曇り空の下、葬送の鐘が響く。細い雨が、空気を地面を湿らしていく。
ひそやかに交わされる参列者の会話、すすり泣く声。
「お気の毒に……」
「まだまだこれからの方だったのに……」
「お子さまが……」
「お姉様は留学中で……」
「お兄さまも修行中だとか……」
シゲルは拳を握りしめ、掘られた穴に沈められていく二つの棺を見つめていた。
横でシゲルの手を握っている祖父の手がかすかに震えている。
姉と兄も能面のような表情で、棺を見つめていた。
棺が穴の底につくと、姉が手にしていた花をそっと穴の中に投げ入れた。 兄はうつむき、唇を噛みしめている。
「シゲル、お別れを……」
祖父の声がささやきかけた。
シゲルは姉が渡してくれた花を穴へ投げ入れた。
黒い輪を腕にはめた男たちが、土をすくい上げ、棺の上にかけていく。 ひとすくい、ふたすくい――シゲルの両親が収められた二つの棺が見えなくなっていく。
兄の唇が震えているのが見えた。姉が堪えきれないように顔を両手で覆う。
シゲルは目を見開いて、静かにそれらの光景を見つめていただけだった。
葬儀の後、シゲルは祖父のもとへ引き取られることになった。
姉はポケモン医療関係の勉強を続けるために、ふたたび留学先へと戻り、兄もまた、修行の旅へと出ていった。
兄の側には終始、いかにも活発そうな少年がいたが、シゲルがその少年と話す機会は全くなかった。葬儀が終わると同時に、兄は旅立ち、その少年も兄についていったからだった。
「マサラはいいところじゃよ」
シゲルが生まれてから今までを過ごした町を離れるとき、祖父はシゲルに言った。
「ポケモンものびのびと暮らしているところじゃ。気に入るといいがの」
兄や姉と違い、シゲルは生まれてから一度きりしかこの祖父に会ったことはなかった。 知っているのは、世界的に有名なポケモン研究家だということと、マサラの大きな研究所に一人で住んでいるということぐらいだった。
「お前と同じぐらいの子も近所におる。仲良くなれるといいな」
シゲルは黙ってうなずいただけだった。
初めて会ったのはいつだったのだろうか。マサラへとやって来て、そんなに日にちは経っていなかった。
思い返せばマサラでの生活は、両親と暮らした町のようなあまりにも悲しすぎる思い出はない。
「シゲル君、よろしくね」
ハナコママが優しくほほえんだ。
昼下がりのひととき、オーキド博士に連れられてやって来た、研究所の坂の下にある白い壁と赤い屋根の家には、一組の親子が住んでいた。
ハナコはシゲルの姉と同じくらい若く見えたが、それでも口調や仕草には母親によく似たものがあった。
なつかしいお母さんの甘い匂い――シゲルはオーキド博士の白衣の裾を掴もうとして、止めた。もうそんな子供ではいられないのだ。
シゲルは唇を噛んだ。
そのとき、ハナコの後ろから小さな男の子が顔を出した。フシギダネのぬいぐるみを抱きしめて、シゲルに向かって笑いかけた。
「俺、サトシ」
シゲルに近づき、名前をたどたどしく言う。
ぷくぷくした頬、きらきら光る目、おぼろげな記憶だったが、非常に愛らしかったことははっきりと覚えている。
「……僕は、シゲル」
「そっかー、仲良くしような。シゲりゅ」
サトシがシゲルの手を握ろうとした。
「あくしゅ、しようぜ」
まだどこか舌っ足らずの口調、鼻の上の絆創膏に膝の擦り傷――シゲルはぷいと横を向いた。
「僕はシゲル、だ。間違えるな」
サトシはびっくりしたような顔をして、もう一度言う。
「えっと、シゲりゅ」
「ちがう。『ル』」
「シゲ……りゅ!」
「ちがう!」
サトシは一生懸命シゲルの名を発音しようと、何度も口にするのだが、無理だった。
顔を真っ赤にして、正しい名を呼ぼうとするサトシと首を降り続けるシゲルとを見つめて、オーキド博士とハナコはほっとしたように視線を交わしあった。
「うまくやっていけそうじゃな」
「そうですね」
「助かりましたよ、サトシのママさん」
「いいえ、お友達が増えるのはいいことですし」
「うむ……これでシゲルが少しでも笑ってくれるようになるといいんじゃが……」
博士とハナコは小声でささやき合っていたが、シゲルの耳に博士の言葉は届いていた。
どうしても『ル』と言えないサトシの相手をしながら、シゲルは唇を歪めた。
(僕は……邪魔なんだ)
「シゲりゅ?」
「シゲ、ルだ!」
サトシが飽きてしまったのか、シゲルの服を引っ張った。
「な、あっちで遊ぼうぜ」
「……うん」
イヤと言いかけたが、断って自分はどこにいけばいいのだろう。シゲルはサトシとともに庭へ出ていった。
最初は庭で土に絵を描いて遊んでいたのだが、やがてサトシが木登りを始めた。小さな足を枝にかけて、どんどん上に登っていく。
シゲルは何も言わず、それを見上げていたが、予想通りサトシは降りられないと枝の上で、泣き出し始めた。
(バカ……)
サトシの泣き声を聞きつけて、ハナコとオーキド博士はあわてて駆けてきた。
「サトシ、またそんなところまで登って!」
ハナコはあせるふうもなく、じっとしていなさいと注意すると、ポケモンの助けを借りてあっさりとサトシを救い出した。
「ほら、もう泣かないの」
「ママぁ……」
サトシはハナコに抱きついて、いやいやをした。
「登るなら自分で降りられるところまでにしなくちゃね」
「ごめんなさい……」
しゃくり上げ始めたサトシと優しく涙を拭ってやるハナコとを見比べて、シゲルは唇を噛んだ。
(なんだよ、アイツ)
母親に甘えて、抱きしめられて――シゲルがもうしてもらえないことばかり、やっている。
(僕だって……)
後の言葉は飲み込んだ。いつもしているように、そうすれば涙は引っ込んでしまう。 そのかわり胸がいつも重くなり、妙に痛くて苦しくなるのだが、涙を見せるよりずっと良かった。
「……シゲル、帰るとするか」
オーキド博士がつぶやき、シゲルの手を取ろうとした。その手を無視してシゲルは一人で歩き始めた。
「シゲりゅ、あしょぼうぜ!」
シゲルの気持ちなどサトシには知る由もなく、日が昇り朝食が済んだかと思うとサトシは毎日のようにシゲルを遊びに誘いに来る。
「俺、昨日なー、いいもん見たんだ。シゲりゅにもみしぇてやるよ!
フシギダネのぬいぐるみを片手に、サトシはシゲルに笑いかける。
その頬には朝食のものらしいパンのかけらがくっついていた。きっとハナコが拭おうとする手を逃れて、遊びに出たのだろう。
「なー、何だと思う?」
ゆで卵を小さじですくうシゲルに、サトシは子どもらしい思わせぶりな言葉をかけた。
シゲルはサトシを横目でちらりと見ただけで黙々と朝食をとり続けている。
広いオーキド家の食卓にはシゲル一人きりしかいなかった。
銀製の優雅なナイフにフォーク、スプーン。細かい模様の入った皿、花瓶に生けられた美しい花。シェフがシゲルの好みに合わせて作る朝食。
すべて両親を亡くしたばかりの孫を、以前と同じく何不自由なくさせてやろうとする祖父の気遣いだった。
食堂はしかし、シゲルが扱う食器の触れあう音以外はサトシの声しか響いてはいない。
「な、何だと思う――わあっ!」
サトシの声とともにすさまじい物音が響いた。
「?」
さすがにシゲルも腰を浮かせ、サトシがつかまっていた窓の桟に手をかけて、下をのぞき込んだ。
「……バカ?」
まだ小さなサトシは一階とはいえ、高い場所にある窓につかまるため、いくつもの木箱や段ボールを積み上げ、そこによじ登っていたのだ。
もちろん、ものすごい音というのは、その箱が崩れた物音だった。
「……痛い」
サトシは目に涙を浮かべ、頭の後ろを押さえて、うずくまっていた。唇の端も切ったらしく血が出ている。下が柔らかい土だったから良かったものの、固いコンクリートでもあったなら大怪我をしていただろう。
シゲルはサトシの怪我が大したものではないと思い、窓から離れかけたが、すぐに眉を寄せて、窓から身を乗り出すと舌打ちした。
「おい、じっとしてろ」
身軽く地面に降り立つと、シゲルはサトシの側に近寄った。
「うしろ……頭を見せろ」
サトシの手を外させ、シゲルは首にかけていたナプキンを取った。
木箱の角で切ったらしく、頭の後ろから血が滲み出している。
「痛いか?」
「……痛い」
涙がこぼれそうになるのを堪えて、サトシはうなずいた。
「ちょっと待ってろ」
すたすたと邸の中に戻ったかと思うと、シゲルは救急箱を片手に戻ってきた。
中から消毒薬と脱脂綿、傷薬、包帯、ガーゼ、テープを取り出すと手際よく傷の手当を行っていく。
サトシは目を丸くしてそれを見ていた。
「終わったぞ」
「――すっごい!」
サトシは興奮したのか頬を赤くして、叫んだ。
「シゲりゅ、おいしゃしゃんみたいだ」
「何、言ってるんだ」
呆れてシゲルは立ち上がった。さっさとサトシから離れようとしたが、その背にサトシが呼びかける。
「シゲりゅ!」
「る!」
シゲルは振り返って怒鳴った。
「……いいもの見たくない?」
シゲルの声に怒りが混じっていたせいか、しょんぼりした声だった。
思わずシゲルは足を止めてしまう。
「いいもの?」
「うん!」
シゲルが立ち止まったのでサトシは勢い込んで言った。
「まだ誰も知らないんだぜ。シゲりゅにだけ教えてやるよ」
「――わかった」
根負けしたのかシゲルはうなずいた。
「着替えてくるよ」
サトシが笑った。シゲルが一度もみせたことも浮かべたこともないくらい、嬉しげな心の底からの笑顔だった。
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