葦浦迷宮案内  01














この間誕生日を迎えたばかりの新米刑事だ。
新米といっても、もうこの青梅署の刑事課に配属されてからもう一年近くが経とうとしている。
大した凶悪な事件はないが、かの熱血刑事が言ったように「事件に大きいも小さいも無い」わけで、
小さな事件が起こるたびに緊張の連続だった。


そしてそんな毎日を積み重ね、やっと獲得した有給休暇。
本日から3日間消化することになった。





有給を使う、もちろん旅行だ。





「やっほーい」




いつもよりテンション3割り増しのは、目的地の駅に到着するなりに旅行バックを
振り上げながら階段を下りた。


ここは山梨の甲府から電車でさらに内陸に進んだ明野駅である。
が取った宿はここから町を外れて山一つ向うの雲泥岳の中腹にある。
そんな交通の便の悪い宿に訪れるのは、野鳥観察だったり登山目的の客であるのだが、
仕事柄たまには人から離れたい、とはこの静かな宿を選んだのだ。




プップー




ふいにクラクションが鳴り、それが自分に向けて鳴らされたものだと気が付いた。


(何よ)


別に車の邪魔になるような場所には立っていないじゃない、と、は自分のすぐ横に停まった白のセダンを睨んだ。


静かな機械音がしてセダンの窓が開いた。


「やぁ、お困りのようだね」
「す・・・ッ」


須根さん、と言おうとしたがあまりに驚きすぎて二の句が告げなかった。


須根、この男は、と同じ刑事課の先輩である。
ちなみに今年30を迎える、所内では稀に見るさわやかな男だ・・・以外にとっては。
それにしても、今頃青梅の警察署で働いているはずだから、このような場所で会うなど誰が
予測できたであろうか。いや、出来ない(反語)。






とゆーか、別に「お困りのようだね」と声をかけられる状況でもなかった。困ってない。






「ははは、びっくりしただろう」
「びっくりしますよ!須根さん、何でここに?まさか何か事件の捜査ですか?」
「いやいやいや、僕も今月消化しないと消えてしまう有給が3日ほどあってね」



(尾けて来たのか・・・!!)



は直感で悟る。
そういえば有給を取る相談を須根にしていたのだ。


「つけてきたんじゃないよ。人聞きが悪いなァ」
「人の心を読まないで下さい。じゃぁなんでここにいるんですか」
「いやだってね、が雲泥岳に行くって言うから羨ましくなってさ。じゃぁ有給も余ってるし行っちゃえと思って」
「子どもじゃないんですからまねしないでくださいよ」


は厳しく言う。


「まぁまぁ、それじゃぁ乗ると良いよ」


なんて会話のキャッチボールが出来ない人なのだろうかと呆れてしまう。
いや、彼の場合意図的に話題を流したと思ったほうが妥当かもしれないな、とは思った。


恐ろしいので同じ宿かどうかまでは確認しなかったのだが、あの辺りの宿と言えば一軒しかない。
予想しようがしまいが宿まで同じである可能性はほとんど100%だ。
あまり休んだ気がしないだろう、と、がっくりとうなだれる。
とはいえ、ここから宿まではバスで1時間半、と、これだけで小旅行になってしまう距離である。
故に高額になるバス代も浮くので、素直に須根の車に乗り込んだ。










しかし、彼の善意の申し出を快く思えていたのは前半一時間だけである。










「はははは、迷った!」


と潔い爆笑を聞いて、の気分は一気に最悪のどん底へと落とされたのだった。


ちなみに今いるのは地図上のどこぞわからぬ森の中。
空は急に暗くなって雨は降ってくるし、森を無理して走り続けたせいかタイヤがパンクしてしまうし、
おまけに携帯電話のアンテナは圏外を表示している。雷鳴が響き渡った。


「うっわ最低。須根さん、カーナビないんですか、カーナビ」
、僕は画面見ながら運転ができるほど器用じゃないんだよ」
「威張らないで下さいよ。場所がわからないんじゃ、車のSOS呼べないじゃないですか。
そもそもケータイが通じないし。さぁ、どうしたら良いのでしょうか」


そうとうご立腹のはわざと問題を突きつけるようにはっきりとした発音で聞いた。


「クイズかい?ちょっと待ってくれよ、僕はクイズは得意だからね」


そういうと、須根は顎にてを当てて考え出した。


厭味すら通じない。
は痛くなる胃を抑えながら車内から辺りを見回した。
雨はますますひどくなるばかりだ。
一瞬空に閃光が走り、バリバリと空を裂くような轟音が鳴り響く。
はヒッと首を引っ込めた。


しかし、今の雷のおかげで薄暗くなった景色から、一軒の屋敷が浮き上がった。


「あっ」


と、声を上げたのはと須根、二人同時だった。


「須根さんも気づきましたか!」
「ああ、さっきの答えはまさに『タコ壺』だね?!」
「ああんもう胃が痛い!」


しかしこれでも先輩であり上司。殴るわけにも罵るわけにもいかない。
それにしても先ほどの問題からどう『タコ壺』になったのか。まだ状況解決の提案的な答えだったなら許せたものを。


はこの人の奥さんになれる人がこの世にいるのか、いっそ彼の身を案じてみた。


「そうじゃありません。向こうに屋敷があったんですよ」
「屋敷?こんなところにかい」
「ええ」
「場所的に誰かの別荘かもしれないな。誰もいなくても、ここがどこだか知る手がかりくらいはあるだろう。
それから連絡手段とかもね」


たまにはまともなことを言う。
須根は「行ってくる」と、車を出ようとした。


「え、じゃぁ私も・・・」
はびしょぬれになりたいのかい?」


思わぬ静止には驚く。
どちらかというと聡いタイプの人間であるは、須根が自分を案じてくれているのだと気が付き、
じゃぁここで待ってます、と答えた。




須根は自分のスーツの上着を頭にかぶり、その屋敷めがけて走っていった。




(オフの日でもスーツですか)


須根らしいな、とは静かになった車の中からその後姿を見送った。


しかし、意外だと思う。
あんな年中無休でゴーインマイウェイの須根が他人を気遣って自分ひとりがこの雨の中に飛び出すなど、
予想外だった。でも、考えてみれば、いつだって危険かもしれない仕事のときは須根が先頭に立っていることが多い。
思い出す須根の仕事中の姿は後姿が多いのだ。


けっこう頼りになる人物だったのかもしれない、とは今までの仕打ちを忘れそうになった。


(おっと、いけないいけない。須根マジックに騙されるところだった)


署内で須根人気が高いのはきっとそんな須根マジックのせいだ。
まぁ、穏やかで悪い人ではないとは思うのだが。







そんなことを考えているうちに須根が戻ってきた。
かさを片手に悠々と歩いてくるところを見ると、良い結果が得られたのだろう。


「どうでしたか、須根さん」


は窓を少し開け、尋ねる。


「ああ、やはり別荘らしくてね。とりあえず中に入れてもらえることになったよ」


と、須根はもう一本のかさを開いてからドアを開け、に手渡した。


「あ、すいません」
「この辺の土は柔らかいから、こんな豪雨のときに下るのは危険だそうだ。泊めてくれるというから行ってみよう」



そう言って屋敷に向かう。
屋敷の人が良い人で良かったなどと考えながら。





          戻る  次へ