低い唸り声が、喉の奥から漏れる。

 怯え、驚き、疑問。
 色々な感情が入りまじった表情で、彼はこちらを睨み付けていた。

 掴んで床に縫いとめた肩に、私の爪が軽く刺さり、彼の肌を傷つける。
 頭がうまく働かない。
 まるで、足の先まで欲望と衝動に支配されているようだった。
「…やめろ……」
 首筋に舌を這わせると、彼の肩がふるりと震えた。
 下肢に纏った衣服を、爪で切り裂く。白い肌が露になり、太股に三本の赤い筋が走った。

 血の匂いだ。
 甘く芳しいその香りに、頭の芯がびりりと痺れる。

 誘われ、赤い筋に唇を寄せた。
「う…う……っ」
 血の味が更に私の理性を壊していく。
 彼の足が、私を蹴ろうとして激しく動いた。破った服で手首を縛ると、両足首を掴んで固定する。

 小さく、非力な体だと思った。
 彼の体躯は綺麗に筋肉がついているものの、細く、私ほどの力は持ち合わせていない。
 どこもかしこも私より一回りも二回りも小さいつくりで出来ている。

 このまま事を進めれば、きっと彼を壊してしまう。

 頭のどこかで警鐘が鳴り続けているというのに、私は抑えようのない衝迫に抗うことができない。
 彼の唇が戦慄き、何かを告げようと開かれる。眉はしかめられ、目には涙が浮いていた。
 濡らす為に秘部を舌で撫でる。いやらしく響く水音が、更に私の理性を掠め取っていった。
 白く柔らかなそこにかぶり付いて喰ってしまいたい衝動を抑えて、何度も何度もそこを舐めた。
「いや、だ……っ何でこんな」
 それには答えずに、彼の体を抱き上げる。後ろから抱き締めると、爪が皮膚を掠め、彼の体に何本もの赤い爪痕を残した。

 こうして触れるだけで、傷つけてしまう。
 どこかにあった理性の欠片が、私は彼に触れることもできないのか、と悲鳴をあげた。

 途方もなく、彼が欲しかった。
 しかし、私が彼を望めば望むほど、私の理性は崩れていってしまう。そうだ、私はモンスターなのだ、と思い知らされる。
 もし人間であった頃に彼に出会っていたら、何かが違っていたのだろうか。

「やめろ…!」
 彼の臀部を鷲掴み小さな器官を割り開くと、座っていた私の下腹部の猛りに、力任せに押し付けた。
 彼の体が硬直する。
「やめ……ルビカンテ…ッ…や、あああぁーっ!!」
 つんざくような悲鳴が響き、次に嗚咽する声が聞こえてきた。
 熱く狭いその場所に、目蓋の裏が白く光ったような、そんな錯覚に陥った。
 足に生温い液体が落ちてくるのを感じ、その温もりに彼が堪えきれずに涙を溢したのだと知る。
 しかしまだ全てが納まった訳ではない。私は太い括れの部分を通過させようと彼の体を押さえつけた。
「……………ぃっ……」
 ぎちぎちとした感覚が途端緩くなる。切れたのだ、と分かった。
 彼の血を潤滑油にして中に突き入れていく。
「あ、ぅ……っぁ……」
 力のない声が彼の口をついた。彼は頑是ない仕草でゆるゆると首を振る。
 漸く根元まで猛りを埋めた時には、彼は首筋に汗を浮かせて肩で息をしていた。後ろから抱き締める格好のせいで、表情は見えない。

 むせかえるように漂う血の匂いに、意識がぐらぐらと傾いでいくのが分かる。

 理性が消え失せるのを、他人事のようにどこか遠くで感じていた。




 体を真っ二つに引き裂かれたのだと思った。


 内臓を抉られるような痛みと、玩弄され殺されるのだという思いが、俺の心身を苛んでいく。
 どうして、という思いが胸を突き抜ける。

 どうしてお前がこんなことを。

 耳元で獣が唸った。
 ずるずる、とゆっくり引き抜かれ、熱い杭を打ち込むかのように中にまた埋められる。信じられない程太く固いものが、何度も何度も自分の内壁を擦りあげていく。
 痛みというには凄まじ過ぎる感覚、冷たいのか熱いのか、とにかく訳の分からないものが全てを支配し始めていた。
「あ、ぁ……」
 視界が滲み、歪んでいる。首を振った瞬間に床に点々と散ったそれは、確かに涙だった。

 俺は泣いているのか。

「ルビ…カンテ……ッ…」
 鋭く尖った爪が腰に食い込んで、鈍い痛みが走る。限界まで開かされた足がひきつって辛かった。痛みを逃そうと深い息を吸って吐こうとするのに、繰り返される抽挿がそれを許さない。
 叩き込まれる度に、肺から酸素を無理矢理吐かされる。

 苦しい。

 熱い。

 苦しい。

 悲しい。

「う、あ…ぁ、あっ」
 前髪が汗で額に貼り付いている。そんなくだらないことに意識を集中して下半身の痛みをやり過ごそうとする。
 ぐい、と床に頭を押さえつけられた。尻を高くかかげられ、揺すぶられる。
 やめてくれ、という懇願の言葉を飲み込んだ。嫌だ、この野郎に頼み事などするものか。

 耐え抜いてやる。絶対に耐え抜いて、この野郎に勝ってやる。
 心を奮い起たせるけれど、どこか、芯の部分は虚しくて。

 敵とはいえ、卑怯なことはしない、と思っていたのだ。

 親父のことを一人の戦士として見て、戦った男。
 お袋のことを素晴らしい女性だと言った男。

 そうだ、知らぬ間に、俺はこの男を信用していた。確かに敵だけれど、正々堂々と戦ってくれるだろうと信じてしまっていた。
 勝手に信用して、勝手に落胆している。俺は馬鹿だ、大馬鹿者だ。考えれば考えるほど、余計に涙が溢れて止まらなくなる。
 これは痛みから来る涙なのか、それとも。

 意識が混濁する。ぞわりと背筋を這う見知った感覚に、俺は絶望を感じずにはいられなかった。
 ルビカンテのものが一層固さを増す。途端、悲鳴をあげていた。
 いや違う、これは。
「や、いやだ、ぁ……あ…っ!」
 甘い響きに頭がくらくらする。自分の声だとは到底信じがたかった。
 身体中に刻まれたルビカンテの爪痕までもが疼きに変わっていく。下腹部に広がる痺れ―――最悪だ。
「あ、あっ…あ…あ…ぁ…」
 リズムに合わせて喘ぎが漏れる。腰を打ち付けられる速度が速さを増していく。
「ん、うっ、ん!」
 縛られたままの不自由な手で、地面を掻いた。しかし襲い来る快楽を打ち消すことなどできない。あまりに獣じみた荒い抽挿に、背を仰け反らせる。
「……っ…!」
 どくどくと温い液体が腹を満たした。
「ひ……っ」
 ルビカンテが荒い息を吐いている。体が熱くて堪らなくて、耳元に当たるその息にすら感じた。
 引き抜かれ、仰向けに寝かされた。力が入らないので、されるがままに転がった。
 足を折り曲げられ、また、一気に貫かれる。驚いたことにまだルビカンテのものは硬さを失っていなかった。
「ああぁっ!」

 涙が止まらない。違う。こんなのは違う。

 ルビカンテ、こんなのは違うだろう。
 俺達が求めているのは、こんなものじゃないだろう。

 俺を抱き込んでいる、広い胸にすがり付く。
 限界まで開かされた足の向こうで、凶器が俺の体を貫いているのが見えた。零れる液体がピンク色に染まり、僅かに泡立っている。
 下半身がそんな状態になっていることも信じられなかったが、何より、この行為に快感を覚えている自分自身が信じられなかった。
「ルビ、カン…テ……ッ」
 声は掠れていた。
「おめぇ、は」
 今にも飛んでいってしまいそうな意識を、必死で引き止める。
 戻って来い、ルビカンテ。ただのモンスターなんかに成り下がるんじゃない。
「俺と、正々堂々、勝負……っ、するん、だろ……っ」
 快感の波が、俺の体と意識を根こそぎ攫おうとする。それは本来人間に与えられるべきでない、強すぎる快感の波だった。
「戻ってこ、い……っあ、あああぁっ」
 抉られ、叫び声をあげる。
 襲い来る暗転に、何も見えなくなってしまった。




 床に散ったピンク色の体液と、むせ返るような血の臭い。
 赤く染まった服。爪痕だらけの体。
 縛られた手首は腫れ、地面を掻き毟ったせいで爪が剥がれていて。

 何より、彼の頬に残る涙の跡が、私の淀んだ心を正常なものへと引き戻した。

「おい……」
 手首の拘束を解きながら、名前を呼ぼうとして愕然とした。私は彼の名前すら知らないではないか。
 彼が小さく呻き声を漏らす。生きている。頬に触れ、渾身の力を込めて全身の傷を回復してやると、苦痛に歪んでいた顔が穏やかな表情を湛えた。
 銀色の睫毛に縁取られた目蓋が、ゆっくりと開く。
「う……ぅ」
「王子!」
 全く視点が定まらずに、うろうろと瞳が泳いだ。心なしか、瞳の色はくすんでいる。
「…………あつ……い…」
 とても弱弱しい、彼には似つかわしくない声。
「…な、か…あつ、い」
 うわごとの様に繰り返す。止まっていた筈の涙が、再び眦から溢れ出した。
「こわ……い…………」
 言いながら、彼の手が下腹部に伸びたので、驚いてそれを制する。彼のものは限界まで張り詰め、とろとろと透明な液体を溢していた。
 まるで色情狂になってしまったかのようなその姿に、ルゲイエが昔言っていた言葉を思い出す。ルゲイエは『モンスターの精液には催淫作用がある』と話してはいなかっただろうか。
 モンスター同士なら何の問題も無く性交を行うことができるけれど、基本的なつくりがひ弱な人間との性交は、人間側に不測の事態を引き起こす。
「……王子」
 息を荒げて、彼はただ涙を流し続けている。許容範囲以上の快感が、彼をおかしくさせているのだ。
 詫びの言葉を呟くけれど、彼の耳には何の言葉も届かない。そうだ。今は自分にできる処置を施すしかない。
 震えている体を抱き上げて、私は隣室へと向かった。





 バスタブに湯をはる為、壁に在るスイッチを押した。
 ピピッという電子音と共に、湯がバスタブの半分くらいを満たす。あっという間に満ちたその中に、裸にした彼の体を浸からせた。
 力が入らずに、ともすれば沈んでしまいそうになるその体を支え、背筋に指をそっと這わせる。
 今の私の爪ならば、彼を傷つけることもない。先刻意識を飛ばしていた時の爪は、あんなに尖っていたというのに。
「あ……」
 呻きとも喘ぎともとれない声が聞こえてくる。
 彼の両手が首の後ろに伸びてきたかと思うと、私の体を抱き寄せた。
「……王子」
 はあはあと辛そうな息を吐くだけで、彼は何も答えない。おそるおそる臀部にある窄まった場所を指でつつくと、彼の口から切ない喘ぎが漏れた。
 煩く喚く心臓に、これは処置だと言い聞かせ、ゆっくりと指を埋め込んでいく。
「ひ、ぁ、あ……っ」
 透明の湯の中に、白い液体が混じる。割り開いてやると、更に多くの精液が彼の後腔から溢れ出た。
「…ルビ、カンテ……ッ」
 耳元で囁かれ、殊更胸が強く跳ねた。
 彼は腰を緩くバスタブに擦り付け、
「痛い…」
 と呟く。
 張りつめているものが痛いのだろう。
 後腔へ伸ばしていた指を、今度はそっと前へ這わせる。力加減が分からずに緩くしごいていると、彼はもどかしげに腰をゆすり始めた。
 その動きで、水面が波紋を形作り、ちゃぷちゃぷと音をたてる。
「はぁ…、ぁ…」
 だらしなく開かれた唇から唾液が流れ落ちて、湯の中に溶けた。

 いけないと知りつつも、見入ってしまう。

 湯気を吸った髪が湿った為に垂れ、彼を幼く見せている。
 いつも凛としている目元は、眦が赤く、涙に濡れている。
 頬は染まり、唇は喘ぎと涎を漏らすだけだ。

 彼に惹かれている自分に、私は気付いていた。気付いていたからこそ、ゴルベーザ様に足元を掬われたのだ。
 確かに主の術が私のモンスターとしての本能を呼び覚ました。だが、どうしてもゴルベーザ様を憎む気にはなれなかった。
 あれは、私の意志が強ければ、跳ね除けられる類の術だったからだ。
 術にかかったのは、既に私の理性が崩れかかっていたせいだ。

 私はどこかで、王子を我が物にしたい、と望んでいたに違いなかった。

 早く放出させてやろうと、先を指で転がしながら、上下にしごく。
「んん、ん…ん……っ」
 誘われ、頑是無い子供のように頭を振る彼の唇を、唇で塞いだ。

 彼とする初めての口付け。
 その口付けは、酷く塩辛いものだった。




「……さっきのことは水に流してやるから、さっさとかかってこい」

 ベッドの上で目を覚ました瞬間、王子が口にしたのはこの言葉だった。
「さっきのはおめぇじゃねえだろ。俺はおめぇと勝負しにここへ来たんだ」
 言いながら起き上がる。彼はベッドに座ると、きょろきょろと辺りを見渡し、部屋の隅に置いてあった自分のブーツに向かって歩き始めた。
「王子」
 あまりの性急さに驚いて語りかけると、ブーツの前にどっかと腰を下ろし、こちらに背を向けてブーツを履きだす。
 そうして、「王子じゃねえ、俺の名前はエッジだ」と小さな声で呟いた。
「王子、なんて呼ばれるのは性に合わねえ」
 すっくと立ち上がる。
 そして同じ場所に置いてあった刀を手に取り、それを一振りしてから私の方に目をやった。
「……もっと広い場所でやろうぜ。真っ二つに斬ってやる」
 そう言って扉へ一目散に向かって行ってしまう。私は慌てて彼の後を追いかけた。

 幾つかの部屋を抜け、橋状の通路を渡る。
 彼は少し離れた場所を走りながら、何かぶつぶつと呟き始め、そして耐え切れなくなったように、わあっと大きな声で叫んだ。
「あぁもうっ、動き辛い!何なんだよこの服っ!」
 薄紫のローブがふわふわと揺れている。
 彼が今着ているのは、激しい運動をするのには向いていない、魔道士のローブとズボンだった。ゴルベーザ様が十代の頃に着ていたものだ。この塔にあって、尚且つ直ぐに用意できる『人間の服』は、それくらいしかなかった。
 私的には案外似合っているように思うのだが、本人は気に入らないらしい。彼は鬱陶しそうにローブの裾を蹴りながら走り続ける。
 通路を通り抜けると、開けた場所に出た。そこで漸く、エッジの足が止まる。
「…悪くねえ場所だ」
 挑発的に笑いながらこちらに向き直り、乱れた前髪を手のひらで撫で付けた。
 煌く刀の切っ先が、私の顔を真っ直ぐに指す。
「いくぞ、ルビカンテ!」
 瞬間、刀の生み出したかまいたちが頬を斬る。避けきれずによろめいたところを、水の渦が襲った。間髪を入れずに、今度は雷が降って来る。

 早い。

 思わず舌打ちをして、私はファイラを放った。
 ローブの裾が焼けるのも構わず、彼は真っ直ぐな眼差しで何度も何度も斬りかかってくる。
「どうした、ルビカンテ!」
 煽る言葉を吐く唇は、動き回っているにもかかわらず、全くと言ってもいいほど呼吸を乱していない。
「…おめぇ、何を迷ってやがるっ!」

 迷っている?私が?

 雷迅が背を伝い、走り抜ける。思わずよろめいて膝をつきそうになった。
 反撃をしなければならないと思うのに、何故か体は彼の攻撃をことごとく受け入れる。
「馬鹿にすんのもいい加減にしろ!何で全力でかかってこねえんだよ!」
 彼が高く跳躍する。灯りに照らされ、刀身が閃く。
 殺される。そう思うのに、心の中はとても落ち着いていた。

 胸を蹴るつま先。私の背が床に触れる。頭を貫かれるのか、それとも肩か、胸か首か。

 しかし、振り下ろされた刀は、そのどれとも違う場所を貫いていた。
 視線を左にやれば、首筋を掠めてマントに深々と突き刺さった刀が、視界に入ってくる。
 私の体に跨っている彼と、目が合った。
「何なんだよ…っ!」
 翡翠色をした瞳がちらちらと揺れている。
「おめぇは俺を……女みたいに…扱った。その上、俺が男として戦うことすら認めねえってのか!」
「それは違う、エッジ」
「何が違うんだよ!女扱いしてんじゃねえか!正々堂々と、真剣に戦え!…でなけりゃ」
 何かを告げようとして、薄い唇が震えた。耐えかねたように、彼は顔を背ける。
「俺の心にも、迷いが生じちまう……っ」
 その響きは懺悔に似ていた。
 私は不思議に思い、言う。
「…何を迷うことがある。私はお前の両親の仇だ。今の隙に殺せばよかろう」
 刀の柄を握り締めた手が、細かく戦慄いていた。
 悲痛な面持ちをしている彼の頬に手を伸ばそうとして、やめる。触れれば余計に傷つけてしまうのではないかと思った。
「俺だって殺してえよ!…でも、でもよお。おめぇの目があんまり……優しい、から」
「…エッジ?」
「どうしてそんな目で俺を見る?何で、優しく抱き締めたりした?」
 我慢できずに、柔らかい頬に触れる。エッジの肩がびくりと揺れた。
「自分でもよく分からない」
「…んだよ、それ」
 指先を滑らせ、彼の耳朶に触れると、ふ、と息を漏らして彼は肩を竦めた。
「私はお前を殺したくないんだ。エッジ」
 私の手を振り払おうとして持ち上げられている手を、そっと握る。小さくて温かい手が、私の胸を熱くさせた。
「……私はお前に惹かれている」
「何言って」
「お前が欲しい。そう思ったから、私はお前を抱いた」
 目の前で、彼の唇が言葉を失って戦慄いている。

 こんな時、人間ならどういう感情を持つのだろう。
 抱き締めたいと思うのだろうか。頭を撫でたいと思うのだろうか。

 想像が確かなものだとすれば、やはり私はモンスターなのだ。

 薄く白い喉を掻き切って、赤い血を啜りたいと思う。
 この小さな体の隅々まで貪って、自分の血肉にしてしまいたい。
 でもそうすれば、彼は死んでしまう。
 殺したくなど無いのに、彼を想えば想うほど、彼を殺してしまいたくなる。

「……俺を、喰いたいってのか」
 彼は眉根を寄せながら、小さな声で呟いた。
 私は一体どんな顔をしていたのだろう。彼に気取られるほど、獣じみた表情をしていたのか。
「喰わせてやろうか?」
 少年のような顔で、彼は笑う。そうして刀を握っていた手を唇に当て、
「喰わせてやるから、俺と真剣に戦え」
 自らの親指の皮膚を、犬歯で破った。
 私は彼の意図するところが分からず、ただただ呆然と彼の行動を見つめていた。血に濡れた唇が微笑んでいる。途端、温かいものが、私の唇に押し当てられた。
 それは彼の唇だった。彼の舌が「口を開け」と言いたげに動く。私は思考を真っ白にしながら、その指示に従った。血の味が口腔に飛び込んでくる。
「…………っ」
 甘い息遣いと湿った音だけが、辺りに響き渡る。
 夢中で、舌と共に、彼の血も絡め取る。頬を薄く朱に染めながら口付け続けるその姿は、私の胸を強く締め付けた。
「ん、ん……」
 頭の後に手を回し、更に深く口を探ると、鼻にかかった声で彼は鳴く。
 どれ程の時間が経ったのかは分からなかったが、唇を離す頃には、彼の瞳は少しだけ潤んでいた。
「…っは……はぁ……」
 顎のラインを伝っていく唾液を袖で拭いながら、彼はちらりとこちらを窺い見る。
「美味かっただろ?」
「…エッジ」
 思わず声をかけると、彼は殊更大きな声で、笑みながら言った。
「さあて、この話は終わり終わり。さっさと決着をつけようぜ、ルビカンテ!」

 ああやはり、この男を殺すことなどできそうに無い。

 互いに立ち上がり、間合いを取る。
 彼の刀身が閃いた。

 再び彼に出会うことがあるとするならば、彼を傷つけずにすむ者として出会いたい。

 真剣な彼の瞳を見つつ、心に在るのは一つの望み。それだけだった。



End


Story

ルビエジ