どこまでもどこまでも堕ちていく。
 周りは果てのない暗闇で、誰もいない、何の音も匂いもしない。そんな世界で私は生きてきた。


 一筋。
 一筋、金色の光が走る。

 その光からは、自分とは正反対に太陽の匂いがした。
 空色の瞳は強く、そして澄んでいて、美しかった。

 彼をもう一度この腕に抱きたい。
 抱きしめると何かが分かるような気がして、何度も何度も抱きしめた。ずっと腕の中にいて欲しいと、そう思った。
(カイン…)
 クリスタルを手に入れても、この飢えは癒されなくて。

 帰って来い、カイン。

 私の腕の中へ。

(…もう一度だけでもいい、私は、お前を……)











 闇のクリスタルを手に入れるため、セシル達は封印の洞窟へと足を踏み入れていた。

(やはり俺の勘違いだったのか)
 カルコブリーナと戦った後に姿を現したゴルベーザは、カインの方を一度も見ようとしなかった。
 やはり自分は捨て駒だったのだ。
 優しい手つきで頬や髪に触れてきたのも、壊れものを扱うように抱いたのも、ただの気紛れに過ぎなかったのかもしれない。

「カイン、どうしたの?ぼうっとしちゃって」
 顔を上げるとリディアが不安げな表情でこちらを見つめていた。
「少し考えごとをしていたんだ…何でもない」
「そう?」
 ほんとに?とかわいらしい声でリディアが小首を傾げる。
「…悩んでるなら、私達にも話してね。話さないと伝わらないこともあるんだよ」
「そうだ、そうだ!大体おめぇは無口過ぎるんだよ」
「エッジはお喋りし過ぎなの!」
「な、何だよリディア!誰がお喋りだって!?」
 リディアとエッジは飽くことなく言い合いを続けている。カインはそれを見て小さく声をあげて笑った。
 少し先ではセシルとローザも吹き出している。
「カインが笑ったー!」
「俺も見たぞ!もっと笑え笑え!」
 カインがたじろぐのを見て、セシルとローザは更に笑う。セシルは目に涙を浮かべて笑っていた。
 近頃皆の笑顔を見ることは少なくなっていたから、カインはホッとする。
(話さないと伝わらない、か)
 どうやら自分は無口過ぎるらしい。エッジのようになるのは無理でも、もうちょっと考えを口にした方がいいんだろう。
 セシルとローザへの思いも、二人に打ち明けていれば何かが違ったのかもしれない。
「さあ皆、先へ進もうか」
 目尻の涙を拭いながらセシルが表情を引き締める。
 その声に深い頷きで答えると、止めていた歩みを再開した。







 無事に闇のクリスタルを手に入れ部屋を出たところで、それは起こった。

「か、壁が動いてるっ!」
 リディアが上ずった声で叫ぶ。
 鈍い摩擦音をたてて、壁がこちらへ向かって動き出したのだ。
「…さすが封印の洞窟。クリスタルを取った後も安心は出来ないというわけか」
 カインは眉をしかめながら槍を強く握った。
 早く何とかしなければ手遅れになってしまう。最悪の場合ぺしゃんこだろう。
 思わず想像してしまい、カインの背筋に悪寒が走った。
「なら、ブッ壊すまでよ!」
 にぃ、とエッジが歯を見せて笑った。その表情があまりにも子供臭くて、カインはエッジが何歳だったかをつい考えてしまう。
(到底年上とは思えないな…)
 しかしそんな彼の態度を見ているうちに、敵に対する微かな恐怖が消えていた。
(不思議な男だ)
 かかってこーい!といいながら手裏剣を取り出すエッジを横目に、カインはジャンプの構えをとった。





「やったー!」
「一昨日来やがれってんだ!」
(…終わったか)
 俺の手裏剣のお陰だぜ、と言ったエッジは、リディアにお小言をもらっている。
「本当、最後まで気が抜けないわね」
 ローザは足に傷を負ったセシルにケアルダをかけながら呟いた。
「そうだな」
 苦笑しながらセシルはローザを見て頷く。
「セシル、大丈夫か?」
「これくらいなんてことないよ。カインは?」
「俺は大した怪我はしていない、大丈夫だ」

 全員の無事を確かめた後、慎重に入り口を目指す。
 早くジオット王の元へ行きたい。この闇のクリスタルが最後の希望なのだから。

『カイン』

 声は唐突だった。
 頭に直接響くその声を聞いた途端、カインの体は反射的に硬直する。
 皆にはこの声は聞こえていないのか。

『カイン、聞こえているのだろう?』

 頭に直接響く声は、確かにゴルベーザのものだった。カインは自分の体が操られないよう、気持ちを引き締める。
 自分にはもう、簡単に操られるような後ろめたい思いはないのだ。
 セシルとローザの優しさを思い出せ。
 カインは額に滲む汗を感じながら、皆に怪しまれないようゆっくりとパーティの一番後ろを歩いた。
 
『カイン、お前にはまだ迷いがある』

 そんな筈はない!俺はもう二度と操られない!カインは心の中で叫んだ。

『お前は望んでいるではないか』

 …足が動かない。自分が何を望んでいるというのだろう。
 クリスタルを無事にジオット王に届けることか?皆の幸せか?
 違う。それは事実望んでいることではあるが、邪悪な望みではないのだから。
 周囲の音が遮断され、耳が痛い位の静けさの中にカインは取り残された。
 長い時間考え込んでいるように思っていたが、セシル達はすぐ近くにいる。なのに酷く遠い存在に思えた。
 心臓が早鐘を打つ。

 瞬間、ゴルベーザの寂しげな瞳を思い出した。
 カインの頬を優しく撫でている時も、口づける時も、抱き締める時も、彼は確かに苦しそうだった。

 それはカインの中にずっとあった疑問だった。
 訊こうとして訊けなかったその言葉が頭の中を過った瞬間、カインの喉がひゅうと鳴った。

 お前はどうしてそんな顔をしているんだ?

 お前にもう一度会えたら、訊きたいと思っていた。
 もう一度会えたら。ただ一度だけでいいんだ。お前の口から訊きたいんだ。だから、

「……お前に、会いたい」

「え…カイン?今何て…」
 響いた言葉に、セシルがカインの方を振り返る。
 洞窟内が淀んだ空気に包まれた。
「…なんだ?」
 セシル達は武器を構えて周りを見渡した。
 カインだけが無防備に立ち尽くしている。

『カイン…帰って来い、カイン…そのクリスタルを持ち、私の元へ…』

 声はカインの頭ではなく、洞窟内に響いた。その声を聞き、セシルは低くうめいた。
「ゴルベーザ…!」
 カインの指先は石化したかのように動かない。足もだ。徐々に体中どこも動かせなくなっていく。

 自分がゴルベーザに会いたいなどと望んだからか。これが自分の望みなのか!
 クリスタルを、セシル達を無くすことになっても、何もかもを棄ててでもゴルベーザの傍に自分は居たいのか。

(俺は、誰よりもお前のことを…?)

 自覚した途端、目の前が真っ赤に染まる。強い術をかけられているのだろう。以前の比ではない衝動。体が崩れる感覚。
「しっかりして!」
「大丈夫だ…俺は正気に戻った!」
 カインは目の前がガラスの壁に遮断されたような錯覚を覚えた。見覚えがある。以前洗脳されたときもこうだった。
 体が勝手に動き出す。気付くと、セシルに当て身をくらわせていた。
「うぁっ!」
 セシルが膝を折り、闇のクリスタルが地面に転がる。
 その闇のクリスタルを拾い上げ、カインが顔を上げると、エッジの真っ直ぐな目がカインを射抜いていた。
「てめぇ!」
「カイン!何を!?」
 その疑問に答えたくとも、もうカインの体は自由に動かない。

 感情の増幅。

 一度目に洗脳された時は、セシルとローザを歪んだ方法で自分のものにしたいと望んでいた。
 そして今は…

(ゴルベーザ)

 会いたくて堪らない。抱きしめられたい。口づけが欲しい。
 抑えられない。
 自分はどうかしている。今すぐにでも抱かれたいだなんて。

『私の術を侮ってもらっては困る。この時を待っていたのだ! これでバブイルの塔は完成する!月へ行けるのだ!来るのだ、カイン!』

「カイン!目を覚ませ!」
 セシルの悲痛な叫び声が聞こえるが、その言葉は頭に入ってこなかった。ゴルベーザの声だけが、カインの心を動かした。
「カイン!」
「これで全てのクリスタルが揃った!月への道が開かれる!」
 ゴルベーザの放った言葉を復唱する。目の前の光景がだんだんぼやけて見えなくなっていく。

 セシルの見守るような愛情だけでは足りなかった。
 ローザの慈愛に満ちた眼差しだけでは足りなかった。
 何が足りなかったのか。

(俺はもっと、もっと強く浅ましく求められたかったんだ…)

「待ちやがれ!!」

 後に残ったのは、エッジの叫びとゴルベーザの笑い声だけだった。





 封印の洞窟では微かに残った意識で抵抗をしていたカインだったが、ゴルベーザの元に来たときには、その小さな抵抗もなくなっていた。
 以前かけた術もとても強かったというのに、カインは驚異的な精神力で自分の意識を破壊されないようにしていた。
 しかし、今回の術は更に強さを増している。カインの本来の感情や意識は、もう…


「ゴルベーザ様、只今戻りました」
 玉座に座るゴルベーザの前に、カインはひざまずく。手には目映く輝くクリスタルが握られていた。
 自分はクリスタルが欲しかったのか、それともカインが欲しかったのか。
 所々、ゴルベーザの意識は曖昧ではっきりしなかった。空白の中で自分は何をしていたのか。
 思いだそうとしても、頭がキリキリと締め付けられて思い出せない。
 でも、それももうどうでも良いことのように思えた。こうしてカインが目の前に居るのだから。
「カイン、クリスタルを」
 カインはこくりと頷いて、ゴルベーザにクリスタルを手渡した。
 その差し出された手を強く引き、ゴルベーザはカインを抱き寄せる。
「ゴルベーザ…様…」
 カインの熱っぽい声に、ゴルベーザは驚き、胸が高鳴るのを感じた。
 兜と鎧を脱ぐよう命じる。カインの指先は、震えていた。
 操られている為に暗くなったカインの瞳。その瞳に浮かんでいたのは、紛れもない情欲だった。
「カイン、お前は…」
 言い終わる前に、カインの手がゴルベーザの兜を取り去り、床にゆっくりと置いた。
 命じてもいないのに、主君の兜を勝手に取るとは。
 しかしゴルベーザはカインの動向から目が離せない。叱りつける気も起こらなかった。
 カインは、玉座に深く腰掛けたゴルベーザの膝の上に子供のように跨がる。その唇の端には笑みのようなものすら見てとれた。
「カイン?」
 カインの両腕が、ゴルベーザの首に絡み付く。目を閉じたカインの顔が目前に迫り、気付けばゴルベーザは貪るようなキスをうけていた。
 唾液に濡れた唇同士が、いやらしい音をたてる。ここまでされては堪らなかった。
「…ゴルベーザ様…」
 呟く彼の口元は濡れて光っていた。ゴルベーザはもどかしげに鎧を脱ぎ捨てると、カインを玉座に座らせた。
 輝く金糸から覗く、上目遣いの青い瞳。彼は指を滑らせ、自ら服を脱いでいく。
 扇情的な光景に、ゴルベーザは目眩を覚える。白く長い指は無造作に服を放り投げ、カインは一糸纏わぬ姿になった。
 衝動のままに、ゴルベーザはカインを抱き寄せる。
「俺を抱いてください、ゴルベーザ様…」
 柔らかく耳朶を食まれ、囁かれる。
「お嫌ですか…?」
 甘い誘惑に、抗える筈がない。
 ゴルベーザは腹を減らした獣のように、カインの首筋に食らいつく。
「う…ぁ…っ」
 鎖骨を舐め上げ、次に乳首を口に含んでやると、それはもう固くなっていた。
 カインは体を仰け反らせながらゴルベーザの髪に指を絡ませる。頭を押さえつけるその仕草に、それならば、とゴルベーザはカインの中心を口に含んだ。
「あ、あっ」
 じゅぷじゅぷと音をたてて愛撫してやると、カインの口はひっきりなしに喘ぎ声を洩らした。
 先を吸うと苦味のある液体が既に滲み出ていて、カインに余裕がないことを知る。
「もう、もう…っぁ、ぁあっ!」
 カインの体がびくりと揺れた。
 ゴルベーザの口に白濁した液体が流れてくる。それを手に吐き出し、カインの秘部に塗りつける。
 彼の頬は赤く染まり、唇は忙しなく熱い息を吐いていた。
 潤んだ瞳はこちらをじっと見つめている。カインのそれは期待の眼差しかもしれない、とゴルベーザは思った。
「…指を、入れるぞ」
 カインはこくこくと二度頷いた。それを見て、ゆっくりと指を一本差し込む。カインは小さく息を吐き、足を大きく開いた。

 自然と楽な体勢をとっているカインを見て、ゴルベーザの下腹部がずんと重くなる。
 彼をこんないやらしい体にしたのは、自分なのだ。

 指を二本に増やすと、カインの眉は切なげに歪められる。しばらく抱いていなかったからだろう、二本入れただけなのにそこは酷くきつかった。
「カイン、大丈夫か?」
「だ…じょぶ…です…」
 カインが切れ切れに話す度に、秘部が収縮し、指を締め付ける。
 そっと抜き差しをすると、そこはまるで逃がさないとでもいうふうに絡み付いてきた。
「あぁっ、あ、あ、ぁあっ」
 カインがいやいやをするように首を横に振る。そのしどけない姿に我慢できず、指をもう一本増やした。
「ひ…っ!」
 苦しいのだろう。カインの指がゴルベーザの体を引き寄せる。
 引き寄せられるままに、ゴルベーザはカインの口を口で塞いだ。
「んぅ…ん…んっ」
 舌を侵入させると、彼もまた舌を絡めてくる。その仕草にまた煽られる。
「カイン…」
 ゴルベーザはカインの虚ろな瞳を見つめた。感情の見えない瞳。情火のみが残った瞳だった。
「…おねがいです……ゴルベーザさまの………を、」
 カインの頬には涙が伝っている。
「ここに、くださ、い…」
 膝裏を自らの手で持ち上げる。
 涙を流しながら微笑んでいるその顔は無垢な子供のように、ゴルベーザには見えた。
 ゆっくりと指を引き抜き、自らの猛ったものをあてがう。
 カインは足を寛げた格好のまま、ゴルベーザの目をただ見つめていた。
 曇り空のような色のその瞳を見る度、ゴルベーザの胸は痛くなる。カインはただ操られているだけなのだ、と再確認させられてしまうからだ。

「ゴルベーザ…様…?」
「目を、閉じていろ」
「…はい…」
 猛りを、徐々に秘部に埋めてゆく。
「ぃ…っ!」
閉じられた目からカインの涙が新たに流れ、滑り落ちた。
「カイン…っ」







 こんなにも近くにいるのに、カインを酷く遠く感じる。
 この手に抱いても、まるで脱け殻を抱いているようで、虚無感だけがゴルベーザを覆っていた。

 それは何度抱いても同じことだった。
 むしろ、抱く回数が増えれば増えるほどに虚しさが募る。

 もう少しでバブイルの巨人が復活し、青き星を焼き尽くす。自分の望みは果たされるだろう。

 本当にそうなのか。自分の望みは、それだったのか?

 考えれば考えるほど、頭が軋んで分からなかった。









「あ、あぁぁっ!」
 慣れさせられた体は、簡単に猛ったゴルベーザのものを飲み込んでいく。
 カインの大きく広げられた足が、びくびくと震えた。
「ゴ…ルベー…ザ…さ、ま…っ」
 紅潮した頬。声は上ずり掠れている。長い指はシーツを強く握り締め、白くなっていた。
 青い瞳は、今は見えない。ゴルベーザが巻いた黒い布が、目を覆い隠しているからだ。
「…カイン」
「ん…っ」
 すっかり屹立したものは、我慢できずにとろとろと蜜を流している。
 緩く握ってしごいてやると、カインの口から上ずった声が聞こえてきた。
「いっ…だ、だめですっ…出てしまいます…っ」
「…出せばいい」
「手が…手が汚れっ…」
 言い終わる前に、白濁した液体がゴルベーザの手を濡らした。
「あぁ、あっ……っ申し訳っ…ありま、せんっ…ごめんなさ、ごめんなさいっ…」
 達しながらカインは顔を手で覆う。
 その手は快感からなのか小さく震えていた。

 美しい青年だ、とゴルベーザは思う。
 金の髪はシーツに散らばり、白い肌を彩っている。
 限界まで割り開かれた足の間には猛ったものを深く捩じ込まれているというのに、どこか清らかだった。
「カイン」
 ゴルベーザは広げた足を肩にかけて顔を近付ける。更に深くなった結合に、カインが息をのむのがゴルベーザにも分かった。
 顔を覆う手をそっと剥がすと、目隠しを涙で濡らした顔が現れる。
「お前を叱るつもりはない」
「ゴルベーザさ…っ」
 言葉を唇で奪う。
「んぅっ…ふ…」
 舌を差し込むとそれに舌を懸命に絡めてくるカインに、また、自分を抑えられなくなる。
 ゴルベーザの心を支配するのは、抑えきれない程の情欲と――――。

(この感情は一体何なんだ)

 堪えきれずに抽送を開始する。
「あぁ、あっ!あ、あ、あ!」
 カインの甘い喘ぎに引きずられ、高みへと昇ってゆく。
「もっ…とっ、もっとくださ、い…っ!」
 ペニスは再び立ち上がり、カインの快感をゴルベーザに伝えてくる。
 快感に素直に反応するのは、洗脳されているからだ。
 頭では理解しているはずなのに、どこまでも引きずられる。知り尽くしたカインの体を貪らずにはいられなくなる。
 もっと快感に溺れる顔が見たい。
「あぁ…っでる、でる…っ」
 うわ言のように繰り返すと、白濁した液体が、カイン自身の胸を汚していく。
「……っ」
 きつく締め付けられ、ゴルベーザもカインの中に精を放った。
 達した自身をゆっくりと引き抜くと、カインはそれにも感じるらしく、微かに喘いだ。



 それはゴルベーザにとって酷く懐かしい感情だった。忘れていた。いつだったろう、いつかもこんな気持ちで誰かを想っていた。

 自分は誰かの腹を撫でて、笑い、新しい命の誕生を喜んでいたのではなかったか。
 小さな手のひらと銀の髪を見たとき、今と同じ感情を覚えたのではなかったか。

 どくり、とゴルベーザの心臓は痛いほど軋む。


(―――…愛しい…)


 白い肌が愛しい。
 掠れた喘ぎ声が、握り返してくる手が、愛しい。

 けれどこれはカインの本当の姿ではないのだ。カインの心はとうに消えてしまっている。
 そう仕向けたから、彼を手に入れたいと望んだから。
(心など邪魔な存在だと思っていた)
 カインの透き通っていた瞳は、今は膜がかかったようにくすんでいる。
 本物のカインは、もっと強く、綺麗な瞳をしていた。ゴルベーザは今のカインのくすんだ目を見ていたくなくて、布で隠したのだ。

(見たい)

 顔を近づけて口づける。強い意思が宿った、あの瞳をもう一度見たいと思った。

「…っ」
 突然、カインの体が強張った。
「カイン!?」
 顔は苦痛に歪んでいる。
 抱き起こして膝に座らせるが、はぁはぁと荒い息を吐くだけで、何の返事もしなかった。





 胸が痛い。
 カインが最初に感じたのはそれだった。

(何も見えない……?)

 誰かが自分に触れている感覚はあるのに、見えない為に誰かも分からない。
 頭がやたら痛いのはどうしてなのか。胸も苦しくて、息が切れた。そのせいで声が出ない。

 とりあえず手を伸ばして、自分の近くにいる存在を確かめようとする。

 する、と柔らかい何かに手が触れた。髪だ。…次に…頬か?ああ、やっと呼吸が楽になってきた。
 何だろう、下半身がべたべたする。自分を支えているらしい手は逞しくて。
 ……どうやら自分は誰かとセックスしていたらしい。カインは体に残る熱を自覚した。
(俺を抱こうと思う男なんて、一人しかいないじゃないか)

「…ゴ…ルベーザ?」
 あまりに酷い声だ。しかも喋る度に息が切れる。
 どうして目が見えないのか、自らの顔に触れてみて気付く。何やら目隠しがされていた。何故こんなものを。
 大してきつく巻かれていないそれを、ぐいと引き下げる。
「う…」
 部屋は薄暗いらしく、眩しさは思ったより感じない。首筋が目に入った。顔を少しずつ上げていく。体がぎしぎし痛くてなかなか上がらなかった。
(やっぱり)
「やっぱり、ゴルベーザじゃないか…」
 ゴルベーザは信じられないものを見る目をして静止していた。
 しかめられた眉、悲しげな薄紫の瞳。何かを言おうとしてぴくりと動いた薄い唇は、躊躇った末何も言わなかった。
「お前は、またそんな顔をして俺を…抱いていたのか」
 ずっと訊きたかった言葉がカインの口から放たれる。
「どうしてそんな顔をしている?」
 頬を撫でるとぴくりとゴルベーザの体が震えた。自分の意思で初めて触れるゴルベーザの体だ。

 ずっと、自分の意思で触れてみたかった。

 どうして、とゴルベーザは呟いた。その顔は更に切なげに歪められている。
「…お前の意識はもう消えてしまっていると思っていた」
 言葉と共に突然掻き抱かれ、カインは小さく声をあげる。
 そうして、唇の端に笑みを浮かべた。
「俺の精神力を甘く見るな。あれぐらい何でもない」

 それはカインの嘘だった。
 意識は遠く遠くへと追いやられ、今にも消えそうだったのだから。

「…でも、少し危なかった。声が聞こえてこなければ、今頃は…」
「声?」
「そう、声だ。ずっと誰かが俺の名を呼び続けていた。その声が俺の意識を呼び戻したんだ」
 カインがゴルベーザの胸に頬を寄せると、そこは早鐘を打っていた。
「あれは、お前だったんだろう?ゴルベーザ」
 薄紫の瞳を見つめる。
「…そうかもしれない。私はずっと…後悔していたから」
「後悔、していたのか?」
「そうだ。ずっと、お前を抱く度にお前の死んだも同然の瞳が目に入ってきて。自分が望んだことの筈なのに、お前の…美しい目を…二度と見られないと思うと………」
 最後は言葉にならなかった。嗚咽が混じったからだ。
「だからお前は、辛そうな顔をして俺を抱いていたのか?」
 カインはゴルベーザの頬に指を伸ばし、拭った。ゴルベーザの目は静かに涙を流していた。
「そうだ…一度目に術をかけた後も、私はどうしようもなく悲しい気持ちだった。二度目は、自分でも気付かないうちにお前に術をかけていた。時折そうなるんだ。自分でも分からないうちに動いていることがある…」
 カインはゴルベーザの頭を優しく抱き寄せた。
 そうしなければいけないような、そんな気がした。
「もしかしてお前は、寂しかったんじゃないのか?」
 ゴルベーザの返事はない。
「…俺は、ずっと寂しかった……」
 だから、お前の術にかかってしまったんだ。
「俺はずっと誰かに愛されたかった。セシルとローザにも愛されてはいるけれど、何かが違った。お前は最初、確かに俺を手荒に扱ったけれど、決して傷つけたりしなかった。いつも、優しかった…」
 ゴルベーザはカインの告白をじっと聞いていた。
 お前の寂しげな目が、とカインは続ける。
「お前の寂しげな目が、俺を求めて獣のようになるのが嬉しかった。プライドも誇りもかなぐり捨てた本能だけの俺を、お前は欲しがってくれた。そんなお前を俺は忘れられなくて」
 ゴルベーザの濡れた瞳を見つめるカインの目は、今にも涙を溢しそうに潤んでいた。
 カインはゴルベーザの瞼に口づける。
「二度目の術にかかったのは、俺がお前に抱かれたいと望んだからなんだ…こうして」
 ちゅ、と音をたてて唇を合わせた。
「一度だけでもいい、お前を正気で感じたいと思ったんだ」
 ゴルベーザは黙ったまま、カインに口づけを返す。そうして、ふ、と笑う。見たことのないゴルベーザの微笑に、カインは見入ってしまった。
 何だか気恥ずかしくて、カインはゴルベーザから目をそらした。
「…お前は?どうして俺に会いたいと思った?」
「私は…」
 ゴルベーザに押し倒され、驚いたカインは思わず身を捩った。
「お前の総てが欲しかったんだ、カイン。目や、髪、何よりお前の強い心が」
 足を割り開かれる。羞恥にカインは顔を赤く染めた。
「いきなり何を…ひっ!」
 押し当てられたと思った瞬間、熱い楔を穿たれる。突然の行為にカインはついていけずに何も言うことができない。
 ゴルベーザが出した精液で滑った秘部は、痛みもなくゴルベーザを受け入れていた。
「やっ…!い、いきなり、お前は…っ!」
 操られていた時とは違う、ダイレクトな刺激に頭が真っ白になる。
 ゴルベーザはそんなカインを見て、嬉しそうに笑っていた。
「羞恥を感じたり怒ったりするお前を…見たくて堪らなかった。笑顔も、真っ直ぐな目も」
「んん、んっ!抜いて、くれっ…変に…なりそう、だ…っ」
 カインは必死で喘ぎを押し殺す。羞恥でおかしくなる、と思った。激しく抉るようにされて、恐々自らの下腹部を見るとカイン自身ももう雄を猛らせていた。
 勝手に鼻から抜けるみたいな声が洩れそうになる。恥ずかしくて強く目を閉じた。
「声を聞かせてくれ、カイン。目も、見せて欲しい」
 唇を塞ごうとしていたカインの両手を、ゴルベーザがシーツに縫い止める。
「あ、あぁっ!ああ、あっ」
 体を支配する快感に、カインは翻弄される。激しすぎる動きに、喘ぐしかない。
「…もっと、ゆっくりに、してく、れっ…!おねが、お願いだから…!」
「すまない、止められそうにない。早く、お前の中に出したくて堪らない…っ」
 切羽詰まった様子のゴルベーザの言葉に、カインは目を見開いた。ぞくりと寒気に似た快感が、背中を走り抜ける。
「ばかやろ…っ!……ひぁっ、あっ」
 内壁を擦られる感触。ゴルベーザは幸せそうにカインを突き上げている。
「お前は…っそうして、笑っていろ…っ」
 カインは朦朧としながら呟く。
 ゴルベーザは答えるかわりに笑顔で口づけた。






 無理をさせてしまったな。ゴルベーザはそう言いながらカインの体を抱きしめた。

 いつになく穏やかな気持ちだった。想いが通じ合うというのはこんなに幸せなことなのか。
「ゴルベーザ…お願いだ、クリスタルを俺達に返してくれないか?」
 カインは静かに言う。
「俺は、クリスタルを奪ったときのお前を本物のお前とは思えない。それこそ、まるで誰かに操られている様な、そんな気がするんだ」
「カイン…」
「クリスタルを返してくれ、頼む」
「……勿論そのつもりだ。過去のことはまだ思い出せないけれど、お前がいれば…もう過去など構わない。クリスタルも、私には必要がない」
 更に強く抱きしめられて、カインは苦しい、と言って微笑んだ。
「俺が傍にいれば寂しくないんだな?クリスタルにも手を出さないんだな?」
「…ああ」
「俺は、お前の傍にずっといる。過去が思い出せなくても、お前の母親や父親や兄弟姉妹の代わりにもなってやるから。…勿論、その…」
 言いにくくて、カインは口ごもる。
「こ、恋人にだってなってやる…から…」
 カインは顔が熱くて堪らなくなる。なってやる、とは言ったが、本当は自分がなりたいのだ。恋人に。
「ありがとう、カイン。明日は私と共にクリスタルを返しに行ってくれるか?お前の仲間にも謝りたい」

 互いの温かさに溶かされるように、二人は眠りについた。





 カインが目を覚ますと、ゴルベーザは既に起きていた。
 そうっとカインの頭を撫でながらベッドに腰かけている。
 カインは裸の自分が恥ずかしくて、思わず赤面した。
(体が綺麗になっている…)
 自分が眠っている間にゴルベーザが拭いてくれたのだろう。想像してまた体が熱くなるのを感じ、それを誤魔化す為にカインはベッドサイドに置いてあった水をごくごくと飲み干した。
「何をそんなに必死で…お前は本当に可愛いな」
 くすくすと笑いながら、ゴルベーザはカインの唇のはしを流れる滴を舐めとる。
 舌が離れる瞬間、淫靡に細められた薄紫の瞳と目が合い、カインはどうしたらいいのか分からなくなる。
「な、な…っ!?お、俺はもう着替えるからなっ!」
 ベッドサイドに殊更大きな音をたててグラスを置く。そんなカインの態度が余計に面白いらしく、ゴルベーザは押し殺した声で笑い続けていた。

 金属の触れ合う音が響き、カインは部屋の隅に置かれていた竜騎士の鎧を身に纏う。久しぶりの感触だった。
 新しい鎧と槍。それは以前持っていたものよりずっと頑丈そうなもので。
(ゴルベーザ…)

 カインはこれからクリスタルを返しに行くことを考える。
 自分とゴルベーザはきっと罵倒されるだろう。それでも、何を言われても、きちんと自分の気持ちを伝えよう。
 セシル達に分かってもらえるかは分からないけれど…

『話さないと伝わらないこともあるんだよ』

 リディアの言葉を思い出す。
 もしゴルベーザが術で操られているならば、ミシディアの長に相談するといいかもしれない。

「ゴルベーザ、この後………」


 振り向きざま、カインは強い力で床に引き倒された。
「…っ!」
 痛みに顔をしかめて文句を言おうとした口は、何も言えずに凍り付く。

 赤い瞳が。
 血のように赤い瞳がカインを覗き込んでいた。
「ゴ、ルベーザ…?」
「馬鹿な人間だ」
 赤い瞳をしたゴルベーザが呟く。
 組み敷かれ、カインの被ったばかりの兜が外される。床に金糸が散らばった。
「あのまま大人しく操られていれば、何も分からないまま死ねたものを」
 これは先程までのゴルベーザではない。カインは直感で感じとる。
「…お前は、誰だ」
 ゴルベーザを睨み付けたまま、カインは転がされた槍を手に取り、首に突きつける。しかしゴルベーザは全く動じない。唇の端を持ち上げ、笑っただけだった。
「お前に名乗る名前などない。下等生物め」
「…!」
 赤く暗い瞳が、カインを射抜く。
「まさかゴルベーザのかけた術が解けるとは思わなかった。どうやってこの男をたぶらかしたんだ?」
「おかしな言い方をするな!それより、ゴルベーザの意識をどこにやった!?」
 冷や汗で滑る手を叱咤し、槍を握り直す。
 ゴルベーザの手が、カインの鎧にかかった。
「…お前の体はそんなに具合がいいのか?」
 直接的な物言いに、ぞく、と体が粟立つ。カインはゴルベーザの下から逃れようとして、槍を突きつけたまま後退った。
「ゴルベーザの意識を元に戻さないのなら、お前を突き刺す!」
 異常に喉が乾く。
「お前にできるわけがない」
 ゴルベーザは見下した表情でカインに囁いた。その顔が急に悲しげなものになる。
「……カイン、お前は私を殺すのか?」
 優しい声に、カインの体が戦慄く。反射的に、槍を構えていた左手を下ろして、右手をゴルベーザの頬に伸ばした。
「!」
 途端、笑い声と共に、槍が手の届かない所へ放られる。
 頬に伸ばした手は、床に縫い止められた。
「こんな手に引っ掛かるとは、本当に馬鹿なやつだ……しかし、多少の暇潰しにはなるかもしれないな」
 体がずんと重くなり、カインは身動きがとれなくなる。
「少し遊んでから、巨人復活に赴くとしよう」
 鎧の、胸当てと腹の部分だけが暴かれる。
 ゴルベーザの口元は、嘲笑をたたえていた。
 カインは意味がないと分かりつつ、怒りを込めて赤い瞳を睨み付ける。
「まだそんな目をしているのか」
 獣のような格好に体を俯せられ、背筋を撫でられる。そうしてびくりと震えたカインの肩を、ゴルベーザは擦るように地面に押し付けた。
(どう…して…)
 カインは何とか平常心を装っていたが、本当は気を抜くと涙が溢れそうだった。
 ゴルベーザが誰かに操られているという予想は当たっていたのだ。もっと自分は注意すべきだった。
(俺の不注意だ…)
 布を裂く音。鎧の中に着た服が手荒く破かれる音だった。
 体を繋ぐためだけの、何の思い遣りもない行為だ。
「白い肌だな…こういう肌は、」
 かあっと肩胛骨の辺りが熱くなった。
「思わず傷つけたくなる」
 血が流れる感触に、噛まれたのだ、と分かる。
「ぁああああっ!」
 背中の痛みに気をとられていると、猛りが慣らしてもいない秘部に無理矢理押し進んでくる。そのあまりに無茶な行為に、カインは悲鳴を抑えられなかった。
 切れはしなかったものの、昨晩優しく解された秘部は限界までひらかれる。
 靴も籠手も着けたままのその行為は、酷く獣じみていた。
「…ゴルベーザが惑わされるわけだ。こんなに堕としてしまいたくなる人間は、そうそう居まい」
(惑わされるだとか、俺達はそういうんじゃない…っ)
 カインは不自由な体を何とか少し動かし、籠手を口に当てて喘ぎを押し殺す。
「可愛く泣きわめけばいいものを。そうやって耐えているからかしずかせてやりたくなる」
「…ぅ……っ」
「青き星のものは総て焼き払う気だったが、お前だけは生かしておいてやろうか」
 焼き払うという台詞にカインは一瞬、息が出来なくなる。
「お前が屈従するまで、獣のように鎖に繋いで飼ってやる。命乞いをしながら死ぬといい」
 体が動きさえすれば…いや、体が自由になったとしても、自分にはゴルベーザを殺す勇気はない。
 中身は違っているとしても、体は紛れもないゴルベーザのものなのだから。
「…それと、ゴルベーザからお前に関する記憶を消してやろう」
「なっ…!?や、やめてくれ!」
「お前を愛していたことも、お前から愛されていたことも、お前と出会った時の記憶も綺麗に消してやる」

 次に会ったときは他人だ。

 ゴルベーザの声で、そんなことを言わないでくれ。
 総て、なかったことになるだなんて、そんな…!

「俺は何をされても…っ構わないから…!だから、それだけはやめてくれ…!」

 返事はなく、ただ激しく貫かれる。
 無理に開かされた足が痛い。床をかきむしる指先が痛い。何より、絶望に囚われた胸が痛くて堪らない。

 瞼を閉じた瞬間、堪えていた涙が溢れる。

(ゴルベーザ…っ!)


 たすけて。


 哀願の言葉は、誰にも届かずに消えた。





 俺を呼ぶ声が聞こえる。

 いつかもこういうことがあった、気がする。

「…イン」



「カイン、しっかりしろ」



(ゴルベー…ザ…?)


 散々なぶられた体には、力が入らない。自分を揺り起こすのは誰なのか。…ゴルベーザなのか?


 いや、違う、ゴルベーザはこんなふうに優しく気遣ってくれやしない。
 今はもう、自分のことなど忘れてしまっているだろうから。

「カイン」

 目を開くと、まるで熱でもあるかのように熱い指先が、カインの瞼をなぞっていた。
「目を覚ましたか」
「ルビカンテ…お前、死んだんじゃ…」
 身を起こそうとしたが、体中が痛くてうまくいかない。
 結局ルビカンテが手を引いてくれ、カインは壁に凭れて座ることができた。
「私はある方の力でもう一度命を得たのだ。今から、四天王全員でお前の仲間と戦うことになっている」
(四天王全員…)
 セシル達がここにやってくる。
 自分がゴルベーザを求めたがために、彼等は窮地に陥っているのだ。しかも、結局ゴルベーザの気持ちを捕まえておくことさえ、自分には出来なかった。
(一体、俺は何をしているんだろう…)
「…俺の洗脳が解けていることは分かっているんだろう?どうして、俺を介抱したりした?俺はお前の敵だろう」
 カインの周囲には、回復薬の瓶や、体を拭いたらしき布が散らばっていた。
「…さあ、どうしてだろうな。放っておいたら、お前は確かに死んでいたかもしれない」

 ルビカンテの話によると、カインは肩に槍を刺されて倒れていたらしい。カインは血の気が引くのを感じた。

 ルビカンテはカインの頭を一撫でして、立ち上がる。
「私はゴルベーザ様のことが羨ましかったのだと思う。ゴルベーザ様は人間だ。…今まではモンスター同然だったかもしれないが、お前を愛しているあの人は、とても人間らしかった」
 人間のそれとは違う、大きく、火の象徴が浮いた手をルビカンテは見やった。
「私はもう後戻りすることが出来ない。ただモンスターとして命を全うするだけだ。…セシル達を殺しにいかなければ、あの方に私は殺されるだろう。でも、お前は、お前とゴルベーザ様は……」
 カインはルビカンテの言葉に耳を傾ける。
「お前がいれば、ゴルベーザ様は、そちら側に戻れるかもしれない。だから私はお前を死なせたくなかった」
「ルビカンテ…」
「しかし、私にできるのはこれくらいだ。ここは既に巨人の中…内部は複雑に入り組んでいる。ゴルベーザ様を探しに行くなり、セシルに加勢しに行くなり、あとはお前が自分で何とかするといい。そこまでたどり着ければの話だが、な」
 これを使え、とルビカンテは替えの服をカインに手渡す。
「ゴルベーザ様がお前に、と用意していた物だ。私はもう行く」
「ルビカンテッ!」
 刹那、視線が絡み合う。
 マントを翻すと、ルビカンテの姿はもう見えなくなっていた。






 ルビカンテが施してくれた治療は、カインの体をすぐに回復させた。
 こんなところで立ち止まるわけにはいかない。肩は痛むが、多少の無理は仕方がない。
(セシルに加勢するか、ゴルベーザに会いに行くか……)
 そこまで考えて、カインは立ち上がった。
(しかし、今更ゴルベーザに会いに行ったところで、ゴルベーザは俺のことなど覚えていないだろう…)
 セシルに加勢しよう、と心に決める。
 謝って、許してもらえるのだろうか。また一緒に戦えるのだろうか。
(…とりあえず、進もう)
 ルビカンテが渡してくれた服と、床に放られた鎧を身につける。
 傍に置かれている槍は、血にまみれていた。カインは落ちていた布で、それを綺麗に拭う。
 中身は違うとはいえ、ゴルベーザに刺されたのだと思うと、カインは酷く悲しい気持ちになった。

 とにかく部屋を出て、セシル達を探さなければ。早くしなければ、この星は焼き付くされてしまう。
 扉を開き、廊下へと向かう。

 そうして、カインは走り出した。





 走り始めてしばらくしてから、モンスターだらけだな、とカインは一人ごちた。
 弱いモンスターなら相手に出来ないこともなかったが、こう多くてはきりがない。カインはモンスターからとにかく逃げることにする。
 しかし、どこまで行っても道は想像以上に入り組んでいるしセシル達は見つからないしで、カインは焦りを感じ始めた。

 自分のせいで、この星が焼き付くされてしまう。
 自分のエゴのせいで、皆を死なせてしまう。

 背後からモンスターがビームを放ってくる。それを難なくかわし、カインは槍を振るった。
 切っ先で薙がれたモンスターは閃光を放って爆発する。
 元はモンスターであった屑山を避けて通路を進むと、モンスターが守っていたらしい場所には派手な装飾のスイッチが光っていた。
 もしかしたら新しい道が見つかるかもしれない。カインは防御体勢をとりながら、慎重にスイッチを押した。
 横にあった壁が突然扉に変化し、音もなく開いていく。
 扉の向こうには、久しぶりに感じる外気と青い空が見えた。落ちるかもしれない、と、咄嗟に横の柱で自らを支える。
 風がびゅうと吹き込み、カインの髪を揺らした。
 果てしなく広がる澄んだ青に、カインの胸が締め付けられる。

 ―――美しい色。
 青い空は緑の草原を縁取り、駆け抜ける風が優しく世界を撫でていく。


(この風景を失いたくない…)




 どうにか一人で飛竜に乗ることができるようになった頃、セシルを誘ってバロンの上空を飛び回ったことを思い出す。
 あの時も今のように、青と緑のコントラストを美しいと思った。
 セシルは高い怖いとカインにしがみついて、目に涙を浮かべていた。
 平気さ、風が気持ちいい、と笑ったカインに、セシルは驚いた顔をしていて。


 セシル、俺だって本当は怖かったんだ。でも、俺は素直な方じゃないから言えなかった。

 バロン城の屋上から、危ないよ、降りてきて!と必死に叫ぶローザがお前の名前しか呼んでいないことに、本当は気付いていた。
 泣きそうなお前が、ローザの顔を見つけた時だけは微笑んでいたことも。
 あの頃から、お前とローザは想い合っていると、きっと頭のどこかで分かっていたんだ。



 思い出していくうちに、辛かったはずの記憶が辛くなくなっていることに、カインは気付く。
 今自らの心を掴んでいるのはセシルとローザではなく、薄紫の透き通った瞳だ。
(ゴルベーザ…)
 自分が傍にいなくても、彼は笑顔でいられるのだろうか。
 誰かと笑い、抱き締め合うのだろうか。

 肩の傷が酷く痛む。…それとも痛いのは胸なのか?
 カインにはもう分からなかった。

 扉を閉めて踵を返す。
 思い出に浸っている暇はない。少し道を戻り、まだ通っていない道をカインは走った。
「セシル!居たら返事をしてくれ!セシル!!」
 大声を出せばモンスターが襲ってくると分かりつつ、カインはセシルの名を呼ばずにいられなかった。


「…そこにいるのは誰だ?」


 その声を聞いた途端、カインは身動きがとれなくなり立ち止まる。
 扉を開き、こちらに向かってくる人物。
 ゴルベーザと老人が一人、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
(ゴルベーザ…!)
「セシルを、探しているのか?」
 優しい声音。兜を被ってはいるが、カインには分かった。
 きっとゴルベーザは今、澄んだ薄紫の目でこちらを見ている。
 カインは何も言えずに頷いた。
「お前はセシル達の仲間か?セシルなら、ここを真っ直ぐ行ってすぐのところにいる。ここはもう危ない。早く逃げた方がいい」
 どく、どく、と激しく胸が鳴る。
 やっぱりゴルベーザは自分のことを忘れているのだ。分かっていたことなのに、想像以上の衝撃だった。
 話したいこと、訊きたいことがたくさんある筈なのに、カインは何も言えずに頷いた。
 ゴルベーザと老人は無言でカインの横をすれ違っていく。
 俯いたまま、カインにはその背中を振り返ることができなかった。

(今振り返ったら…)

 今振り返ったら、きっとみっともなくゴルベーザの背中にすがりついてしまうだろう。
 そんなことをしても、ゴルベーザは何も覚えていないのに。

『お前の総てが欲しかったんだ、カイン。目や、髪、何よりお前の強い心が』

 抱き締められ、甘く口づけられた記憶がカインを支配する。
 嬉しそうに笑む彼を、心から愛しいと思った。
(…強くあろう)
 ゴルベーザが愛してくれた、強い自分を大切にしよう。
 あの言葉を覚えていれば自分はきっと強くいられるから。

「っ!?」
 微かに床が震え始め、カインは周りを見やった。
(巨人が崩れようとしている…!)
 セシル達が危ない!
 カインは振り返らずに前進した。





「出口は!?」
 扉の向こうからリディアの叫びが聞こえ、カインは部屋に飛び込む。
(さっきの出口まで皆を連れていかなければ)
「こっちだ!」
 久しぶりに見る仲間の姿にカインは懐かしい気持ちになる。皆がが弾かれたようにこちらを見た。
 ローザと視線が交わり、カインは一瞬びくりと肩を揺らした。
「カイン!」
 エッジは戦闘体勢をとってカインを見据える。
「その手にゃ乗んねえぜ!」
 胸を抉られる感覚に、一瞬頭が白くなる。当たり前の反応だ。自分は裏切った者なのだから…
 しかし、ここは危ない。とにかく信用してもらう他ないのだ。
「話は後だ! 死にたいか!」
 絞り出すように叫ぶと、ローザは皆を導いた。
「早く!」








 魔導船内は、異常な程静かだ。
 皆、カインを見つめて思いを巡らせているようだった。
「…やっと、自分の心を取り戻すことが出来た…今更、許してくれとは言わんが…」
 カインは声を絞り出す。
 今にも胸ぐらに掴みかかりそうな勢いで、エッジは捲し立てた。
「当たりめえだ!てめえのせいで巨人が現れたも同然だ!」
 カインは歯を噛み締める。やはり、自分はこの仲間と一緒に居られないのか。
 そうだ、あんなことをしておいて、戻れる筈がないじゃないか…そう考えた時、ローザの悲しい叫びが響いた。
「やめて!」
「ローザ…」
「ゴルベーザが正気に戻ったから、術が解けたのよ!カインのせいじゃないわ!」
「ゴルベーザ…も?」
 カインがついさっきまで操られていたのだと皆は思っている。
 それは訂正するべきだったのかもしれないが、カインには言い出すことができなかった。
(やはりさっきのゴルベーザは、本当のゴルベーザだったんだ…)
 さっき会った時の、優しい声音を思い出す。
 もうあの声が自分に向けられることはないだろう。
 そう考えて、カインは苦しくなる。
 ローザはそんなカインの様子には気付かずに続けた。
「ゴルベーザは、セシルのお兄さんだったの…ゼムスという月の民が、ゴルベーザの月の民に血を利用していたらしいの」
(ゼムス…!)
 カインの胸がざわついた。赤い血のようなゴルベーザの瞳。
 自分を獣以下として扱った人物。あれは、ゼムスだったのか。
 そして、ゴルベーザがセシルの兄だったなんて…
 カインはセシルを見つめる。セシルは痛ましい表情で床を見やっていた。
「それでゴルベーザはゼムスを倒しに、フースーヤと月に向かったの」
 口ごもったローザの代わりに、リディアが話す。
「ゴルベーザが…セシルの兄……」
 ゴルベーザを操った者。好き勝手に操り、この星を滅ぼそうとし、ゴルベーザの記憶を消した人物だ。
 そうして、兄弟同士が戦い、殺し合うのを涼しい顔で傍観していた人物だ。
 なら、自分が進むべき道は見えている。
「ならば俺も、この借りはそのゼムスとやらに返さねばなるまい!」
 強いカインの声に、セシルがハッと顔を上げる。エッジはカインを真剣な眼差しで見つめた。
「また操られたりしなけりゃいいんだがな」
「…その時は遠慮なく、俺を斬るがいい!」
 それを聞いたエッジは、嬉しそうに微笑み、言う。
「なら俺も行くぜ!そいつに一太刀浴びせなきゃ、気が済まねえ!」
「エッジ…」
 もうカインに迷いはない。エッジもそれをわかっていて、わざと言葉で試したのだとカインは知る。
 離れたところで佇んでいたセシルが、カインに近づいてきた。
「行こう…僕も…月に行く!」
 ぎゅう、とカインの手が、セシルに握られる。握手ではなく、思わず握ったという風だった。
 こんなことをしてくるなんて、子供の頃以来だ。
 セシルの手は、震えていた。
(セシル…)
 力になりたい。
 自分がどんなに裏切っても、セシルは信じてくれていた。
(今度は俺が返す番だ)
 幼い頃やっていたように、セシルの髪をそっと撫でる。
 セシルは一度驚いた顔をして、そっと頬をほころばせた。
 その笑みは、ゴルベーザのそれとよく似ているようにカインには思えて。
(セシルを見る度に、俺はゴルベーザを思い出すのか…?)
 カインは自嘲して目を閉じた。



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