機内から外へ出ると、乾いた風は思いがけないほどの熱さで吹き付けてきた。日陰では涼しい風も、陽射しを遮るものが何もない場所では体を干上がらせるだけだ。
今年は例年にない暑さだと聞いた。その分空の色はどこまでも青い。白雲と青空の境目はくっきりしたものだった。
タラップを降りて、手続きのために空港内へ入る。空港で働く人々の表情は、みな一様に明るかった。日焼けした肌ときらめく瞳。この国はまだ新しいのだった。若い国に特有の未来への希望やひたむきさが老若男女問わずに感じられる。長い独裁体制から解放され、奇跡とまでいわれたほどのすさまじい速度と確実さで民主化を広げていった国だ。
ゲートをくぐり抜けたところにいる抜け目無いガイド達を無視して、外へ出てみれば、いっそう暑い。塵が燃え上がっていくような風の音が耳元でした。
飛行機が轟音を立てて空を横切ったので、しばらくの間、タクシーの客引きの声も途絶える。
帽子を脱いで汗を拭っていると、思いがけず故郷の声を耳にした。
「お客さん、オレノクルマ、ヤスイ、イチバン」
初めだけが流暢で後はぎこちない日本語だった。振り向けば、肉付きのいい無精ひげの男が白い歯を見せ笑っている。
この国は日本人に親しみを抱いているという友人の言葉を思い出した。日系移民が多いせいもあるだろうが、別の理由もあるはずだ。
「お客さん、ニッポン。オレ、ワカル」
男は派手な柄のシャツから伸びた腕を振り、薄いグリーンの車を差していた。
断ろうとしたが、男はシャツの襟元を示して見せた。観光局の認可が降りている証拠のバッジを留め、車にも同じ様なステッカーを貼っている。
「アンゼン、アンゼン。ダイジョブ」
歌うように男は言うと、また笑った。
裏表のない笑みに毒気を抜かれ、男にうなずきかけた。一つきりしかないトランクを車の後部に入れ、タクシーに乗り込む。乗り心地は悪くなかった。
行き先を告げると、男は何度も大きくうなずいた。
「シン、ポイス・ノン」
車が走り出す。冷房が壊れているようだったが窓を開け放せば快適だった。
車のラジオから流れる音楽に乗って、予想した時間よりも、早く市街地まで辿り着いた。
明るい活気のある街だ。内戦の傷跡もすでになかった。一番古い資料にあった崩された壁や弾痕がうがたれた壁など、どこにも見当たらない。復興はとうに終わっていたのだ。
大きな通りまで来ると、さすがに道が混み合っていた。たちまち吹き出た汗が額を濡らすが気にしなかった。のろのろと進む車にも苛立ちはしない。
時間はあった。もう誰も逃げることはしないし、再会を引き延ばす必要もなかった。
タクシーは脇道にそれ、ごとごとと少し揺れながら道の上を走る。
落書きのされた壁、様々な張り紙の張られた建物、色鮮やかな看板を眺め、そこを行き交う人々の顔を見つめた。いまだに純朴さを覗かせ、活き活きした目を見せる都市部の人々はめずらしい。
大人達よりも、もっと明るい目をした子ども達もいたる所で見られた。年齢は様々で、男女入り混じって、子ども特有の、少し高い笑い声や歓声を挙げ、どの子も等しくボールを追っている。狭い路地で、車が行き交う路上で、たまに歩道を歩く大人にボールをぶつけながら、子ども達のほとんどがサッカーをして遊んでいた。
弾むボールの音と釣り合う、女性歌手の賑やかな歌が終わって、別の歌が始まる。運転手がボリュームを上げ、ラジオに合わせて鼻歌を歌い出す。この歌を作った男の名を知っていると言えば彼はどんな顔をするだろうか。明るさの中に感じられる切なげなメロディーが不意に途切れた。
曲がり角から突然ボールが飛び出し、同時に少年達が五、六人ほどボールを追いかけ、やはり飛び出してきたのだ。
タクシーは急ブレーキをかけ、運転手が大きな声で少年達を怒鳴りつける。
少年達は憎めない表情で、こちらをからかうような素振りを見せると、ボールを追いかけながら、またどこかの角を曲がっていった。
運転手がぶつぶつ呟きながら車を発進させる。少年達の笑い声の反響が消え、運転手の低いハミングがふたたび始まると、上着のポケットから紙切れを取り出してみた。
端は黄ばみ、折っていた部分が擦れて破れかけてきている。新聞用の紙というのは、それほどよい質ではないが、この切り抜かれた記事に使われた紙もそうだった。
写真もずいぶんと見にくくなっているが、もともと画像の荒い写真だったので仕方ない。これ以上破らないよう、慎重に皺を伸ばして、写真を見つめた。
子どもに囲まれた男がボールを指差して、何か言っている様子を写したものだった。写真の端にも腕を組んだ男がいる。
どちらも穏やかな顔で、どちらも笑っていた。二人と子供たちの背後に広がる青い空は、時間を経ても、その時の鮮やかさをとどめて、今日の空にも似ていた。
光子郎は記事を丁寧に折り畳み、ふたたびしまい込んだ。市街地を通り抜ければ、すぐに着いてしまうだろう。
ヤマトの作った歌はとうに終わり、外を流れる景色はすでに郊外のものだった。
光子郎が指定した場所まで辿り着くと運転手は車を停めた。料金とチップを支払い、トランクから荷物を出す。手伝ってくれた運転手が煙草を口にくわえ、首を捻った。
「お客さん、タイチ、アウ?」
光子郎が微笑すると、運転手の男は親しげな笑みを見せた。丈が訪れた時もこうだったのかと思い、この国での太一の立場が再度実感できた。
光子郎にはよく意味の掴めない言葉で男が太一のことを語る。親しみと笑顔ばかりがあふれていた。
最後に大きく、見えないボールを蹴る真似をしてみせると、男はにやっと笑った。
「キマッタヨ。バンザイ、イッタ」
太一が出ていた試合を語ったものか。光子郎が目を細めると、男は照れくさげに鼻の下を擦った。
「ソコ、ハイル。マッスグ」
大きく開かれている門を指し示し、片言の日本語で道まで教えてくれた。光子郎はオブリガードと礼を言い、もう一度男に笑みを引き出させると歩き出した。
白く細い道は上り道になっている。周りは見ずに前だけを見つめて歩いた。
潮の薫りが漂ったかと思うと丘の上に出ていた。海がよく見える。
並んだ石の間に人影が見えた。その足下には華やかな色彩があふれている。
来るとは伝えていたが、日にちも時間もはっきりしたことは何も伝えていない。だが、彼にしてみれば、ここに居ることが日常の一部なのだろう。
光子郎が近づくにつれ、彼の笑みは深まり、姿がはっきり見えてきた。赤道に近い日光にさらされてきたせいで、白かった肌も黒く焼けている。髪の色が、いっそう薄くなって、白っぽい金髪のようにも見えていた。
光子郎と同じように時を刻んだ面に浮かんだ笑みは、背後に見える海のように静かだった。だからこそ、あのような歌を作ってこられたのだ。それとも歌を作ってきたから、これほど穏やかに笑うようになったのか。
光子郎は荷物を置き、帽子を脱いだ。
「お久しぶりです」
「ああ」
視線を合わせ、言葉を一、二言交わすと光子郎はヤマトに近づいた。
ゆっくりとヤマトの足下に目を落とす。
遠目にも見えた通り、花ばかりだ。色も種類も様々で、石も見えないほど花で埋め尽くされている。
「……本当に来たぜ、太一」
ヤマトはつぶやき、膝をついた。光子郎は無言で、ヤマトの背と四角い形に切られた白っぽい石を見下ろした。
花と花のわずかな隙間に文字が見え隠れする。並んだ異国の文字の中には、懐かしい日本語で太一の名が刻まれていた。
覚悟していたとはいえ、続いて襲ってきた衝撃に光子郎は一度目を閉じた。
――太一の右肺に腫瘍が見つかったのは四年も前のことになる。発見時には脊椎を初めとして体中に転移しており、延命も最大で二年ほどしか可能でなかった。
自分の病状を知った太一は、病室で命を延ばすよりも体調が許す限り、所属していたチームのコーチとジュニア・サッカークラブの監督の職を全うしたがった。その願いは叶えられることになる。最期まで、太一は監督として、コーチとして、そして南米一の栄光を国にもたらした最高のサッカー選手として、人々に慕われた。
太一は自身の病気についてはヤマトと数人の友人にしか知らせず、一度、アメリカまで手術を受けに来た以外は、この国を離れずに自宅での治療を続けていた。
正しい病名を初めの内は知らずとも、太一が何らかの病に冒されているのは現地支社のスタッフから聞いていた。胸に納まっている新聞記事も彼らから送ってもらったものだ。報酬と引き替えに太一とヤマト、二人の情報を集めてくれるよう頼んでいたので、幾日かは遅れるが、太一の不調についての情報は得ていた。彼らの動向は、この国の人々にとっても関心事の一つだったので、難しくない。二人についての膨大な数の情報が閉じられたファイルを、光子郎は持っていた。
手術のために来米するとも知り、休暇を取って会いに行こうとした時もある。結局、扉一枚隔てただけの場所まで来て、花だけを看護婦に預けて帰った。それが太一の気配を感じられるまで近づいた最後の機会だった。
結果的には、医師の見立てよりも太一は生きた。一年の小康状態の後、気を失うほどの痛みを伴った二年を送ったが、咳き込む以外、苦痛の声は決して漏らさなかったという。丈が訊ねてきたときは鎮静剤で痛みを抑えて、少し痩せた以外は元気な姿を見せようとしていたらしい。
どんなに激しい痛みが襲ってきても、太一はモルヒネを使用したがらなかった。そしてその理由も語らないまま、丈の来訪から一年後に太一は静かな最期を遂げた。おそらくはヤマトの隣で目を閉じたのだろう。最後の一月には骨の溶解のため痛みも消えていたとヤマトは教えてくれた。
――あの時、目の前に立ちふさがっていた扉は数センチの厚さだった。では今、太一との間を遮るものはどれだけの厚さを持っているのだろうか。
絶対的な境界線を今は越えられない。けれど、いつか必ずそこへ自分も至るはずだ。気づいたとき、ようやく太一に会いに来る決心がついた。花束と共に渡すつもりだったものを持って、この国を訪れることが出来た。
光子郎は、ふたたびポケットに手を入れかけ、花で埋められた墓を見つめ直した。
どの花もまだ新しい。死後一年を経ても太一の存在は人々の中で鮮やかなのだ。
ヤマトがしゃがみ込み、瑞々しいヒマワリに触れた。光子郎を見上げて、花が絶えないと言い、嬉しげに笑った。
「毎日、新しい花があるんだ」
哀しみさえもくるむヤマトの表情は写真に写されたものよりもはっきりしている。
花の数と色と種類と、それを供えに来る人々と。どれだけの数に及ぶかを想像して、ふと泣きたいような胸の息苦しさを覚えた。
この国で間違いなく太一は愛されていた。街中で遊ぶ子ども達は太一に憧れて、ボールを追いかけていたはずだ。それは子どもだけとは限らないのだろう。
太一の葬儀にはこの国の大統領を始め、多くの人々が参列したという。日本からも数人が訪れていたのを知っている。光子郎もよく知る人物ばかりだった。
「……」
花を眺め、海も眺めた。
この丘は日本の方角を向いている。旅立ってきた故郷、あるいは見知らぬ祖国。丘に広がるこの墓地で眠る人々の多くは日系の移民たちだった。
太一の体の一部はここで眠り、残る遺骨は家族と共に日本へ帰っていった。ヤマトと八神家の人々の間で、どんな言葉が交わされたのかを光子郎は知らない。そこまでは知ろうと思わなかった。
ヤマトがしおれた花を選り分けようと花をかき分けた。石に刻まれた文字がちらりと見えた。
唇と目で文字を読み、声にして繰り返そうとすると、明るい声が静かな墓地に突然、響いた。花を取る手を止め、ヤマトは立ち上がった。光子郎もヤマトの向いた方へ目をやった。
幼い少年や少女たちがこちらに向かって駆けてきていた。まだ大きくない手の中で、花が揺れる。子どもたち全員の手に花があった。その辺りで摘まれたような小さな愛らしい花から、どこで手に入れたのか、自分の頭ほどもある大きな花を持つ少年もいた。
ヤマトと顔見知りなのか、やって来た子どもたちはヤマトにあけっぴろげな笑みを見せた。抜けた歯や泥だらけの頬も、太陽の下ではまばゆいばかりだ。
早口の幼い挨拶が終わると、賑やかな話し声が止んで、笑顔が神妙な顔つきになる。子どもたちそれぞれが手にした花を太一の墓に供え、しばしの沈黙が訪れた。
増えた花が風に揺れ、花を手放した子どもたちは次にヤマトを囲む。口々に話しかけ、その手を引き、嬉しげにヤマトにまとわりつく。光子郎の方へ好奇の目を向ける者もいるが、ほとんどの子ども達がヤマトのそばを離れない。
「近所の子たちなんだ」
子どもたちの相手をする傍らで、ヤマトは光子郎に教えると、一番小さな少女を抱き上げた。肩車された少女が光子郎に笑いかける。
他の子どもたちは肩車という栄誉を逃した代わりに、ヤマトの周りにいっそうくっついた。ヤマトの片手は肩に乗る幼女を支えていたが、残る片手は別の少年の手の物になっている。腰にしがみついたり、足に乗ったりする少年もいた。体全体が子どもたちのおもちゃになってしまったが、慣れているらしくヤマトは苦笑しただけだ。
自分の体は子ども達の自由にさせて、ヤマトは光子郎に目を戻した。
「光子郎、家に来るか? 冷たいものくらいなら出せるぞ」
「そうですね」
それも悪くない。うなずいて光子郎はヤマトの方へ一歩、歩きかけた。
ヤマトは子どもたちを引っ張り、また時折、引っ張られる立場になりながら歩いていく。この墓地では珍しくない光景なのだろう。もっと前ならどんな場所でも、その横に太一の姿があったはずだ。
光子郎は墓の前に戻り、膝をつくと手を伸ばし、花をかき分けた。碑銘を何度も確かめ、彫られた文字をなぞり、手を戻した。
『Brava pessoa』
――誰が彫ったのだろうか。その通りだ。これほど彼にふさわしい言葉もあるまい。
光子郎はポケットを探り、中身の感触を確かめた。手に入れるまでに費やした時間も金額も莫大な物だった。その途中で犯した罪はどこまでも背負っていく。報復が生きる糧となっていた時も確かにあった。
追いつめ、疲弊させ、破滅に追い込んでいった二人の男。そして、そうすべき最後の彼は、これを手放そうとはしなかった。太一の名を出し、彼の消息を伝えたとき、初めて納得し、光子郎にこれを託したのだ。
彼を許すつもりはない。けれど他の二人の男とは違い、すでに憎むこともできなくなっていた。
痛むとはいえ、過ぎた時間は傷口にかさぶたを創っていたようだ。剥がして、ふたたび血を流すのは簡単なことだが自分にはもう出来ないだろう。疲れすぎた。
疲労とむなしさの果てに、これを手に入れた時から太一に手渡す機会はいつでも作れたはずだった。太一が生きている内に出来なかったのは逃げだったのだろうか。その答えは一生出ない。
ふたたび花をかき分けようとし、光子郎は光を遮る影に気づいた。
ヤマトの手を握っていた少年が光子郎を見下ろしている。太一に出逢ったのも、この年頃だったと、唐突に思い出した。
少年は白い歯を見せ、丘の向こうを指差して見せた。ヤマト、という言葉が聞こえた。きっとヤマトから頼まれて、遅れた自分を呼びに来たのだろう。
うなずき、光子郎は少年の顔をじっと見つめた。
少年の瞳の輝きは太一によく似ている。黒く輝く目に心が揺れて、光子郎は口を開いた。
「――太一さんを、好きですか?」
この国の言葉で訊ねたのではなかった。
だが少年は太一の名を呼ぶ響きに気づき、太陽もかなわないほど明るい笑みを浮かべた。
光子郎も笑みを返し、花の間に、そっとポケットから取り出したデジヴァイスを置いた。
四半世紀もの時を経て、持ち主の元へ戻ったその色は雲のように優しい白だった。光子郎を赦すように清らかな光と色を保っていた。
手を引く前にまた碑銘が読めた。
Brava pessoa。
勇敢なる人。
――この国で太一を飾るのは、その言葉が多かった。
光子郎は立ち上がり、空を仰いだ。陽光が目を射し、雲がその痛みを和らげてくれる。今日の空の色を目に染み込ませ、地上に目を戻した。
分かっていたことだった。少年に訊ねなくとも、またヤマトの穏やかな笑顔を見ずとも、すべて分かっていたのだ。ひょっとしたら扉を開けた太一の背を見た時からなのかもしれない。
ぼろぼろの競技場とフィールド、銃声が響いていた街。野次と罵声と排他的で荒んだ空気に満ちた試合。それらはもうこの国のどこにも見られない。代わりに生まれたのは南米有数の強豪チームだ。所属していた一人のサッカー選手がその基礎を作った。人々の熱気を集め、国の再建の力の一つになった。それに重なるようにして、一つの歌が小さな酒場で生まれた。初めは口伝てに、たどたどしくゆっくりと人々の間で歌われるようになり、今は国中で歌われている歌。
太一とヤマト、彼らが得たものは、だがそれだけではないのだろう。
二人に会った丈はこの言葉を口ごもった。光子郎に対してか、それとも自分の妻に対する気遣いだったのか。
黄色、赤、白、紫、様々な色が茎や葉の緑と共に光に照らされている。花とそこに隠された石を見つめながら、光子郎は静かにつぶやいた。
「幸せだったんですね」
光子郎を見上げていた少年が手を伸ばし、彼の手を握った。優しく引っ張られ、光子郎はほほえんだ。
「行こうか」
少年に手を引かれ、光子郎は歩き出した。
あの丘の向こうにヤマトが待っている。語る言葉は長く、無数にあり、それゆえに自分たちは何も語らずに別れるはずだ。
花の香と潮風が混じる風が吹いた。風は花を揺らし、草を揺らし、ヤマトの待つ丘の向こうへと吹いていく。
彼と子供たちの頬を撫でる優しい風はこの国を包み、やがては海を渡るだろう。そして、その先にある懐かしい故郷を吹き過ぎ、あの世界へと向かう。そこにはきっと笑い声が響いているはずだ。
終わりもしなければ変わりもしない、あの夏の八人の子供と不思議な生き物の笑い声が満ちた世界。そこへ、いつか光子郎も行ける。
世界と思い出は待っていてくれるだろう。太一と共に、ヤマトを、空を、光子郎を――あの夏の子供たちを迎えるのだ。
光子郎と少年の髪を撫でるように通り過ぎた始まりのその風は、そうだよと笑っていた。世界の声で、そして太一の声で確かに笑っていた。
(終)
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○モルヒネについての描写は、話の流れ上の描写であって、
鎮痛、鎮静剤としての使用を否定しているわけではありません。
○作品内での現実との齟齬や相違は、すべて書き手によるものです。