がくがくと膝が震える。
 お袋は死んだはずだ。それに、こんな異形のものではない。けれど確かに、顔形はお袋のものだ。
 これは、どういうことだ。分からない。
 お袋は、親父と共にルビカンテに殺られてしまったのだ。全身焼け焦げていて、俺が見つけたときには既に事切れていた。
 親父を抱き締めるみたいにして死んでいた。
 そう、この目ではっきりと、見た。

「…ワシの研究室に何か用か?」
 身丈の小さな老人が、にやにやと笑いながらこちらに近づいて来る。
 大き目の白衣を身に纏い、髪はぼさぼさの白髪だった。鼻は丸く大きく、腰はひん曲がっている。
 凝視していると、男の眼鏡の奥の瞳がちらりとガラス菅の方を見た。
「何だ。貴様、あの女の子供か」
 ヒャヒャヒャ、と耳に付く笑い声で老人は笑い、こちらに近づいて来る。そうして、ぐるりと体の周囲を一回りした。
「…気の強そうな目も、しゅうと通った鼻筋も、そうだな、指の形なんかもそっくりだ」
 一回りし終えて目の前に立ち、
「まあ、もうその指もワシが取っ払ってしまったがな」
と言って唇の端をつり上げる。
 考えるより先に、老人の頬を殴りつけていた。
「おめぇが、お袋をこんな体にしやがったのか!安らかに眠れるようにって、俺が、俺が墓穴に埋めたのに!その墓を暴いたのか!」
 返事の代わりに、殴られた為に顔を横に向けたまま老人が睨んでくる。何やら手に握った装置のボタンを押し、ヒャヒャヒャ、とまた笑った。機械音がし、泡の音が増える。後ろを振り向いた。
 まるで植物が生えるように、床からもう一本のガラス管が現れる。
 中に居る、その存在に目を奪われる。毛むくじゃらの体、熊のような爪、ドラゴンに似た羽。何より見覚えのある、その顔に。

 そんな、まさか。

 ごぼごぼと二本のガラス管から水色の液体が抜けていく。蛇に似たものは淀んだ瞳のままでべちゃりとガラスにはり付き、毛むくじゃらのものは濡れた毛から水を飛ばすためなのだろう、身を震わせた。
「…………親父……!」
 ガラス管が地面に埋まっていき、俺の両親らしき者だけを残して消える。
「親父っ!お袋っ!」
 呼びながら近づいた。
「エッジ……こちらへいらっしゃい…」
「エッジ、わしらと共に行こう」
 見目は違うが、優しい声は正に両親のものだった。全身の力が抜け、思わずへたり込んでしまう。
「い、行くって、何処へ?」
 俺の問いに、二人ははたと顔を見合わせ、喉の奥で嗤った。
「何処へって、決まっているでしょう」
「…地獄へだ、エッジッ!」
 言葉と同時に親父の爪が腕ぎりぎりのところを掠めていく。お袋の体が光り、ファイアが放たれた。
「親父!お袋っ!!」
 飛び上がってかわし、叫ぶが、二人はこちらへの攻撃の手を休めない。
「今、地獄の砂にしてやる!」
「親父、俺のことが分からねえのかよ!」
 大きな爪が何度も顔のまん前の空を切り裂く。壁へと追い詰められ、横に逃げようとしたところをファイアに阻まれた。
 振り上げられた爪が頭上に見える。駄目だ。避けられない。

 俺の顔を刺す直前で、爪の動きが止まった。

「…エッジか……」
「お、やじ……?」
 俺は、すっかり変わってしまった手に触れ、巨大な爪を握り締めた。親父とお袋の顔を交互に見る。 二人の瞳には光が宿っていた。
「エッジ…わしの話を聞け…」
「うん、うん…っ」
 こくこくと必死で頷いた。
「……我々は、もう人ではない…………生きていてはいけない存在なのだ」
「親父…」
「この意識のあるうちに、我々はここを去らねばならん」
 自分の歳や外聞や何もかもを忘れて、親父の体にしがみつく。お袋が手に頬ずりして、そんな俺を制した。
「……貴方に残すものが無くて…」
 今にも泣きだしそうな声だった。
「お袋」
 肩を緩く掴まれ、密着していた体を離される。
「……後は頼んだぞ エッジ」
 低く、そして穏やかな声で親父が呟いた。

 もう一度俺を置いて逝くのか。
 何故二度も、二人の死を見なければならない。

「嫌だっ!行っちゃ嫌だっ!」
 俺の胸をとん、と軽く親父の爪先が弾いた。唐突な動きに、俺は尻餅をつく。
「さよならエッジ」
 お袋が静かに囁いた。
「待って!お袋っ!」
 二人が微笑を湛える。背景の色に溶け、二人の体が透けて、消えていく。
「嫌だあああああぁっ!!」
 彼等から視線を外せぬまま、俺は渾身の力を込めて叫び声をあげた。

 跡形すら残っていない。―――これじゃあ、墓に埋めてやることもできないじゃないか。

 叫びすぎて喉が痛み、掠れる。頭の中に電流に似た何かが流れ込んでくる。
「久々の傑作だったのに、勝手に死におった。せっかく甦らせてやったというのに」
「この野郎!」
 サイレスをかけられていたことも忘れて、老人に向かって手を翳す。
 手のひらに力が宿る。ばちり、と光が瞬き、放たれた落雷によって老人は地面にうつ伏せで倒れていた。
 雷迅だ。今まで使うこともできなかったのに。
 怒りが頭の中を焼いていき、俺は心のままにもう一度雷迅を放つ。
 迸る閃光が、老人の体を覆う。その閃光に重なるようにして紅蓮の炎が燃えさかった。老人の体がみるみるうちに焦げていく。
 操り人形じみた動きでぱくぱくと老人が唇を動かす。しかしその唇も焼けて溶け、いつしか老人の体は消し炭となって残るのみとなってしまった。
 未だ立ち上り続ける炎の奥に、人影が見える。
「ルビカンテ…!」
 その姿を認めた途端、真っ赤なはずの視界が一瞬暗くなった。目の前がぼやける。振り払うために首を振る。
「てめぇだけは…てめぇだけは許さねえ!」
 近づいてくるルビカンテに雷迅をくらわせようと手を伸ばすが、視界が霞んでうまくいかない。座っていることすら辛くて、地面に両手をついた。
「…ちきしょ、う……っ」
 炎をの中を悠然と通り抜け、こちらにやって来る。
「お前が親父とお袋を、あんな体にするように仕向けたのか!」
 ルビカンテは歩みを止めない。
「あんな、体に……っ」

 駄目だ。目の前が真っ暗だ。

 倒れようとした体を何かに支えられて、俺は閉じた目蓋を無理やり開いた。
「…エブラーナの王子よ」
 耳元で地を這うような声が響く。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「王と王妃を魔物にしたのは、ルゲイエが勝手にしたことだ……だが、あの卑劣な行為は私の監督不行き届きが招いた結果だ」
 赤く太い腕が、俺の体を抱きとめている。
「本当に下劣なことをしてしまった。……非礼を詫びよう」
「…ふざけんな」
 全身酷い倦怠感に侵されていて、俺の自由になるのは声くらいのものだった。
 ルビカンテの手から逃れたいのに、振り払うことができない。
「……お前の両親は立派な人間だった」
 振り払うことが、できない。
「お前の父は妻を守るため、正々堂々と私に立ち向かってきた。尊敬すべき男だと思った」


 親父の声が頭の中に響く。


『いつかお前に愛する人ができたら、何があってもその子を守るんだぞ』


「お前の母は夫の亡骸の前に立ちはだかり、最期までそこから退こうとしなかった。素晴らしい女性だと……思った」


 お袋の声が聴こえてくる。


『女だって守られているばかりじゃないのよ。大切な人のためなら命だって惜しくない。エッジも、素敵な女性に巡り会えるといいわね』


「……親父、お袋………っ」

 何故お前がそんなことを言う、ルビカンテ。
 お前が殺したんだろう?なのに、何故。

「私は正々堂々と戦いたいだけだ。お前との戦いも、例外ではない」
 優しい調子で、背に手を当てられる。少しずつ体が軽くなっていく。
「回復してやろう。民の元へと戻り、装備を万全に整えて、全力でかかって来るがいい」
 体をそっと離された。
 ルビカンテが無言で扉を指差す。あちらが出口ということか。
「後で吠え面かくんじゃねえぞ!」
 そっちがそのつもりなら、俺も正々堂々とこの戦いをうけてやる。
 睨みながらそう口にすると、ルビカンテが深く頷いた。




 装備を改めて用意するため、皆が避難している洞窟に帰ってきた。
 あの塔の中では時間の感覚があまりなかったので分からなかったのだが、もう明け方になっていたらしい。立っている見張りは早朝の番をしている者達ばかりだった。
 その者達に労いの言葉をかけ(どこで何をしていたのかと問い詰められたが、逃げてきた)、ベッドを設置してある部屋に入った途端、何者かに思い切り頬を引っ叩かれる。
 誰だ、と睨みつけようとして、やめた。
「……爺」
 引き結ばれた唇が戦慄いている。無言で手を引かれ、食料庫まで連れて行かれた。
「…皆を起こすのは可哀想ですからな」
 爺が壁に掛けてあるランプに灯を点す。部屋は、薄暗くて静かだった。
 土をじゃりじゃり踏む音だけが響き渡る。爺はこちらをきつい瞳で見据えている。
「心配したんですぞ」
 橙色に照らされて、爺の白髪がゆらゆらと光って見えた。なるたけ明るい口調で、俺は答える。
「分かってるって。俺なら大丈夫―――」
「若は…若は本当に、ご自分の立場を分かっていらっしゃるのですか」
 瞳が揺れている。
「立場…って…跡継ぎ、ってことか?」
「エブラーナ王亡き今、若は確かに我が国唯一の跡継ぎです。しかし、それだけではない」
「……爺?」
 腕を掴まれ、体を壁に押し付けられる。真剣な眼差しに、言葉を失った。
「若。貴方ががいるだけで、兵の士気が上がります。この絶望的な状況でも、民の心が明るくなる。若の優しさがそうさせるのです!貴方の笑顔にどれだけわしも…救われたか……」
 掴まれた腕を通して、震えが伝わってくる。
「……若まで逝かせるわけにはいかんのです…!」
 爺の目尻から涙がぼろぼろ零れ落ちた。まさかあの爺が泣くなんて、という気持ちと、爺を泣かせてしまうほどのことをやってしまったのだという気持ちが同時に襲ってくる。
「…悪かった、何も言わずに出て行って。心配すんのは当たり前だよな」
 頷いた爺の手をとり、続ける。
「でもよ、俺は、俺のこの手で親父とお袋の仇を討ちてえんだ。奴と戦わせてくれ。必ず帰ってくるからさ」
「わしもお供します!」
「それは駄目だ。爺にはここの留守を頼みたい。俺が戻ってくるまで、兵と共に皆を守ってくれ」
「若!」
「…………我侭はこれで最後にする。聞いてやってくれねえか?」

 こんなに爺の背は小さかったろうか。ふと、そんなことが頭の隅を過ぎった。

 爺の口が何か言いたげに動き、諦めたように笑む。
「…仕方が無いですな。これで最後ですぞ」
「ありがとよ、爺」
 服の袖で目元を拭う爺を見ながら、俺は近いうちに来る戦いの日を思って強く拳を握り締めた。




 大方の予想はついていた。
 きっとこの言葉が降ってくるに違いない、と。

「五日で殺せと言っておいたはずだが」
 想像通りに続けられる言葉。
「もう五日目だ。今日中に片付けるつもりなのか?」

 今日まで王子がその姿を見せることは無かった。しかし、彼に限って逃げるなどということは考えられない。
 私個人の気持ちとしては、彼の『準備』が済むまで思う存分待ってやりたいと思う。
 しかし、私の主がそうすることを許さないだろう。
 どうにか主を説得して、待ち続けたい。気持ちのままに、私は初めてゴルベーザ様に抗った。

「奴は必ずここに来ます。待たせてはもらえませんか」
 床に片膝をついたまま、私は深く頭を垂れた。
「あの男の何がお前をそうさせる?」
 全くかみ合わない台詞と共に、主が玉座から立ち上がる。かしずいている私の元へゆっくりと歩みを進めてくる。
 私は次の言葉を待った。
「お前の中に残った、人間の部分がそうさせているのか?」
 いつにも増して酷く冷淡な声だった。
 はっと顔を上げようとして失敗する。

 頭が、全身が動かなかった。

「言ってあったろう?人間に執着しても、良いことなど何も無いと」
 頭上に手のひらの気配を感じた。びりびりとした痺れが体中を覆う。
「ゴルベーザ、様……っ何、を…………!」
 うずくまった私の顎を持ち上げると、額に手のひらを当てられる。手袋に覆われた冷たい指先が、私の体を凍てつかせた。
「忘れたのか?お前はモンスターなのだ、ルビカンテ」
 兜に隠された主の目は、きっと氷のように冷えているに違いない。

「……本能の赴くままに行動するといい。理性など忘れて、モンスターとしてあの男を屠れ」

 ふと、血生臭い匂いが鼻孔をくすぐったような気がした。
 私は陶然と、それに身を委ねる。酷く心地がいい。
 ゴルベーザ様が、どこか遠くで嗤っていた。




 こりゃまたえれえ静かだな。

 そう呟きそうになって、思わず口を手のひらで覆った。もうすでにここは敵地なのだ。あまりに静かで、油断していた。
 それにしても、本当に静かだ。以前侵入した時に煩く鳴っていたアラームもないし、一体のモンスターもいない。
 聞こえてくるのは自分の息遣いばかりで、何だか気味が悪かった。
 ルビカンテの野郎、どこに隠れてやがる。
 壁にぴたりと張りつきながら、左右を見回した。しかし見渡す限り銀色の廊下で、どうにもこうにもなりはしない。
 ため息と共に俯いた俺の足元で、突然光が瞬いた。
「……っ!」
 罠か、と後ずさる。赤い光はぱしぱしと何度か瞬くと、まるで蛇のように床を這いずり回り始める。少し先にある分かれ道まで光は走り、そして止まった。
 何なんだ、あれは。
 刀を構え、慎重に光へと近づいていく。
 もう少しで触れられそうな位置まで近づくと、光はまた走り出し、次の曲がり角で止まった。
 もしかして、道案内をしているのか。
 いや待て、罠かもしれないし、いやしかし。あんなあからさまに怪しいものについていっていいものだろうか。
 赤い光はくるくるとその場で回り、俺を待っている。光以外は相変わらずしんと静まり返っていて、ルビカンテを探すまでに疲れ果ててしまいそうだ、と俺は思った。
 よし、ついて行ってやろうじゃねえか。罠なら罠で、その時にどうにかすればいい。
 光と共に、俺は廊下を進むことにした。

 右へ曲がって、真っ直ぐ。
 エレベーターに乗って、左。
 真っ直ぐ行って、奥の部屋を抜けて。
 そうしてその右の角を曲がって、真っ直ぐ行って―――。

 ややこしい道を歩き回った後、一つの扉の前で、光は消えてなくなってしまった。

 ここにルビカンテがいるのだろうか。それとも、罠が待っているのだろうか。

 まじまじと扉を見ていても、勿論答えが返ってくることはない。
 いくらか逡巡し、唾を飲んで、扉に触れた。
 空気音と同時に、扉が開く。
「ルビカンテ!」

 赤いマントを纏った、親の仇。

 その姿を認めた瞬間、手裏剣を放っていた。ルビカンテがマントを翻す。三つの手裏剣がマントに突き刺さり、布を裂いて地面に落ちた。
「約束通りちゃんと来てやったぜ!」
 ルビカンテは無表情で立ったまま、何も言わない。どこかに違和感を感じつつ、新たに使えるようになった水遁を奴に放った。
 奴は火を操る男だ。きっと水には弱いに違いない。手を翳すと水流が立ち上り、全身を包み込むようにルビカンテを襲った。
 弱ったところを刀で攻めよう。
 そう思い間合いを詰めた瞬間、獣の咆哮と共にルビカンテが飛び掛ってきた。水に濡れているはずの体は、湿ってすらいない。その事実に一瞬呆然となった。
 手が振り下ろされる。避けようとしたが、もう片方の手で床に引き倒された。
「うっ!」
 以前の比ではない素早さに体が震える。全く動きが見えなかった。音をたてて刀が床に転げる。
 痛みに呻きながら肩を押さえつけている手を振り払おうとするのだが、びくともしない。
 唸り声をあげながらルビカンテがこちらの喉元に喰らいつこうと牙をむく。瞳の奥がぎらぎらと光っていた。
 これではまるで、野生の獣だ。
 見れば、ルビカンテの指先にある爪が、肉食獣のそれのように鋭く尖っている。
「…てめぇ、一体どうしたんだ」
 あまりに異様な姿だ。俺は訊かずにいられなかった。ルビカンテが喉の奥で唸り声をあげる。
「……それともこれがおめぇの戦い方か?」
 皮肉った言い方をすればのって何かを話すかもしれない。しかし、答えは返ってこなかった。
「なあ、聞いてんのか?何とか言ったらどうなんだ!」
 頭に血が上り、近距離でもう一度水遁をくらわせてやろうと手のひらに力を込めた。よし、いける。
 強くルビカンテの瞳を睨むと、手を開いた。
「この……っあ!ああああぁっ!」
 手のひらに冷たい何かが走り抜ける。手が濡れている。
 一体何で濡れているというんだ。
「う、あ…っ」

 深々と突き刺さった爪。

 俺の服が、赤く濡れていた。腕に力が入らない。忍術は手のひらに力を込めて放つものだ。…この傷では、忍術を使うことなど到底できない。

 今の俺は一体どんな顔をしているのだろう。
 絶望に歪んでいるのだろうか。それとも、悲しい顔をしているのだろうか。

 こんなに悲しいのは、どうしてなんだろう。



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