誰かに呼ばれたような気がして、ゴルベーザは青き星を振り返った。
気のせいだろう、と思いながら、青き星から目を離すことができない。
月に降り立った今は遠い星。自分が滅ぼしてしまおうとした星だ。
(自分勝手な憎しみにかられて、私は…)
セシルの容姿は、思い出の中の母とよく似ていた。
愛しい弟。お兄ちゃんになるんだ、と喜んでいた記憶が不意に甦り、懐かしさに目頭が熱くなる。
腕に抱いた小さな命は、とても温かくて甘い匂いがした。
その弟を捨て、ついには殺そうまでとした自分。操られていたとはいえ、到底許される行為ではなかった。
風が吹く。
―――記憶の中のミルクの甘い香りが、草原と太陽の香りに変わる。
握りしめた小さい手が、白くて長い指を持つものに変わった。
ぞく、と体が粟立つのをゴルベーザは感じる。
晴れた空の如く青い瞳に射抜かれ、胸が苦しくなる。
愛しさが胸に込み上げ、堪らない気持ちの波が心の中に押し寄せた。
(これは、誰だ?)
「どうした?」
立ち止まったゴルベーザに、フースーヤが問いかけた。
その声に引き戻され、ひゅうとゴルベーザは息を吸う。
「いえ…何でも…」
あれは誰だったのか。
答えが知りたくて、ゴルベーザはもう一度青き星を振り返った。
●
その日、試練の山は前日の雨が嘘のようによく晴れていた。
星が美しく瞬き、風がカインの頬を優しく撫でていく。
まるで、最初から何もなかったのではないかと錯覚するほどに、世界は静かだ。
ゼムス…いや、ゼロムスとの戦いは、苦しいものだった。
しかし、自分達は様々な人々に助けられ、ゼロムスを倒すことができた。
力を合わすことの大切さや、仲間の優しさを改めて感じた。
『邪悪な心は消えはしない。どんなものでも、正なる心と邪悪な心を持っている。クリスタルも光と闇が、そなたらの青き星にも地上と地底があるように…
しかし、邪悪な心がある限り、正なる心もまた存在する。ゼムスの邪悪に向かったそなたらが、正なる心を持っていたように…』
フースーヤが話していた言葉が、カインに重くのしかかる。
確かに迷いはなくなったが、セシルとローザの結婚式に出席する資格は自分にはまだない、とカインは思う。
セシル達への薄暗い想いを全て吹っ切ることができたと分かっていても、その考えは変わらなかった。
例えこの星が滅んでも、ゴルベーザの傍にいたいと、あの時確かにカインは思った。そんな自分が許せなかった。
(しかし、俺は…)
今も、本当は。
(ゴルベーザ…)
答えなどとうに出ているというのに、記憶はゴルベーザを辿ってしまう。
月に残ると決めた彼を、本当は繋ぎ止めたかった。
一緒にいてほしいと言いたかった。
この山に登り、どんなに修行を重ねても、想いは消えない。心から会いたいと思うのに、もう声すら届かない。
いつか彼は自分以外の人を愛するだろう。あの優しい薄紫の瞳で愛する者を見つめ、慈しむようにその体を抱くのだ。
自分以外の、誰かを。
「ゴルベーザ…ッ」
体が、心が、ゴルベーザの欠片を探し求める。
『羞恥を感じたり怒ったりするお前を…見たくて堪らなかった』
涙で視界がぼやける。自分をあんなに愛してくれる者は、きっと二度と現れないだろう。
ぼたぼたと涙が地面に吸い込まれていく。何度泣いたら自分は気が済むのか。
(馬鹿だな、俺は。もういくら考えたって、あの時間は戻ってきやしないのに…)
ぐいと目元を拭い、カインは設置してあるテントへと向かった。
汚れた体を濡らした布で清めてから、毛布に潜り込み、ぎゅうと目を閉じる。
疲労した体は徐々に眠りに誘われいった。
(……何だ…?)
風を体に感じ、うっすらと目蓋を開く。目の前に現れたのは、白く小さな花だった。
いつの間にか、カインは草原で眠っていた。青い空に浮いた雲は、強い風に流されて形を変えていく。
頭を起こし、周りを見渡す。このひたすら続く草原に、カインは見覚えがあった。
(バロン?)
そうだ、ここはバロン城の前の草原だ。だが、当のバロン城がどこにも見当たらない。
(これは夢か…)
もう一度この場所に横たわって目を閉じてみようか。そうすれば次はきっと朝に違いない。そっと頭を叢に下ろす。あとは目を閉じれば……
「お兄ちゃん、誰?」
突然降ってわいた声に、カインは驚いて飛び起きた。
「こんなとこで寝てると風邪ひくよ、お兄ちゃん」
緩くウェーブした銀糸が風に揺れている。深い海のような双眸は、真っ直ぐにカインを見つめていた。
これは、この少年は。
「セシ…」
言葉はもう一つの声に遮られる。
「セシル!何やってるんだよーこっちこっち!」
少年―――幼い頃の姿をしたセシルが走り出す。行き着いた先には飛竜を連れた、金髪の少年が立っていた。
「ほら、行くぞ」
「カイン、あの、僕…やっぱり怖いよ」
セシルがしゅん、と項垂れてもう一人の少年―――カインの手を握りしめた。
「大丈夫だって。お前にも見せてやりたいんだ。綺麗なんだぜ、空から見るお城って。お前の部屋より、うんと高いところに行けるんだ!」
幼いカインは大袈裟に手を広げて話す。
その雰囲気にのまれたのか、セシルは興味津々といった表情で、ほんと?と呟いた。
幼いカインは、ほんとだって、と言いながら、セシルの手を引っ張った。
「さあ、行こう!」
二人は飛竜に乗ると、わけもなく大笑いした。
笑いが収まり風の音だけが聞こえるようになった時、何かに気付いたように、セシルがこちらを見た。
「お兄ちゃん!」
「な、何だ?」
「僕、お兄ちゃんの帰りを待ってるからね!ローザと一緒に、ずっと待ってるから!」
セシル!
その名を呼ぶ前に、セシルの姿も、幼い自分の姿も、青い空や草原も、風に溶けるように消えていく。
かわりに薄ぼんやりとした景色が、徐々にはっきりと現れてくる。
入れ替わるように周りに見えてきたのは、機械的な壁とシンプルなベッドだった。
見覚えがある……!
訳の分からない悲鳴をあげそうになって、カインは自分の口を手で塞いだ。
(バブイルの塔だ…!)
ここはバブイルの塔にある、ゴルベーザの部屋だ。
ベッドサイドに置いてあるカップには紅茶が淹れられ、それからは湯気がたっていた。
そうだ、操られていた自分は、いつも紅茶を淹れて、こうして彼が来るのを待っていた。
「今夜は私の部屋に来い」と命ぜられて。
背後で扉の開く音がした。
振り向こうとするのに、振り向けない。誰かが背後に近づいてくる気配がする。
膝が震える。
これは夢だ、夢だ、夢だ!!
呪文のように唱えても、期待に胸が熱くなる。
夢から覚めて、落胆するのは自分なのに。
後ろから伸びてきた腕が、カインを強く抱きすくめた。
「……っ!」
震えが止まらない。
間違いなく、数えきれないほど求めた腕の感触だ。
頭に頬が触れてくる感覚に堪らない気持ちになる。
唇が戦慄くが、漏れるのは嗚咽だけだった。
「…カイン」
名を呼ばれ、体中に痺れが走る。立っていられない。
何度も夢に見た。ゴルベーザと抱き合う、幸せな夢を。
しかし、夢は夢なのだ。目覚めれば現実が待っている。
一人で目覚めるという虚しい現実が。
「いや、だ…!触るな…っ」
カインは首を力なく振る。
「…カイン」
涙が止めどなく溢れてきて、目の前が霞んで見えなくなる。
腕が、お互いが対峙するようにカインの体を反転させた。
はっきりしない視界に飛び込んできたのは、薄紫の優しい瞳だった。
「あ……ぁ……」
ゴルベーザの顔が近づいてくる。唇に口づけを落とされ、反射的に目蓋を閉じた。
ちゅ、と触れるだけの口づけは、徐々に深いものへと変わっていく。
舌を追いかけられ、絡め取られる。
焦がれてやまなかった感触に、カインは理性が瓦解していくのを感じ、ぶるりと震えた。
「んぅ……っう…ん…っ!」
何もかも奪い取ろうとするようなキスに、頭が真っ白になる。
同時に、自分を抱きしめているゴルベーザの手が酷く熱いことに気付き、彼も体を熱くしているのだと知った。
(ゴルベーザ…ッ)
性急に胸をまさぐられ、喘ぎをあげるが、それはゴルベーザの唇に奪われて音にならない。
漸く唇が離されたときには、カインは抱き抱えられるように、ゴルベーザの腕に支えられていた。
「カイン……」
抱き上げられて、ベッドにそっと横たえられる。
その懐かしい手触りに、これは現実なのかもしれない、などと馬鹿げたことを考える。
触れてくる手に、体をなぞる舌に、意識が持っていかれる。
胸が痛くて堪らない。
夢だと分かっているのに、この温もりを離したくなくて。
「会いたかっ…た……っ!」
それを聞いたゴルベーザは一瞬驚いた表情をする。
その後、眉根を寄せて、ふ、と微笑んだ。
繋がった部分からぐずぐずと溶けていくような気がした。
いや、溶けてしまいたいと自分が望んだのかもしれない。
「あ、あぁっ…あっ……ああっ」
仰け反った首筋に歯をたてられ、全身に甘美な痺れが走った。
抱え上げられた足へ這わされる指に、神経が集中する。
濡れた音が響く。限界が近づく。
嫌だ、ずっとこうしていたい。
また、目覚めれば一人になってしまう。
(一人は、嫌だ…)
「あぁ、ぁ…っ!……っ!」
終わりなんて来てほしくないのに。
なのに、早く出せとでも言うように、ゴルベーザは抉り、突き上げてくる。
悲しみを纏うゴルベーザの瞳に、胸がざわついて息が苦しくなった。
「出したくな……い…っ!いやだ…いやだ……ぁっ!」
屹立したものを緩く擦られる。
嫌だって言っているのに、どうして!
悲鳴は口づけにかき消される。
絶頂の瞬間、彼が消えてしまうかもしれないと思い、背中に手を回し、爪をたてた。
「ああぁっ!!」
(あつ、い…っ)
最奥に流れてくる液体を受け止める。
自らの放ったものが腹に散る。
耳元に感じる荒い息遣いが愛しくて堪らなかった。
「どこにも、行かないで…くれ…っ…」
言葉も空しく、繋げた体が離される。
ゴルベーザは自らの着衣を整えると、慣れた手つきでカインの体を濡れた布で綺麗に浄めた。
以前のゴルベーザは、この後、カインを胸に抱いて眠りについていた。
なのに、ゴルベーザはカインの体に服を着せ、シーツを掛けると、ベッドを下りて踵を返した。
追いかけたいのに、体が動かない。
「俺の傍にいてくれ、ゴルベーザ…!」
どうにか口を動かす。
ぴたり、とゴルベーザが歩みを止めた。
「もう夢でも構わない…二度と目なんか覚めなくてもいい…っ」
次は足を動かそうと必死に力を込める。
思ったように動かせずに、カインはベッドから転げ落ちた。
驚いた顔でゴルベーザがこちらを振り向いた。
痛みを堪えて上体を起こしたカインは、その薄紫の瞳を見つめて話を続ける。
「お前が幸せそうに笑っていられるなら……もう俺が傍にいなくてもいいんじゃないかと思っていた…」
ゴルベーザが肩を小さく揺らす。
「でも、夢の中ですら、お前はまた泣きそうな顔をしている……」
あのとき、言ったのに。
「…笑っていろって、言ったのに」
ゴルベーザの唇が震える。
無理に微笑もうとしているのだとカインには分かった。
「カイン、お前は思い違いをしている」
「…どういうことだ?」
「ここは、お前の夢の中ではない」
ざぁっ、という音と共に、景色が掻き消える。
そして次の瞬間、目に入ってきたのは鮮やかな緑色をした木々達だった。
「これは、私の夢なんだ」
「お前の、夢?」
カインは理解できずに、言葉をそのまま繰り返した。
「そうだ。私は月で眠っている。そこでこの夢を見ているのだ」
「…じゃあ、俺がお前の夢の中に……?」
信じられない。そんなことがあり得るものなのか。
ゴルベーザはゆっくりと頷いた。
「…以前、私はお前を術で操っていた。その術がお前の中に燻り、残っていたのだろう。私がお前を望み、お前が私を望んだ。おそらくそれで…術が作用したのだ」
カインは信じられない気持ちでゴルベーザを見た。
それが本当だとしたら、これは本物のゴルベーザなのだ。けれど、それを容易に信用する気にはなれなかった。
(俺は、単に自分に都合のいい夢を見ているのかもしれない)
一つ解せないことがある。ゴルベーザの記憶について、だ。
「…お前は、俺を忘れていたはずだ。何故、俺を……抱いた?俺を、思い出したのか?」
ゴルベーザはカインに近づき、屈んだ。
長い指が頬に触れてきて、カインは体を震わせる。
ゴルベーザはその体を抱きしめると、ぽつりぽつりと話し始めた。
私は、お前達と別れた後、フースーヤと共に眠りについた。
眠りについて最初に夢に出てきたのは、草原に横たわる竜騎士の姿だった。
酷い地割れの側で傷つき、倒れていた。
私はすぐにそれが、セシルの仲間の者だと気付いたが、何故こんな夢を見るのか自分でも分からなかった。
夢の中で、私は兜を外したお前から目を逸らせずにいた。
お前の瞳を見たい、と無性に思った。
最初の夢はそこまでだった。
次に見たのは、お前を抱く夢だった。
お前は従順に、色の無い瞳で私に抱かれていた。
その瞳が途方もなく悲しいものに思えて、悲しさを紛らわせるように何度もお前を抱いたが、虚しいだけだった。
操られているお前は、確かに私の命令を何でも受け入れたが、私が欲しいのはそれではなかった。
次に見た夢では、お前は笑っていた。
抱きしめると恥ずかしそうに微笑み、盗むように口づけると顔を赤くしながら怒っていた。
笑っているゴルベーザが好きだ、と言って、お前ははにかむ。
ころころと変わるその表情が、堪らなく愛しいと思った。
望んでいたのはこれだ、と気付いた。
手離したくないと抱きしめるが、幸せな夢は長くは続かなかった。
お前は、次の夢では泣いていた。泣いて、私に助けを求めていた。
それなのに私はお前を手荒に犯すんだ。
逃れようとする体を術で縛り付けて。
私はそうしてお前の体に、槍を…刺した。
刺して尚、なぶり続けた。お前が身動ぎすらしなくなるまで…
そこまで話すと、ゴルベーザは口をつぐんでしまった。
「ゴルベーザ…?」
「…次の夢では、頭の中で響く声が、お前のことを忘れてしまえと嘲笑っていた。夢の中の私は痛みに堪えきれずに記憶を手離していた。その時、知った。私は記憶をなくしていたのだと…」
カインはゴルベーザの涙に揺れる瞳を見つめることしか出来なかった。
「私は確かにお前を一度忘れてしまった。けれど…夢で会ううちにお前をもう一度愛しいと思うことができた」
「ゴルベーザ…ッ」
嫌な感じがした。
ゴルベーザが放つ言葉が、まるでこれで最後の会瀬だと言わんばかりに懐かしげだったからだ。
「…例え夢の中とはいえ、こうして、本物のお前に会えただけでも私は幸せだ、カイン」
ゴルベーザの手がカインの背中を撫でる。
宥めるようなその動きに、カインは頭がぼんやりとしていくのを感じた。
「…お前の笑顔が、好きだった」
ゴルベーザは別れを告げようとしている。
カインはゆるゆると首を横に振った。
脱力感が全身を襲う。
背中を撫でるその手に術をかけられているのだと気付いたが、どうすることも出来ない。
「本当はお前の傍にいたい…だが、私はもう行かなくてはならない」
嫌だ、とゴルベーザにしがみつく。
はらはら、と周りの木々から葉が舞い落ちる。
「このままここにいたら、お前は目覚めることができなくなる。お前の肉体は眠ったまま朽ちてしまうだろう」
それでもかまわない、ゴルベーザの傍にいたい。
そう言ったカインにゴルベーザは微笑みかけた。
「私は、お前に生きていて欲しい。生きて笑っていて欲しいんだ。…その強く美しい瞳で」
強く吹いた風が、全ての景色をさらう。
嫌だ、嫌だ嫌だ!!そう叫ぶのに、景色は無情に霞んでいく。
「…さよなら、カイン。お前を待つ者達の元へ帰りなさい」
涙で潤んだその声は、子供を言い聞かせるような調子だった。
抱きしめていたその腕が消える。景色が消える。
辺りに激しく葉が舞い、何もかも…カインの叫び声ですら、かき消してしまう。
一人になりたくない。
一人は嫌なんだ。
「…お兄ちゃん!」
「お兄さん!」
小さな二本の手が、カインの袖を掴む。
セシル、ローザ!
「僕達、待ってるって言ったじゃない」
「そうよ、私達はいつも一緒よ」
ほら、カイン。お前は一人きりなんかじゃないだろう?
ゴルベーザの優しい声が、聞こえた気がした。
●
何という、夢を。
カインはあまりの衝撃に動くこともできない。
顔が涙でぐっしょりと濡れていた。
目に入る風景はいつもと変わらないテントの中だ。
(ゴルベーザ…)
抱きしめられた感触がまだ残っている。
何てリアルな夢だったんだろう。
テントの入り口の隙間から覗く空はもう既に日が高くなっていて、随分眠りこけていたのだと知る。
ゆっくりと起き上がったカインは、自分の手が何かを握りしめていることに気付いた。
握りすぎて固まっている指をそっと開く。
それは青々とした葉だった。
夢で見た、葉だった。
全身が粟立つ。カインは葉から目が離せない。
潰れた葉から青臭い匂いが漂った。
あれはただの夢ではなかったのだ。
ゴルベーザは笑っているお前が好きだ、と言ってくれた。
お前を待っている者達がいるだろう、と。
そうだ、自分は一人きりなどではない。
セシルも、ローザも、そしてゴルベーザも……
激しい心の軋みにみまわれて、カインは葉を両手に包み、胸に抱く。
カインの中に在った長く暗い夜が、明けようとしていた。
「……!」
バロンの自室で窓の外を眺めていたセシルは、突然のことに息を詰めた。
「どうしたの?セシル」
セシルの様子をおかしく思ったローザは、心配げな表情でセシルの傍に寄り添う。
「いや……兄さんの声が聞こえたような気がして……」
「何て…?」
「気のせいだよ。たぶん…」
沈黙した二人の耳に、どたどたとした音が聞こえてくる。
驚いて振り向くと、満面の笑みをたたえたシドが立っていた。
「何じゃあ!二人ともまだこんな所におったんか!折角の晴れの日に何をしとるんじゃ!」
「ごめんなさい、つい」
明るい調子のシドの声に、ローザの声も明るいものになる。
「まったく!イチャつくのはこれから嫌というほど出来るわい!ささ、ローザ!いやいやお妃様じゃったか!」
茶化した話し方で続けるシドに、ローザはクスクスと微笑む。
「いいわよ、ローザで」
「そうか!?ではローザ!花嫁たる者化粧が肝心じゃ!メイドに用意させておる!さ!急がんか!」
「ええ!分かったわ」
言葉と同時に走り出したシドは、またもや大きな音をたてて階段を降りていく。
にっこりと微笑んだセシルは、そういえば、とローザに話す。
「昨日の夜、夢を見たんだ。小さい頃、僕とカインが飛竜に乗って…」
「…待って!私も、その夢を見たわ…!飛竜に乗るあなたとカインを、城からドキドキしながら眺めている夢を」
二人は顔を見合わせる。
「懐かしい夢だった…カインはずっと楽しそうに笑ってた」
「…ええ…私が、危ないわよって叱っても、笑っていたわ」
セシルは再度、窓の外を仰ぎ見る。
「…カイン…帰って、くるよね」
「当たり前じゃない、帰ってくるわ。だって私達は親友だもの。また、私達は一緒に―――」
階下からシドがおーい、早くせんかい!と呼ぶ声が聞こえてくる。
いけない!とローザは口元を押さえた。
「みんなに会うのも久しぶりね。そろそろ来る頃よ!セシルも急いでね!」
「ああ」
階段を降りていくローザの後ろ姿を見送ると、セシルは空を見つめた。
(…兄さん)
果てしなく青い空は、もう何の言葉も返さない。
それでも、確かにセシルの耳はその声をとらえていた。
「聞こえた…確かに…兄さんの声で……さよならと……」
様々な想いを青き星に残し、月が遠くへと離れていく。
また会える日が来るだろうか。
見えない何かに祈るように、セシルとカインは目蓋を閉じた。
End