And if I die before I wake.



11.



僕が玄関に来た時、彼はつまらなそうにそこに立っていた。クラスの違う僕と彼の下駄箱の場所は異なっているので、彼が僕のクラスの下駄箱の前にいるということはつまり僕以外のメンバーは既に揃っているということなんだろう。

「遅れて申し訳ありません。ホームルームが長引きまして・・・」

僕は息を切らせたまま頭を下げた。謎の転校生としては頂けない所作であったが今はもう気にする事もないだろう。むしろ遅刻しておいて涼しい顔をしているほうが余程顰蹙を買う。

「おう、ご苦労さん。お前んとこの担任、また長話してたんだってな。他のクラスのやつが同情してた」

遅れた事を特に咎める気は無いらしく、彼は唇の端を引き上げて「俺んとこで同じ事したらハルヒがブチ切れるだろうな」と言う。僕がそれに「それが分かっておられるから貴方のクラスのHRは早いのでは?」と冗談めかせて返すと、「いや、単に岡部が体育会系で話ベタだからだろ」とこちらが不思議に思うくらい可笑しそうに笑った。

「って、お前はそこで立ってねえで早く靴履け。靴履くぐらい話しながらでも出来るだろ」

彼は鞄をだるそうに担いだまま「早くしろ」とまだ少し息の荒い僕を急かした。彼はまだ唇に笑みの名残を持っている。機嫌が良いのだろう。

僕は彼に従い上履きを脱ぎつつ、周りに視線を走らせた。下校時で人口密度の高い玄関、そのざわめきの中にあるべき声と姿がない。来たときには下駄箱で死角になって見えないだけだろうと意識もしなかったが、どうやら本当にここにはいないらしい。

「アイツらならもう外に出てるぜ」

彼が僕の思考を読んで(実際の所、僕はそれほど戸惑ったように辺りを見回していたんだろう)、親指で自分の後方を指し示す。指先を辿れば、遠くからでも映える黄色いリボンがひらひらと舞っていた。制服の集団の中で(あらゆる意味において)一際浮いている私服姿の女性を羽交い絞めにしつつ、くるくるとその身体を振り回している。ワルツを踊っているようにも見え無くは無いが、相手をさせられている彼女は遊園地のコーヒーカップにでも乗せられたような顔色だ。耳を澄ませばガラス越しに賑やかな声が届いた。

その輪から一歩離れた場所でいつものように静かに手元の本に目を落としている少女に、図らずも唇が綻んでしまった。

「・・・そう言えば長門さんに朝からお会いしてしまいまして」
「ほう」
「心配して頂きました」

黄色いリボンが視界に入るのだろう、時折長門さんは顔を上げる。その度に不規則な動きを目で追っているのか瞳がくるりと動く。こうして見ると、涼宮さんや朝比奈さんとはまた違った愛らしさというものがある。彼が過保護になる(という表現もどうかと思うが)気持ちも分からなくもない。
彼はそうか、と僕の視線の先に優しい眼差しを送り(見てはいなかったが声が殊更に優しかったから表情は何と無く分かっていた)次いで踵を革靴へ埋めた僕を見た。

「俺はハルヒを宥めてきたぞ」
「そうですか」
「俺達のことやたら心配してたらしい」

でしょうね、と僕は微笑ましい光景に目を戻す。
朝比奈さんを弄るのに飽きてきたのか、彼女はついに長門さんの小さな頭を撫で始めた。触り心地が良いのか、掌が動くたびに頭を成すがままに揺らしているそれが小動物を思わせるのか、ふにゃりと緩んだ笑顔だ。暫くそうしていると耐え切れなくなったのか、思い切り飛びつくように無表情な彼女を抱き締めていた。

「「あとは朝比奈さ・・・」」

見事に声が重なって僕達は同時に吹き出した。
鞄を持ち上げながら彼を見上げると、ちょうど彼も僕を見下ろしていて目が合う。

「迷惑かけっぱなしだな」
「全くですね」

彼が苦笑を漏らし、僕は多少大袈裟に肩を竦めた。
ガラス製の扉をぐっと力を込めて押し開く。隙間が出来た瞬間に涼宮さんの笑い声と、連日呼び出されている朝比奈さんの一生懸命な相槌が耳に飛び込んで来た。

「あ!古泉くん遅いわよ!」
「こんにちはぁ」

振り返った彼女達のそれぞれの表情にそれぞれに返事を返して、僕は彼を振り向く。
彼はなんでこっちを向くんだ、と不審そうに片眉を上げた。僕だって何か彼に言おうとしたわけではなかった。言うなればこれは癖のようなものですよ、と無言で彼に訴えたのだけれど伝わっただろうか。

「よーっし!じゃあ帰りましょう!」

涼宮さんは力強く拳を突き上げて、朝比奈さんの手をぐいぐいと引っ張っていく。
そのぴんと背筋が伸びた後姿。自信に満ちた大きな歩幅。少し上向いた視線。僕はいつもその背を眺めていた。
きっとこれからもこの眩しい背中を見続けるんだろう。いつか正面から向き合うこともあるかもしれない。その時には演技などせずに笑って、本音を話そう。彼女の機嫌を損ねるのも良い。

それは、とっくに許されていたのだから。

僕は遠くの未来ではなく、近くの未来にこうして少し目を細める。
確かにあるその気配に無心で笑えることがなにより嬉しかった。

「キョン!古泉くん!何やってるの早く行くわよ!」

彼女の声に、僕らは同時に前を向く。
宇宙人に未来人に、そして元神さま。相容れない距離を持つはずの彼女達は、それぞれの面持ちで同じように満足気に頷くのだ。先を行く彼女達は、いつだって当然のように僕らを待っている。

僕はちらりと真横を見遣る。
呆れたような困ったような何時もの表情に少しの微笑を潜ませて「今、いく」と声を放る。

「ほら、行くぞ古泉」

歩き出す瞬間、迷うことなく呼ばれる名が自分であることを。
踏み出す行き先が、その一歩が、同じであることを。
彼の隣にいるのが自分であることを。

「はい」

僕は、誇りに思う。



水溜りが、足元で少しだけ跳ねた。






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※And if I die before I wake = もし目覚める前に死んだなら



(07/09/09)