女房、みゆき語る。
――風祭の女御と呼ばれる、将さまは左大臣家のお生まれで、これ以上ないというほどの後ろ盾をお持ちになって、水野帝の元へ入内されました。
どの女御、更衣さまよりもお若くいらした、あどけない愛らしい将さまを、帝はいつくしまれておりました。三日と夜離れがないとお話しすれば、その寵愛ぶりがどれだけのものかお分かりいただけるでしょうか。
誰はばかることない、今をときめく方だというのに、将さまは驕りのない、お優しい方で、お仕えする女房たちにも慕われております。
華やかな宮中の中心にあって、憂きことなど何一つ無いと思われる将さまでしたが、乳母子で、幼い頃からお側にお仕えしていた私だけは、将さまが、入内されてからというもの、時折、深い深いため息をおつきになるのに気づいておりました。
お心にかかることがあっても、お一人で秘め隠されることが多い方でしたから、私は、ある日、将さまに訊ねたのでした。
「何か、心配事でもあるのですか。このごろ、よくため息をおつきになっていますけど」
帝のお渡りのない、静かな夜でした。女房たちも、それぞれの局に下がっていましたし、このようなことを話すときには、ちょうどよいと思えたのです。
将さまは体を横にして目を閉じられていましたが、私がおたずねすると、その綺麗な黒い瞳をぱっちり開かれて、私の顔をじっと見つめられました。
将さまの瞳というのは、ぬばたまよりも深い、まるで優しい闇をそのまま填め込まれたような黒さで、この目に見つめられると、わたくしは、身も心も吸い込まれてしまうようなうっとりした気持ちになってしまうのです。
まばたきをされた後、将さまは、細いお声で、呟かれました。
「あのね、よく女房たちが、あの人に恋したとか、あの人が恋しい、とか話すんだ。それは、とても苦しいのに、楽しそうで……泣いたり、笑ったりして。でも、それが、どんなものか、ぼくには全く分からない」
みゆきは分かる? と続けて言われます。私は驚いて、すぐにはお返事できませんでした。私は、常日頃、周りからねんねだとか、何も知らない子どもだとか、からかわれますが、そんな私よりも、将さまは色恋の方面には、うとい方でした。
ですが、それは将さまのお育ちや持って生まれたご性質というものですし、そんな清らかな将さまに、はしたない話を耳に入れる女房たちの方が、私には恨めしく思えます。
一体、どうお答えしたらいいのか……。けれど、将さまは、私の答えを待つように、こちらを見つめられています。
「それは、きっと、将さまが主上に抱かれているお気持ちのことです」
「主上に……?」
「恋しあった相手同士は結ばれるものですし、将さまは主上とお幸せでしょう、だから……」
「そう」
言葉が上手く紡げなかった私に、将さまははんなりと笑まれました。幾分、寂しそうな、哀しそうな笑みでした。
「そうなんだ……」
ありがとう、と言って、将さまはそれきり、この話をしようとはされませんでした。私も話そうとはしませんでした。
思えば、将さまは幼い頃から、后がねとして、ご両親である左大臣ご夫妻に、それはもう大切に、大切に、お育てあそばされました。お仕えする女房たちも、厳しく選び抜かれ、悪しきこと、色めいたことなどは、決して将さまのお耳に入れないようにしていたのです。引きもせず、寄越される恋文などは、みな女房や母君の礼子さまが、将さまの目に触れる前に、みな、隠したり捨てたりしていたものです。
将さま自身、おっとりされた方でもありましたから、宮中で暮らす女房、女官たちの華やかな、色めいた話に戸惑われていたのだと、そのときの私は思いました。浮ついた話を女御さまの御前でしないように注意しなければとも考え、事実、その通りにしたのです。将さまがずっと、このことをあれこれと思い悩んでいたとは、知りもしませんでした。
夏に向かって、都は日に日に暑さをましていきました。将さまは、だんだんと塞ぎがちになり、ご気分も優れないのか、たびたびお里下がりを申し出られていました。
水野帝は、三日と明けず、将さまをお召しになりますから、里下がりをなかなかお許しになりません。将さまは顔色も悪くなり、食事も細々としか、召し上がらなくなりました。無口になって、いつもほほえみを絶やされなかった方が、このごろはちらりともお笑いになりません。
ところが、不思議なことに、目だけが爛々と冴えわたったように光り、お側の女房たちは、物の怪が憑いたのではないかと囁くようになっていました。
確かに私が、この頃の将さまのお体に触れたり、見つめられたりすると、すっと体中の血が冷えていくような、心の臓も止まるような、訳もない恐ろしさに襲われてしまうのです。お言葉も、以前の将さまからは、信じられないような冷たいことばかりを口にされていました。
水野帝は将さまの変異に深く胸を痛められ、名のある僧や修験者などに、加持祈祷をさせていたのですが、少しのしるしもなく、いよいよ将さまのご様子は、怪しくなり、今までになかったお振る舞いが多くなり、女房や女童などは、人とは思えぬ気色だと震え上がり、お暇を願う者まで出てくるようになってしまったのです。
将さまを心配したお父君の左大臣さまや、兄君の近衛中将さまも、あちこちから、様々な者を呼び寄せて、物の怪を払おうとしていたのですが、どのような力ある物の怪が憑いたものか、かえって、呼び寄せた僧や修験者たちが怖じけて逃げ出す始末なのでした。
帝のお嘆きが深まる中、貴賤問わずに慕われているという修験者が都を訪れたとの知らせがあり、父君の左大臣さまは手を尽くし、どうかどうかと深く頼み込まれ、ついには帝の命も下され、その修験者を、宮中へと招いたのでした。
修験者は、さる霊山で幼い頃から修行し、今はさまざまな国を渡り、物の怪に苦しむ人々を救っているという、尊い方だということで、これは、と帝も左大臣も期待されていました。
今までに、宮中にやって来た修験者というのは、怪異な容貌の者が多く、また僧侶も痩せていたり、太っていたりという違いはありましたが、お年を召した方ばかりでした。またどの方も、目も覚めるような鮮やかで豪奢な袈裟や衣装をまとっていました。
ところが、この修験者は、若く、すらりとした長身で、凛々しいばかりの見事な男振りなのです。身に纏う物は、粗末な衣ですし、供も誰一人いないのですが、その立ち居振る舞いは落ち着いて、心憎いほどに、堂々たるものでした。
御簾の内で、事態も忘れ、女房たちがうっとりとため息を漏らすのを、私は呆れて眺めていました。
修験者は将さまのお側に使えていた者たちすべてを呼び寄せると、低いですが、良く通る声で、祈祷を始めました。殷々とした、恐ろしいくらい、力に満ちたお声に、やがて、ある一人の女房が呻き出したのです。宮仕えに上がってまもない女房でした。
修験者の祈祷はなおも続き、やがて、女房は几帳の陰からまろび出て、喉を押さえ、胸をかきむしりながら、聞くに堪えない言葉を叫び出しました。すると、修験者は、女房に、空気をとどろかせるような鋭い一声を浴びせかけます。途端に、女房の身の内から、大きな黒い影が飛び出し、狐の形を取って倒れ臥したのです。
修験者は狐を捕らえ、二度と人に憑くようなことをなしてはならぬと懇々と教え、また神仏の教えと救いについて諭されてから、古狐を離しました。
事を見続けていた私が将さまのおられる御帳台の中へ入りますと、ぼうとした表情と眼差しの将さまが、私をとらえました。
「どうしたんだろう。騒がしいけれど、どなたか、いらっしゃってるの?」
呟いたそのお声や表情は、まさしく将さまのものでした。物の怪が離れたためか、声もか細く、お苦しそうな様子でしたので、侍医を呼び寄せ、薬湯を飲ませるなどして、介抱すると、ありがとう、といって、またあのお優しい、みなを魅惑するような笑みを浮かべられたのです。
左大臣さま、兄君の中将さまのお喜びはこの上なく、ふたたび拝むようにして、修験者に礼を言いました。たくさんの褒美を下されようとされたのですが、修験者はそれを拒み、祈祷も無事、終わったので宮中を立ち去ろうしました。
それをお留めになり、左大臣さま、中将さまは、このまましばらく、将さまのご様子を見守ってくれと頼まれたのでした。
帝も修験者を尊ばれ、引き続き、女御のための加持祈祷を続けるように、と命じられたのでした。渋沢という名の修験者は、言葉通り、ご回復の祈願をするなどして、将さまのお側に控えておりました。
その間中、女房たちは、あちらからもこちらからも、誘い合わせては、やって来て、几帳や御簾越しに、その落ち着いた面立ちの修験者を、頬を染めながら覗いているのでした。
宮中の男たちにはない精悍な魅力が、女房たちの心を騒がせていたのでしょう。誘いを掛ける者もいたとか、恋文を送った者がいるとか、聞きましたが、修験者が靡いたとの話だけは聞きませんでした。
私は将さまが、時折、ものめずらしげに、渋沢さまをご覧になっているのに気づきました。それは、見るというのもつつましい、ささやかな視線で、渋沢さまが動かれるとき、ほんの少しだけ、ちらりと目を動かされる程度のものでした。
胸騒ぎを感じなくもなかったのですが、将さまは、渋沢さまが座するときには、御帳台の中にこもられ、お姿をお隠しになられていましたし、お声も直接にはかけようとはされませんでしたから、ただ、この尊い修験者が珍しいのだろうと思うようにしました。修験者の出で立ちは、宮中では滅多に見られないものでしたから。
夏も深まり、いよいよ暑くなるばかりでした。将さまのお体は、祈願の甲斐もあり、徐々に健やかになられていました。病み上がりのせいで、少しおやつれぎみなところが、以前にはなかった大人びた艶な魅力になって、瞼を重たげにされているときや、細い頬に黒髪がかかったとき、それを指で掻き遣るようにするときは、常にお側にいる私も見取れてしまうほどです。
帝は将さまのお体をご案じられて、夜伽にこそ召されませんでしたが、毎日のように使いの者を寄越したり、側仕えの女房を呼び寄せて将さまのご様子をお聞きになったりと、一日も早く、ご自分でお会いになりたいという様子がありありとうかがえるのでした。
その日、将さまは、御帳台でお休みになっておられました。暑さが応えられたのか、肌の透ける薄い単衣だけをお召しになって、おそばの女童たちの話にほほえまれておられました。
渋沢さまはいつものように、座して、祈祷をされていました。
私は将さまから言いつかったご用を済ませて、お側に戻ろうとしていたところでした。渡り殿を通りがかると、嵐の前触れなのか、遠くに黒雲が見えました。ぬるく湿った風も吹き始め、私はこれをお知らせしようと将さまのお側近くに参りました。
そのとき、いつになく強い風が一陣、吹き込んで、将さまのいらっしゃる御帳台の垂れ絹をそよがせたのです。
誰か、おそらくは、渋沢さまであったと思いますが、はっと息を飲まれる気配がしました。揺らいだ垂れ絹の隙間からは、一瞬ではありますが、しどけないお姿で、半身を起こされた将さまが確かに、のぞけたのです。
渋沢さまは、その後は、何事もなかったように祈祷を続けられ、定められた時間に下がられました。
将さまは、自分のお姿を見られたことに、気づかれたご様子もなく、ただ、その日だけ、渋沢さまが、暑さに当たらなければいいのだけれど、と心配そうに、暑さのためか頬を上気させて、呟かれたのでした。
そうですね、と相づちを打った私も、将さま御自身も、まさか、渋沢さまが、かいま見えた将さまのお姿に、一瞬にして心を奪われ、愛慾の心を発していたとは気づきもしなかったのです。
雨の降った翌日も、晴れ上がったその翌日も、渋沢さまは、いつもの穏やかな面持ちで、祈祷をされていました。胸の内で、将さまへの激しい思いを滾らせているとは、信じられない、落ち着いた表情でした。ただ、ふと見せる眼差しが、ぎらりと強い光を浮かべ、御帳台の中に向けられるのを別にすれば……。
渋沢さまが、将さまにどれだけ想いを寄せられても、将さまは水野帝の女御なのです。いずれは、中宮にもお立ちになるという尊いお方。想いがかなうことはない相手なのです。その重たい現実が渋沢さまを苦しめ、胸ばかりか魂まで焼き尽くしていたなど、誰が知るでしょうか。
渋沢さまの姿に騒ぐ女房も、渋沢さまに恩を感じる左大臣さまも中将さまも、将さまがみすこやかになられたのをお喜びになる水野帝も、誰一人として、渋沢さまが、断ち切れない想いに取り憑かれ、苦しめられているのに気づきませんでした。
私も、いつもとほんの少し違うだけの渋沢さまのご様子を、それほど気にいたしませんでした。帝の寵愛深い女御のお姿を直に拝見して、渋沢さまが驚かれているとだけ思っていたのです。山に籠もっては心身を浄め、降りては民人たちに救いを与えるという方でも、やはり、将さまのような方を目にしては、感嘆を禁じ得ないのだと誇らしくもあったのです。
私は多くの予兆を、見逃していたのでした。将さまが渋沢さまの視線に身悶えするような思いを感じ、それを押し殺そうとため息をおつきになっていたのも、ご祈祷を受けての興奮が冷め切らないからだと思っていたのです。
ああ、けれど、一体、誰が思うのでしょう。帝にこよなくいつくしまれる風祭の女御さまと、厳しい修行と功徳を積まれた修験者、渋沢さまが、互いの心を知らずして、慕い合っていたとは、誰が想像できたでしょう。
お二人は顔を合わせることもなく、言葉を交わすこともなく、かいま見えた姿に心を躍らせ、漏れ聞こえる声や気配に、思いをかき立てられていたのでした。
忍ぶ恋で終わるならまだ良かったのです。しかし、将さまへの想いを絶やすことなく、心で燃やし続けていた渋沢さまは、ついに、将さまと自分を遮るすべてを乗り越え、御帳台の内へと入ってしまわれたのでした。
控える女房たちが少ない時を見計らってのことでした。あるいは、人の目の少なさが、渋沢さまの心を決めさせたのでしょうか。
私は、将さまが渋沢さまに組み伏せられ、想いを告げられている頃、侍医である松下さまのお側におりました。松下さまが調合した薬湯を、私は将さまに届けようとしていたのです。
松下さまは、将さまがお元気になられたのを喜んでおられましたが、左大臣が引き留めたきりの渋沢さまについても、心配だと漏らされていました。
「何が心配なんですか?」
「左大臣殿がお望みとはいえ、あまり、女御さまのお側に近づけすぎるのも……李下に冠を正さずともいうだろう」
「まさか。松下さまも、妙な勘ぐりはおよし下さい。渋沢さまはお若いですが、立派な修験者さまですよ」
そのときだったのです。松下さまの言葉をなぞるような出来事が起きたのは。
何やら、将さまのいらっしゃる御殿の方が騒がしく、女房たちのざわめく気配が、さざ波のように、伝わってくるのです。
将さまに、また何か、悪しき物の怪が憑いてしまったのだろうか、それは、渋沢さまでも払えない、恐ろしいものなのではないか、そんな恐怖が湧きましたが、何より、恐ろしいのは将さまであると思い、私は松下さまと共に、御殿へと急いだのでした。
途中ですれ違った女房は、騒ぎ立てるばかりで、何があったのか、一向に教えてくれません。それでも、私と松下さまは、将さまのお部屋へ入ったとき、何が起きたのかを理解したのでした。
細いすすり泣きが、御帳台の中から漏れているのです。しんと静まりかえった中で、将さまの切ない泣き声だけが、時折、漏れる荒い息づかいと共に、私と松下さまの耳に入るのでした。
将さまが帝に召された夜に、上臥を務めたことも少なくはありませんから、泣き声が、いかなるときに漏れるものなのか、私も知っていました。御帳台の垂れ絹がかすかに揺れて、内の気配を伝えてきます。
私はあまりの意外さと恐ろしさで、足が動かなくなりました。お側を離れたばかりに、将さまがこのような辱めに遭われしまうだなんて。私は一体、何のためにお側に仕えているというのでしょう。
松下さまも、呆然とされていましたが、すぐに御帳台の方へと向かわれました。そこへ、渋沢さまが御帳台の内より、外に出てきたのです。汗ばんで、上気した顔で、思いがけないほど悩ましい様子を見せていました。すぐに、松下さまが渋沢さまを捕らえました。渋沢さまは、とくに抗う様子は見せず、魂でも抜けたかのように、力無い横顔を見せています。
私は渋沢さまのことは、松下さまに任せて、御帳台の内をのぞきました。
将さまは、ぐったりしたご様子で、臥せられています。乱れた裾や胸元が、おいたわしくて、私は将さまのお側に近づきました。全身が汗に濡れて、体は火のように熱いのです。上気した頬に髪の毛がぴったりと張り付いていました。気を失われており、呼吸がなければ、死んでいるかと思うくらい、ぴくりとも動かないのでした。体を揺らしても、目を覚まされず、深くお眠りになっているのです。
お起こしすべきか、このまま休ませておくべきか、どちらがいいのだろう、と私が気を揉んでいる間に、渋沢さまは警護の者たちに縛められ、どこかへ連れて行かれてしまいました。
松下さまは水野帝へこの只ならぬ出来事を申し上げました。激しいお怒りを見せた帝は渋沢さまを獄中へと閉じこめてしまわれたのでした。左大臣さまも、近衛の中将さまも、烈火のごとくお怒りになられ、今すぐにでも殺してしまえと、口走られたと、後々、他の女房たちが教えてくれました。
将さまは、日が沈んでから、やっとお気づきになられました。お目覚めにならないのではという心配で身をよじらんばかりにしていたのでほっとして、涙が滲んでしまいました。これで、帝も、左大臣さまも中将君もひとまず、ご安心なされるでしょう。
将さまは夢でも見ているような、ぼんやりした、うっとりしたお顔で辺りを見回されました。お側にいた私に気づくと、頬を赤くして、恥じらうような素振りを見せながら、小さなお声を出しました。
「渋沢さまは?」
女御への無礼という大罪で帝のお怒りを買い、獄へと縛められたと、私が告げますと、将さまはお顔の色を真っ青にされたのでした。
「そんな、そんな」
将さまが震えられているのを、私は、ふたたび渋沢さまがやって来るかも知れないとの恐怖のせいだと思い、大丈夫でございます、と申し上げ、必死にお慰めしたのでした。
この小さなお体で、あの辱めを耐えられたのだと思うと、おいたわしくて、なりません。
将さまのお心を静めようと薬湯や果実を持ってこさせ、お飲みになるか、少しでもお口にするようにと申し上げると、将さまは只ならぬご様子で、私に詰め寄ってこられます。
「帝は渋沢さまを死罪になどなさらないよね」
意外なお言葉に、私は驚きました。いくらお優しいとはいえ、あのような目に遭ってまで、渋沢さまのご心配をするなどとは、慈悲の心が過ぎるのではないでしょうか。
「死罪では飽きたらぬほどの罪です」
私がそう言うと、将さまははらはらと涙をこぼされ、父君に会いたい、帝にもお目にかかり、渋沢さまを獄から出してくれるよう頼みたいと呟かれるのです。
呆気にとられた私は、鋭い調子で、
「とんでもないことです。たとえ、死を賜らなくても、獄に一生繋がれるでしょう」
と、言ってしまったのです。
それを聞いた将さまは、顔色を無くしてしまわれました。瞳も表情も呆然として、お心が彷徨い出てしまわれたようです。
やがて、涙で濡れた唇が、そっと動きました。
「ぼくが……渋沢さまを好きになってしまったから……?」
それきり、将さまは言葉もなく息さえ止めたように、静まりかえってしまわれました。
私も黙り込んでしまいました。
――どうすればいいのでしょうか。将さまが渋沢さまにお心を寄せられていたとは、あの出来事が、その結果、当然起こるようなものだったとは。衝撃が大きすぎて、かえって驚けないのです。
ひょっとしたら、渋沢さまが払ったという物の怪は、いまだ将さまの中にとどまっているのではないでしょうか。それが、渋沢さまも、将さまのお心も惑わし、こんな事を引き起こしてしまったのでは……。そんなことまで私は考えていました。
将さまは泣くことも止め、体を震わされています。私は慰めの言葉もなく、ただ将さまを――渋沢さまの行く末を思い、恐怖する将さまを見つめるばかりです。その漆黒の瞳に、哀しみに濡れるお顔に、妖しい物の怪の影がないのかと、息を潜めて。
>>>>