえて、二人は視線を空へと返した。空をふたつに裂きながら、白煙が高いところまで上っていく。
「あ……、」
「…………」
 淡い銀色の光だった。小さな円が空で炸裂して、大きな花を咲かせて、消える。
 悲しい時間を乗り越えた、デインの民を、デインという国を、見守るように。
「……花火には、」
「ん?」
「ひとつひとつ、名前がつけられているんだって。昔、聞いた」
「……ふーん。そうなのか。……あんなに一瞬なのにな」
 陽に似た喜び。月に似た安らぎ。星に良く似た色をした光。絶対に忘れない花火の名前は、一体何と言うのだろう。エディは触れた指先に引かれるように、隣にある手を握る。
 おそらくは、そんな名前は、知ることもないのだろうけれど   
「だけど、」
「うん」
「綺麗だね」
「ああ。そうだな……」
 赤と青の花火が上がった後で、エディはふとレオナルドへと顔を向けた。視線に気づいたレオナルドは、ほんの少し困ったように、そしてとても照れた様子ではにかんで、エディの手を握り返す。夜風に揺れる金色の髪が、夜空に咲く花の光の色に染められて、くるくると色を変えていく様を、飽きもせずに眺めながら。
 たくさんの人の一部になりながら、二人は二人きりで、ずっとそこにいた。
 誰かに知られることもない、瞬間のように。


英雄以外の兵士にだって、名前はあるんだよなあ、と思う最近です。

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