La Vie en Rose
15



 光子郎を迎えれば、そのまま彼の自宅へ向かうはずだったのが、その彼自身の提案で空港内のレストランで休憩することになった。なにぶん、人数が十人以上ということもあって、別れて座ることになるのではと思われたが、店員が気を利かせてくれたので、離れて座ることもなく、壁際の席に全員が落ち着いた。
 太一は薦められたが、断って光子郎の隣ではなくり、大輔やタケルと隣り合って座る。丈はこちらに来そうな様子を見せたが、空に話しかけられ、彼女の隣りに座った。
 それぞれが品を注文し、料理が運ばれる前も、運ばれた後も、会話は途切れることがない。
 やはり光子郎を中心に言葉は交わされ、ときおり大輔が皆を笑わせたりもして、食事は賑やかに進んでいく。他の客もそれほど多くはなく、光子郎は伊織や賢からの質問に答えたり、父や母にこれからの仕事について説明したりと、休む間もないようだ。
 久しぶりに会う先輩に対する賢と伊織の質問は途切れることなく続いたが、京が二人をたしなめたのを機に、光子郎から大輔の最近の失敗談へと、話題が移ったので、光子郎は時計に目を落とした。
 もうそろそろのはずだが、多少は遅れることもちゃんと頭に入れている。
 皆の食事のスピードから見れば、まだ一時間はここにいるはずだろう。少し眉を寄せたが、苛立った様子など見せずに光子郎は水を一口飲み、話しかけてきた母に微笑しながら、応えた。

 光子郎が時計を気にしだして、三十分ほど立った頃、光子郎は胸ポケットから携帯を取り出した。液晶画面に映る時間をまたも確かめると、ゆっくり文字を選び、メールを送る。
 間違いなく、相手に送信されたのを確かめてから、光子郎は母と父に断って席を立った。
 どこに行くのかと思われたが、光子郎は太一の隣りに座っただけだった。大輔とタケルはさり気なく席を移動し、他の友人達もそちらを気にしない素振りを務めた。
 太一は不思議そうな顔で隣りに座った光子郎を見る。
「どうしたんだ」
「いいえ」
 光子郎は微笑し、太一をじっと見つめた。
「何だよ」
「太一さんも焼けてますね」
 太一の肌は健康そうな色に焼けている。真っ黒というわけではないが、太陽の下でよく動き回っているのだろうと察せられた。
「そりゃ……あ、お前知らないか」
 太一は照れくさそうに、高校時代のサッカー部の顧問に頼まれて、近所にある小学生のサッカーチームのコーチをしていることを光子郎に説明してやった。
「コーチを……」
 これには光子郎も驚いたらしい。
「そう。最初は体なまってたから、バカにされるし。最近のガキって生意気なんだよな」
 そうは言ってもチームのことを話す太一の横顔は楽しそうだった。きっとチームの子供たちにも慕われているにちがいない。
 ひとしきりさきほどは話せなかった近況を話題にし、盛り上がる。
 太一が続けざまにからかってくるので、それに応戦しながら、ふとした会話の切れ目に光子郎は訊いた。
「太一さん」
「ん?」
 ほんの少し間をおいて、光子郎は続けた。
「会いたいと思わないんですか」
 誰にとは聞き返すわけもなく、太一は目を伏せた。
「いや、俺も忙しいし、あっちだって、たぶんそうだろうし」
「そうですか」
 光子郎はそれ以上は聞かず、すみませんと謝った。
「別に謝らなくてもいい」
 太一はしょうがないとでも言うようにため息をつき、コーヒーを飲んだ。
 先ほどに比べると寂しさが目立つ横顔を見つめ、光子郎はふたたび時刻を確かめ、レストランの入り口とガラスから見えるフロアの方を見やった。
「光子郎、お前、こっちで暮らすんだよな?」
「え――はい、そうです」
 あわてて視線を戻し、光子郎は太一にうなずいた。
「家、出るのか」
「そうですね。ちょっと昔の部屋だと手狭ですから、落ち着いたら部屋を探しますよ」
 コーヒーのお代わりを注ぎに行くのか、タケルと大輔が立ち上がる。
 ついでに他の何人かの分もついできてくれるようだ。太一は自分と光子郎の分も頼み、話を続けた。
「どの辺がいいんだ? 知り合いに不動産屋に就職した奴がいるから紹介してやろうか」
「ああ、頼めますか? 場所は、できれば――」
 光子郎はちらりと入り口を眺め、微笑した。
 やはり、予想していた時間ぴったりだ。じつに彼らしい。
 入り口近くのドリンクバーにいた大輔とタケルの口から驚きの声が洩れたが、光子郎は太一に話しかけて、うまくごまかした。
 足音が聞こえる。
 大輔の軽快な足音でもなく、タケルの落ち着いた足取りでもなく、長旅から開放されても、まだ解けない緊張が感じられる密やかな足音。
 空や丈が息を呑み、こちらを向いたが、太一は気づかず、光子郎がつけ加えた部屋の条件に不満そうな言葉を返している。
「お前、そんなにいい部屋借りるのか? 家賃高いぞ」
 皆が驚く中、ミミだけが笑っている。
 合図するように笑い返し、光子郎は背後を振り返った。
 せめて一言、嫌味を言いたい。ここまでうまくいって、何よりも驚いているのは光子郎自身なのだから。
「遅かったですね」
「機体調整で……」
 そう言う彼の視線は固まってしまった太一の後ろ姿にしかそそがれていない。
 太一のテーブルに置かれた手が震え、やがて拳が握られた。
「太一さん」
 呼んだが、太一は振り向かない。
 何気なく伸ばされた手がぶれて、水の入ったグラスが倒れかける。落ちそうになったグラスを押さえて、光子郎はもう一度太一の名を呼んだ。
「太一さん」
「お前……」
 光子郎は太一の肩に手を置いた。
 背後に立った彼には聞こえぬよう声を潜めて、ささやく。
「しょっちゅう行き来してるのかと思ったら、一回しか会ってないって聞いて、びっくりしました」
「光子郎、俺は」
 太一の言葉を光子郎は目線だけで封じた。
 淡い胸の痛みはきっと、太一の表情が昔見たものと同じだからだ。きっとすぐに消える。こんな頼りなげな太一の表情も、自分の胸の痛みも。もう、それだけの時間は流れたのだ。
 光子郎は微笑した。
「――会いたかったでしょう」
 それは疑問でも質問でもなく、確信に満ちた優しい一言だった。
 太一はゆっくり顔を上げ、光子郎を見つめた。
「光子郎」
 こんな眼差しで見つめられるの自分だけだろうと光子郎は思った。
 今までも、この先も世界中の誰も、たとえヤマトでさえも、太一にこんな目で見つめられることはないだろう。このまなざしだけは永遠に自分のものだ。
「……ありがとう」
「――ええ」
 光子郎はその一言を噛みしめ、太一にうなずきかけた。
 それに励まされるようにして、ようやく太一が振り向いた。
 太一の張りつめられた表情がほどけていく。
 泣き出しそうな顔から、やがていつもの、少し意地っ張りな部分を感じさせる表情へと、変わった。どんな一言を発するのかと思えば、多少かすれてはいたが、ごく普通に太一はヤマトにほほえみかけた。
「帰ってたのか」
「ああ」
 対するヤマトの微笑は強張っていた。
「へえ、今か?」
「そうだ」
 緊張が解けたらしい大輔やタケル、丈がヤマトの元へ駆け寄った。
 ヤマトは弟からかけられる言葉にうなずいたり、返事を返したりしている。
 丈に話しかけられても、弟の驚きに満ちた声に応えていても、決して離れないヤマトの視線。それにも構わず、太一は席を立った。
「太一さん」
 光子郎の声に太一は唇だけを笑ませた。
「いや、ちょっと用事。もともと半休だったからな」
 驚くヒカリを手で止め、太一は空に顔を向けた。
「空、悪いけど、ヒカリを送ってやってくれないか。俺、今からジムに顔出しにいくから」
「え、ちょっと太一……」
 誰一人止める間もなく、太一は店を出ていった。体全体が細かく震えているのに気づいたのは、光子郎とヤマトだけだ。
 皆の視線を感じながら、ヤマトは光子郎を見つめた。
 光子郎も、ヤマトを見つめ返す。
 張りつめた空気は流れなかった。
 ヤマトと光子郎はかすかな笑みを浮かべる。そうして言葉もなく、ただ視線だけを光子郎と交わすと、すぐにヤマトは身を翻した。
 光子郎以上に身軽で、荷物らしい荷物はほとんどない者らしい素早さだった。
 ざわつく店内を出かけて、ヤマトはヒカリに呼び止められた。
「ヤマトさん」
 空とミミ、京の不安そうなまなざしに首を振り、ヒカリは太一が車を止めている駐車場の場所と車のナンバーをヤマトに伝えた。
 ヒカリの笑顔に微笑を返し、礼を言うと、ヤマトは太一と同じように、誰一人止める間もなく、レストランを出ていった。
 行く先が太一と同じだったのは言うまでもない。
「光子郎……」
 ヤマトの姿が見えなくなってしまうと、丈が光子郎に目を向けた。
 両親とミミ以外は皆、呆然としているようだ。
 光子郎は太一が勢いよく立ち上がったせいで、ずれた椅子を直し、もとの席に戻った。
「――チケットを送っておいたんですよ。ルネ教授にも連絡してね」
「光子郎さんは、ルネ教授を知ってたんですか」
 タケルが兄の去った方向をまだ見ながら、訊いた。
「ええ。うちの社の大切なお客様なんですよ」
 驚いたのか、呆れたのか、何も言えないような友人・後輩たちを見まわし、光子郎はミミと目を合わせた。
 今だったら言えるかもしれない。六年もの間、何も言わず、自分の尋ねたことに応えてくれた彼女に、これだけ言いたかった。
「ミミさん――ありがとう」
 ミミは目を細め、いつものようなあでやかな笑顔を浮かべただけで何も言わなかった。
「俺……」
 不可思議な沈黙の中、大輔が疲れたようにつぶやいた。
「さっき、絶対に心臓が止まってた」
 誰が吹き出したか、分からない。
 大輔のつぶやきに、全員が笑い出した。解けた緊張と漂う、ただあたたかく優しい空気に皆が笑顔を浮かべ、笑った。

心臓の鼓動と体の震えが連動している。あまりの息苦しさにときおり立ち止まり、胸を押さえた。だが、追いつかれることが恐ろしく、すぐにまた歩き出す。
 喜びと嬉しさと驚き、それらが交わるとこれほど怯えを感じるとは知らなかった。
 どこに行けばいいのか分からない。車に乗って、思い切り道を飛ばそう。
 お台場へ帰るのではなく、どこか行けるところまで行ってから、泣くなり、声を上げるなりすればいい。一度だけ距離を置けば、もう少し冷静になれる。
 機械的に歩き、走り、自分の車の元へ向かう。車と車の間のせまい空間を通り抜ければ、熱気が体を包む。熱さに頭がぼんやりしそうだ。
 ――ずっと昔、小学生の頃に、ヤマトを想い始めた頃に夢見たのを覚えている。
 ずっと側にいられれば。彼の隣りに自分がいて、自分の隣りに彼がいてくれたのならどれだけ素晴らしいだろうと考えた未来。
 サッカーボールを蹴って、グラウンドを駆けていたあの頃、ふと見上げた先にヤマトがいた。一見、怒っているような表情だったのに目が合うと笑ってくれるようになったのは、いつのことだっただろう。
 あれは一緒に冒険をしてからだった。誰にも真似できない、あの夏。どんな子供にも一度は訪れる永遠に忘れられない思い出。遠い昔に起きた冒険を、そこで共にいた仲間を、友人達を思い出した。もう戻れないあの頃を思っても、そうして胸を締め付けられても、笑えるようになった。
 時は過ぎ、思いは変わり、それでも変わらないのは何なのだろう。望んだものに向かって走り続け、失い、それでもなお求めてきたのは何だったのだろう。
 前を見つめる太一の目に奇妙な幻が映った。
 小学生の頃の自分だ。何百台もの車が並ぶ、駐車場を駆けて――いや、グラウンドを走っている。
 ボールを蹴飛ばし、追いかけ、また蹴っている。
 くやしさとやりきれなさがのぞくその横顔には見覚えがあった。あれは試合に負けた日の夕方、止める友人たちにも構わず、ずっとボールを蹴っていたときの顔だ。
 自分のミスで味方に怪我をさせ、その分もカバーしようとしたが、後半、疲れから来た気のゆるみで決定的な一点を取られてしまった。そんな自分の何もかもがくやしく、腹立たしく、ただボールを蹴った。何度も、何度もグラウンドを往復し、ゴールに球を入れた。
 日が沈んでもまだボールを蹴っていたとき、暗さで目が利かず、ボールは奇妙な方向へ転がった。
 地面でバウンドし、軽い音を立てて、校門の方へボールは転がっていく。そんな薄闇の中、ボールを拾ってくれた少年がいた。呆れた顔、それでも仕方ないなというようにボールを拾ってくれた。
 ――あれは誰だったのだろう。
 幻の自分はボールを追っている。もうすぐ、狙った方向とは別の方へボールは転がるはずだ。
 太一は立ち止まった。
 幻のボールが転がっていく。ボールはやがて、少年に拾われる。
 太一はボールの行く先、あのとき少年がいた方向へ目を向けた。そちらはここへ来たときに、車を停めた場所だ。
 見慣れた自分の車の側には、見慣れない、それなのに懐かしさを感じる男が立っている。
 その横に小学生のヤマトの幻が見える。まだ髪の毛を伸ばす前、まだ幼さが残るヤマトが立っていた。
 そう、あのときボールを拾ってくれたのはヤマトだった。せっかく、拾ってくれたのにあのときの自分は何を言ったのだろう。
 ……声が聞こえた。ヤマトと同じように幼さを残したあの頃の自分の声だ。
 ――なに、やってんだよ、ヤマト。
 ああ、そう言ったのだ。
 眩暈を感じながら、車の横に立った男に問いかけた。
「なに、やってんだよ、ヤマト」
 何もかもが白昼夢のように思える。
 あのとき、ヤマトはどんな返事を返したのだろうか。
 小学生の頃のヤマトがボールを拾ったまま、少し笑って口を開く。
 横の男も少し笑って、幻と口をそろえて言った。
「お前こそ、何してるんだよ」
 小学生の自分とヤマトが揺らめき、消えていく。ほんの一時、もう二度と戻れない、心の中でしか存在し得ない過去の自分とヤマトを思い、太一の胸は痛む。
 消えた幻に、横の男も消えたかと思った。それを確かめるために、太一はヤマトに腕を伸ばし、背中に手を回した。
 あたたかい体の感触、すぐにヤマトの腕が太一の背中にまわった。
 まだ夢に包まれた気分で、太一はぼんやりつぶやいた。
「――サッカーやってたんだよ、悪いか」
「サッカー?」
 不思議そうなヤマトの声に太一はあわてて体を離した。
「いや……」
 何という幻だったのだろう。
 太一は首を振り、ポケットから車の鍵を取り出した。太一が運転席に乗り込む前に、ヤマトはその腕をつかんだ。
「何だよ」
「……乗せてくれ」
 太一は小さくうなずき、隣の席を指し示す。
 ヤマトは助手席に滑り込むようにして座った。
「どこまでだ」
 太一の素っ気ない声にヤマトは前を見つめたまま、返事を返した。
「家まで頼む」
 太一は鍵を差し込み、捻ろうとした。
 一度、二度、三度。
 細かい手の震えに鍵はまわるどころか、エンジンスイッチに入りもしない。
 ギアに置かれた太一の手にあたたかい感触が重なった。
「太一」
 ヤマトの手も震えていると太一は気づき、ヤマトの方に顔を向けようとした。だが、その前に太一は、まだどこか外国の空気が残っているようなヤマトの腕の中にいた。
 これこそ、夢なのではないか。しかし、抱きしめられると、太一の体の震えはすぐに止まり、ヤマトの体の震えも止まる。
 しばらく触れあい、これが現実で、自分はヤマトの腕の中にいるのだと理解しきったとき、ようやく太一は声を出せた。
「何なんだよ……」
「光子郎が、チケットを――」
 ヤマトは長い息を吐き、太一をいっそう強く抱きしめた。
 太一はヤマトを抱き返そうとはせず、小さくつぶやいた。
「もう俺達、あいつに頭、上がらないな」
「そうだな」
 ヤマトは笑い、腕の中の太一も笑った。
 やがて、ひそやかな笑い声をおさめ、太一はヤマトの胸に頬を寄せ、目を閉じる。
「……いつまでいるんだ」
「とりあえず二週間」
 なんて短いのだろう。太一は唇を噛み、ヤマトの胸をつかんだ。
「そうか」
「太一」
 ヤマトの声が震えた。
「二週間したら、あっちに戻る」
「ああ」
 太一はそんなことを二度も繰り返すなとばかりに、ヤマトの着ている服を引っ張った。
 ヤマトは太一の髪に指先を滑らせ、その頬に手を添えた。
「……二ヶ月くらいして、準備が終わったら、帰ってくる」
 太一は顔を上げる。ヤマトの両手が太一の頬を挟む。
 ヤマトの真剣なまなざしはすべてを貫くように太一を見つめた。
 こんな目をして、囁かれた嘘はきっと真実だろう。どんな嘘でも本当のことになってしまうにちがいない。
「教授が、こっちの大学に招かれたんだ。ついでに俺もこっちで就職しろって」
 微笑しようとしたヤマトの唇は奇妙な形を見せただけだった。
「まだ何年かは、行ったり来たりになるけど、行きっぱなしじゃない……」
 太一は首を振り、ヤマトの手を払うと、また顔を伏せた。
 払われた腕を太一の体にまわし、ヤマトは笑うような泣くような声で言う。
「これでも、頑張ったんだぜ。論文とか、研究とか……」
 太一の体がふたたび震え始める。
 胸を突っぱねられたが、ヤマトは離そうとはしなかった。
「俺……」
 胸を押し戻そうとするのを止め、太一は小さく、早口でつぶやいた。
「せっかくフランス語習ってたのに、何だよ、それ」
 ヤマトは息を呑み、それから眉を寄せると、太一の耳元に口を寄せた。
「じゃあ、これなんて言ってるか、分かるか?」
 それほど長くない、そして太一以外の誰にもささやいたことのない一言をヤマトは囁いた。
 太一の体が一度、大きく震え、そのまま静かになった。
 荒いような息づかいの音だけが車内に響き、やがて太一はヤマトの胸を打った。
「そういうことは日本語で言え」
 太一の言葉を聞き終えると同時に、フランス語ではなく、日本語でヤマトはもう一度同じ意味を持つ言葉を口にした。
 今度は待たなくとも良かった。
 ヤマトの背中に太一の腕がまわる。
「……俺も――俺もだ」
 ヤマトの背中に強くまわされた腕、太一がヤマトと同じ言葉を返す。
 引かれるように顔を上げ、見つめあい、唇を重ねた。
 太一の目がまたたき、ヤマトに笑いかける。目が潤んでいるが、涙はこぼれなかった。今だったら、すぐにヤマトの指先で拭ってもらえるのに、変な話だ。
 ヤマトを見つめたまま、太一はゆっくりと、その言葉の底にある真実を感じながら、ゆっくりと言った。
「……おかえり、ヤマト」
 同じようにヤマトも笑みを返す。
 戻ったと言おうか。始まったと言おうか。
 それは長い決別との別れの一言でもあり、これから過ごす二人の時間のための、最初の一言でもあった。
 過ぎた時間を、やって来る未来を迎えるための、何より太一とこれから二度と離れないための言葉だ。
 帰ってきた。そしてこれからも、ここに戻り、ここへ帰る。
 太一の体をきつく抱きすくめ、ヤマトはゆっくりつぶやいた。
「――ただいま、太一」


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