とりあえず、今夜集まる奴らの話をしよう。
オレは相変わらず、しんどいことも痛いことも嫌で、こんな寒い日には大学をサボって一日中コタツと仲良くしているのが好きで、毎日が何事もなく平穏に過ぎてくれればいい、そうであれば刺激なんかなくてもいい、退屈なくらいがちょうどいいんだ、と祈っているごくごく普通の小市民だから、オレの話なんかしてもつまらない。みんなの話をしよう。
高校進学のとき、全国の強豪校から引く手数多だったにも関わらず、『野球はどこでもできるけど、お前らはここにしかいねぇもんな』と笑って並盛高に進んだ山本は、今はさすがにオレとは違う大学に通っている。当然スポーツ推薦で、夏頃には早々に内定をゲットしていた。家庭教師による受験勉強地獄に苦しんでいたオレは、親友を誇らしく思うと共に、思わず呪いたくなるくらいうらやましかったことを、今でも昨日のことのように覚えている。
山本には、プロに進むという選択肢もあった。実際、複数の球団から、スカウトの接触があった。並高野球部は、決して弱いわけではないが強いわけでもなく、山本がいた代でも、地方予選準決勝敗退が最高の成績である。だから、甲子園に出場したわけじゃないのにプロからスカウトが来る山本ってすげー!とオレは感動したんだけど、山本いわく、球団のスカウトは全国を飛び回ってて、甲子園に出場していない選手のチェックだって当たり前なんだそうだ。特に投手の場合、甲子園の過酷な環境と試合スケジュールで肩を壊してしまう選手も多く、むしろ有望な投手は甲子園に出場しない方がありがたいらしい。が、どちらにしろ、並の選手がプロにスカウトされることなんかない。やっぱり山本はすごいのだ。
ところが山本はそれを断った。学校とか球団には、もっと体を作ってからとか色々理由をつけてたけど、オレたちには笑顔でこう言った。
『さすがにプロになっちまうと、お前らとのマフィアごっこがし辛くなるからなー。それはもうちょっと先でいいよ』
――――あの時ほど、山本って実は全部分かってるんじゃ、と思ったことはない。
そんなわけで違う大学に通って、そこの野球部でも一回生なのにレギュラーとか取っちゃってて、相変わらずすごい山本なのだが、中高時代とあまり変わらない頻度でちょくちょくオレの家に遊びに来ている。よくそんな時間が取れるなぁとは思うんだけど、オレとしては嬉しいので全然構わない。さっきも、『今日鍋するんだけど』とメールしたら、『じゃあビール買ってくなー』と返ってきたところだ。一応うちにもストックはあるんだけど、絶対足りなくなることが分かっているので頼んでおいた。このメンバーで、最初から酒ありで明日休みとなったら、一晩中騒ぐことになるのは間違いない。
もっといくらでも上のレベルの大学が狙えるんだからと先生が泣いて頭を下げたにも関わらず、頑として譲らずオレと同じ大学への進学を決めた獄寺くんは、今ではオレの部屋の隣に住んでいる。
大学とうちは、電車で一時間という、自宅から通うのはちょっとめんどい、でも一人暮らしするほどでもなぁ、という半端な距離にあったのだが、リボーンの勧めもあり、オレは見事一人暮らしを勝ち取った。家事とかは面倒だけど、やっぱり一度くらい一人暮らしをしてみたい。その条件の一つが、ボンゴレの息がかかった防犯対策ばっちりの、学生にはちょっと分不相応じゃないか?という高級マンションに住むことでも、背に腹は変えられない。男の子ですから! それに、この何年かでオレにも意識の変化があって、というか状況の変化によってさすがに意識も変化せざるを得なくなって、まぁその方が安全でいいよね、くらいには思っている。非常に不本意ではあるんだけど。オレ、下手したら本気で死ぬ可能性がある日常ってやつに、いつからこんなに慣れてしまったんだろうなぁ。
獄寺くんが住んでいるのは、俺が一人暮らしをしている部屋の右隣で、これもオレが一人暮らしをしてもいい条件の一つだった。冷静になって考えるまでもなく、オレの個人的な事情で友達の住むところを強制的に決定するって、ものすごくおかしいことのはずなんだけど、誰もそんなことは言わなかった。オレ自身も、大学でできた友人に『え、沢田と獄寺って家まで隣なの? マジで?』と、心の底から呆れた顔をされるまで、疑問に思わなかったくらいだ。だって獄寺くんだからなぁ。12歳の頃から足掛け7年一緒にいるのだ。オレと獄寺くんの関係は、たとえ周りからどれだけ変に思われても、これがスタンダードなのである。いつもつるんでる連中もこれが普通だと思ってるから、いきなり獄寺くんが『今日から10代目のことツナって呼ぶな!』とか言い出したら、恐慌状態に陥ると思う。
だから、獄寺くんが隣に住むことは、別にリボーンが言い出すまでもなく、オレも獄寺くんも、周りのみんなも折り込み済みの既定事項だった。もちろん、四六時中オレの部屋に入り浸ることになるっていうところまで含めて。
ただし、今はいない。何故なら、ポン酢を買いに近所のスーパーまでおつかいに行っているからだ。やっぱり鍋にはポン酢がないと始まらない。キムチチゲとかちゃんことか味噌鍋とか、別にポン酢がなくてもできますよ?と言われたけど、オレは今、ポン酢で食べるシンプルな鍋が食いたい気分なのです。もちろん、オレが買いに行くつもりでのわがままだったんだけど、ついでにタバコも買いたいんでオレ行ってきますよー、という獄寺くんの言葉に押し切られてしまった。完全に定着してしまったオレと獄寺くんの関係だが、こういう部分だけは、いい加減そろそろ変化が欲しいところである。
チャイムの甲高い音と共に玄関の開く音がした。チャイムの意味、無し。せっかちというか猪突猛進というか、周りのことを気にしないというか、オレん家に来る奴は割とみんなそうだ。付き合い長いから遠慮もない。さて誰だろうと思ったら、「ツナさん、こんにちはー!」といういつも通りテンションの高い挨拶が聞こえた。ためらいなく、玄関右手にあるこの和室の襖が開かれる。
「よぉ、ハル」
「お久しぶりです、ツナさん! お招きありがとうございます!」
「いや、ただの鍋だけどな。っていうか前会ったのたったの三日前なんだけどな」
ハルがうちに遊びに来るのもいつものことなので、コタツにべったりひっついたまま、顔だけ上げて挨拶する。
「お土産にアイス買ってきたんで、冷蔵庫お借りしますね」
「お、サンキュー」
「あったかいからすぐ溶けちゃいそうです!」
手に持っていたコンビニのビニール袋を掲げて、ハルは落ち着きなく廊下へと飛び出した。いくらこの中が暖かいからって、そんなにすぐには溶けないと思う。が、慌てん坊のハルには言うだけ無駄だろう。外見はすっかり大人っぽくなったのに、相変わらず中身は変わらない。
ハルは、緑中からそのままエスカレーター式に緑高に進んだけど、大学は外部受験で別の大学を受けた。オレの通う、偏差値も規模も歴史も特筆するところがない中堅大学ではなく、名前を聞いたら誰もがへぇという伝統校である。
高校に進学するときもそうだけど、実はちょっとだけ意外に思った。もしかしたら、ハルはオレと同じ学校を受けるんじゃないかなと心のどこかで考えてたから。オレがハルにそこまで好かれていると自惚れているわけではなくて、ハルは何か一つのことに集中したら周りが見えなくなるタイプだし、いつも突拍子もないことを思い付くし、何でそんなことで!?というどうでもいい理由で重大なことを決めたりするし、もしかしたら並高に、もしくは今オレの通う大学に行くんじゃないかと思ったのだ。
でもハルはそうしなかった。いつも『ツナさんと同じ学校だったらいいのにな!』と言っている割に、ちゃんと将来のことを考えて、ちゃんと自分のためになる道を選んでいる。そういう、自分というものをしっかり持っている子だからこそ、オレみたいなダメな奴を好きになれる余裕みたいなもんがあるんじゃないかな……っていうのは卑屈になりすぎか。多分ハルに言ったら馬鹿にするなって怒られるな。
静かに襖が開いたので顔を上げてみると、そこに立っていたのはクロームだった。手には卓上コンロを持っている。
「あ、もう準備すんの?」
「隼人もそろそろ帰ってくるだろうから」
五分前、山本から今駅についたっていうメールが来たから、時間的にはちょうどいいだろう。そしてクロームがコンロの準備をし始めたということは、鍋の具材の準備はできたということだ。調理中に台所に立ち入るといい顔されないので、一人コタツと仲良くしていたが、皿を運ぶくらいは手伝わないと、それはそれで後で何を言われるか分からない。
コタツの真ん中にコンロをセットするクロームを残して、オレは和室を出た。廊下も含めた全室床暖房完備の部屋は、24時間いつでも暖かい。しかし、コタツにこもってのぼせ気味だった体に、廊下の空気は少しだけ冷たかった。
オレが一人暮らしを許された条件は、このマンションに住むことと、獄寺くんが隣の部屋に住むこと以外にもいくつかあった。その一つが、クロームが隣に住むことである。獄寺くんとは反対の左隣の部屋だ。獄寺くんが隣に住むことになんの疑問も抱かなかったオレだが、クロームが隣に住むという条件を出されたとき、オレは非常に複雑な思いを抱いた。より一層クロームをこちらの世界へ引きずってしまうと後ろめたく思う反面、単純に彼女との距離感が近くなることを期待したのだ。
多分、オレが彼女に抱いているのは、同情なんだと思う。クロームが何故オレの守護者なんかになったのか、一応の理由は聞いている。でも、オレに彼女の心情はほとんど理解できない。だって、アウトラインだけなぞれば、命の恩人の力になりたい、というシンプルな理由のはずなのに、多分それは違うからだ。もちろん、それだって嘘ではないと思う。けど、多分彼女が生きている理由は、恩返しとかそんなんじゃなく、神様を信仰するのと同じ気持ちに根ざしているんだと思う。そこに論理的な理由なんてない。そんな気持ち、オレは理解できない。理解できないから、同情するしかない。失礼な話だ。自分でもよく分かってる。
オレはクロームに同情しているから、クロームには幸せになってほしい。距離感が縮まれば、もっと楽しいことを見せてあげることができる。オレ一人じゃ無理だろうけど、オレの友達はみんないい奴ばっかりだ。そういう意味では、彼女が隣に住むことは良いことだ。
けれど、駄目だな、と思うこともある。彼女は世間的にはもう死んだことになっているから、大学に通ったりはしていない。でも、時折勝手に学校に来ては、勝手に講義を受け、結構楽しそうに学生生活の真似事をしている。そこで友達を作ろうとはしないが、ハルや京子ちゃんとは仲良しだし、この間もビアンキと買い物に行っていた。そういう様子を見ていると、クロームは一般社会に帰してあげた方がいいんじゃないかという気持ちになる。守護者とかやめて、戦うこともなく、ハルみたいに、事情は知ってるけど普通の友達。そういう関係になった方がいいんじゃないだろうか。
『クロームは、ちょっと人付き合いが苦手で不器用なだけの普通の少女、なんて思っているなら、それは間違っていますよ。表面上普通に見えても、彼女の立つ場所は世界からずれている。絶対的に、僕サイドの人間です』とかなんとか言われたことがあるけど、オレにはよく分からない。だから、オレの隣に住んで、オレの守護者という役割をがっちりと固めてしまうのには、どうしても躊躇がある。
が、まぁ、とりあえず日々は楽しく過ぎていっている。獄寺くんに負けず劣らずうちに入り浸っている辺り、クロームもこの生活を気に入ってるっぽいし。はいはい、どうせオレは、なぁなぁという言葉が大好きな、典型的な日和見主義の日本人ですよ。
→2