太一の言葉の意味がつかめず、ヤマトは聞き返した。
「何だって?」
答える変わりに太一は手首をつかんでいたヤマトの手を振り払うと、ヤマトの首筋に絡めた。
ヤマトが声を出す暇もなく、太一の唇が押し当てられる。
いつもの調子で唇を吸うようにしてキスすると、太一の目がおかしそうに細められた。
「消すか?」
「消す」
迷うことなくヤマトはうなずき、太一の腰に腕をまわす前に、机の上のロウソクに息を吹きかける。ついでにこっそり停電も決して悪くはないなと微笑した。
太一が見ればしょうがねえなあとでも思うような笑みだったが、すでに暗くなった部屋ではそれも分からない。
唇を求め合い、たまに笑い声を漏らしながら、ベッドに崩れ落ちる。
太一の服のボタンの場所が分からず、ヤマトの手がシャツの上を滑った。
「分かるか」
「ああ」
手探りでひやりとしたボタンと、ついでにベルトにも手をかける。
「やっぱり暗いな」
部屋の電気を消してもいつもなら、外からの薄明かりで何とか分かるのだが、今日は少々難しい。
太一が手伝おうとするのを無茶苦茶なキスで止めさせて、ヤマトは太一の服を剥いでいく。
衣擦れの音が聞こえなくなり、肌にシーツとヤマトの服の感触しか感じられなくなると太一は、ヤマトの背に腕をまわした。
むき出しの太一の胸とまだ服を着たヤマトの胸がぴったりとくっつく。
「……お前も脱げよ」
太一の低いささやきがすぐ耳元で聞こえた。
「後でいい」
返事を返しながらも、そのかすれた声の艶っぽさに、背筋を寒気に近い震えが走る。同時に体が熱くなり、太一の忍び笑いが部屋に響く。
「ほら、脱いだ方がいいだろ」
ヤマトの反応を敏感に感じ取り、太一がからかうように足を絡めてくる。腰を押しつけられて、ヤマトは小さく呻いた。
「……太一」
翻弄されているようで、腹立たしい。シャツのボタンを片手でゆるめ、ヤマトは負けじと太一の体に触れる。
じゃれ合いと愛撫、どちらかを行き来するような触れあいの後、首筋に顔を伏せると、太一の笑い声が止んだ。
代わりにまたもヤマトを高ぶらせるような声が唇から洩れ、切なげな吐息に代わった。
肌に口づけ、触れていくたびに背中に回された太一の指先に力がこもる。今日は幾つ爪痕が残るかと、胸を愛撫したときに立てられた爪に思った。
背中の傷が太一がどれだけ追い詰められたかの証拠だ。太一の肌に残る赤い痕が自分の熱の証のように。
太一の肌はヤマトが体を動かし、新たな場所を探るほどに、熱くなっていく。そしてヤマトも太一のため息に、わずかな身動きに、同じように荒い息をもらす。
顔が見えない分、息づかいや漏れ聞こえる声、肌の熱さで、どんな状態にあるかを感じなければならない。
重ねあう体のせいで、お互いの反応は隠しようもなかった。
ほんのわずかな身動きでさえ、敏感になったそこは解放か、もっと深い刺激を求め、息づいているようだ。
太一の膝を持ち上げ、膝頭に口づけて時が近いことを示す。
口づけたとき唇に感じた違和感は、この間転んで怪我したときのものだろう。
舌でつつくと、痛みか、それともその間にある快感のためか、太一の体が震えた。
わざと音を立て、ヤマトは自分の指先を舐めた。
「――太一」
「ああ」
最初の苦痛を和らげるようにヤマトは、まだ開かれていない奥まった部分に指先で触れる。
「あっ」
太一の体が反り、無意識の抵抗を見せた。
「痛いか?」
「大丈夫」
まだ痛みとも快楽ともつかない感覚に太一は首を振り、シーツの端を握った。
遠慮がちだったヤマトの指先が大胆な動きを見せていくにつれ、太一は目を潤ませた。羞恥の中に混じる快楽にはほのかな被虐心もある。ヤマトのあの細い指が自分の体を探っているのだ。
淫猥な動きを見せる指先に太一は涙をこぼした。
「ヤマト」
涙混じりの太一の声だったが、まだだというように、唇が押し当てられる。
「いい」
今でさえも、恥ずかしさを感じている。けれどもっと欲しいものを求め、太一はヤマトの腕の中で体をよじらせた。
手を伸ばし、ヤマトの体の中で一番熱い場所に触れた。
「太一……」
誘うように柔らかく握ると、ヤマトの吐息が唇にかかる。
すぐ近くに顔があるはずなのに見えない。
「ヤマト」
「ああ」
ヤマトは太一の頬に自分の頬を寄せ、最後だというように内側を擦り、指を引いた。
膝を持ち上げ、ゆっくりと、太一が望み、自分も欲する場所へ体を進めていく。浅く、やがては深く繋がっていくと、太一はシーツからヤマトの背へ手を戻した。
張りつめられたヤマトの背中が手のひらに感じられる。
「太一」
体を繋げているから、そうして自分をさらけ出しているから、愛しいと思うのだろうか。
太一はひたむきにヤマトの熱をもっと深く感じようと、自分から腰を浮かす。
ベッドのきしむ音が激しくなり、その音でさえも世界から消えていく。
それはふたたび音が戻るまでの、それほど長くはない時間。誰をはばかることもなく、お互いの名を呼び、ただその熱に溺れていた。
お台場一体で起こった停電の原因は、高架作業車が事故に遭い、そのクレーンが送電線を切ったことにあったらしい。電気会社の必死の復旧作業のお陰で、翌日にはすべて復旧しており、何も変わりない、いつもの朝になっていた。
太一と共に登校した後、見るものが見れば分かる程度に唇をほころばせて、ヤマトは教室に向かった。
太一やタケルあたりが見れば何をにやけているんだと呆れるだろうが、すれ違う生徒達が気づくわけもない。
上機嫌の朝を過ごし、昼には太一と昼食を取るという、幸せな半日になりそうだったが、太一に会いに来た光子郎にヤマトは眉を寄せた。
太一と二人、渡り廊下で話していると、光子郎は向かい側の廊下から目ざとく太一を見つけてやってきたのである。
きっと、グラウンドの端からだって、光子郎は太一を見つけるに違いない。自分もそうやって太一を見つけているので、ヤマトにはよく分かる。
「光子郎」
光子郎に気づき、太一はヤマトから光子郎に視線を向けた。
「こんにちは」
光子郎は優しく微笑する。太一にはそれで、ヤマトには愛想のような笑みの欠片をみせただけだ。
「昨日、大変だったな」
返す太一の笑みは上機嫌のものだった。
底なしに明るいその笑みの裏には俺がいるのだと、ヤマトは光子郎に視線で伝え、見事に無視された。
「お前、パソコンとかしてたんじゃないのか?」
「ええ、してました。でも、いきなり部屋が暗くなって、全部ダメになってしまって」
バックアップをしていて良かったという光子郎にうなずいて、太一は顔を上げた。
「あ、ごめん、ちょっと行ってくる」
教室に姿を見せたサッカー部員に手を上げ、太一はそちらに向かって歩きだした。いつもなら軽快に駆け出していくのだが、今日は落ち着いた足取りだ。
太一を見送っていたヤマトは鋭い視線を感じ、光子郎の方へおそるおそる目を向けた。
「ヤマトさん」
光子郎はこういうことになると異常に勘が鋭い。ヤマトはなるべく、無表情を装った。
「何だ?」
「こんな話、知ってますか」
光子郎は微笑して、ヤマトをたじろがせると、続けた。
「昔、ニューヨークで大停電があったんですよ」
「へえ」
「一日くらいして、復旧したらしいですけど、その後の話が面白いんです」
「その後?」
「その大停電があった年、ニューヨーク市での出生率が上がってるんです。……意味、分かりますか?」
ヤマトは何が言いたいのだと光子郎を見つめた。
「暗くて、とくに何もすることがなかったら人間が取る行動は、よく似るらしいですね」
澄ました顔で言うと、光子郎は視線をずらし、戻ってきた太一に笑顔を向けた。
「話は済んだんですか、太一さん」
「ああ。放課後、部室で……ヤマト?」
太一は顔を強張らせたヤマトに不思議そうな目を向けた。
「どうしたんだ?」
「太一さん、昨日は大変でしたね」
「え? ああ、そうだな」
光子郎の目線が太一の首筋に向けられる。太一は今日はめずらしく、きっちり一番上までボタンをはめていた。
何のためなのか、そして誰のせいなのか、もちろんヤマトは分かっている。
「――光子郎!」
そこでヤマトは頬を赤くし、光子郎につかみかかろうとした。
「何ですか?」
表情一つ変えず、光子郎は聞き返す。
「おい、ヤマト」
太一はあわてて二人の間に入り、光子郎をかばった。
「何やってんだよ」
「いいから、どいてくれ!」
太一を、こんなときでもなるべく優しい手つきで横へどかそうとしたヤマトだったが、帰ってきたのは太一の蹴りだった。
「落ち着けって」
向こうずねを蹴られた。
太一にしてみれば軽い蹴りだろうが、サッカー部のレギュラーの蹴りは、かなり勢いがある。
「お前の蹴り、痛いんだよ。少し考えて蹴ろ!」
あまりの痛さにヤマトはつい声を荒げた。
「ヤマトが悪いんだろ」
たちまち太一の顔はむっとしたものに変わった。
「いきなり、光子郎に飛びかかったのはお前だ」
「それは、こいつが……」
それを言うに言えず、おまけにこんな舌戦で太一や光子郎には勝てないヤマトはぐっと言葉に詰まった。
「なんだよ、はっきり言えよ」
「だから、停電のときは――」
「停電? 昨日のか?」
太一の頬がほんの少し赤くなった。
「だから、停電の時にするのは……」
「するって何をだよ」
「一つだけだとか――」
そんなことを口走ったヤマトが悪いのか。それとも早とちりした太一が悪いのか。
しかし昨夜、共通の時間を過ごしたのは事実なのだ。それを匂わせた発言と太一が思ってもしょうがない。
「……」
太一は人前で、妙なことを口にしようとしたヤマトに背を向けた。
「太一!」
追いすがるヤマトをにらみつけ、太一はさっさと歩き出す。
ふたたび固まったヤマトの脇を光子郎がすり抜けていった。
「光子郎!」
「何ですか?」
太一の後を追う光子郎はゆっくり振り返った。
「お前が変なこと言うから!」
ヤマトの怒りを光子郎は素知らぬ顔で受け止めた。
「僕は変なことなんて何も言ってませんよ。昨日の停電で思い出したことを言っただけです」
「だから、それが……」
「ヤマトさん」
光子郎の視線は確かに笑いを含んでいた。
「僕が言ったことに対して、何か身に覚えでもあるんですか」
あり過ぎるからこんなにあわてているのである。
「光子郎、行くぞ!」
とどめを刺すように太一が光子郎の名を呼ぶ。名を呼ばれた光子郎は歩き出し、呼ばれなかったヤマトは立ち止まったままだ。
「くそっ」
あわてて太一を追いかけようとし、ヤマトはふと、お台場の出生率も上がることになるのかと考えた。
そう思うと奇妙な気分になったが、とにかく、それは自分と太一には関係ない話だ。
今は太一を追いかけて誤解を解くのが先である。
「おい、太一待てよ!」
「知るか!」
体の痛みを圧して、走り出した太一を追い、ヤマトも駆け出す。
「待てって!」
手を伸ばした先に太一の姿が見えた。光子郎と並んで逃げる太一の背中を見つめ、ヤマトは決めた。
昼休み中には太一を捕まえてみせる。太一には追いつけなくても、光子郎には追いついて、何か一言言ってやる。絶対にだ。
「光子郎! 太一!」
すれ違う生徒達の妙な目にも構わず、ヤマトは太一と光子郎を捕まえようと息を乱しながら走り続ける。
どこまで追いかけることになるのか――昼休みはまだまだ長かった。
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