たまにはさ
1



 その日のヤマトときたら機嫌がいいというものではすまされないくらいに機嫌が良かった。
 普段は割と感情を隠して、クールに振る舞っているくせしてたまにこんな風に心の中をさらけ出すようににこやかになるから、太一はちょっと照れくさい。
「もう少し、普通にしてろってば」
「してるだろ」
 声もいつもよりうきうきしているし、目なんか滅多に見られないくらいに優しい光を浮かべている。
「……じゃあ、明日九時でいいよな?」
「ああ」
 部活帰りの帰り道、夕日を背にしながら週末の打ち合わせをしながら歩いている。
 太一は呆れると言うよりも驚きながら、
「でも、俺お前が温泉好きなんて知らなかったな。今の季節暑くないか?」
「それがさっぱりするんだって」
「そうかあ?」
 太一は本当に嬉しげなヤマトの様子にくすぐったい気持ちになる。
「でも、初めてだもんなあ、こんなの」
「だろ?」
 普段逢えないことを神様が埋め合わせにとくれた素晴らしいご褒美のようなものだ。
 人づてに渡ってきた、それほど有名ではない海の近くの小さな温泉街の旅館の宿泊券。
(週末にでも行って来ないか? タケルとでもいいし、なんだったら友だちとでも)
 枝豆を茹でるヤマトに父親から渡されたのは、今月末までが有効期限の宿泊券だった。
(知り合いから回って来たんだけどなあ……)
 ちょっと薄汚れたグリーンの封筒を、背広の胸ポケットから取り出して、父はヤマトに渡した。
(クイズ番組か何かで当たったらしいが、なかなか行く時間がないそうなんだ)
 それからちょっと父は苦笑した。
(まあ、そんな立派な旅館じゃないそうだから、くれたんだろうけどな)
 家のことは心配するなと、言ってビールを飲んだ父の前で、歓声を上げるのを堪えるヤマトだった。
「――二人きりで旅行が出来るようになるなんて俺、思わなかった」
 太一はいつもの分かれ道まで来ると立ち止まって言った。
「俺も。親父に感謝だな」
「でも俺でいいのか? 普通は家族とかと行くんじゃないのか?」
「……たまには、友だちとでもいいだろ」
 友だち? と太一が自分でも気づかないくらい小さな不満の表情を浮かべた。
「間違い。恋人」
 辺りに人通りが無いのを確かめて、ヤマトは太一の頬にキスした。
「明日、遅れるなよ」
「分かってるって」
 同じ楽しみを持った仲良し同士の笑みを交わすと、ヤマトと太一は手を挙げて、それぞれの家まで帰っていった。

 例えればそれは非日常だ。二人きりで過ごす時間は、ちゃんとある。
 学校でなら早朝の教室で、昼休みの裏庭で、放課後の廊下で、笑ったり変に思われないくらいにじゃれあったりする。
 ヤマトの部屋では、思いきり恋人同士としての時間を過ごすけれど、家から離れて旅行に行くというのはそれだけで心が弾む。
 第二土曜日ということで思ったよりも人が少ない駅に先に来たのは、ヤマトではなく太一だった。
 腕の時計を見るとまだ八時半を少し過ぎただけだ。
(俺の方がどきどきしてるかな)
 家にいると落ち着かなくて、ゆっくり駅まで来たはずなのに、まだこんな時間だとは。
 柱の側に荷物を下ろして、ヤマトを待つ。
 途中で買ったペットボトルの蓋を開けたとき、驚いたような声がかかった。
「あれ、太一じゃないか」
「丈!」
「どっか行くのかい?」
 邪気のない笑顔で聞かれて、太一は顔を赤くした。
「え、あ、まあ……」
 なんだか気恥ずかしくて、素直に答えられない。
「丈こそ、どこ行くんだよ」
「お祖母ちゃんの家なんだ。夏休みだとどうしても夏期講習で行けなくなるから、今の内に顔見せようと思ってね」
 丈は眼鏡を上げて、太一の足下の荷物を見た。
「あれ? ひょっとして泊まり?」
 なんで、そんなに勘がいいのだろう。太一はうなずくしかなかった。
「へえ、いいなあ」
 もちろん丈は聞いた。
「一人? それとも……」
 家族と? と、丈は聞くつもりだったが――。
「太一! 悪い、待たせたか?」
 よく知っている声を聞いて、あわてて振り向いた。太一は丈とヤマトの顔を見られずうつむいてしまう。
「ヤマト?」
「丈?」
 不思議そうに顔を見合わせて、それから丈は、はっと今までの太一の妙な態度に気づいた。
 見ればヤマトも太一と同じような大きさの荷物を持っている。
 そうか、そうなのかと納得してしまう丈であった。
「ごめん、太一。邪魔しちゃったね」
 丈は太一に謝るとヤマトの肩を軽く叩いた。
「気をつけてな」
「あ、ああ……」
 にこやかに去っていく丈を見送って、ヤマトは太一に向き直った。
「なんであいつがここに居たんだ?」
「……婆ちゃんの家に行くんだってさ」
 太一は答えて、ヤマトをこづいた。
「なんで、お前もっと早くくるか、もっと遅く来ないんだよ?」
「ご、ごめん」
 よく分からないが思わずヤマトは謝ってしまった。
「すっげえ、恥ずかしかったんだからな」
 太一はつぶやいて、荷物を持ち上げた。
「太一?」
「……たぶん、俺の方が緊張してる」
「緊張?」
 ヤマトの顔が曇る。
「俺、無茶苦茶どきどきしてるんだ」
 太一は情けなさそうに言って、ヤマトの手をつかむと自分の胸に当てさせた。
「な?」
「本当だ」
 たった今走ってきたと言わんばかりに鼓動を打つ心臓にヤマトも驚いた。
「なんかガキみたいだろ」
 ヤマトはふっと微笑した。
「笑うなよ」
「俺、お前が旅行イヤなのかと思った」
 ヤマトは目を細めて、太一を手をつかんだ。
「ほら」
 自分の胸に手を当てさせる。
「あ」
「な、俺もだろ?」
 ヤマトも自分と同じくらい鼓動が早い。
「初めてなんだからさ」
 ヤマトは言って、太一に笑いかけた。
「まあ、のんびりやろうぜ」
 ヤマトの笑顔に太一もようやく緊張した面を和らげたのだった。

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