そんなわけで結局クロームはオレの隣に住むことになり、オレが一人暮らしをするための条件は一つ満たされた。そして、更にもう一つの条件が問題となる。
「はひ! こんなに大量の大根おろし、どうするんですか?」
台所からハルの驚いた声がした。大量の大根おろし? 鍋だよな? 天ぷらじゃないよな?
「雪見鍋にしようと思いまして」
「ゆきみなべ?」
「おや、ご存知ありませんか? では出来上がったときのお楽しみにしておきましょう」
雪見鍋なんてオレも知らない。リビングから台所を覗くと、大根おろしがいっぱいに入ったボウルを抱えたハルの横で、骸が更にがしがしと大根をおろしていた。
「あ、ツナさん」
「皿とか運ぼうと思って……」
骸が、エプロンつけて、台所で、大根を握っている。いい加減慣れたはずなんだけど、やっぱり時々目眩がしそうになる光景だ。
「あ、お皿ならハルが運びます」
「運ばせればいいんですよ、ハルさん。全く手伝っていないんですからね。それくらい役に立ってもらわなければ、綱吉くんの晩ご飯はこれになります」
働かざるもの食うべからずです、と言いながら、骸は大根の尻尾をつまんで目の前で振ってみせた。多分ハルが抱えている分の大根おろしの残りだろう。
「お前が台所に入れてくれないんじゃん」
「入ってもろくに料理できないでしょう」
「そりゃお前に比べればな」
骸は料理が上手い。たいていなんでも作れるし、しかもものすごく美味しい。以前、どうしてそんなに料理が上手いのかと聞いてみたら、そりゃ永く生きてますからね、という非常にコメントし辛い答えが返ってきた。更に、『餓鬼道のスキルを使えば、もっとすごいものも作れますよ』とか言われたけど、今のところ遠慮している。満漢全席とか出てきても困るし。
リビングの机の上には、ボウルやバットに、大量の白菜やらネギやら豆腐やらしらたきやらしいたけやら、鍋の具が切り分けられて並べられていた。タンパク質は、鶏肉・豚肉・つみれ団子・タラ・エビ。ものすごくまとまりのない鍋だが、それはオレたちのリクエストのせいである。とにかく肉を入れろ、いや魚の方が、いっそのことしゃぶしゃぶにしねぇ?というバラバラの意見のどれかを選ぶことは放棄し、とりあえず全部入れときゃいいだろうという結論に至ったらしい。まぁ骸の作る物なら、味は大丈夫だろう。
「これ、もう全部運んでいいの?」
「いいですよ。あ、取り皿はそこの戸棚の上から二番目の緑の皿ですからね」
ここはオレの家のはずなのに、こと台所に関しては、骸の方が詳しい。ちなみに、次点クローム、次々点獄寺くんだ。正直甘やかされてるとは思う。右隣に獄寺くん、左隣には骸とクローム、そして三人ともオレの家に入り浸っていて、みんながみんな、(程度や種類に違いはあれども)オレの世話を焼くという、人によっては羨ましい環境なんだろうな、これは。
骸が隣に住む、というのも、オレが一人暮らしをするための条件の一つだ。というか、とりあえず手の空いてる守護者をオレの周りに固めとけってことなんだと思う。多分隣に住むとかは結構どうでもいいんだろう。条件が適いさえしていれば、山本とかヒバリさんもこのマンションに住むことになっていたに違いない。
骸とものすごく近距離で生活するということには、最初は非常に抵抗があった。骸が嫌というわけではなくて、骸の私生活が想像できなかったからである。普通の生活がしたかったオレとしては、こんな変な奴とノーマルな生活送れるはずがない!と思っていたのである。が、実際暮らしてみると、コイツ、意外と普通の生活をしていた。いや、普通と言うとちょっと違うかもしれない。骸は毎日、オレを起こし、オレの朝ご飯を作り、オレたちが出かけた後は掃除と洗濯をし、帰ったら晩ご飯を用意している。丸っきり主夫である。どっちかというとお母さんか。多分オレたちが見ていないところで、マフィア関係の仕事もしてるんだろうけど、オレにとっては守護者というよりは家政婦さんの仕事を、文句一つ言わず日々完璧にこなしている。いや、文句は言ってなくても、オレはちょくちょくイジめられてるけどな。
思えば、リボーンにいきなり『お前ツナの隣に住んで面倒みろ』と言われたときも、骸は何も反論せず、ただひとこと『はい』と言っただけだった。あれだけ嫌っているはずのマフィアの仕事もしている(これは多分だけど)。ああ、それを言ったら、あのリングを賭けた戦いからこっち、何年もオレの守護者なんて役割に甘んじていることからしておかしいのか。
骸がそうやってボンゴレに従っている理由は、ボンゴレが六道骸を監視するという条件で、復讐者から骸の体を取り戻したからだ。表向き、ボンゴレと復讐者が取引した、ということになっているが、実際は割と力尽くで奪い取ったというのが正しい。うん、あの時は周りに多大な迷惑をかけてしまい、事後処理で飛び回る父さんやバジルくんには土下座して謝った。リボーンには半殺しを通り越して3/4殺しにされた。本気で反省している。
しかし、実際はどうあれ、ボンゴレに監督される代わりに肉体の自由を許されている骸は、 ボンゴレに逆らうことができない。逆らえば、復讐者はもちろん、他マフィアからも追われることになる。当然、骸本人だけでなく、犬と千種も。これが、骸がボンゴレに従っている理由…………ああ、いや、いいや、オレは知っている。それだけが理由じゃないことを。もちろん、ボンゴレと復讐者の取り決めも大きな理由であるには違いない。けれど、骸が本気で逃げようと思えば、もしくは全面戦争しようと思えば、ボンゴレや復讐者を相手に回しても、決して引けを取らないに違いない。もしそうなったとしても、ボンゴレの方が嫌がる。大量の犠牲者が出ることが分かっているからだ。このように、ボンゴレと六道骸の関係は非常にアンバランスなバランスで成り立っている。つくづく、そんな奴を守護者にすんなよと思う。
話を戻そう。骸がボンゴレに従う理由、それはもちろん、オレの体を乗っ取るため……でもない。本人はことあるごとに口にしているが、もはや誰も本気にしていない。獄寺くんでさえ反応しないんだから 相当だ。フゥ太に言わせれば『さすがボンゴレファミリーツンデレランキング第一位だよね』ということらしい。ツンデレとかいうのはよく分からないけど、まぁ骸との一件が深刻なトラウマになってなさそうなのは良かった。
骸が、ボンゴレに……いや、はっきり言ってしまおう。骸が、オレに従う理由。それは……、
「ん?」
しいたけやしめじが山盛りになっているボウルの中に、見慣れないきのこを見つけて目が止まった。
「これ、もしかして松茸?」
「そうですよ。一本だけですけど」
大根をおろしながら、骸がさらりと答える。確かに、薄く切ってあるのに量は少ない。
「みんな金無いんだから、そんなに奮発しなくていいのに」
「いえ、これ貰い物ですから」
「貰い物? 誰から?」
「奈々さんから」
「へぇ、母さんから……って、母さん!?」
「ええ、10月くらいでしたか、奈々さんもどなたかから貰ったらしくて、お裾分けして頂きました」
「へー。でもたった一本かぁ」
いつの間に母さんと骸が松茸のお裾分けするような仲になったんだ。いや、深く考えるとなんだか怖いことになる気がする。リボーン経由だと思っておこう。
「お雑煮のときに入れようと思って、残った一本を冷凍してたんですけど、せっかくみんな集まるんだからと思いまして。他は全部僕らで食べてしまいましたからね」
「僕ら? なんだよ、お前とクロームだけで食べちゃったの?」
「何言ってるんですか、綱吉くんも食べたでしょう」
「へ?」
この秋に松茸食べた覚えなんかないぞ? 住んでるところは高級だが、オレ個人の経済状況は、雀の涙ほどの仕送りと、獄寺くんや骸たちの反対を押し切ってやっている喫茶店のバイトで、なんとかギリギリやりくりしているレベルなのだ。松茸なんて高級食材が出てきたら、日記に書き留めるくらいの一大事である。……あー、その、正直に言うと、生活費のやりくりは骸がやってくれてるんだけど。すみません、甘ったれてます。
違う、今は松茸の話だ。
「松茸なんて食べてないけど」
「失礼な人ですね、色々作ってあげたでしょう」
「え〜……?」
記憶をさかのぼってみるが、松茸ご飯も、お吸い物も、土瓶蒸しも、焼き物も天ぷらも、まったく覚えがない。
「何作ってくれたっけ?」
大根を一本おろし終えた骸は、その大量の大根おろしをザルにあけた。……今夜は鍋なんだよな? リボーン提案ボンゴリアン大根おろし一気食い大会とかじゃないよな?
「ほら、パスタとか、ピザとか、グラタンとか、リゾットとか」
「……そう言えば秋頃やたらキノコたっぷりのイタリアンが続いたときがあったけどまさかアレの中に松茸が」
「入ってました」
そう言って、骸は可愛らしく小首を傾げた。全然可愛くないけどな! なにその満面の笑み!
「だってアレ、すげーいっぱいキノコ入ってたじゃん! しかも細かく刻まれて! キノコのパスタっていうかパスタinキノコみたいになってたじゃん!」
「そうですね〜、しいたけしめじにえのきに舞茸、マッシュルーム、エリンギ、平茸、なめこ、ササクレヒトヨタケ」
「ちょ……っ、最後のなに!? 毒キノコじゃないよな!?」
「クフフ」
「いや、オレが今無事ってことは食用だったんだ! 食用だったんだよお願いします! てか松茸! あんな混沌としたキノコの集合体の中に混ぜてあったら松茸なんて分かるわけないじゃん!」
絶対わざとだ。それと知らせずに松茸を混ぜておいて、数ヶ月後に『実はあれ松茸入ってたんですよ』とバラして『いつの話だよ!?』と悔しがるオレ(まさに今の状況だ!)を見るためだけにわざとやったんだ。
「分からなかったのは綱吉くんだけじゃないですか? クロームは分かりましたよね?」
コンロのセットが終わったのか、クロームも台所に戻っていた。気が付けばハルがいない。白菜とネギの入ったバットが消えているから、和室に運んでいるんだろう。言外に、オレと骸の馬鹿話に付き合ってられないとか言われてるような気がしたりしなかったり、うわ、ハルにまでそう思われてたらマジへこむなー。
「松茸……?」
急にはなしを振られて、クロームが小首を傾げた。同じ仕草でも、骸とは雲泥の差である。
「あんな刻んだキノコだらけの中に松茸入ってても気付かないよね?」
「なに言ってるんですか、松茸ですよ? 分かりましたよねぇ?」
左右から言われて、クロームはちょっとびっくりしたように一つ瞬きをした。それから骸を見て、次にオレを見て、最後にもう一度ゆっくりと骸を見た。
「分かりました」
「それ絶対ウソだろー! ヒイキだ!」
「クフフフフ」
くそう、クロームがオレと骸のどちらの言うことを聞くかなんて、獄寺くんがオレと骸のどちらの言うことを聞くかくらい明白な問題じゃないか。
「大体、イタリア料理の濃い味付けの料理に松茸って、松茸がもったいないだろ!?」
「そうは言いますけどね、綱吉くん」
ふう、と一つ息をついて、骸はエプロンをはずした。準備は全て終わったらしい。
「君、エリンギとかをそれっぽく切って炊き込みご飯を作って、『これ松茸ご飯です』って出したら、『わー松茸だー』って喜びますよ、絶対」
「う……っ」
否定できない。オレは庶民なので舌も庶民なのだ。山本みたいに野球に出会わなかったら天才寿司職人になっていたという繊細な舌は持っていないし、獄寺くんみたいにトマトが一種類しか置いてないと言って八百屋さんと喧嘩するほど故郷の味に思い入れがあるわけでもないし、リボーンみたいにコーヒーはこれ、チーズはこれ、みたいに自分だけのこだわりがあるわけでもないし、骸みたいに『美食というのは突き詰めれば一種の哲学なんですよ』とかわけの分からんことをうそぶくほど舌が肥えてるわけじゃないのである。
「まぁいいじゃないですか、今日味わって食べればいいんですよ」
そう言って、骸はキノコが山になっているボウルを手にした。量は少ないが、今日の松茸は、目で見てはっきりと松茸と分かるほどの大きさを残している。やっぱり季節のものはちゃんと食べないとな。日本人だしな。季節のものとか言いつつ、もう冬だけど。いやでも今度こそ味わってみせる!
そう松茸様に向かって心の中でひそかに決意したオレだったのだが、台所から出てきた骸がすれ違い様、なんだか不安になるようなことをポツリと言った。
「雪見鍋だから、必ずしも絶対食べられるとは限らないんですけどね」
え……、雪見鍋って、なに?

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