どこまでもふたり
1



 伏せられた壷がごつい手で上げられる。
 三つの賽子の出目を確認した瞬間、カミナはにやりと笑い、場に集められた金貨や銀貨を手元へかき寄せた。
「またカミナか」
「てめえ、何と取引しやがった」
「いつもの貧乏神、どこ置いてきたんだ」
 口々に愚痴がこぼれ、場は一時、緊張がほぐれた。奥の座席で目を光らせる用心棒たちがこちらを見たが、一人勝ちの席によくあるものとみて、また目を逸らす。
「へっ、ほざきやがれ。これが俺の実力よ」
 革袋に集めた金貨を流し込む。ちゃりん、しゃりん、と貨幣同士が触れ合う涼やかな音がたまらない。誰が持ってきたものか、銀や金の小粒もあった。
 すべて革袋に仕舞うと、カミナは立ち上がった。普段は、賭場の終いまで、賭けに興じるのだが、今日は事情が少し違う。
「なんでえ、勝ち逃げかよ」
 苛立たしげな舌打ちがあちこちで響く。
 男、女関係なく、通じる愛想の良い、親しみ深い笑みをその薄い唇に浮かべ、カミナは手を挙げた。
「女神様がここらで帰れっていうもんだからな」
「今度は、今日の分、勝ってやるぜ」
「今度、なんざ言うやつに勝ちは来ねえよ」
 言い残して、賭場を出た。

 スリに遭わないよう革袋は懐奥に入れ、盛り場を歩く。今からが稼ぎ時だとばかりに街は賑わっていた。元々、人の集まる賑やかな場所を好むカミナだ。しかも、懐が暖かいとくれば、酔っぱらいにぶつかられようが、呼び込みを無視された客引きの男の舌打ちも気にならない。
 喧嘩でも売るようなふてぶてしい面構えの獣人警官は人混みに紛れてやり過ごす。難癖を付けて金をせびろうとする連中もいるから、今日のような収穫があった日は、見つからないようにするのが身のためだ。
 顔馴染みの女たちからは、とろけるような声と眼差しを向けられる。
「カミナぁ、遊んでいってよ」
「口説いてくれるって約束はいつ、守ってくれるの?」
 シナを作る、体の線を露わにした扇情的な女たちからの誘いに、足も止まりかけるが、今日ばかりは、またな、と片目をつぶって、先を急ぐ。
 繁華街を抜けた数ブロック先にあるアパートが目的地だ。
 そこが、今のシモンとカミナのねぐらになる。
 いつ建てられたのかも分からない、古い古いアパートで、電気も水もガスも通っておらず、取り壊しを待つばかり、といったひどい建物だが、住人は多い上に、意外なまでに住み心地はいい。
 とかく家賃が安いので、背に腹は代えられぬと集まってきた住人たちの中に、手先の器用な職人たちもいて、それまでは水は井戸から汲み上げていたのだが、上手いこと、各部屋に配管設備を敷いて、上下水道を整え、電気はこっそりどこからか電線を引いて、盗んできている。設備の維持費を払えば、電気と水道は使えるし、ガスも金さえ出せば、蛇の道は何とやらで、手に入る。
 建物はぼろだが、新しく建てられるアパートのようにせせこましくなく、一つ一つの部屋が広々しているから、中には又貸し、時間貸しして、小銭稼ぎをしているものもいる。
 地上に出てきてから、数え切れないほどの部屋に移り住んできたが、今の部屋が一番、住み心地がいい。根城にしていた廃屋を引き払って良かったと、カミナは当時の自分の判断を自賛する。
 廃屋に住んでいた時分は、もちろん家賃などはいらなかった。が、どこもかしこもぼろぼろですきま風は通り放題、おまけに河に近かったためか、湿気がひどく、カビだらけだった。
 その前から、少し体調の悪かったシモンはたちまち、風邪を引いてしまい、廃屋を出る前での二月ほどは、微熱や咳が続き、寝汗のせいで、夜もあまり眠れないと、体調を崩したままだった。
 もぐりの医者に診せたところ、肺炎に気をつけろ、というから、カミナは考えた挙げ句、金をかき集めて、このアパートに引っ越したのだった。
 あたたかく、生活設備も整っている部屋で、体をゆっくり休められたのが効いたのか、シモンも倦怠感はともかく、微熱は落ち着いたらしい。咳が収まらないのが気になるが、どこから聞き知ったのか、貧乏人相手の腕の良い医者を紹介してもらったとかで、診てもらったのが二週間ほど前だ。
 最初の受診では結果が分からず、栄養剤だけをもらってきただけで、どこが腕の良い医者だとカミナは思ったが、体がだるいといって、ぐったりしていたシモンが、自分から医者に行くというまでになっていたのだから、その時点で、半ば、風邪は治ったものと決めつけていた。
 今日は、病院から検査結果が出たとの連絡が昨日、来たので、シモンは病院に行っているはずだ。
 朝、シモンからそれを聞いて、なら自分も早く結果を知りたいから、今日は早めに帰ってくると約束して、カミナも家を出た。何の結果かはよく分からないが、身体検査のようなものだろう。シモンは背も低いし、同い年に比べれば、体つきも幼いが、病弱という訳でもないから、大丈夫なはずだ。
 思い返せば、シモンの体調が悪くなる前後に、大仕事を立て続けに行っていた。その時にやらせた穴掘りの負担が体に溜まり、疲れが長引いて、そこに風邪を引いたものだから、これだけ長々と症状が続いたのだろう。
 もうしばらく養生させて、シモンが元気になるのを待とう。そうすれば、また二人、泥棒稼業に精が出せる。そろそろ、忍び込む場所の目星を付けていてもいいかもしれない。思えば、今日、賭場で勝ったのもツキが向いてきた証しのようだ。
 幸先がいいスタートになりそうだと、カミナは口笛を吹きながら、飲み屋相手の食料品屋に立ち寄った。
 缶詰のスープやパン、ハムや鶏肉、果物と目に付いた栄養がありそうな食べ物を籠に放り込み、ついで、シモンへの手みやげにコーヒー豆を、自分のためには酒を買い、両手に紙袋を抱え、上機嫌で、アパートの壊れた門扉をくぐった。

 共通の玄関扉は、頑丈なのだが、ドアノブが錆だらけだ。元は、何かの怪物を模していたらしいこれもまた錆だらけのノッカーが、扉を開け閉めするたび、赤茶けた粉を飛ばす。
 玄関ホールには、破れて板張りの床が見える赤い絨毯が敷かれている。色褪せて、埃だけを飛ばす絨毯だが、そこは分厚いだけあって、年齢も仕事の幅も様々なアパート住人の出入りの騒々しさを、多少なりとも吸い取ってくれる。
 ところどころ板が破れた階段を上った。カミナとシモンの部屋は三階の左から二番目だ。ぎしぎしきしむ廊下にはごちゃごちゃとゴミなのか、荷物なのかも定かではない、壊れた家具や妙なずだ袋が置いてあって、朝よりも確かに増えているそれらを蹴飛ばして道を作りつつ、カミナは扉の前に立った。
 足で扉の下をけりつける。
「おう、シモン、いま、帰ったぜ!」
 奥からぱたぱたと足音が近づいてくる。気のせいか、その足音もいつもより、大きく聞こえて、カミナは微笑した。
「ちょっと、待ってて」
 扉の上下と真ん中に三つ、錠を取り付けてある。扉上の錠は、シモンの背では届かないから、踏み台に登って、開くのだ。
 扉の向こうでは今頃、シモンがうんと背伸びしているだろう。がちり、と重たい金属音が響き、ついで下、最後に真ん中から音が聞こえた。
 きいっと扉をきしませ、シモンが隙間から顔をのぞかせた。頭の上には、地下からの付き合いであるブタモグラが一匹、ちょこなんと乗っかっている。
 隙間から漂ってくる、香辛料のものとおぼしい香ばしい、いい匂いが胃袋を刺激した。
「兄貴、おかえり」
 明るい声と共に、扉が大きく開かれる。両腕に紙袋を持ったカミナは部屋に入った。
「早かったね」
「早く、帰るって言っただろ」
 シモンが扉を閉め、また鍵をする。一番上だけは荷物を床に置いたカミナが錠を下ろす。
 二人で一つずつ荷物を持って、キッチンに入る。オレンジ色の小暗い部屋に、充満しているあたたかい匂いに、カミナは鼻をうごめかせる。
「なに、作った?」
「肉と豆のシチュー」
「お、豪勢だな」
 肉、と聞いてカミナの唇がほころぶ。
「買い物してきたんだ」
 カミナはテーブルに荷物を置き、シモンに手を伸ばす。手渡された紙袋から中身を取り出し、どんどんテーブルに並べていく。
「兄貴もいっぱい、買ってきたね」
「ツキまくってなあ」
 ほれ、とコーヒー豆の包みを渡すと、匂いで中身が分かったのか、シモンがぱっと笑顔を浮かべる。
「ありがとう、兄貴」
「で、どうだった」
 ああ、とうなずきながらシモンはコンロに立ち、カミナに背を向けた。鍋をぐるぐる回している。かしゃん、かしゃん、とおたまが鉄鍋のそこや縁に当たる金属音がやけに大きく響く。肩の上のブータはカミナの方を向いていたが、すぐにシモンの首をぺろりと舐めた。
 カミナは食料品の内、生ものだけを保冷庫に適当に放り込んだ。ガラス瓶や紙箱に入った食料品はシモンが片づけるだろう。
「おーい、シモン?」
 答えが返ってこないので、カミナが声を掛けると、シモンが横を向いて、軽く咳をした。
「ごめん」
「おいおい、あんまりいい結果じゃねえのか?」
「ううん、なんともなかった。あ、でもね、しばらく安静にして、栄養取って、ストレスたまらないようにしろって」
 シモンが早口に話す、予想した以上のあっさりした診断結果に、カミナは苦笑した。ブータは話の邪魔をするように、鳴いていたのだが、シモンが左手で撫でると、あっさり鳴き止んだ。
「なるほどな」
 カミナは紙袋をくしゃくしゃにして、くずかごに放り投げる。綺麗な弧を描いて、ゴミは見事に中に収まる。鍋をまだ混ぜているシモンの背後に立つと、頭に手を置く。
「ま、何事もなくて良かったぜ」
「うん」
「もうちっと、ゆっくりしたら、また、ばんとでかい仕事やるぞ!」
「……うん」
 うなずいたシモンは、カミナを見上げ、ちらっと笑った。いつもよりも控えめな、何かを溜め込んだような笑い方だったが、それも病院に行ってほっとしたせいだろうとカミナは気にしなかった。
「着替えてくるから、飯の支度頼むな」
 うなずいたシモンに背を向けて、カミナは自分の部屋に入った。
 アパートに部屋は二つあり、広い方はカミナが、小さい方はシモンがそれぞれ自分の部屋として使っている。後はキッチンと居間が一続きになった部屋に、水回り。風呂まで付いているが、陶器で出来た湯船は割れていて、使えないから、シャワーで済ます。風呂はたまに、銭湯に浸かりに行く。
 口笛を吹きながら、煙草の臭いが染み込んだ、極彩色の蝶々がプリントされたシャツを脱ぐ。そこで気がついた。部屋が片づいている。そういえば、台所にあったダストボックスも相当に中身が溜まっていたが、すっかり空になっていた。結果を聞いてシモンにも気力が戻ってきたのだろう。
 カミナは満足げに整頓された部屋を見回した。
 シモンの性格もあって、どこにいても、どんな場所でも、シモンは部屋や身の回りをまめまめしく、片づけてくれていたが、さすがに具合が悪い間は、それも充分、行き届かず、必然、カミナ一人が動き回る部屋は、脱ぎっぱなしの衣服が散らばり、即席商品の容器や汚れた皿が積み重なり、クローゼットの扉は開かれたまま、ダストボックスは中身が溜まり、入りきれなかったゴミは周囲に散らばり、積もった埃が歩くたび、舞い上がる、といった乱雑な状態になっていた。
 が、今日、シモンは病院から帰ってきて掃除したらしく、皿は洗われ、食器棚に仕舞われており、ゴミの山も片づけられている。クローゼットの中は衣服が畳まれて収納されており、洗濯もしたらしく、ほのかに洗剤の香りが漂ってくる。
 具合が悪く、よく臥せっていたシモンに感じていた心配や不安、それに段々と汚れて、散らかっていく部屋によって、カミナもだいぶ、気が荒んでいたのだが、今日はそれがない。
「おっしゃ」
 意味もなく、拳を握る。賭には勝つ。長いこと具合の悪かった弟分も、どうやら大したことはないことが確定した。きっと、これからは、またうまくいく。何もかもうまくいく。楽しいことばかりになるはずだ。

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