二人分の体積で、すでにいっぱいだった湯船からお湯が流れていく。
湯気の向こうに見える太一は目を閉じている。キスする度に瞼が震えて、長い吐息がもれた。
「太一……」
場所が違うせいなのか、それとも自分が先に反応を示していたせいなのか、見たことがないくらい太一は恥ずかしがっている。
浴衣を脱がすヤマトの手を振り払おうとし、今だって下から見上げるヤマトの顔を見ようともしない。目を伏せて、声だって抑えようとしているのだ。
もっとも表情はヤマトの体勢のせいでよく分かる。
眉の寄せられた羞恥の色濃い太一の面に、ヤマトはとてつもなく悪いことをしているような背徳感を覚えた。
ふっと旅館に到着したときの太一の言葉が甦る。
(いけないこと……駆け落ちとか、不倫とか)
同時に嫌がる太一を無理矢理押し切っているような気もしてくる。
嫌がっていないことはおとなしくヤマトに抱きかかえられる形で太一は湯船に浸かっているので分かる。
イヤなら、ヤマトを突き飛ばしてでもイヤだと言う太一なのだ。だから、余計にそんな顔をすると妙に後ろめたくなって――征服欲が湧いてくる。
「太一、止めるか?」
心にもないセリフだったが、太一は不安そうな顔を向けた。
「ヤマト……」
太一の心細げな顔に耐えきれず、ヤマトは太一の顔を引き寄せ、激しく唇を重ねた。
湯の中でも分かるくらいに互いの体は熱くなっている。
荒っぽいとは知りながら、ヤマトは太一の腰をつかみ、足を開かせた。
「あっ――」
ヤマトの体の中心の熱に太一が驚きと恍惚が混じった声を漏らす。
「ごめん、太一」
仰け反る太一の胸に唇を押しつけながらヤマトがささやいた。
「ちょっときついかもしれないけど……我慢できない」
「ああっ!」
お湯の熱さとは違う熱さが太一の体の中へ押し入ってくる。
ヤマトの肩に回された太一の手に力がこもった。
「ヤマト、なんか……」
太一の声が苦しそうな響きを帯びた。
「いつもと違う」
「え?」
「きつい……」
「痛いか?」
「だいじょうぶ――」
太一がため息をもらした。ヤマトの心配そうな顔が見えて、太一はまた恥ずかしくなった。
(あ!)
どうしていつもと違うのかが、その瞬間分かって、太一はまた目を閉じてしまった。
体勢が違う。ヤマトに抱きかかえられるようにして湯船に入ったので、今は彼の体の上にまたがる形になっているのだ。
いくら湯の中で軽くなっているとはいえ、やはり重力がある。
自分自身の重みで、こんなに――。
太一は身震いした。その拍子に体を引きつらせる。
「太一?」
ヤマトが頬に手をあててきた。
「平気か?」
「……ああ」
ヤマトの体の動きに合わせて、太一の体がもっと熱くなる。
「こんな格好でしたの初めてだよな?」
「あっ、ちょっと――」
ヤマトが腰を動かす。下からの刺激に太一が喘いだ。
「なんか動きにくいな」
「ヤマト、動くなって」
太一が乱れる吐息の中、苦しげに言った。
「動くなって言われても……」
このままじっとしてろと言うのか。 ヤマトの心に少し意地悪なものが生まれた。太一がそう言うなら、こっちにも考えがある。
「そういえば、まださっきのお返ししてなかったよな?」
「お返し?」
太一の目が潤んでいる。じりじりと追い詰められているようだ。
「ワサビだよ」
「ワサビ――」
「あんなにいっぱいつけやがって」
「あれは、」
ヤマトの細められた視線に気づいて、太一はあわてた。何を考えているのか……少なくとも優しいものではない。
「あれは?」
ヤマトの手が太一の体を探り出す。胸の先をつまんで、すぐに離し、またつまむ。
「ガキだって言ってくれたよな?」
「だから、それは――あっ」
ヤマトに首筋を舐められて、太一は震えた。
「ヤマト」
「俺、動いちゃいけないんだろ?」
ヤマトは太一の体を支えていた手を離して微笑した。
「言うとおりにするよ、太一」
「お前――」
太一はぼうっとする頭で必死に何か言ってやろうとしたが、何も言い返せない。
短い呼吸ばかりが口から漏れる。
それなのに、ヤマトときたら冷たく笑っているだけだ。
よく観察すれば、ヤマトも太一と同じく短い呼吸と体の反応とで、充分追い詰められていると分かるはずだが、そんな余裕が太一にあるわけがない。
「どうする?」
「どうって……」
太一の目から涙がこぼれた。
ヤマトが唇を寄せ、耳に息と言葉を吹き込んだ。
「自分で動いてみたらどうだ?」
「ヤマト、お前……」
くやしげに太一がつぶやいた。この勝負は太一の負けだ。
「くそっ」
やけくそのように首を振って、太一はヤマトにしっかり抱きついた。
ゆっくり慣れない動きで、体を動かしてみる。
ヤマトの吐息が胸に当たって、彼の微笑の気配が伝わってきた。
「なに、笑って……つっ!」
ヤマトの歯に肌を噛まれて、太一はヤマトをにらみつけた。
「触るななんて言わなかったしな」
ヤマトは太一の視線に知らぬ顔で、手を腿や背に這わせた。
うなじから背を人差し指でなぞられて、太一は吐息を漏らす以外なにもできない。
「太一、じっとしてていいのか?」
太一はヤマトをなおもヤマトをにらみ続けていたが、やがてゆっくり体を引き上げるようにして腰を浮かすと、羞恥に震えながらまた腰を沈めた。
「んんっ」
たどたどしい動きで初めて自分から快楽を得ようと太一は体を動かした。湯が揺れて湯船の縁にあたる柔らかい音が、嫌味なほどいやらしく聞こえる。
どこまでも深くヤマトを感じて、太一の爪がヤマトの肩に食い込む。
「ああっ」
太一の唇が甘く開かれていく。ほとんど誘われるようにして、ヤマトは唇を重ねた。
舌を絡め合い、ヤマトは太一の腰に手をまわした。
恥ずかしがるのを無理矢理言葉で苛んで従わせることが、こんなに自分の体をたかぶらせるとは知らなかった。下から見つめる太一の顔はいつもよりももっと近く、艶めいて見えた。
流れる汗も涙も湯に混じっていく。
「太一」
太一がまた腰を浮かせたとき、ヤマトはかすれた声で太一を呼んだ。
そのまま突き上げる。太一が悲鳴のように声を上げた。
「いいか?」
言ってはみたものの返事も待てない。
「あっ、ヤマト!」
二人の動きでお湯が激しくこぼれていく。
ヤマトはいつもよりもずっと荒々しくて、そのくせ優しかった。今まで感じたことのない深さにまで、ヤマトの熱が伝わってくる。
激しく突き上げられて、太一は眩暈さえ感じ、ヤマトが短くうめく。
――少しの沈黙の後、ヤマトが長い息を吐いて、背を湯船に預けた。
太一はヤマトの肩に顔をうずめ、余韻のためか体を震わせている。
疲れがのぞく、それでも満足そうな顔でヤマトは太一の蒸気で湿った髪をつまんだ。
優しく梳いてやりながら、太一に話しかける。
「太一、大丈夫か?」
「……あんまり」
太一はぼんやりと顔を上げかけ、そのまま力つきたようにヤマトにもたれかかってきた。
「太一?」
「目が……回る」
「太一!」
ヤマトが身を起こし、太一を湯船から引き上げる。
体も拭かず、とにかく急いで浴室から出て布団の上へ寝かせた。
ヤマトは洗面台に引き返し、タオルを水で濡らして太一の額に当てる。
同時に体も拭いてやり、太一を見つめた。
閉めきった浴室の中、湯船に浸かって、あんなに激しい行為をすればのぼせるのも当然である。それに太一に恥ずかしい思いもかなりさせたから、頭に血が昇るのも無理はない。
太一がうっすら目を開く。
「太一」
ヤマトが身を乗り出して、太一の額のタオルを替えてやった。
「気分、どうだ?」
「だいぶいい」
太一はぼうっと天井を見上げ、それからヤマトへ視線をむけた。
「ヤマト、何か着ろよ」
「え?」
太一に言われて、ヤマトは自分も裸のままだということに気づいた。
「わ、悪い」
何をやっているんだと、自分を罵りつつヤマトは脱ぎ捨てたままの浴衣を拾い上げ、身につける。
「起きられるか?」
上からタオルをかけたとは言っても太一もまだ裸である。のぼせて、次に湯冷めしては意味がない。
「ああ」
太一はヤマトに支えられながら起きあがる。
小さな子どもみたいにヤマトに浴衣を着せてもらって、太一はちょっと恥ずかしくなった。
「気分はどうだ? 何か飲むか?」
「いや、いい」
ヤマトは太一をまた横にしようとしたが、太一は首を振ってヤマトに寄りかかった。
「しばらくこうさせてくれ」
まだ火照っているヤマトの胸に頬を寄せ、太一は目を閉じた。
ヤマトは太一の肩に手を回し、ごめんとつぶやいた。
「何で?」
「俺が無理させたから」
「……まあな」
ヤマトがうなだれたので、太一はちょっと微笑した。
「ごめんな」
もう一度謝って、ヤマトは太一の額にキスした。
それからささやきとキスを何回か交わして、太一はふと顔を上げた。
「ここ、本当に静かだな」
「離れだもんな」
今更ながらに二人きりだということを意識して、太一もヤマトも恥ずかしそうにほほえみあった。
「明日帰るんだよなあ」
「ああ」
ヤマトは太一に頭を軽くぶつけて、言った。
「また来ればいい」
「そんな金ないぜ」
「貯めればいいだろ」
「そっか」
太一は笑って、ヤマトを引っ張って布団に倒れ込んだ。
「寝ようぜ」
「……そうだな」
確かに太一の体を思ったらもう寝た方がいいだろう。ちょっと名残惜しげにヤマトは太一から腕を解いた。
電気を消そうとヤマトは立ち上がり、紐を引いた。
障子が外からの明かりで白く光っている。太一の隣りに敷いてある布団へ入って、太一の方を振り向く。
「なあ、太一」
「何だよ」
「……そっち行ってもいいか」
「ダメだ」
がくりと枕に顔を伏せかけたヤマトだったが、太一は照れくさそうに言った。
「俺がそっちに行く」
枕を持って、太一はヤマトの隣りに入ってきた。
ヤマトは太一の布団の方に目をやって、そっとささやいた。
「明日の朝、あっちのシーツに全然皺が寄ってなかったら、旅館の人どう思うだろうな」
「……俺、戻ろうかな」
「ダメだ」
ヤマトは笑って、太一を逃さないようにしっかり腕に抱きしめた。
「ほら、寝ろよ」
「ちぇっ」
おとなしく目を閉じて、太一はしばらくヤマトの胸の鼓動に耳を澄ませた。場所が変わっても、この音があれば安心して眠れる。
「おやすみ、太一」
こんな風に腕に抱かれて、おやすみと言われるのも何回目だろう。
「おやすみ、ヤマト」
自分も何回言い返したかなと思って、太一はヤマトの腕の中で少し笑った。
「太一、寝ろって」
「分かってるよ」
「いびきかいたら、悪戯するからな」
「お前こそ、俺のこと蹴飛ばすなよ」
お互いの言葉に、しばらく布団の中で取っ組み合う。
枕が一つ飛んでいったところで、ようやく暴れるのを止めて、二人はまた抱き合った。笑い声がこぼれて、そのまま何度か唇を重ねた。
「……枕、取らなきゃ」
太一が手を伸ばしたが、ヤマトはその手をつかんで、自分の方に引き寄せる。
「こうすりゃいいだろ」
「おい」
ヤマトは自分の腕に太一の頭を載せて、笑った。
「寝心地は?」
「腕、しびれるぞ」
「そしたら、お前の頭を落とせばいいだけだ」
太一はヤマトの頭をはたいて、また横になった。
「まあ、寝心地いいから、それくらい大目に見てやるよ」
さっさと布団を引き上げて、太一は目を閉じた。ヤマトは微笑して、太一にまた唇を重ね、自分も横になった。
二人はそのまましっかり寄り添い合い、ようやく眠りについたのだった。
「楽しかったな」
列車に並んで座り、海を見ながらヤマトは言った。
「ああ」
今日も天気が良かったので、旅館を出た後、海で遊んだ。靴を脱いで海に入り、水を掛け合ったり、砂を使って山や城を作ったりとまるで小さな子どもみたいにはしゃいで遊んだのだ。
さすがに列車に乗る頃には疲れて、二人の口数も少なくなっている。列車は相変わらず乗客が少ない。
「なあ、ヤマト」
列車がトンネルに入る直前、遠ざかる海を見て太一が笑った。まだ夕日には少し早い時刻だった。
「また、二人で旅行しような」
ヤマトは言葉の代わりに、潮の薫りが残る太一の唇にキスして、うなずいた。
「もちろん」
さり気なく手を繋ぎ合って、二人は友人と家族が待つ東京へ戻っていった。
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