半獣症(後編)
 半獣は、嫌うもの、忌むもの、蔑むもの。
 なぜなら彼らは半獣だから。人間を襲い骨まで喰らう、野蛮なもの。だから嫌っていい、忌んでいい、蔑んでいい。なぜなら、彼らは半獣だから。
 ……人間を喰らっているところなど、見たことは無いのだけれど。

 砂漠の遺跡で遭遇した獣牙族の盗賊団は、自分の想像そのものだった。言い分も聞かずに襲ってきたものを、襲ってきた順番通りに倒した。本当は姿を見るのも嫌だったけれど、命が掛かっていた。逃げ出すわけにはいかなかったから。
 次に出逢ったのは、狼女王と鷺王子だった。同行するということは、つまり同じ場所に一緒にいるということになる。事情があるようだったし、何よりミカヤが喜んだので、仕方が無いと諦めた。視界に入れないようにしていたから、深い人柄なんか知るわけもないが、その後二人はそれぞれの力で、ミカヤの為に戦った。
 サザの知り合いだという炎の賢者と一緒にいた二人とは、言葉を交わすどころか、視線すら一回だって合わさなかった。半獣と、家族と呼べる程に親しいベオクの存在が信じられなくて、嫌悪感に拍車が掛かっていたのかもしれない。
「わたしは……。ニケ様も、ラフィエルさんも。みんな、好きなだけ」
 闇の色を染めつけたような狼は、デイン解放が叶った直後に半獣だと明かされた。確かにそれまでは仲間だと思っていた。獣が軍の一員だなんて、おかしいと思わなかったわけではないけれど。砂漠を、平原を、沼を、いくつもの戦場を共にした。彼には随分助けられたし、多少は力になれたとも、思っていた。
「あなたの昔のことは、わたしは知らないわ。
 だから……。色々考えたけど、やっぱり、好きになって、とは言えない。
 他人が言うから好きになる、なんて、嘘みたいだもの……」
 声が意識のうえを滑っていく。水の中をたゆたうような浮遊感。少女の声を思い出しながら、少年は振り返る。数日前の夜。河のこちら側でラグズ連合軍を待ち伏せして、本質のわからない殺戮を繰り返した、あの時のことを。
「だから、わたしは、これだけ……あなたに言っておく。レオナルド」
 身体が小さく動きの素早い猫のラグズが、少年の隙を突いて懐に跳びこんだ。弓兵である少年は近接戦闘に持ち込まれ、完全に身動きが取れなくなった。腹に頭突きを喰らい、倒れる身体。爪が、白い喉を引き裂こうと襲い掛かる、その瞬間に。
「オルグさんの、あなたを助ける気持ちに嘘は無いし……」
 オルグの牙が、レオナルドを襲った猫のラグズの心臓を噛み砕いた。……まるで、彼を助けたかのように。
「あなたが、オルグさんを助けていた気持ちにも……嘘は無かったと思うの」
「……。」
 半獣は、嫌うもの、忌むもの、蔑むもの。だから半獣なんか、生きようが死のうが構わない。助ける気も無ければ、助けられるのもほんとうは気に喰わない。自分の近くにいなければいい、それだけだ。そんなふうに思っていた、それなのに。
 その後、血に汚れた漆黒の狼を見つけて。こわくなったのは、何故だろう。

「大丈夫。レオナルドさんは、優しい人ですもの」
「うん。それはおれがたぶん、いちばん知ってる」
 ラグズ連合軍が、もう一度やってくる。獣牙族の軍も手強かったが、今度はそれ以上の強敵がやってくる。クリミアの英雄。そしてデインの民にとっては、紛れも無い、国の仇。
「さて……向こう岸が騒がしいな。おいでなさったようだぞ」
 兵の間に流れていた空気が一瞬にして張り詰める。始まりを高く告げ響き渡るのは、暁の巫女ミカヤの涼やかな呼び声。
 弓を抱きしめ手を硬く握り締めるレオナルドに、エディは笑いかける。
「レオナルド。ちゃんと、おれといっしょにいろよ」
「うん。……絶対に、無茶はしないで。エディ」

「見えたぞ    ラグズ連合軍だ!!」

 形式めいた宣言では無い、目の前の現実を捉えた声が届いた。高鳴る鼓動。近づく水の音が目の前を映し、後戻りなど出来ないことを叫んでいる。
 それでも、彼はまだ迷っていた。
 狭い路地裏から始まった長い長い道のりの中で芽生えた、思い描くことの無かった感情に。

『……ミカヤは、わかるんだよね。あのひとの……言葉が』
 生まれ育った国が国であり、生まれ育った家が家であった少年は、本来ならば、ラグズに遭うことすら永劫訪れない可能性の方がずっと高かった。だから少年は今まで考えたことが無かった。いないことが当たり前だったのだから、当然のことだ。
 それならば何故あの時、自分があんなことを尋ねたのか。少年には、わからない。
『……。……僕が聞いても……仕方が無いかもしれないけど』
 いない方が良かったもの。本当は、関わりたく無いし、見たくも無いもの。
『……あの時、あのひとは……。何て、言っていたの?』
 彼の親友は、言っていた。
 ほんとうは、わかってるんじゃないのか、と。

 ふいに肌が感じた気配に、レオナルドは矢を番える手を止めた。剣が剣を弾き返す金属音、先が肉を貫く鈍い戦慄。たくさんのものに混じって、微かな記憶に覚えのある気配が聞こえる。未だに慣れることの無い、けれど近しい感覚が。
「レオナルド!」
 届く声に呼応するように矢を放つ。正確に鎧の継ぎ目に当たったそれは敵の動きを止め、その隙を突いたエディの剣が喉笛を斬って、とめた。遠目に絶命を確認しながら、援護すべき者を見つけようと戦場を見渡しながらも、身体が何かの気配を取って、離れない。
 敵が味方が河を渡る足音が手伝う間でも無く、辺りには水のつめたい気配が立ち込めている。それに混ざって届く違和感。水にあるもの全てを持たず、水にないもの全てを持つ、それ。本来ならば見つからないそれを、レオナルドは確かに感じた。
 頭の隅にふと浮かんだのは、数日前の闇夜の戦いだった。自分を助ける代わりに傷を負った狼は、その黒い毛並みをより深い黒に染め付けて立っていた。べっとりと血液が染み付いた姿を見つけて、こわくなったのは、何故だろう。
 その血には敵のものだけではなく、本人のものも混じっているとわかったからだ。
 ならば、どうして?
「……!!」
 レオナルドは気配を感じた。感じたものの正体を思い出した。それはあの時虎と鴉の半獣を連れて来た、少年賢者が纏っていたもの。水とは相反する、それ。
 夜色の瞳が離れた場所に見つけた。そこにいたのは黒衣の魔道士。
 赤い表紙の魔道書から引き寄せた、炎を。
 ミカヤの隣を守っている    熱が致命傷となる、オルグに向けて。
「……あ……っ、」
 黒衣と黒髪が流れ、炎が真っ直ぐ放たれる。強い強い力。この戦場を包み込んでいる水の気配を弾く程の。
 理解したときには、勝手にからだがうごいていた。
    オルグさん!!」
「……!!」
 魔道の炎がオルグに届く直前、レオナルドは身体を間に滑り込ませていた。火に耐性を持たない獣牙族を焼くはずだった熱は、少年に阻まれた。身体が、意識が、端から順番に焼けていく。
「くそ……っ、おまえ……!!」
 直後、炎を放った黒衣の魔道士に、逆上した様子のエディが斬り掛かった。本当は魔法が発動する前に彼を止めたかったようだが、後一歩の距離で間に合わなかったらしい。胸を斬られた魔道士がその場に崩れ落ちた瞬間、
    セネリオ!!」
 辺り一帯の空気を振るわせるような声が、響いた。
 魔道士に対峙したエディが、前線にいたノイスとブラッドが、そしてサザが、将たるミカヤが。否応無しに引きつけられるように、視線をそちらに向ける。
「アイク……っ、」
「引け、セネリオ! 俺は絶対に負けん。必ず戻る。だから、引くんだ!」
 視線の先にいた人物を、誰もが知っていた。短く刈った青い髪。大振りの剣、説明のしようも無い、引力のような存在感。
    デインの戦士よ、引いて下さい!」
 その瞬間、また違う声が、辺り一帯の空気を澄ませるように、響いた。本質の違う、だけどどちらも人を惹いてやまない二つの声に、ほんの一瞬、戦場の気が止んで静まり返る。身体を炎に焼かれながら、レオナルドもそれを聞いていた。様々な思いが、頭の中を、ひどく冷静にくるくるまわる。
「隊の後方が、鳥翼族の攻撃を受けています。このままでは、皆倒れてしまう……。
 あなたたちを殺すわけにはいきません。
 生きた方がずっと良い、だから  アイク将軍と戦ってはだめ! 引きなさい!」
 薄れてゆく意識。聞こえるのは、暁の巫女の凛と響く声。
 倒れたレオナルドを抱きとめた背中が誰のものなのか、彼はちゃんと知っている。
「……****」
 レオナルドを背に乗せて、オルグは戦線とは逆の方向へ走り出した。その意図に気づく余裕は無いけれど、ただ、彼は、静かに息を吐いて。
 こわくなったのは。……その血が、オルグの命であると、知っていたからだ。
「……良か、った……」
 少年の夜色の瞳に映り込む赤い景色は、闇に呑まれ、そこで途切れた。


「……レオ! レオナルド!」
「…………、」
 親友が自分を呼ぶ声が、闇に落ちていた意識を引き上げた。重い瞼を開いて一番最初に見えたのは、声の持ち主の顔、のはずだったが、身体を引かれて見えなくなった。だけど自分を抱きしめる胸の温もりを、レオナルドはちゃんと知っている。
「……エ、ディ……?」
「レオ……! ……、……よかった!」
 エディの腕の中、力任せに抱きしめられたまま、レオナルドは焦点の定まらない瞳でぼんやりと辺りを見渡した。白い天井と汚れた扉が見えるから、少なくとも屋内ではあるのだろうと考えた。
 浮遊するような感覚に身を委ねながら、ゆっくりと記憶の糸を手繰り寄せる。自分は確か戦場にいたはずだ。ガリアへと撤退するラグズ連合軍を撃退する為に。
「……エディ……。……戦いは、」
「後ろから不意打ちにあって、退いたんだ。だけど、みんな、生きてる」
 だから、大丈夫。明るく言ったエディは未だレオナルドを放そうとしない。恥ずかしいと思わないわけではないが、身体がおそろしく気だるくて、抵抗も出来なかった。
 おそらく砦の中であるのだろう部屋の中を、糸を辿りながら見回す。戦場で、それから自分はどうなったのだろう。全身に纏わりつく痛みは何だろう。天井に答えは無く、レオナルドは顔を横に向けた。探していたものが、そこにあった。
「! あ……、」
「おれ、ローラ呼んでくる! オルグ、レオのこと、見張っといてくれよ!」
 ひとしきり抱きしめてとりあえず安心したのか、エディはいきなり立ち上がってそう言った。慌てた様子でエディが去った部屋の中。残されたのは、二人だけ。
 寝台の上にレオナルド。そしてその傍らに、なぜか化身を解いていない、オルグ。
「…………」
 いつも通り何を言うでもなく、オルグはレオナルドを一瞥した。視線が差した瞬間、レオナルドはびくりと肩を竦めたが、オルグの方は特に気にした様子は無かった。
 目立つような怪我が無いその姿を見て、レオナルドはようやく思い出した。身体の痛みが火傷によるものであること、それから、どうしてこんなことになったのかも。これはレオナルドがオルグを庇って出来たものだ。間違い無く、彼の意思によって。
「…………」
 二人きりで取り残された部屋は沈黙に支配されて、レオナルドは困ってしまう。当然だ、何しろ彼は、オルグを嫌い、ずっと避けていたのだから。……それでも。
「……あの」
 漂う静寂を裂いたのは、オルグでも、第三者でも無く、レオナルドだった。
「……。……、……その、」
 自分から声を掛けておいて、すぐに言葉に詰まってしまう。オルグは顔ごとレオナルドの方に向けたが、じっと見つめるだけで何も言わない。先を急かされないことが返って救いとなったのか、レオナルドは小さく息を吐くと、やがてぽつりと呟いた。
「僕は……。半じゅ……ラグズ、は、……嫌……です」
 見ることも、近くにいることも、言葉を交わすことも。嫌だと言った時、オルグが僅かに耳を動かしたような気がしたけれど、確証が無いのでとりあえず放っておいた。いちばん嫌っていたものを前に、けれど今度は絶対に逃げ出さない。
 返事は無い。それで良い。独り言の方が気が楽だ。何を今更と思われているのだろうから。自業自得だと自分を戒めながら、それでもレオナルドは更に続ける。
 本当は、こんなふうに話すことすら、許しはしないと心のどこかを縛りつけていた。
「怖い……んじゃなくて。嫌い……だから……。
 だけど……あなたは、ミカヤ達を……僕のことも、助けてくれて」
 デイン解放の戦いの時、レオナルドは何度もオルグに助けられた。レオナルド自身も微力ながらオルグを助けていた、と思っていた。二つのことを思い出したとき、体が自然に動いていた。自分はオルグというひとを助けたいのだ、と。
 彼にしては珍しく、何も考えずにからだを盾にした理由は、ひとつだけだ。
 彼の親友は、言っていた。
 ほんとうは、わかってるんじゃないのか、と。
「……僕は、あなたを、仲間だって……。勝手だけど、思ってる、みたいだから。
 ……だから……その……。」
 不器用に喋り続けていた喉を止め、レオナルドはいつの間にか俯かせていた顔を上げた。多少の怯えを含んだ瞳が、真っ直ぐにオルグを見つめている。
 本当は、わかっていたのだ。ラグズを嫌い、忌み、蔑むことに、根拠が無いことくらい。そんな簡単なことは旅の経過で既に知ることが出来ていて、それでも心が拒否していた。生まれてからずっと、正しいものだと信じていたことを、突然翻すことが出来なくて。
 デインの民は皆、ラグズを認めなかった。それを覆して、どうなってしまうのかわからなかったのだ。簡潔な答えを得る為に、たくさんの言葉で傷つけた。
「……ごめん、なさい」
「……」
「……僕には普通の言葉でも、あなたには、嫌な言葉だったんですよね。
 ……本当は……まだ、何が悪いのかも、よく、わからないけど……」
 空気や水と同じ感覚で、半獣という言葉を口にしていたから。差別というのはそういうものだと、少年は未だ知らなかった。
「これからは、ちゃんと、ラグズ、って……。それから……」
 あんまり自信が無いんですけど、なんて、卑怯にも小さな声で呟きながら。
「……オルグさんのことも、他の……ラグズのことも。
 ……ラグズだっていうだけで……嫌わないように……。」
「………………レオ……ナルド?」
「!」
 ふいに聞こえた慣れない低音に、レオナルドは純粋な驚きで目を大きく見開いた。誰かが部屋に入ってきたわけではない。この声は、オルグのものだ。
 目の前で白い光がはじけて、漆黒を纏った狼の代わりに、褐色の肌の青年が現れる。閉じられていた黒い瞳がゆっくりと開かれ、そのまま真っ直ぐにレオナルドを見つめた。吐息を攫われたように動かない少年の目の前で、オルグは慣れない言葉を紡ぐ。
「……炎……。守る……て、……感謝し……する……?」
「え……。……あ! あの、僕の方こそ、このまえ……」
 聞き慣れた言語は相当片言だったが、それでも把握することだけは何とか出来た。レオナルドは慌てた様子で返事をしたが、途中で止めて、一言。
「……現代語。話せた……んですか?」
「……。……けが、」
「え? ……ッ、痛っ……?」
 オルグはレオナルドの問いかけには答えず、大きな手を頬へと伸ばした。指先が触れた瞬間走った痛みに肩を竦めたレオナルドは、顔にも火傷が出来ているらしいことにようやく気づく。顔を守るものは無いのだから、当然と言えば当然だろうが。
 それがどうかしたのだろうかと首を傾げるレオナルドの隣に座り、オルグは伸ばした手で小さな肩を軽く押さえた。そして。
「……っ!? え、……あの、なに……っ!?」
「****?」
 火傷があるらしいレオナルドの頬を、舐めた。……人の姿のままで。
 頭の中が吹っ飛んだらしいレオナルドは一瞬身体を引きかけたが、肩を押さえられていて叶わなかった。落ち着かない少年の様子をどんなふうに見て取ったのか、オルグはお構い無しに頬の痕へと舌を這わせる。子犬が人に懐くそれと同じように。
「あ、あの、オルグ、さっ……」
 そう、つまり、狼の本性を持つ青年にとってはきっと、普通の行為なのだろう。戦闘が無い時でさえ化身状態で過ごす彼なのだから、なおさら。そんなことを考えられるくらいの冷静さはあったけれど、レオナルドはそれどころでは無かった。
「……あの、……く、くすぐったくて……っ!」
 堪え切れなくなった笑いが、ようやく表情に出てきたころ、状況を打破する助け舟が、意外なところから現れた。
「ごめん、待たせた! レオ、ローラ連れてきて……」
 ローラを呼ぶためにこの場を離れていたエディが、言葉通り彼女を後ろに連れて戻ってきたのだ。
 レオナルドを呼んだ声は、彼の意思とは逆に、途中で消えてしまったのだけれど。
「え……。……あ、エディ。ごめん、あり、がと……」
 オルグの身体を押し返しながらレオナルドは答えたが、エディは扉を開けたところで固まったまま、動かなかった。
 二人きりの部屋。寝台の上に並んで腰掛けて、オルグがレオナルドの頬に唇を寄せている。普段あまり見ることの無い、青年の姿のままで。それがせめていつも通り狼の姿であったのならば、何も問題は無かったのかもしれない。しれない、けれど。
 目をまんまるに見開いて、どこか楽しそうなレオナルドを見ていたエディは。
「……。連れてきたから、ちゃんと診てもらえよ」
 なぜか一気に不機嫌になって、わざと足音をたてながら、二人の近くへ歩み寄った。寝台の上に乗り上げて、レオナルドを後ろから抱き寄せる。まるで、オルグから引き剥がすかのように。
「エディ? どうしたの、急に……」
「……オルグ。……仲が良いのは、いいんだけどさ……」
 どこか拗ねたような目で黒を見るエディ。特に動作を返さないオルグ。なぜエディの声が不穏を孕んでいるのか、レオナルドは気づかない。
「レオナルドさん。気分は悪くありませんか?」
 不自然な三人の間に割って入ったのは、ローラの穏やかな声だった。
「ローラ。ごめん、わざわざ、ありがとう」
「いいえ、わたしの役目ですから。その様子なら、ひとまず大丈夫そうですね」
 エディが現れた扉から顔を覗かせたローラは、寝台の傍らに寄せた椅子に座ると、腕に抱えていた杖と調合薬を膝の上に置いた。にこにこと笑いながら三人に一回ずつ視線を向けて、さらさらと伝えてみせる。
「エディさん、ブラッドとジルさんが、武器の補給を手伝って欲しいそうです。
 オルグさん、ミカヤさんが探しておられましたよ。お話があるみたいでした。
 レオナルドさんは、今日は何もしないで休んで下さいね。と、ノイスさんが」
 一気に喋ったローラはとどめに、だから二人ともレオナルドさんを解放してあげて下さいと言ってその場を収めた。彼が身動きが取れず困っていることを、彼女はちゃんとわかっていたらしい。伝言のこともあるし、何より手当ての邪魔になる気は無いので、エディは名残惜しそうにしながらも、きちんとレオナルドから離れた。オルグも寝台から降り、そして再び狼の本性へ化身する。
「なあ、ローラ。レオナルドの怪我って……」
「大丈夫ですよ。魔道の炎によるものですから、杖の力で治ります。
 痕の方も、これくらいなら薬を塗れば綺麗に消えるから、安心して下さい」
「そっか! ならいいんだ。じゃあ、また後でな。レオナルド」
「あ、うん……いってらっしゃい」
 ちゃんと休めよと金色の髪に触れて、エディは再びこの部屋から立ち去った。その背中を見つめて送り出したレオナルドに、ローラが、本当に仲が良いんですねと笑って言った。
 そんな二人をしばらく見ていたオルグが、やがてゆっくりと歩き出す。彼にもまた、行くところが出来たから。
「オルグさん」
 特に大きな怪我も見当たらない、自分とは全く違う姿の彼は、レオナルドの声に一度立ち止まった。返事の代わりに揺れた尻尾に気を取られながら、レオナルドは微笑みかける。
「無事で、良かったです。……また、後で」
「……**」
 今度は言葉で返事をして、オルグはそのまま部屋を去った。やわらかな視線がそれを見送って、その後、照れくさそうに伏せられる。
「わたしも、治療をはじめていいですか?」
「あ、うん、お願い。ありがとう。……あの、ローラ」
「はい。何でしょう」
 調合薬のガラス瓶を開けると、鼻を突くにおいが辺りに立ち込めた。良薬は何とかと言うけれど、未だに慣れることは無い。こんなものは戦の中に身を置いていなければ、使う機会など訪れないものだから。
「ローラは……大丈夫、なのか?」
「ええ。だってオルグさんは、とても優しくて、いいひとですもの」
 半獣という言葉が憑いて回って、ずいぶんと遠回りになっていた。呪いのようだと思いついてから、すぐに違うとわかって否定した。やっぱり、一方的に嫌っていたのは自分の方なのだから、これは自分の間違い以外のなにものでも無い。
 全てを同じように見れるようになるとは思えない。それでもできればそうなりたいと願う自分に驚いて、レオナルドは微笑んだ。
「うん。……良かった」
「ええ。良かったです」
 外は茜が下りて、空がやわらかな緋色の光に満ちていた。
 この先彼らに訪れる運命を、この時の彼らが知るわけはないけれど。

 戦場となった河の面は今もまったく変わりなく、宝石のように輝いていた。

-END-

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(07,04,08)
すごく省いていてすみません。お付き合い頂いて、ありがとうございました。

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