失敗ダーリン・中編


 まず、キスをした。一応、頭の中で全体的な流れは考えているものの、考えるのと実際に触れるのとでは、全く違う。
 将は唇を開いて、応えてくれた。いつでも柔らかく、自分を受け入れてくれる舌と唇が、今日はことさら、優しく、熱く思える。将から吐息が音になってこぼれるくらいに、一馬は将の唇を味わった。
「さ、なだ君……」
 将が喘いで、首を振る。苦しげな呼吸に、一馬は唇を離し、将の体を抱き直す。恐る恐る手を胸へ当てる。息苦しさと緊張に将の胸は、大きく上下し、真田はそろそろ動かしながら、右胸に手のひらを置き、指で乳首にそっと触れた。ああ、こんな感触なんだと、実感した。柔らかくて、ほんの少し硬くて、弾力がある。刺激を受けてか、指の腹を押し戻すように、尖り出してきたので、つまんだ。
「痛いか」
 そのくらいで、痛いも何もないが、なるべく将を怖がらせたり、痛い思いをさせたくないと決めている一馬は、訊ねた。
「大丈夫」
「これくらいでも、平気か」
 将はどう言えばいいか、分からない。最初よりも、徐々に力が込められているのは確かだ。
「まだ、痛くない……あっ」
「痛い?」
「分かんない、くすぐったかった」
 そういうものなのかなと、一馬はもう一度、乳首を摘む。
「……笑ってるだろ」
「笑ってないよ」
 しかし、将の声が震えてる。怖がっている訳ではないようだから、これは笑っているのだと思う。
「でも、くすぐったいんだろ」
「うん」
 くそっと一馬は悔しくなった。なにしろ、初めてである。技術が稚拙なのは仕方ない。こればかりは実技で学んでいくしかないのだから。
「それに、ちょっとむずむずする」
「痒いのか?」
「そういう訳じゃないけど。触られたら腰も一緒にむずむずする」
「ここ?」
 腰に触れた一馬に、他意はない。どうして、乳首に触れて、腰がむずむずするのか、何となく不思議に思っただけである。
 得体の知れない寒気に似た感覚を覚え、将は一馬の首に腕を回した。
「どの辺?」
「今、真田君が触ってるとこかな」
「ふうん」
 一馬は腰をゆっくり撫で、俺より細いなと、涙にも似たあたたかい思いを湧かせた。将は唇を噛んで、一馬の手のひらが肌に触れるたびに生まれる、くすぐったいとも、痒いともつかない不思議な感覚に、耐えていた。逃げ出したくもあるが、一馬の手のひらはあたたかくて、気持ちいい。
 そのうち、何を思ったのか、一馬は顔を伏せ、ちろりと舌で浮き上がった将の乳首を舐めた。将は突然の生あたたかい濡れた感触に、体を震わせる。
 将の驚きに、一馬は顔を上げたものの、それ以上の反応はなかったので、今度は大胆に、口に含んだ。舌で舐めて、赤ん坊みたいに吸ってみた。
 将は唇を震わせた。どうしようもなく、一馬の頭を抱いた。痛いなら、また嫌なら、押し戻されるだろうから、一馬は安心しつつ、歯を立てた。
「あっ」
 味などないのに、口いっぱいに甘酸っぱい味が広がった気がした。将の声に励まされて、一馬は愛撫を続けた。浮き上がったところを噛む。吸う。周りの柔らかい部分を舐め、肌を味わう。キスマークを付けてみようと頑張りもした。手は将の腰を、撫でている。肌の感触が、離そうと思ってもそうさせてくれない。
 その内、将の声が泣き出すような響きを帯びてきた。
「い、いやか?」
 将が細い、悲しそうな声を出したので、夢中になって、胸へ顔を伏せていた一馬はがばりと顔を上げた。
「分かんない」
 将はどうしても乱れてしまう息の合間に、言った。声にまで体から生まれた熱がこもりそうだ。
「僕、変だ」
「変」
 おろおろと一馬は体を離したが、一瞬触れた肌と将の足の間の感触に、動きを止めた。
「風祭」
 頭の中で鐘が、がんがんと鳴り響いているようだった。この、将の状態は、自分がもたらしたと考えてよいのだろうか。たぶん、そうだ。いや、絶対そうだ。
「お前――気持ち、いいんじゃないか」
「へ?」
 将は、あまり色気のない声を出した。驚きの方が大きかったらしい。でも、そこが俺は好きだと一馬は思い、手をそっと伸ばした。
「こっち」
 出来る限り、優しく握る。自分のものではないから、どれくらい力を込めて良いか、分からないが、ともかく、そこに触れた。淡い、淡い、熱がある。
 俺より、小さいかな、それってやっぱり体格を考えたら、そうなのかな、でも風祭らしい気もするし、別に小さすぎるって訳でもないし――とりとめもなく、考えつつ、やんわりと力を込めていく。少し、動かしても見る。
 将の口調が哀願を帯びた。
「真田君、だめだって」
「なんで」
「汚いよ」
「だって、風呂、入ったんだろ。お前のだし」
「だけど」
 言葉とは反対に、将のそこは確実に反応し始めている。自分の手の中で、変化を見せるのが楽しくてたまらず、一馬はさらに、いじってみた。
「あっ、くっ」
 将が声を噛み殺した。いつもの将の声とは違う響きに、擦り上げる一馬の手が一瞬止まり、また動き出す。
「声、出せよ」
「だって、あっ」
「なんで」
「恥ず、かしい……」
「だって、気持ちいいんだろ」
「そんな……こと言わない……でよ」
「本当のことだろ」
「あっ……」
「ぬるぬるしてきた」
「真田君」
 恥ずかしがらせようとも、苛めようとも、一馬は思っていない。そんな余裕はまったくない。素直に思ったことを口にし、将の言葉に対する返事をしているだけだった。
 それが、初めて他人の手で快感を与えられているのに戸惑っている将には、たまらなく恥ずかしい。また一馬の言葉に、別種の快楽を感じてしまうのを無意識に悟り、更に羞恥を感じている。
「だって、お前、ここが」
 わざとでなく、一馬が指を動かすと、くちゅりと濡れた音が、二人の耳にはっきり届いた。やればやっただけ、将は確実に手の中で反応を示す。
 明かりを点けていれば良かったと、ちらりと思う。将がどんな顔をしているか、じっくり見たい。たぶん、自分が想像しているよりも、艶めいた表情のはずだ。声が、そうだったから、一馬は思った。見たい。見たくて、たまらない。
 思い切って、顔を近づけてみた。眉をきつく寄せているのは見えた。どんな風に、表情が動くのだろうと、一馬は指を使って、敏感な部分を、焦らすように擦ってみた。
「あ、んんっ」
 鼻にかかった甘えるような声が、将の口をついて出る。唇が薄く光った。噛みしめていたせいで濡れているようだ。声をすぐ近くで聞いたので、熱い震えるような吐息が、一馬の唇をくすぐった。まるで、誘うように、甘く感じられる。
 引き寄せられるようにして、唇を吸う。離して、首に唇を押し当てた。そこも吸った。将の体が、びくりと大きく波打ち、一馬の手の中に、熱い飛沫が散った。
 一馬の手を濡らし、将が大きなため息をつく。合わせたように一馬が手に収めていたものが力を失っていく。将の体からも力が抜けていた。呼吸だけは押さえきれないのか、乱れたそれが唇から漏れている。
「……風祭」
 将は黙ったままだ。呼吸はしているが、体は胸の上下だけでほとんど動いていない。背けた顔は一馬を拒んでいるようにも見える。
「いや、だったか」
「ううん」
 将は首を振った。枕に髪がこすれる乾いた音が響く。
「気持ち良かったよな? 痛くなかったよな?」
 ほとんど無意識にシーツで手をぬぐい、一馬は訊いた。
「痛くなかった」
「良かった?」
「……真田君」
 ばか、とか、何とか聞こえた。一馬には将が真っ赤になっているのを知らない。将にも一馬が不安で歪んだ顔をしているのを知らない。
「俺、へたか」
「……」
「ごめん、変なこと聞いた」
 語尾が震えてしまった。当たり前ではないか。他人の体に、こういう行為を前提に触れるのは初めてなのだから。
「――かった」
「え?」
一馬が聞き返したので、将は小さく繰り返した。
「気持ち、良かった。どきどきした」
「……」
「真田君?」
「あ、ああ」
「怒った?」
「怒ってない」
 喜んでいるんです、と言えばいいのだろうか。胸の内を素直に言葉に表した。
「ありがとう」
「……どう、いたしまして」
 将の戸惑う返事をよそに、一馬は決意した。これからは、なおの精進に励まなければ、もっともっと特訓しなければ。気持ちいいか、と訊いたとき、将がうんとすぐに返事してくれるように――それが、将にとってどれだけ恥ずかしい言葉責めになるのかを、一馬はまだ理解していない。たぶん、これからも理解せず、将に聞き続ける。
「次、俺な」
「うん」
 別に、交代するような行為でもないが、一馬は口にした。
「足、開いて」
「こう?」
 どの辺だろうか。距離と場所を計るが、暗い上に将の足の開き方が小さいので、よく見えない、分からない。
「もう少し、開けよ」
 片手を伸ばし、将の膝にかける。将が力を抜いたので、自分の体を間に入れ込めるくらい、開かせた。
「あんまり見ないでね」
 将が遠慮がちに申し出た。
「暗いから、よく見えない」
「本当?」
「本当」
「良かった」
 将が、心底、ほっとしたように呟く。念押しされたせいで気になった。将は足の間に、どんな秘密を持っているのだろうか。まさか、女とか。少し前まで、将が男たる証拠に触れていた一馬は瞬間、それを忘れ、緊張に胸を激しく打たせながら、触れた。
 もちろん、男だった。じゃあ、なんなのだろう。
「風祭、何かあるのか」
「何って?」
「足の間に何かあるんだろ?」
「足の間……」
 将は一馬と同じ言葉を繰り返して、黙り込む。
「俺に見せたくないのか?」
 ふて腐れたように一馬が言う。暗い上に、見えない。そして、将は秘密を持っている。不安になるではないか。疑ってしまうではないか。
「言わなきゃ駄目?」
「教えて欲しい」
 将はしばらく迷い、やがて一馬の腕を引いて、引き寄せた。耳打ちされる。
「電気――」
 聞き終えた瞬間、腰を浮かしかけ、将に怒られた。
「だめ、絶対駄目!」
「……分かった」
 そうか。薄いのか。生えてないのではとひそかに思っていたから、二重の意味で一馬は驚いた。そうか、薄いのか。だから、あの辺りがつるつるすべすべで少しふわっとして柔らかかったのか。感触を思い出しつつ、手を握る。つるつる。開く。すべすべ。結んで開く。ふわっとして、柔らか。それに、熱かった。
「真田君はいいよね」
「いや……」
 同い年の少年と集団で風呂に入るとき、コンプレックスを感じない程度には、一馬も成長している。
「僕だって、そのうち、真田君くらいになるよ」
 聞き流しかけて、一馬は眉をひそめた。
「……見たのか?」
「――うん」
「いつ? 選抜練習のときか?」
 将は恥じらいつつ、答えた。
「さっき、ベッドに入るとき」
「ずるい!」
「だって」
「俺だって、見たかった」
 ちらりと見たが、目を逸らしてしまったのだ。あんまり眩しくて、恥ずかしくて――もったいなかった。脳細胞に刻みつけておくべきだった。
「真田君くらいだったら、見せたって恥ずかしくないよ。僕は……」
 ごにょごにょと将は口の中で言葉を誤魔化す。
「いいんだよ、だから見たいんだって」
「……」
 ぺしりと撲たれた。将が足を閉じ、体を引こうとする。一馬は慌てて、謝った。
「ごめん。だけど、変じゃない、いいと思う」
「よくないよ」
「いいって!」
「よくない」
「いいんだ。それ、すごくいいんだ」
 そうなのかな、と将はたじろぎつつも呟く。一馬はいいんだと押し通し、ふたたび、将に足を開いてもらった。手を伸ばして、準備しておいた物を掴む。服のポケットに入っていた方は迂闊にも手からは遠い場所に置いてしまったので、枕下の予備を取った。
 し、失敗しないようにしなければ。生まれて初めて使う避妊用具に、手が震えた。包装を破る前に、はたと気づく。その前に、事前に調べておいたように、やらねばならぬことがある。だから、将に足を開かせたのだ。
 いよいよ、そのときに近づく。明日から大人の仲間入り――将とはついに、身も心も結ばれる。
「冷たいかもしれない」
「うん」
「痛いかも」
「大丈夫」
「じゃ……」
 ごそごそと一馬は、ボトル片手に、将の足の間に指を近づけた。
「わっ」
「ちょっとだけ、我慢してくれ」

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