通学路
「おい」
「……はい……?」
 真後ろから唐突に呼び止められて、レオナルドは思わずびっくり顔で振り向いた。見上げてみればそこには、知らないわけでは無いが知っているとも言い難い、レオナルドにとって、そんな人がいる。
 高い身長。頭の高い位置で結った、長い真紅の髪。わざとなのか地なのか知らないが、不機嫌を思わせる鋭い目つき。
 負の女神の言い分に従うままに振り分けられた、アイクを将とする部隊。それより前の戦場で、レオナルドは彼を何度か見かけていた。
 その人は、グレイル傭兵団の狙撃手だ。   それも、とびきりの腕前を持つ。
「……シノン、さん?」
 得ておいた情報から名前を探り当て呼んでみる。シノンは変わらず機嫌の悪そうな顔をしているが、反論されないところから思うに、間違ってはいないらしい。
 深い夜の瞳で驚きを隠さず見つめていると、シノンはレオナルドの目の前に、ずい、と右手を突き出した。
「おまえ、弓兵だろ。なら、手ェ出せ」
「……は?」
 自分は弓兵だ。それは間違っていない。矢筒を背負った彼を見て、彼は剣士ですか、と言う者も、そうはいないだろうが。
 眼前にある右手には、見たことの無い弓が一つ、握られている。
「……あの……?」
「いいから、出せっつってんだろうが。それとも、おまえ弓兵じゃねえのか?」
「い……いえ……」
「ならさっさとしろ。こんなことで、手間取らせるんじゃねえよ」
 聞き慣れているとは言えないやや乱暴な口調に、意識はかすかな抵抗を覚える。が、逆らってもいいことはなさそうだったので、レオナルドはおずおずと右手を差し出した。
 溜息を吐いたシノンは、その手を取って軽く引く。びく、と肩を竦めるレオナルドには目もくれず、その人は成長途中の小さな手に、自分が持っていた弓を握らせた。
 目をまるく見開いて、レオナルドの視線が、その弓の存在に注がれる。
「え? ……あ、あの」
「じゃあな」
「え……っ、……ま、待って下さい!」
 用件は終わった、とばかりに背を向けてさっさと歩き出したシノンを、レオナルドは慌てて呼び止めた。面倒そうに振り向いた肩に、真紅の髪が流れて落ちる。
「ああ? なんだよ」
「……あの、これ……」
 言いかけたレオナルドは、ふと、両手で握り締めたその弓が妙に手のひらに馴染むことに気づいて言葉を止めた。立ち止まったシノンに向けられていた瞳が、意識のままに下りていく。
「(……軽い……。……それに、これ、……良い弓、だ)」
「おい。用があんなら、さっさとしろよ」
「え、……あ! その、……だから……」
 苛立ちを隠しもしない声に、レオナルドは弾かれたように顔を上げた。それでもシノンはちゃんとそこに立ち、レオナルドの言葉を待っている。
 瞳と弓とを交互に見ながら、レオナルドは、困ったように言った。
「あの、これ……、……どうすれば、いい……んですか?」
「ああ? 寝惚けたこと言ってんじゃねえよ。
 弓なんだから、矢を番えるんだろ。くれてやるっつってんだ。貰っとけ」
「……。……僕に……ですか?」
「何で他の奴に使わせるものを、おまえにやらなきゃいけねえんだよ」
 おまえにだよ、もういいな。そう続けたシノンはさくっと話を切り上げて、足早にその場を去ろうとしてしまう。
「……あの……」
「……。ったく。今度は何だ?」
 悪いとは思いながらも再び呼び止めてみれば、シノンはもう一度立ち止まってくれた。実は見た目ほど恐い人ではないのかもしれない。
 申し訳無いながらも安心しつつ、もう一度だけたずねてみる。三度目は無いだろうという、根拠は無いがおそらく間違っていもいない、心の声に従って。
「この弓……、どうして、僕に……」
「んな細かいこと、どうでもいいだろうが! 面倒な奴だな。
 弓兵だからだよ。良いものなんだから、ありがたく貰っとけよ」
「いや、だから……。……あなたも弓兵でしょう? なら、あなたが……」
 どれほど上等な武器も、使う者の腕がついていかなければ意味が無い。この弓を使えないとは思わないが、レオナルドには、目の前の狙撃手の方が、ずっと手練に見えたのだ。そして良いものなのであれば、より腕の立つ者が使った方が良いに決まっている。
 そんなことを含めた言い分は、しかし、シノンによって一蹴された。
「オレみたいな達人がこれ以上強くなっちまったら、他の奴の仕事が無くなるだろ。
 大体、自分で作ったものを、どうしてわざわざ自分で使わなきゃ…… ……」
「……え?」
「…………」
 油断。迂闊。売り言葉に買い言葉。そんな声が、どこかを回る。
 はっ、と気づいて口を噤んだ時には、もう遅く。
 自分の発言に凍りついたシノンと、彼を見上げてきょとん、としているレオナルドの姿が、そこにあった。
「…………」
「…………」
 不自然な静寂に包まれた二人。かなりの時を浪費した後、レオナルドが、そろっと口を開く。
「……あの……」
「…………」
「……あなたが……、……作った……んですか?」
「…………」
「…………器用……、なんですね……」
「……ッ、……っるっせぇ!!」
 どこか外れたレオナルドの言葉で我に返ったシノンは、勢い良く顔を逸らして怒鳴った。表情は見えなくなってしまったが、レオナルドはちゃんと気づいていた。彼の顔が、真っ赤になっていることに。
 何かを誤魔化すように、シノンは怒鳴るように言う。まったく迫力は無いけれど。
「一応言っておくがな、おまえのために作ったわけじゃねえんだよ!
 あんまり暇だったから……、ヨファの奴にはもうやったし。
 弓兵じゃない野郎にやっても仕方無えし、おまえ、弓、まだ上手く扱えて……」
「……。……見てくれていた、んですか?」
「……っ。……ッだから、おまえが下手だったからなぁ……!」
 言えば言うほど墓穴を掘っていることに気づいていないことはないだろう。おそらく不器用なのだ。この人は、きっと、とてつもなく。
 目で追わずにいられない程に鋭い、彼の弓の冴えを知っているレオナルドは、シノンの落ち着かない様子に、なんだかおかしくなってしまった。抑え切れない笑い声が唇からこぼれて、その人の耳に届いてしまう。
「何、笑ってんだ!」
「は、い……。ごめん、なさい」
 怒ってみたところで迫力は無く、レオナルドはますますおかしそうに笑ってしまう。シノンは忌々しげにそれを見ていたけれど、どうにもならないと悟ったらしく、もう止めようとはしなかった。
「チッ。……オレはもう行くぞ」
「はい。……あの、シノンさん」
 三度目の正直という予感は当たり、シノンはレオナルドが呼んでも、今度こそ、立ち止まろうとも、振り返ろうともしなかった。遠ざかっていく背中に向けて、言い忘れていた言葉が通る。
「ありがとうございます。……大切に、使わせていただきますね」
「ああ、そうしろよ。滅多にお目に掛かれねえ代物なんだからな」
 弓を抱きしめた細い腕。シノンが気まぐれに少しだけ視線を寄越した瞬間、レオナルドは、花がほころぶように微笑んでみせる。
 それを見たシノンが、どこか満足そうに、そして、どこか複雑そうに表情を変えたことを。
 レオナルドは、知らなかった。



『大丈夫。……大丈夫だから』
 あれは、三つに分けられた部隊が出発しようとした直前のことだ。面倒で、既に日付を数えることを止めてしまったから、どのくらい前だったかは覚えてはいない。
『でも、おれもノイスも、他のみんなも、ミカヤといっしょなのに。
 何でおまえだけ、アイク将軍の隊に……』
『わからないよ。でも、ユンヌが決めたことだろう? なら、大丈夫だよ。
 大丈夫。ニケ様もラフィエル王子も、オルグさんだって……いるんだから』
 神様の考えることは、人にはわからない。一人だけが、理不尽だなんて怒れるわけはない。誰かを助けるための力になるのだから。
『エディの方が心配だよ。無茶なんか、するなよ。いい?』
『……おう。わかった。……レオナルドも、気をつけろよ』
『エディじゃあるまいし。……大丈夫。大丈夫だから……』
 大丈夫。大丈夫、と。繰り返し言っていたものがいる。さりげない言葉だったから、言いながら笑っていたから、最初のうちは知らなかった。

 誰が、何に対して、大丈夫なのか。不幸なことに、気づいてしまったのだ。


「……ったく。くだらねえ……」
 歩きながら、シノンは、ここ数日のことを思い出す。初めは無視していたのに、何度も見かけてしまった。あんまりくだらなくて、気になってしまった。
 悲しいとか、苦しいとか、寂しいとか、様々な名前がついていた。
 おそらくは自分でも気づいていないのだろう。それでも明確に形となって表に出ていた、子どもの顔に。
「……最近のガキってのは……、素直じゃねえのが当たり前なのか?」
 零れた言葉は溜息と共に、いびつな静寂で満たされた世界に、消えた。

おまけ

(07,05,13)
シノンさんがこんな人ではないと知っています。

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