And if I die before I wake.



2.



「大丈夫?古泉くん、顔色悪いわよ」

無遠慮なほどの態度で下から僕の顔を覗き込んだ彼女は、きらきら光る大きな目で数回瞬いた。
普通の男であれば(『普通』であった時点で彼女がこんな行為をすることはないのだろうが)眩暈さえ覚えそうな至近距離にも、慣れか職業病か動揺もなく微笑む事が出来た。

「いえ、大丈夫です。ちょっと寝不足なだけですから」
「別に寝る時間惜しまなくても古泉くんなら大学受かるでしょ?」

これまた勢い良く姿勢を戻し、少しだけ首を傾け両手を腰に宛ててさらりとそんなことを言う。「彼」にはこんなストレートな褒め言葉など使わないくせに、僕や他のSOS団の面々にはいやに素直な言葉を与えたりするのだ。
世辞は言わず、思った事を、事実を、そのまま述べる姿は心地良い。

「光栄なお言葉ですが、そんなことはありませんよ。意外と必死です」
「そうなの?ホントに意外ね」

勿論、受験で寝不足など嘘に決まっている。
大学に入ることにそこまでの労力を使う必要性も、価値も見出せない。どちらにしろ機関に所属し続ける以上、優雅なキャンパスライフなど送れるかどうかも怪しいのだ。必死になるのは馬鹿げている。

寝不足の本当の理由?あえて言うなら――『夢見が悪かった』
それだけのことだ。

「涼宮さんは問題なさそうですね」
「あったりまえでしょ?あんなパターンの決まった問題で落ちる奴のがオカシイのよ」

世の受験生が聞いたら青筋を浮かべて怒り狂うか、再起不能なまでに落ち込みそうな台詞だ。その場を誤魔化す為ではなく、自然に苦笑が漏れた。

「しっかしキョンのヤツ遅いわねぇ」
「仕方ありませんよ。進路相談、でしょう?」
「どうせ成績が芳しくないからって志望校のレベル下げるとかどうするとかそんな話でしょ?」

SOS団の一員として恥ずかしくないのかしら!!と可愛らしい頬を軽く膨らませて唇を尖らせる。
急に思い出したように怒り出すそれも、ただ彼の顔が早く見たいだけなのだろうと思うと、なかなかに微笑ましい。


そう。
彼は、次の日もなんら変わりなく学校に来ていた。
普段通りにするという約束を守ったと考えるべきか、昨日の今日で休んだとあっては何かあったと思われるのは必然的であると彼が考えたからなのだろうか。
どちらにしろ、彼は、学校に来ているのだ。
そして、部室に来ようと、している。

何とも言い難い靄を抱えているのは自覚している。人差し指と親指で形を確かめるように弄っていたはずのルークの底がいつの間にかコツ、コツ、と盤面を叩いていたのだから。
これは喜怒哀楽の4つの内ならばどれに属する感情がもたらす行動だろうかと、いやに遠回しで捻くれた思考でクイーンを弾き飛ばした。ああ、手を間違えた。やはりチェスは一人でするものじゃないな。つまらない。

僕は目前の戦場を放棄して、手元に置かれた温かな湯気を立たせる湯飲みを掴む。
掌にじんわりとした熱を感じながら口元へと近付けたあたりで、

コンコン。

聞き慣れたノック音がした。

「おっそいのよ!!」

「いいわよ」でも「はい」でもない、それでも入室を了承する怒号に扉は脱力気味に開いた。
彼はこれ以上ないだろうというくらいに眉を寄せた最悪な顔で涼宮ハルヒのしかめっ面と対峙し、数秒の後に身体全体で溜息をついた。
背筋を伸ばす気も起きないのか、背を丸めたままゆらりと彼の定位置へとやってくる。椅子が壊れそうな音を出すほど乱暴に座った彼は、そのまま長机の上に上半身を突っ伏した。

「あー、くそ・・・グチグチグチグチ言いやがって・・・っ何が『分かってるのか?』だ!俺が一番分かってるに決まってるだろうが・・・!」

余程にネチネチとやられてきたらしい。
仁王立ちをしていた彼女も、その様子に若干同情の色が浮かんでいる。

「お疲れ様です」
「・・・・・・」

僕の何気ない台詞に、彼は伏せた腕の隙間から顔をほんの少し出して僕の表情(おそらく苦笑しているはずだ)を確認して、また自分の腕に埋まった。
嫌味かそれは、と言わんばかりの目をしていたが、一瞬その目を「作る」時間があったことに僕は気付いてしまっていた。『あんなもの』さえ見なければ、彼の違いを見極めることなど有り得なかっただろうに。最悪としか言いようがない。

「キョンくん、大丈夫ですか?」
「ああ・・・ありがとうございます」

ふんわりとした空気で彼の棘を柔らかくすることに掛けては右に出る者はいない愛らしい少女は、湯飲みを片手に眉を下げていた。
彼が彼女相手には顔の筋肉が異様な程優しくなるのは相変わらずだ。

「というかですね」
「はい」
「朝比奈さんは卒業したんですから、わざわざここに顔を出さなくても良いんですよ?」

声を掛けられた朝比奈みくるは困ったように笑う。そして涼宮ハルヒは吼えた。

「何言ってんのよ!みくるちゃん以上にメイド服の似合う美少女なんていないの!!それにSOS団は高校っていう狭い範囲に限定されたちゃっちい組織じゃないの!!そんなんじゃあ世界は狙えないのよ!」
「お前はどこの世界を狙うつもりなんだ・・・っ」

この分だとSOS団が世界規模の大組織になる日も近そうですね、と間に入っていったら彼に思い切り睨まれた。
世界を大いに盛り上げる、結構なことだ。自分の所属する腐った機関と比べたらなんと有意義で素晴らしいものか。
と、いうのは間違っても口には出さなかった。

「良いの、キョンくん。あたし楽しいですから」
「朝比奈さん・・・」
「それに、このメイド服も時々着ないと落ち着かないの。困ったな」

栗色の髪を揺らして、彼女は微笑んだ。寂しそうに見えたのはおそらく僕だけではないのだろう。
彼も苦々しい顔で口を噤んでいる。

朝比奈みくるが何度もここに足を運ぶ理由も、あの長門有希が最近本を読まずにこの部屋で僕達の遣り取りを黙って眺めている理由も、彼は理解している。


――長門には帰って来いとは言ったんだ。


と、彼は僕に零していたが、果たして彼女が頷いたかどうかまでは聞いていない。



別れの日は近く、卒業と同時に僕は・・・いや、彼は多くのものをなくすのだ。


そして彼がなくすものの中に、僕が入っているだろう事がどうしてか切なくてならなかった。





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※And if I die before I wake = もし目覚める前に死んだなら


2話。本編最終回にはきっとみんな(少なくともみくるは帰っちゃうでしょうし)別れちゃうんだろうな、と思うと切ない。でも、みっくるんは卒業しても帰るギリギリまでOGとして普通にいると思うんだwww
(07/06/20)