母君である薫の姫宮さまと父君の潮見の親王さまを、お二人同時に流行り病でお亡くしになられたとき、将さまは、まだ数えで三つになられたばかりでございました。
ふた親を亡くされた、がんぜない将の宮さまを不憫に思し召され、将さまの母君、薫の姫宮さまの兄上でもあらせられた今上帝、護さまは、将さまをお手元に引き取られ、我が子である功さまと同じ、御子として、それはそれは大切にお育てあそばされました。
功さまは将さまを実のごきょうだいのように可愛がられておられましたが、やがて将さまが利発で、しかもたいそう心優しいお方に成長されたのちには、将さまを自らの妃にと望むようになられました。
将さまもいとこ君でもあらせられた功さまを幼い頃から慕っておられましたから、お二人の心が自然、通い合うようになるのは、不思議なことではありませんでした。
今上帝も二人の仲むつまじいことを承知しておられましたし、中宮であらせられた礼子さまのお言葉もありましたから、お二人が結ばれるのは、それほど遠くないことだと宮中の誰もが囁き合っておりました。
それに反感をもたれたのが、郭の大殿でございました。郭家には東宮になられた功さまとちょうど釣り合う年頃の姫君がおられました。その頃の郭家は相継ぐいくさに功なり遂げて勢力を増し、その影響力たるや、宮中でも無視できぬほどでございました。それとも日を覆うほどの帝の御威光にも翳りが差す時代が近づきつつあったのでしょうか。
そもそも郭家は、尊い血筋の方との縁組みを望めるほどの家柄ではなく、たかだか、武家の一門にすぎません。しかし、帝の外戚となるのは、古来より、権力を得る一番の方法でございます。郭家は様々な方向で人々に根回しし、ついに、郭家の姫君をとある宮家の養女にしてしまい、功さまの妃として入内させてしまったのでした。
帝はこれをたいそう不興がられ、郭家は不遜であるとの直接的なお言葉すら呟かれることもございましたが、今更変えようもございません。武家の勢力が増しつつある頃だったのです。
この強引な婚儀を不快に思われた帝は、郭家の姫君入内後、帝位を功さまに譲られると、ご自分は上皇となり、小河院へと移り住まれてしまわれたのです。お側に使える者と警護の者以外で、ご同行を許されたのは礼子さまと、将さまだけでございました。
将さまは幼い頃より、お慕いしてきた功さまのご婚儀にたいそう胸を痛められ、このようなつらい俗世と縁を切るためにも髪を下ろしたいと上皇さまや礼子さまに、たびたび願い出られるようになりました。
上皇さまも礼子さまも、将さまのお気持ちを理解しながらも、それはお許しになられませんでした。お側仕えの者も懸命にお止めしました。若い身で、このつややかな黒髪をお切りになり、仏門に入るのはあまりに哀しすぎる、上皇さまも礼子様も、さぞかしお悲しみになるとたびたび申し上げては、お心を変えるよう、お願いされるのでした。
乳人や長年、仕えてきた者たちに、そのように言われれば、もとより、お優しい将さまも、それ以上、強くは言えず、かといって、華やかな婚儀の準備の様子を伝え聞くと、やはり、心苦しさに、とかく塞ぎがちになられていたのですが、そのお心を慰めるかのように、功さまから、お文が届けられるようになったのでした。
さみしい山荘暮らしを紛らわせるようなたくさんの贈り物も届けられましたが、何より、将さまを喜ばせたのは、功さまからのお文だったのでした。
将さまもやさしいお返事をお返しになり、お二人はそっと秘めやかに文を交わし合うようになられました。あのころ、都と小河との間には、功さまからの文携えた使者と将さまからのお返事を届ける使者が、毎日のようにすれ違っていたといいますから、どれだけご熱心なやり取りであったかは、おわかりいただけると思います。
やがて、功さまはあろうことか、ご婚儀の行われた翌々日に、山荘をおたずねになり、上皇さまのお許しを得て、その夜、将さまと内々に新枕を交わされたのでした。
その後、功さまは将さまをそのまま都へと伴われ、郭家の姫君を娶って、一月も経たぬ内に、将さまは功さまの妃として、正式に入内され、女御の宣旨を受けられたのでした。
将さまは尊い宮家の御血筋、宮家の養女になったとはいえ元は貴族ですらない郭家の姫君よりも、上に立たれるお方でございます。その上、功さまはわずか数夜、郭家の姫君の元でお過ごしになられただけで、その後のお渡りは一度としてございませんでした。
功さまが夜をお過ごしになるのは、将さまのお側だけでございました。ご寵愛が深ければ、自然、人の心も将さまの方へと向かい、その頃、将さまがお住まいの風壺殿は、たいそう華やかな空気に包まれておりました。
対し、郭家の姫君がお住まいだった香壺殿はひっそりと静かで、帝のお渡りも、またお召しも滅多にないまま、寂しげなたたずまいをみせておりました。貴族達も、このところの武家の勢力を快く思っておりませんでしたから、功さまが、武家の中でもとくに勢いづいた郭家の姫君を顧みないことに、内心、賛同していたことと思われます。
面白くないのは郭家を筆頭とした武家でございますが、功さまは、苛烈ともいえる厳しいやり方で、武家からの圧力を払いのけておいででした。その振る舞い方は、上皇さまよりもいっそう容赦ないもので、あれでは郭家も黙っていまいと賢しらに語る者もおり、側近たちの中には、今少し、お心和らげなされませぬかと進言する者もおりましたが、それに、功さまは、誰が、この国を統べているのか、そなたか、私か、と厳しく問い返されるのでございます。そうなると側近たちも、口をつぐむようになり、宮中は、どことなく重たげな空気がたれ込めるようになっていったのでした。
※
夏でございました。都には雨も降らず、ただ日が照りつけるだけの暑い一日でございました。将さまは、このところ昼夜構わず続く暑さに、夜もお休みになられず、少々、お疲れ気味のようでした。
風通しのよい一角に、女房たち数人を侍らせて、蝉の鳴き声などに興を示されておいででしたが、そのうちに、時折、汗をぬぐわれる以外は、めっきりと口を開かれないようになられてしまわれました。
さきほど、あつい、と呟かれ、無造作に胸元をはだけられてしまったので、肌の透けてしまう羅だけをお召しになられたお体は、いっそう惜しげなく空気にさらされておられます。うっすら汗ばんだ肌からはなんともかぐわしい匂いがただよい、また功さまの御寵愛を一身に受ける身、その肌は内側から光り輝くような艶を持たれており、あどけなさと清らかさの中に、なんともいえないほどのあえかな艶めかしさがのぞき、つややかな黒髪が首筋にはりついたところなど、お側に控えて、常日頃、将さまを目にされている者でも、はっと息を呑むほどでございました。
功さまは、あまりの暑さのために、政務を早めに切り上げられ、風壺殿へとお渡りになられていたのですが、口上もない、突然のお渡りだったため、将さまは功さまが来たことをご存じありませんでした。
それどころか、女房たちに扇で仰がせながら、うとうとと、やがては脇息にもたれたまま、そのしどけないお姿でお眠りになられてしまったのです。
なにやら、渡殿が騒がしいと、将さまのお側に控えていた女房たちが気づいたときには、功さまは几帳の陰から、お姿を現されておられました。
薄く開いた扇を口元に当てて、鷹揚にほほえまれていましたが、女房たちはあっと平伏いたします。将さまばかりが、すやすやと頬を紅潮させ、お休みになられているのです。功さまも夏の御直衣姿で涼しげなご様子ではありましたが、将さまほどではございません。
いとこ君のなまめかしいご様子をご覧になった功さまは女房たちに、言われました。
「将はずいぶんと涼しそうな姿をしているな」
女房たちは恐れ入るばかりでございます。お止めしたとはいえ、これは女房たちの責任であると咎められても無理のない、将さまのお姿なのです。
しかし、叱責の言葉は口にせず、功さまは扇を閉じ、手をはらいました。女房たちはしずしずとその場から下がります。
功さまは将さまのお側に膝をつき、汗ばんだ肌に指先を当てます。毎夜、寵をそそぎ、片時もお側から離したがらない将さまでございます。また朝政もそこそこに、お渡りになるのも将さまゆえでございます。
功さまの指は、将さまの首に絡む黒髪を梳いていかれます。首から下、白い胸元の赤く色づいた果実へと手を伸ばされました。
お眠りになられているとはいえ、すぐにも尖り、色味も心なしか、濃くなられます。ほんのりとした桜色の先端もその周りも、功さまの手に、息づき出すのでした。
ゆるやかな愛撫に、将さまは寝息を乱され、やがて目をお開きになります。
「あっ」
将さまは主上がおそばにあられるのに、気づかれると、慌てて、起き上がろうとなされました。それを押さえられたのは功さまでした。
その場に将さまを組み伏せます。足を割られると、手をその間に滑り込ませ、汗で冷えた肌をゆっくりと撫で上げられました。将さまは身を竦ませて、功さまにすがりつかれました。
「お、お迎えにもあがらず」
非礼を詫びようとした口を吸い、功さまは薄くほほえまれました。
「将、誰の目があるかも分からないのに、こんな姿で、いけないな」
「ごめんなさい……あっ」
功さまの手は、将さまの柔らかい肉芽を擦り上げ、指の中へ収めてしまわれました。
「まだ日も高いのに……」
恨めしげにおっしゃられても、功さまの手の中で、将さまの肉芽はいっそうの愛撫を求めて、伸び上がってしまわれます。功さまが指をお動かしになられて、お慰めいたしますと雫が溢れ、しとどに功さまのお手を濡らしてしまわれるのでした。その直ぐな反応を、いとしく思われるのか、功さまは、笑まれながら、囁かれます。
「これも汗か?」
将さまは耳まで赤く染められ、目を閉じられてしまわれました。暑さに耐えかねてのしどけない姿を見られたことも恥ずかしいというのに、このように乱れてしまう自分を、なんとはしたない、そう思われて仕方ないのでございます。
将さまの恥じらうご様子を功さまは、目を細めて眺められ、なおも将さまをゆるゆるとせめられるのです。
将さまは眉を顰め、唇を噛み、堪え忍ばれておられましたが、やがてかすかな泣き声を上げ出されはじめました。功さまは指を後庭へ忍ばせになり、将さまになおも切ないお声を出すようになされます。
将さまは全身を薄桃色に染め、功さまのなされるままに、体を開かれていくのでした。
功さまは、自分の腕の中で乱れる将さまに、そっと情け深い一言を耳打ちされ、将さまもまた功さまにすがる腕に力を込められるのでした。
やがて、功さまは身を起こされると、うち乱れた将さまの髪を手ずからお直しになり、また汗で濡れた羅の代わりに自分のお召し物を将さまの体に着せ掛けるなど、何をされるのにも女房の手ではなく、ご自分の手でなされようとし、もったいないと将さまが遠慮しようとしてもお許しにならないのでした。
功さまの将さまに対する御寵愛は深く、将さまも、功さまにまめまめしくお仕えしておられます。それがまたいっそう功さまにはいじらしく思われて、ときには、将さまの御身分から考えれば、あまりに軽々しいとも思われるお扱いをなされてしまわれるのでした。
お側から将さまをお離しになろうとなさらずに、昼夜分かたれず、共寝のまま過ごされ、政を怠るときもございました。こうなれば、人々からも様々に、取りざたされるようになりますが、功さまはそのようなことに構われず、ただ、将さまをいとおしく思われ、他の妃たちをお召しにはならないのでした。
護の上皇さまも、御所からの便りを伝え聞かれる内に、これを危ぶまれて、様々な古えの王朝の例を引き合いに出してはお諫めになるのですが、功さまは将さまを優遇されることをおやめにならず、何かあれば、まず将さまをお呼び寄せになられてしまうのでした。
折々の宮中の行事、そして、功さまや将さまが催される歌合わせや花宴、観月の宴――まだ華やかりし御所に流れる調べに、先々の暗雲を思わせるものは感じられませんでした。
しかし、日に陰りが差す兆しとでも申すのでございましょうか。ある日、上皇さまが病に臥せられてしまわれたのでした。ご容体は思わしくなく、僧たちの祈祷もなかなかにしるしを明らかにはいたしません。
功さまもたびたび、お見舞いに行幸遊ばされましたが、そのようなときでも将さまをお連れになり、上皇さまと礼子さまにお引き合わせになられるのでございました。
上皇さまも、わが子同様に慈しまれてきた将さまが功さまとたいそう仲むつまじくお過ごしになるご様子に、慰められつつも、これから先、このように一人の方にだけ心を傾けすぎれば大事あるとして、ご案じになられ、ご衰弱の中、功さまをお諭しになられるのでしたが、功さまはどうしても御聞き入れにならず、将さまだけをいつくしまれるのでございました。
それはもう、将さまご自身が、帝をご心配なされるほどの寵愛ぶりで、将さまは時折、功さまのあまりに深いお情けに、体がついていかず、宿下がりなさるときもございました。そのようなとき、功さまは矢継ぎ早に、御文を持たせた使いの者を毎日のように将さまのお邸へ向かわせては、いつ参内するのか、体の具合はどうかなどと、おたずねになり、一日も早く逢いたい、とお伝えさせるのでした。
また、将さまの御様子を事細かに、使者の口からお聞きになり、少しでもすこやかになられたなどとお聞きになれば、御所へお戻りになるよう進められるのでした。
将さまのお姿が御所にないとき、功さまは夜伽の者もお召しにならず、将さまのお帰りをお待ちになられ、お望み通り、将さまが御所へとお帰りになると、その夜から、お側に召し、離れていた間の時間を惜しまれるように、御帳台の中におこもりになられてしまうのでした。
御帳台のそばに控える女房などは、その夜の恋々とした語らいや漏れ聞こえる、お二人のご様子に、年老いたものでも頬を赤らめ、目をさえざえとさせたものでございました。
そして、病に臥せられてから一年。仲むつまじいというよりも、どこか罪深ささえ感じさせるほどのお二人の絆、あまりに深く、断ちがたい宿世を思わせるこれをご案じになり、行く末をお心にかけられつつも、上皇さまは、お隠れ遊ばされました。
功さま、将さまのお嘆きは深く、長い諒闇の時にお過ごしなさいました。それはまた迫りつつある大乱を予感させない、静かで、平和な最後の時でございました。
三年後、上皇さまの強い御威光をはばかってか、滾るような野心を隠していた郭家は、ついに椎名宮家の翼親王を擁し、皇位の正統性を主張して、功さまに御譲位を迫られたのでした。
功さまがこれを受け入れられることもなく、公家、武家が、それぞれに、郭家、風祭皇家と二つに分かれての、大いくさとあいなり、各地で合戦がくりひろげられました。
戦況は、風祭皇家に有利なものではなく、あちこちでお味方の軍は、郭家勢の軍に平らげられ、もっとも頼りとしていた山川家までもが打ち破られてしまったのでした。
やがて都にも郭家の大軍迫り、その勢いはただごとならぬと、都からは公家たちが逃げ出す有様。功さまもついに、将さまとわずかな供を連れて、都落ちされ、はるか東の武蔵野森まで逃れようとされたのでした。
東の武士の強さは、世に名高く、また郭家とは昔から張り合う仲でありました。功さまのお考えは、武蔵野森で、軍を整え、にくき郭家に一矢報わんとするところであったと思われます。
ところが、武蔵野森は長年の恩を忘れ、郭家に寝返り、帝を捕らえようと、軍を差し向けてきたのでした。この裏切りにお怒りになられても、手勢のわずかな軍勢では、郭家にも武蔵野森にも対する事は出来ず、わずかなお味方に守られて、功さまは吉瀬へと、ふたたびお逃れになっていかれるのでした。
吉瀬へは海を越えねばなりません。阿智浦に小舟を浮かべ、わずかな水と糧食を積み、海原へと漕ぎ出せば、帝方を裏切った武将からの密告により、すでに浦の外海は、武蔵野森の兵船で埋め尽くされているのでした。
その上、陸には帝を追い続けた郭家の軍勢が砂浜を覆い尽くし、辺りの海岸沿い一帯を支配下に置いて、帝のお乗りなった小舟を眺め下ろしているのございました。
進むも引くもならず、そのまま睨み合うこと十四日。船の糧食も水もつきた頃を見計らい、郭家は軍船を差し向けてきたのでした。阿智の高い波に揺られつつも始まる合戦は、終始、郭家の有利。
帝、御自ら弓を引き、応戦するも、圧倒的な軍勢の前には、なすすべ無く、矢も打ち尽くされ、敵の矢で返し矢をするも、それも尽き、功さまは最後の矢を射られ、弓をお下ろしになられてしまわれました。
「ここまでだな」
帝が呟かれれば、一斉に泣き崩れる女房たち、お側の武者たちは、我らたとえ体中に矢を受けようとも帝をお守りいたしますと、むくつけき顔に涙こぼして、沖へ逃れましょうと申し上げるのでございました。
しかし、振り返れば沖に広がる武蔵野森の船、陸側にはいまだ勢い失わず、こちらへ向けて飛沫散らして近づきつつある郭家の兵船、波に上下されつつ、わあわあと勝ち鬨上げて、今か今かと迫りくるのでした。
もはや船上に言葉無く、皆静まりかえれば、功さまは優雅にほほえまれ、将さまを呼び寄せられると、かつて宮中でよくなされていたように、一歌、詠われるのでございました。将さまもお歌を返し、お二人は静かにお手を握り合われ、ほほえみ合われました。
やがて、功さまは女房より、帝が受け継ぐ三種の神器、剱、宝鏡、勾玉を受け取られ、こればかりは、大逆の郭家に渡すまじと、剱をお腰に差され、勾玉を首からおかけになり、宝鏡をお手にお持ちになり、いにしえの神祖を思わせる凛々しいお姿で、最後まで付き従った者たちをねぎらいになられるのでした。
将さまは功さまのお手を握りしめられたまま、顔をお伏せになり、睫毛につゆ宿し、功さまのお言葉をじっと聞いておられました。
功さまが、みなここまでよく仕えてくれた、このまま共に海に沈むもよし、降伏して長らえるもよし、心の成すままにしてくれと仰せになられれば、武者の一人が、矢傷を負った顔を、伏せつつも、海の底でもお仕えいたします、と述べるのでした。それに、我も我もと忠誠厚き、つわものたちは口々に賛同し、功さまに平伏すると、はらはらと悔し涙を船床へとこぼすのでした。
武蔵野森の裏切りさえなければ、郭家の台頭さえなければ、何よりも、上皇さまがおいでになれば、郭家もこのような大乱を起こさずにいただろうに。そう思うほどに、お二人がおいたわしく思えてならないのでした。
「将」
功さまは、荒ぶる波の中、お優しい瞳とお声で、将さまに話しかけられました。
「お前はまだ若い。宮家の血筋なれば、郭家も無為には扱わないだろう」
「いいえ、僕もご一緒に」
功さまのお言葉に、将さまは首をお振りになられ、そう言われるのでございました。将さまは功さまからお離れにならず、言葉を聞かれた功さまも将さまの腕を取り、お二人は寄り添われながら、最後の時を惜しまれ、時折、むかしのことなどを淡々と語られているのでございました。
そのご様子を見て、なんという無情、なんというあはれ、と女房たちは袖で顔を隠して啜り泣き、武者たちももはやはばかりない泣き声を上げ、ふたたび船上は男女区別のない泣き声に満たされるのでした。
船の悲哀をかき消すような怒号を伴い、無数の軍勢は天皇家の小舟へと近づきます。内の一艘の舳先に一人の若武者が現れ、おそれおおくも帝に対し、神器を渡し、降伏すれば寛大な処置を取ろうとなどと物言うのでございました。その輩こそが、郭家の軍勢を率いる大将である郭家の嫡男、英士その人なのです。
大将自らの言葉に、時は迫れりと、功さまはいとおしげに、将さまの頬に触れられ、また、これが最後とばかりにすべらかな髪を撫でられました。
将さまはまばたきもされず、じっと功さまだけをお見つめになられています。
「将。竜宮でな」
功さまはそうおっしゃられると、船のへりに寄り、海へと身を躍らせられたのでございます。たちまちのうちに荒い波は功さまの玉体をお隠しになり、ついで、将さまが女房より、海へ沈む際の重石とすべし温石を受け取り、船のへりより、功さまの後を追おうといたしました。
そこへひゅうっと唸りを上げて、向かってくる一矢。身にはあたらずとも、将さまの袂を船に縫いつけてしまったのでした。温石は船底に転がり、将さまを抱き起こそうとした女房の背には、また別の一矢。あれえと一声あげて、女房は海へ。
目の前で起きた惨事に、女房たちは右往左往し、武者たちも反撃すべきか、海へ飛び込むべきか、咄嗟に判断できず、口から、おのれ、おのれと呻きが漏れるばかりでございました。
小舟が波に揉まれ、儚く流されていく中、将さまは矢を袂から抜かれ、うち捨てると、ふたたびへりへと歩み寄られたのでございます。海風に黒髪たなびかせ、裾はためかせたそのお姿、すっくともたげられた面には、恐れもなく、まるで龍神が人の姿をとったかのような神々しさでございました。
いよいよ近づいてくる郭家の船団からは、へさきにて矢をつがえる武士どもの荒々しい顔でさえ見て取れるほどでございましたが、そこからも、あれはたれぞとの声が挙がるのでした。
そちらへ鋭い視線を送り、将さまは、いま一度、海へと飛び込まれたのでございます。
我に返った女房たちも、次々と後へ続き、武者達も鎧甲姿のまま、海へと飛び込み、そのたびにわっと、郭家の船から声が挙がるのでした。
「上げろ、上げろ」
「死なすな、死なすな!」
怒号が飛び交い、
「神器を奪え!」
との命に、波立てて、郭家の兵船は皇家の小舟へと近づき、大勢の武士どもが乗り移ると、幾人か残った女房たち、武者たちを取り押さえ、虜にしてしまったのでした。
やがて、一人、上がったぞとの声と共に、一艘の小舟に小柄な女御が引き上げられたのです。黒髪が顔を覆うとも、その姿には匂い立つような高貴さが漂い、ただの女房ではないと武士達も戸惑う中、
「将さま、将さま」
「あなあさましや、あさましや」
飛び込めず捕らえられた女房たちが口々に叫び、引き上げられた御方の名を口にいたします。
武士たちは、己らが引きずり上げたのが、帝の寵妃だと知るに至り、慌てて御大将へと報告へ参ります。
将さまは何もご存じになられず、波にもまれた衝撃で、お気を失われておられます。そのぐったりしたお体は、大将の命により、御座船へと移されてしまわれたのでございました。
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