「財政難です」
政府上層部による定例会議である。進行は例によって例のごとく、有能怜悧たる補佐官ロシウ。その彼の第一声は挨拶でもなく、出席の確認でもなく、この一言だった。
その横で、政府トップの総司令殿は何とも言えない顔で、目を伏せている。
「財政難ってえ、ことは、あれか」
「赤字だな」
「赤字だろ」
「金がねえってことか」
テーブルを囲む面々の言葉遣いは、上層部にしては荒いが、ロシウはかまうことなく、うなずいた。
「ええ。その通りです。赤字です。真っ赤です。本当に、まずいです。給料三割どころか五割減は大前提」
ここで、皆は、真剣な目つきになった。給料減とは穏やかではない。例外はシモン一人で、テーブルの上に置いた手を組み合わせて、なにやらもじもじしている。
「なんで、また、そんなことに?」
「こないだ、今期の予算、上げたばっかりだろ?」
「理由を説明しましょう。――総司令閣下」
ロシウが静かに、うながした。優しい、とさえ言える口調だが、何人かは恐ろしげにロシウを見やる。
「……はい」
名指しされたシモンがおずおずと顔を上げた。
「先日、俺と兄……ええっと、副司令カミナとの模擬戦闘時……」
ごほん、とロシウが咳払いした。シモンはうう、と懇願するようにロシウを見上げたが、彼はまっすぐにシモンを見つめ返し、視線だけで言葉を続けるようにうながした。
「言い直す。俺と、兄貴が……喧嘩したとき」
ああ、とここで全員が深く、深く、うなずいた。
「分かった。シモン、もう言うな」
「あれか」
「あれだな」
「あれが原因か」
「なるほど」
いたわりと気遣いと、後はあれには触れないでおこうという意思疎通の行われた元大グレン団の面々と違い、ロシウは手厳しかった。
「ええそうです。シモン総司令閣下と副司令兼統合軍団長カミナさんとの痴話げんかの結果、我がカミナシティの発電施設は大破し、復旧には一週間、その上、あくまでも補修に過ぎないため、新しい施設の建設が早急に求められています。また宅地施設予定地は重大な被害を受け、整地事業からやり直さなければならなくなりました。ちなみに痴話げんかの理由は、カミナさんが、偶然、事務方の女性とぶつかり、その際、制服に付いた口紅への誤解です」
テーブルに突っ伏して、ぷるぷる震え出したシモンを、ロシウはちらっと見やり、さらに言葉を続けた。
「さっさと理由を聞けばいいものを、そんなときだけ、乙女回路を作動させてしまい、落ち込んで、一人で穴掘った挙げ句、ストレス発散のためにラガンを動かそうと格納庫へ赴いたところに、同じく、最近態度のおかしいシモンさんを追求しようとしても逃げられていたため、ストレスが溜まっていたカミナさんと遭遇。口喧嘩をしながら、二人はグレンとラガンに搭乗し、グレンとラガンを介した殴り合いに発展。この際、互いのベッドマナーによる不満もぶつけられましたが、これは単なるのろけであり、この言い争いの名を借りたおのろけは、グレンとラガンの双方向回線ではなく、全回線で行われました。政府関係者用の全回線ではありません。公開回線、です」
ロシウはどこから出したのか、小型のレコーダーを手に持ち、再生ボタンを押した。
――だいたい、アニキはいつもいつもいっつも、俺ばっかりにエッチなことしてさ! 俺だって、アニキをちゃんと気持ちよくさせたいのに! ばっきゃろう! 俺はな、お前があんあん言ってる顔にやっべえくらい興奮してんだ! お前にしゃぶられたりしたら、あっというまに終わっちまうだろうが! そんな早漏野郎でいいのか! アニキだったらなんでもいいよ、早漏でも遅漏でも嬉しいよ! こらシモンそんな言葉どこで覚えた俺が教えたのはもっと可愛いおねだりの言葉――ロシウは停止ボタンを押した。
「これは会話の一部です。ご存じでしょうが、この言い争いの名を借りたおのろけは、二十分続いています。もう一度いいますが、公開回線での会話です」
椅子からずり落ちたシモンが頭を抱えた。ロシウは容赦なく続ける。
「その後、二人は反政府過激派ゲリラを発見し、殲滅のために合体。で、合体ついでに本人たちもその後、合体。めでたく仲直り、はいいですが被害は甚大、という訳です。人的被害がないのは幸いですが、おのろけを聞かされた精神的な被害は、かなりの数に及ぶと僕は考えています」
ロシウの演説の被害者は、テーブルの下で膝を抱え、背中を丸め、あうあうと意味のないうめきを上げるシモン一名である。
テツカンとキタンがいたたまれないといった風に声を上げる。
「ロシウ、許してやれ……」
「な、俺らからも謝るから、許してやれって」
ふふふ、とロシウは隈のできた目で二人をにらみ、地を這うような声を出した。
「ということで、予算がぱあ、です。今期予算計上のため、僕は三日三晩徹夜し、その後一週間は睡眠三時間で各部署との打ち合わせを行った、その予算が、ぷあです。ゼロからやり直しの上、赤字確定です」
キッドとアイラックが共同でシモンをテーブルの下から引きずり出した。放っておくと、たぶん、床を掘り出す心配があったからだ。
「な、元気出せって」
「あんなのいつものことだろ?」
慰めになってない言葉に、シモンがさらにうう、と呻きながら顔を覆う。
ロシウは一瞥し、やさぐれた笑みを浮かべた。
「増税も検討しましたが、今現在、そんなことを行えば政府幹部の進退問題に関わりますので、アンケートを採りました」
「は?」
「アンケート?」
問いかけるような視線には、まったく答えず、ロシウは淡々と言った。
「政府の人材を使い、何か資金を獲得できないかと愚考し、広報部との会議を行い、広く意見を募集した結果、写真集、という判断に至りました」
「――写真集?」
全員の声が綺麗に重なった。
「ええ。そうです。被写体は誰がいいかという投票もついでに行った次第です」
「え、いつ」
テツカンの言葉に、ロシウの目が据わった。
「……僕はこちらにいる皆さんにもメールで投票を呼びかけましたが、不思議なことに一通もご返信はありませんでした」
途端、首をすくめる面々を睥睨し、腰の後ろに手をやったロシウは、こつこつと靴音を響かせながら、キッドとアイラックの方へと近づいていく。
「投票の結果、つまり、写真集の被写体になっていただく方ですが」
キッドとアイラックはシモンの頭上でお互い、視線を交わし合った。他のメンバーも隣や向かいの連中と目を合わせ、それから、そっと、哀れみとあきらめのこもった目で、彼を見やった。
ちょうど、ロシウがシモンの前に立ったところだった。
「ぶっちぎりの第一位でシモン総司令閣下に決定です。喜んでください、あなたの人気は政府内、政府外でも、かなりのものですよ」
「なっ!」
シモンはしばらく言葉を失ったようにまばたきを繰り返していたが、やがて涙目で信じられないというように、ロシウに詰め寄った。
「なに、訳わかんないこと言ってんだよ、ロシウ!」
「訳わかんない?」
ロシウがほほえんだ。
「訳わかんないですか、シモンさん? もう一度、なぜ、こんなことになったのかを最初から説明しましょうか? 懇切丁寧に映像と音声付きで、説明してさしあげましょうか?」
「訳わかります……」
助けて、とシモンの目が語るが、誰もが目を逸らした。今のロシウを敵に回す勇気は誰にもない。
「まあ、シモン、記念撮影と思ってさ」
「そうだな。二十代のきらめきを残せるということかもしれない」
キッド、アイラック二人共に、シモンの肩に手を置いて、ふたたび慰めようとしたが。
「撮影プロデュースは科学局長官リーロンさん、オブザーバーにニアさんとヨーコさんがそれぞれ名乗りを上げてくれました」
「ひいっ!」
シモンが悲鳴を上げた。
「ちょっとまて。リーロンとニアとヨーコって、それ、やばい。俺、なんか確実に嫌な予感するよ! ほら、この鳥肌見てって!」
「一応、修正もしますが、できるだけ、鳥肌は出ないようにしてくださいね。大丈夫です。スタジオは暖房が効いていますから裸でも、そんなことはないと思いますよ」
「裸って!」
ちょっとロシウ、とわたわたするシモンを押さえたロシウは、手首の発信器から呼びかけた。
途端、扉が開き、ギンブレーとシベラが入ってくる。
「スタジオへお連れするように」
「はい」
うなずいたギンブレーとシベラはロシウの腕からシモンの体を引き取り、二人でシモンを挟むと、口々にあやし始める。
「さ、行きましょうね。総司令閣下」
「大丈夫ですよ。初めては怖いものですが、慣れればなかなか快感になるものです」
「お、お前ら、こら! 俺は総司令だぞ!」
シモンはもがくが、ロシウの命を受けた二人の手も表情もまったく揺るがない。
――死地に赴く我が友よ、どうか心安らかに。
その最期の様子を見て取るのがつらく、ロシウ以外の者は、顔を伏せ、手で顔を覆い、あるいは、すまない、とつぶやき、シモンを救えない己の無力さを噛みしめつつ、彼を見送った。
「総司令っていうのはな一番偉くて、偉いんだぞ。それなのに、何なんだよ、これは!」
「ええ、人気抜群の総司令閣下なのは熟知しております」
「ならば、是非、その人気で政府の予算を潤してくださいますようにお願いいたします」
引っ張られるようにしながらシモンが去っていく。
勘弁してくれ、という絶叫の余韻が消えても、室内は重苦しい沈黙に包まれていた。
テツカンが場の空気をほぐそうとでもするように、穏やかな声で訊ねた。
「……ところで、ロシウ。気になっていたんだが、カミナはどうしたんだ?」
「地方出向中です」
テーブルの上の書類をまとめていたロシウの返答に、皆が騒ぎ出す。
「なんで、カミナがいねえ時に会議なんだ?」
「そうだそうだ、あいつも十分すぎるほど関係者だろ」
「シモンと番いなんだから、居た方がいいんじゃねえのか?」
返答は一言。それで十分だった。
「話をややこしくしたいですか?」
ここに全会一致でシモン総司令写真集発売決定が採択された。
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