初めて食べた雪見鍋は美味しかった。大根おろしのおかげで、肉や魚もさっぱりといくらでも食べられる。
……という理由をいちいちつけなくても、獄寺くんは体格に比例してよく食べるし、山本はそれ以上に体格いい上にスポーツ選手だからすごくよく食べるし、骸は割と細身だけどどこに入るんだってくらいよく食べるし、ハルは女の子にしては結構食べる方だし、オレは平均よりちょこっと小柄かなってくらいの体格(と、いうことにしといて欲しい)だけどそれなりに食べるし、日付も変わろうかという頃には、あれだけ大量に用意した具材もあらかた食べ尽くされていた。
この中で小食なのはクロームくらいだろうか。しかしクロームの場合、食べたら食べたでどうなるか分からないというか、いや、骸の幻覚は完全に機能してるって分かってるんだけど、でも心情的にハラハラするというか、とにかくクロームに限っては、あまり食べなくても特に心配はしていない。食べることに興味がないというわけではないみたいだし。本人は隠してるようだけど、コンビニデザートの新作は必ずチェックしているということを、オレと骸は知っているのだ。
そろそろ尽きかけているのは鍋だけではなく、ビールもそうだ。テーブルや床には空き缶が散乱し、酔い潰れた獄寺くんが伸びている。ハルとクロームは、まだ獄寺くんや山本の意識が多少残っている内に客室に運ばれた。一応布団はかけておいたが、後は風邪をひかないよう遠くから祈るしかない。
で、残った山本と骸とオレはと言うと、
「でさ、この前ヒバリから来たメールにさぁ」
「ちょっ、あの人メールなんかすんの? すげぇ、今度メアド教えてもらお」
「なに言ってんですか、僕と恭弥くんは結構前からメル友ですよ」
「うわ、こえー。骸とヒバリのメールとかって超こえぇー、超見てぇー」
「こないだは『ホワイトソースってどうやって作るの?』というメールが来たので、『豆乳に片栗粉を入れて30分ほど弱火で煮詰めるんですよ(^ー^)』って返したら、一時間後にすごい勢いで電話がかかってきました」
「その話、まずなんでヒバリさんがホワイトソースの作り方を聞いてきたのかっていうところから検証すべきだよね」
「やっぱ自分で作ったんかな。豆乳買ってきて」
「いやぁ、僕もまさか本当に実行するとは」
「つーかなんでオレはアドレス教えてもらってないわけ? 仲間はずれ? 酷くねぇ?」
……と、いうようなくだらない会話を延々続けている。正確に言えば、上記の会話の合間合間に『うひゃひゃひゃひゃ』みたいな笑い声を挟み、無駄にテンションが高く、もうちょっと呂律が回ってない感じの会話だ。
つまり正しくはこうなる。
「でっさー、うはは、このまえひばりから、きた、めーるにさー」
「あっはっは、ちょっ、あのふぃとめーるなんかすんのー? ぶふっ」
これ以上ないくらい酔っ払いの会話である。
酒に強い山本がこれだけ酔っているのも珍しい。オレの方も、ここまで酔うのは珍しい。オレは飲めないわけじゃないが弱い。周りのみんなもそれを知ってるから、無理に勧めてはこない。オレ自身もあんまり飲んだりしない。だから、気持ちよくホロ酔い状態を持続して、ベロベロに酔っ払って潰れたりするようなことはない。というわけで、まだ自覚しているだけの理性があるとは言え、ここまで飲んだのは久しぶりだ。やはりチビ共がいないせいだろうか。アイツらがいるときは、オレが面倒みなくちゃいけないから酔えない、という無意識のストッパーがあるのかもしれない。この若さでそれってかなり嫌だけど。
骸は、山本と同じく元々かなりいけるクチだ。しかも、何杯勧められようが何を持ってこられようが、我関せずを貫き通してマイペースに飲む。しかも、自分で自分の限界量が分かっているのだろう、ベロンベロンに酔っ払ったところは見たことがない。今も、オレと山本がものすごいハイテンションで飲んでいる隣でも、頬に少し朱が差してるくらいで、特に酔っ払っているようには見受けられない。オレの三倍は飲んでるのにすごいもんだ。というかやっぱりヤな奴だ。
ただ、そこまで酔ってないにも関わらず、超絶酔っ払いなオレと山本の会話について来れるあたり、普段から素で酔ってるだけかもしれない。
「……そろそろですか」
そんな骸が、残り三本となった缶ビールの内一本のプルタブを開けながら、小さく呟いた。サキイカを食いちぎりながら、何が?と聞こうとした矢先、
「あ、オレ限界っぽい」
と、突然山本が崩れ落ちた。コタツの天板の縁に頭をぶつけたすごい音がしたが、そのままずるずるとコタツの向こう側に消えていく。
「やまもとー?」
呼びかけても、返ってくるのは静かな寝息だけだ。
「相変わらず武くんの潰れ方は唐突ですねぇ」
「これで朝起きたらケロッとしてるんだからすごいよなぁ」
こうして、生き残りはオレと骸の二人だけになった。
骸は、飲んでいるのが特売で一本138円のビール(正確に言うと発泡酒)とは思えないほど優雅な手つきで缶を傾け、オレはそろそろ味のしなくなってきたサキイカを未だくちくちと噛み続けている。のぼせそうなほど熱気のこもった部屋の中を、暫し沈黙が支配した。
だからと言って、居心地が悪いわけではない。この生活が始まって、もう半年以上経つ。骸は、立て板に水ってこういうことかと感心するくらいベラベラ喋り続けることもあれば、今みたいに、実は寝てるんじゃってくらい黙り込むこともある。後者の場合、ただ静かなだけでなく、その雰囲気までもが黙り込んでいるのだ。
ああ、なんだか変な表現だな。何て言えばいいんだろう。普段の骸は、あまりにも常人とは違う特殊な空気をまとっている。それは、リボーン言うところのオレの超直感によって感じるものなのかもしれないが、とにかく異彩を放っているのだ。かと思えば、その存在感が極端に希薄になり、場に溶け込んでしまう。まるで骸が空気になり、周囲の大気に拡散していくように。こんな奴と二人っきりになって、不覚にも居心地悪いどころか居心地いいとか思ってしまうのは、そのせいだろう。
思えば、実体の掴めない霧の守護者、とはよく言ったものだ。骸のために作られたポジションなんじゃ、という気さえする。
骸の体を取り返したのは確かで、しかもそれをしたのはオレ本人なのに、未だに骸の本体はあの冷たい牢獄の中に繋がれているような感覚がある。それはやはり、骸の圧倒的なのに消えてしまいそうな存在感のせいなのだろう。今はボンゴレに所属し、オレに従っている骸。けれど、いつ目の前からいなくなってもおかしくない。骸は、本人がそうと思えば今すぐにでも、軽々とそれを実行してしまう奴である。
オレと骸を繋いでいるのは、他人が聞けば、いや、言った本人のオレでさえも、冗談にしか聞こえないあの約束だけだ。
たとえば、たとえば犬と千種はどうなのだろう。あの二人と骸の間には、オレはもちろん、クロームでさえも割り込めない確固たる絆がある。それでもやっぱり、骸に対して、こんな不安定な印象を抱いているのだろうか。
「……犬と千種も呼べばよかったね」
「嫌です」
試しに言ってみれば、即座に拒絶された。オレの台詞の途中にかぶるくらいに素早い拒絶だった。
骸は、どうもあの二人をボンゴレから遠ざけておきたいらしい。仕事には同行させているが、あくまで関係はビジネスライクなものにとどめたいようで、オレや、オレの友達との接触を好まない。好まないというか、極端に嫌う。それはもう面白いくらいに嫌がる。数少ない骸の弱点ということで、それをネタにからかうこともあるくらいだ。ただ、やり過ぎると本気で怒るので、ほどほどが肝心である。骸が本気で怒ると、表情が一切消えて能面のような顔になる。それでいて目は『この下等生物が』『お前なんか存在意味ゼロなんだよ』『今すぐ腹掻っ捌いて死ね』みたいなものすごい見下し視線で、非常に怖い。実はオレと千種は今日の骸様情報をメールでやり取りする仲、という事実を知られたらどんなことになるか、想像だに恐ろしい。大事にしてる、というよりは、過保護のような気がする。
そんな風に過剰に保護されているあの二人は、骸のことを心から慕い、信頼し、全部を預けている。しかしそれは、自分がどんな扱いをされたとしても、それが骸の望むことなら全てを受け入れる、という信頼の仕方でって、あの二人が骸へと向ける気持ち自体は、とても一方向的なものだ。そこに、骸へと何かを望む気持ち――骸の存在を捕まえておこうという願望はないらしい。骸が望むなら(あくまで、骸本人が望んでいる、というのが絶対条件だが)、切り捨てられることも、一分の迷いもなく受け入れるのだろう。
オレは嫌だ。
オレは、骸にここにいて欲しい。
だから周囲の反対を押し切って、復讐者の牢獄なんて恐ろしい場所にも行ったのだ。
今だって、骸がオレと出会う前にやったことは取り返しがつかない酷いことだと思ってるし、オレの目の前でやったことを今やられたら、やっぱり許せないと思う。それなのに、オレは骸を許している。いや、許してはいない。でも許している……。
今思えば、こんな不安定な気持ちで、よくも骸の本体奪還なんてことを決意したもんだ。騒動へ参入するきっかけは常に『周囲に流されて』だったオレが、オレ自身の決断によって首を突っ込んだ戦いなんて、これくらいじゃないだろうか。必然性もない逼迫姓もないオレの我が侭にみんなを巻き込んだことは、今でも心苦しい。ただ、オレは本当に一人で決着つけるつもりだったのだ。
「君がいくらそう思っていても、周りがそれを許すはずがないでしょう」
その通りである。結局オレはみんなに協力してもらい、骸の体を取り戻した。
「最初から分かりきっていたことじゃないですか。君が何かを為すと言えば、彼らは君に従う。それはもはや機械的と言っていいほどオートマチックな流れであり、例外はない。君はそれを知っていて利用したんだ」
そうなのかな。そうなのかもしれない。いくら決意したところで、オレ一人ではどう考えても無理だったんだし。
これはもうギャグの域なんじゃないかっていうくらいあり得ないトラップとか、オレだけなら間違いなく入り口に辿り着く前に死んでる。中に入っても、いい加減人間離れした奴には慣れてたはずなのにそれでも信じられないくらい強かった牢番たちとか、オレだけなら最初の一人で死んでる。
そして、骸の元に辿り着いたら着いたで、そこにいた最後の一人が最凶最悪だった。
「ああ、あのときは僕も必死でしたからねぇ」
うん、オレも必死だった。必死でありながら、頭の上に盛大に疑問符を浮かべながら戦っていた。
なんでオレは、助けにきたはずの骸と戦っているのかという、全く以てもっともな疑問。
「だって僕が助けて欲しいって頼んだわけじゃないですし」
子供かお前は。ああ、でも、骸は実際、誰よりも長く生きているはずなのに、変なところでものすごく子供だ。長く生きすぎて一回りしちゃってるのかもしれない。人間、年取ったら子供に戻るとか言うし。
「褒められてるのか貶されてるのか微妙ですね」
いや、褒めてるわけでも貶してるわけでもないから。純粋に、骸を見てて思うだけ。
「そうですか、僕、子供っぽいですか」
うん。いや、子供っぽいっていうか、子供。じーさんだけど子供。
「おじいさんっていうのは明らかに貶してますよね?」
別にそんなつもりじゃないって。
っていうか、あれ、オレ、誰と喋ってんだ?
「綱吉くんも、そろそろですねぇ」
全部、頭の中で考えてるだけ、のはず、なん、だけ、ど――――……。

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