「あの、バカ。なにやってんだよ。普通断るだろ!」
八つ当たりはヤマト本人ではなく、彼の鞄に、だった。床にではなく、柔らかいベッドの上に投げつけるのは、鞄を傷つけてはいけないと分かっているからだ。
「なにが、そうします、だ!」
枕をぶつけて、太一は部屋中をイライラと歩き回った。とうのヤマトは、客という身分を考慮されて、十分前から一番風呂を使っている。
誰も悪くないので、なおさら怒りのぶつけようがなかった。父親がいる以上、行為を続けるわけにもいかないし、だからといって身体はいうことを聞いてくれない。夕食時の、ヤマトの指や唇に身体中が騒いだのも、仕方なかった。
形の良い指先で、やたらと丁寧に寿司を食べるヤマト。もっと行儀悪く食べてくれれば、いいものを、あのような食べ方をするから、いけないのだ。
いつもこんな疚しいことが頭にあるわけではない――そう自分に言い聞かせて、太一は思った。食事時の指と、自分に触れてくるときの指、どちらのヤマトの指の方が優しいのだろうか。
背筋にぞくりとする感触が走る。腰の辺りに集中してくるそれが形を持つ前に、太一は口元を手で覆った。食事を取るときにも、身体を重ねるときにも、唇や指を使うから、いけないのだ。
普段の仕草一つに欲情してしまう。堰き止められている欲のせいだった。太一はヤマトが知ったなら、赤面どころか身体中真っ赤になるに違いないことを、ぼんやり思った。
ヤマトが欲しい。普段ならさりげなく自分にもヤマトにも仄めかす考えを、素直に頭の中に浮かべ、太一はしばらく考え込んだ。
――今からやる行為はヤマトに嫌われることだろうか。ヤマトは父親がいる今日、泊まるのを選んだ、それはつまり、夜に何もできないということだ。
太一としては、そこが不満なのだが、一応、二人で高めあった熱は自分自身の手で解放させているから、ヤマトはもう充分に満足しているのかもしれない。
「俺はイヤだ」
もっとヤマトに触りたいし、触れてもらいたい。太一は自分の心を確認し、大きくうなずいた。当たって砕けろだ。
太一は勢いよく、顔を上げた。勇気が肝心。そして、もう一つ、今日は愛嬌もいる。自分から誘うのは初めてではないが、誘惑となると、また別だ。
どのような手だてで、ヤマトをその気にさせるか考えながら、太一は部屋を出た。
父親はテレビを観ている。飲み足りなかったのか、ビール缶がその手には握られていた。野球中継が一区切りしたのを機に、部屋から出てきた息子に父親は目を向けた。
「まだ、石田君、入ってるぞ」
「一緒に入ろうと思ってさ」
「そうか。仲がいいな」
笑顔で納得してくれた父親に太一は心の中で手を合わせた。快楽に流される息子を許して欲しい。父親に悪態を付いたことも謝って、太一は脱衣所に入った。
洗剤の薫りが身体にまとわりついてくる。音を立てないように服を脱ぐと、丸みのない自分の体にため息をついて、太一は浴室のドアを押した。
湿気を含んだ空気の中に石鹸の匂いもする。湯船に浸かっていたヤマトがぎょっと腰を浮かすのが見えた。
「太一」
ヤマトの困り切った口調に太一は目を逸らした。
「俺も、入っていいか?」
「ああ……」
濡れた髪を掻き上げて、ヤマトは肩まで浸かり直した。
「俺、すぐ上がるから」
「マジで?」
かけ湯をしていた太一は手を止めた。
「もっとゆっくり入ってろよ」
「狭いし」
ヤマトは浴室の壁を流れる水滴を眺めながら、首を振り、すぐに失言に気づいた。ここは自分の家ではなく、太一の家である。
「……狭くて、悪かったな」
「ごめん、勘違い」
ヤマトはあたふたとお湯をかき回し、身体を引き上げた。
「俺、出る」
「ヤマト」
太一はどうしたらよいか、分からないまま、ヤマトの腕を掴んだ。こんなはずではなかった。もっと色っぽい会話が弾むはずだったのに。
「なんだ?」
振り向かないで、ヤマトは訊ねた。太一がいなかったら、冷水を身体にかけるところだ。
「上がるのか?」
「上がる」
「もうちょっと入ってた方が、湯冷めしないんじゃないか」
太一からの誘いを奇妙な唸り声で断って、ヤマトはドアを開けようとした。
太一はうなだれ、すぐに顔を上げた。やはり自分には色気はない。ならば行動あるのみだ。
太一は振り払われた腕をふたたび伸ばし、背後からヤマトに抱きついた。声にならないヤマトの動揺は、自分の身体の変化にとまどう太一と同じように相手には気づかれなかった。
二人して、しばらくその場に固まっていたのだが、湯で温められた身体が冷える前に、太一はヤマトから腕を離した。
「ごめん」
羞恥心に満ちた太一の声に、ヤマトは振り返った。
今度は太一が湯気の中で、背を向けている。
「ヤマト、上がるんだろ? いいぜ」
太一は膝をつき、身体を洗い始めようとした。
たとえ理性が浴室から出た方がよいと囁いていても、泣き出しそうな顔をしていると思われる太一を無視するのはヤマトには出来ない。
「太一」
しゃがんで、自分の手の中におさまる丸みを持った肩に触れた。
「上がれよ!」
太一は顔を背け、身体をずらそうとした。引かれそうになった太一の下半身を見て、ヤマトは知らないうちに驚きの声を上げていたらしかった。
「笑いたかったら笑えよ」
太一が真っ赤になり、ヤマトを睨み付ける。
「……いや、その」
ヤマトも太一同様に、赤くなって、目線を下げた。
「俺も同じみたいだ……」
太一の目が丸くなり、ヤマトの臍から下に目を向けた。
しばらくして、太一は顔を上げると、とまどったように呟いた。
「だって、夕飯の前にトイレ行ってただろ」
「そうだけど……」
そんなもので片が付くなら簡単な話だ。太一はふと身動きして、ヤマトの足の間をじっと見つめた。
「……元気だな、お前」
ヤマトは手で、太一の口を塞いだ。
「そういうことは言わなくてもいい」
「ひゃって」
ヤマトの手のひらの向こうで、太一が口を動かした。指の下で動く唇が柔らかい。
「……」
視線が交わる。ヤマトの瞳にちらちらと燃える熱に、太一は一度は目を伏せた。それから、見つめ合った時間で高まった熱を知らせようと、太一は押し当てられるヤマトの濡れた手の平を舌先で舐めた。
ヤマトは唇を噛み、手を離すと、太一の頬を包み込んだ。
「――親父いるけど」
太一は手をヤマトの胸に置いた。右手をゆっくり動かす。ヤマトの心臓が高鳴り出したのを感じた。
「声は我慢するから……ヤマト」
ヤマトの頭の後ろで、ぷつんと何かが切れた。
胸を探っていた太一の手を取り、唇を重ねて、少し乱暴に引き寄せた。腕の中に抱きしめた太一の身体が熱くなるのがはっきり分かった。
長い口づけの間、ヤマトの手は太一の身体中を探り、息継ぎのために唇を離すと、太一のあえぎは、すでに切なげな響きを帯びていた。
太腿を探りながら、一時間半前に触れた場所に触れる。手に握ろうとすると、太一が首を振った。
構わず、愛撫を加えようとすると、太一はヤマトを押しのけようとした。
「いやだ」
「いやって、お前」
これは、焦らされているのだろうか。未練を込めて、手の中で擦り上げると、太一が喉を見せた。そこに唇を押し当てて、下ろしていく。
「ヤマト、いやだ」
太一の腕に力がこもる。追いやられようとして、ヤマトは太一の耳朶を口で挟んだ。素直にさせようと、わざと歯と息が太一に当たるように囁いてやる。
「なにがいやなんだよ。本当に止めるぞ」
「……いいから、早く」
太一が身体をずらす。消えたぬくもりにヤマトが戸惑う前に、太一の腕が伸びて、ヤマトの背中に回された。
「また……親父が……」
つぶやいた太一が足を開く。固さと恥ずかしさが残ったその仕草に、ヤマトは熱い息を吐き出した。
「いいのか?」
いきなりはきついだろうとヤマトは指を近づけたが、太一はまた首を振った。
「……俺、待てねえよ」
切なげな目で太一に見つめられる。
太一に応えるため、しいては自分自身も満足させるために、ヤマトは太一を横たえようとした。
太一の身体を開かせる手つきが荒っぽかったのは、ヤマトも待てなかったからだ。太一は洗面器の縁に頭をぶつけ、ヤマトは浴槽の縁に右手をぶつけた。
音が二つ仲良く重なって、浴室に響いた。太一のは痛みも残らないくらいの衝撃だったようだが、ヤマトの右手にはしばらく痺れが残っていた。
焦るとろくなことにならない。少年二人の身体が、少々激しい動きを見せても余裕があるか、ヤマトはタイルの上を見回し、眉を寄せた。
「ヤマト」
太一がヤマトを引き寄せようとする。
「ちょっと、待ってくれ」
「いやだ」
太一の目が艶っぽい怒りに満ちている。こんな時のわがままは幾らでも聞いてやりたい。そのためなら、手も足も、身体中どこでも怪我をしても良かった。だが、自分は良くても太一に怪我はさせられない。
「ちょっとだけだから」
「……お前、本当はやりたくないんだろ」
「バカ」
太一の恨みがましい一言に的確な返事を返して、太一の身体を引き上げようとした。
「立てるか?」
「平気」
太一の視線はとろんとしている。体を支えてやると、太一は泣き出すようなため息をついた。
そっと太一の腰に手を添えて、ゆっくり動かした。後ろを向かされた太一が、初めて不思議そうな顔を浮かべた。
「ヤマト」
「ごめん、ちょっときついかもしれない」
一応、謝った。そこで限界だ。太一に負けず劣らず、ヤマトも我慢してきたのだ。
張りのある濡れた肌を押し分けて、ヤマトは太一に体を近づけた。太一が喉の奥から息を押し出す。荒くなる呼吸と共に、またごめんと謝り、ヤマトは深く押し入った。
「いきなり、って、ずる……」
腰を支える手を伸ばして、太一にも触れてやる。
太一が鼻にかかった甘い声を出す。めずらしい甘え声にヤマトは息を荒げ、太一にぴったり身を寄せた。
「あっ」
いっそう深くなる感覚とヤマトに触れられた悦びに太一が体を震わせた。悩ましく締めつけられて、ヤマトは小さな声を漏らした。
声を出すと同時に下肢に淀んでいた快楽が、太一の中に打ちつけられる。無意識のうちに、ひときわ長い満足のため息をついて、ヤマトは太一の視線に気づいた。
「……わ、悪い」
太一は顔を逸らし、むくれたように呟いた。
「……ずるすぎる、お前」
返す言葉もない。お詫びの意味も込めて、もう一度太一に触れると、太一は嫌がって身をよじった。
「もういい」
まだ頬と体を火照らせたまま、太一がヤマトから離れようとする。放っておくと、大変なことになりそうな頬の膨れ方をしていたので、ヤマトは太一を離さなかった。
「んだよ、お前はいいんだろ。離せって」
「ごめん、もうちょっと」
「何が、もうちょっとなんだよ!」
それがヤマトにもよく分からないのだった。あやすようにヤマトは太一をやさしく抱きしめた。
「……ごめん、太一」
太一の耳元で、ヤマトは謝罪の意を真剣に表明した。
返ってきた太一の言葉は体とは違って冷たかった。
「お前、そんな声出したら俺がおとなしくなると思ってんだろ」
「そんなこと――」
「絶対、思ってる」
「す、少しは思うかもしれないけど、俺は本当に悪いと」
落ち着いた返事はヤマトだけが冷静さを取り戻したから出来るわけであり、太一の方はヤマトに抱きしめられているせいで、まだ体に火照りを見せていた。
「ほらみろ、思ってるんだろ」
「だからそういうのは少しだけで」
ヤマトの言葉尻を太一は取り上げ、言い返す。
「少しでも思ってるってことじゃねえか」
「太一……」
どうしてここまで責められなければならないのか。ヤマトも手を焼いて、黙り込んだ。代わりに手を動かしてみる。
「んっ」
震えた太一の肩に顎を乗せ、ヤマトは首に息を吹きかけた。
「いい?」
「……よくない」
正直な答えだ。ヤマトは意地悪く唇をつり上げ、太一を焦らしてやった。余裕はもちろん、太一の怒りの原因からきている。
始めの頃はともかく、最近では太一の方が余裕を見せることが多いので、ヤマトは久しぶりに太一が腕の中で様々に乱れる姿を楽しんだ。どこに触れても敏感な肌が艶めかしい反応を返してきた。
「もう……止めろって……」
「いやだ」
言葉ではそう言っても、目尻から立て続けに涙をこぼされては、ヤマトも胸が痛む。あちこち疼く体も止めどきだと教えてくれる。
加えて、太一の哀願を帯びた声音はヤマトを刺激した。
「ヤマト、ほんと、頼むから……」
何を頼んでいるのか考える余裕はヤマトからなくなっていた。一度太一を追い抜いた体だが、まだまだ走れる。
「太一、大丈夫か?」
声も出せない太一はうなずいた。太一の体は充分にとろけて、ヤマトに向けて開かれている。今度は落ち着いて行こうと、ヤマトはゆっくり息を吐きながら、身を沈めた。
太一が喉を反らしたので、ヤマトの肩に湿った髪が触れてきた。自分の名と荒い呼吸ばかりが漏れる唇を見つめていると、何でもしてやりたいと、甘い思いがこみあげてくる。
今の太一が一番、望むことは分かっていたので、ヤマトは太一の体に触れながら、その通りにしてやった。ヤマトが体を動かすたびに、太一の体が跳ねるようにして応える。
ぴったり合わさる太一の体と肌の熱さに、ついに堪えきれなくなり、ヤマトは思わぬ激しさで太一の唇を吸った。待っていたように太一の舌が絡んでくる。後ろ手に伸ばされた太一の手がヤマトの頭を引き寄せ、なお深く唇を合わせようとした。
ヤマトは手を滑らせて、そっと太一の内腿から奥へと触れていった。愛撫を加えながら、一度腰を引き、また深く突き上げた。ひくりと太一の喉が鳴り、瞳が恍惚とした色を浮かべる。
ヤマトの手を汚した熱と、太一の体を侵した熱が、太一の足を伝っていく前に、ヤマトは静かに囁いた。
「太一」
萎えそうな膝をヤマトに体を預けることで支え、太一は長いため息をついた。
「……」
離れがたく、太一の肩を抱いて、ヤマトは首筋に口づけた。
「立てるか?」
「平気」
太一の声が優しくなっている。ゆるみそうな頬を必死に、平静な状態に保って、ヤマトは太一から離れた。
「体洗って……少しお湯に浸かった方がいいな」
太一が頬に張り付いていた髪をはがす。仕草がいつもと違って、大人しい雰囲気をまとわせ、ヤマトはため息ばかりをつく。
言葉は交わさなくても親密な空気の中で、太一は体を洗い、ヤマトは邪魔にならないようにそれを手伝った。シャワーで体についた泡を流していた太一が顔を上げ、ヤマトに微笑する。
太一が浴室に入ってきてくれて、本当に良かったとヤマトは太一の小さな笑顔を見て、心底思った。今夜はこれで我慢できる。
太一に手を貸して、一緒に湯船につかる。濡れ髪の太一に眼を細めていると、太一が湯から手を出して、ヤマトの頬に触れた。髪を引っ張られた後、太一が撫でつけてくれる。
太一の視線は、まだとろんとしている。眠たいのかと確かめようとして、ヤマトは押し当てられた太一の唇に驚いた。
「太一……」
「もうちょっとだけ。いいだろ?」
一度熱に当てられた太一の体は抱きしめると、柔らかい弾力が返ってくる。流れていく湯の音を聞きながら、ヤマトは素直に頷いた。
湯に沈み、浮かびながら、太一の体をきつく抱きすくめた。浴室に満ちた蒸気のように、白く頭がかすんでいく。こんなにあたたかい太一の体は初めてのようだった。抱きしめた分だけ、ヤマトの腕の中で溶けていきそうだ。
「ヤマト――」
唇から歯がちらりと見えただけで、たまらない激情が体に走る。
「あっ、まだ、」
ぱしゃりと太一の体が湯に沈んだ。水の抵抗と肌の弾力が重なって、ヤマトの指先を惑わせる。
「待てって……んっ」
太一の腕をつかんで、自分の背中に回させる。
「そんな、強く……」
太一の声が途切れた。太一が必要以上に湯に浸からないようにしっかり支えながら、ヤマトは腰を進め、太一はあえぎながら、ヤマトの熱を受け止めた。激しく太一の体を揺らしていると、視界の片隅で太一が声を殺すため、必死で唇を噛んでいるのを見つけた。
太一が堪え忍ぶ様子を眺め、その甘さを味わって、ヤマトは太一を更に苛んだ。
「つっ」
太一が肩に顔を埋めてくる。一瞬、指先が背中に食い込んで、すぐに抜けていった。太一が荒い呼吸をつきながら、ヤマトの胸を弱々しく押す。
「声が出るだろ、アホ」
「ごめん」
太一が身をよじり、開かれていた膝を閉じようとする。まだ熱い太一の内を感じたく、ヤマトはふたたび太一を引き寄せた。
太一の体が湯の中で妖しく揺れて、ヤマトを誘う。太一が拒むように、湯船の縁につかまったので、ヤマトは背後から太一を抱きしめた。
「きついか?」
手を名残惜しげに胸に当て、いじる。ほんの少し爪先が触れるだけで、太一の体は震えた。
後ろから見つめる太一も魅力的だった。睫毛や頬、鼻の形がよくわかる。髪先にぶら下がった水滴になってもいいから、太一を見つめていたい。
落ちた水滴を掬うようにヤマトは太一の頬に手を添えて、振り向かせた。
太一が不安な視線を投げかけてきた。
「……ほんとに、声が我慢できなくなる」
怖がるような太一の言い方に、ヤマトは笑った。
「大丈夫だ」
太一が不思議そうにまばたきする。どうしてと訊かれる前に、ヤマトは太一に唇を開くように言った。
太一がゆっくり唇を開く。匙で食事を与えるようにヤマトは、自分の人差し指と中指を太一の口に含ませた。
残った片手は太一の腰から下へと落ちていく。まだヤマトのこぼした名残で太一の中は熱かった。しめつけられて、ヤマトは息を呑み、太一は正直な自分の体に耳朶をなおさら赤くした。
「ヤマト」
声が、という太一の声がすでに切なさも含んで、乱れている。
「俺の指、噛んでろ」
「だって、お前、怪我する」
太一が泣くように言った。欲望がせき立てられて、ヤマトは首を振り、太一の頬に自分の顔を近づけた。
「それぐらい、いい」
指が傷つくだけで、太一が手に入るなら、幾ら怪我しても構わなかった。太一が言葉を発さない内に、ヤマトは指で探っていた場所に、また別の体の一部を押し込んだ。
「あっ」
太一が叫びかけて、ヤマトの指に歯を立てる。歯の間に挟まれた指が痛み、腰へと落ちてくる間に快感にすり替わった。
くぐもった声で太一が訴えてくる。片手で太一の腰を支え、ヤマトはうなじに唇を押し当て、下へと降りていった。太一の背中は絶え間なく震えている。
噛まれていた指が、太一の舌で舐められ、吸われた。
「太一」
体の先を上下で包まれ、ヤマトは乱暴に太一を突き上げた。太一の唇から声が出かけたが、ヤマトの指を強く噛みしめることで、声を喉の奥で消す。一分も経たない内に、浴槽の縁をつかむ太一の指がいっそう白くなり、ヤマトが呻いた後、湯の中に沈んでいった。
荒い呼吸を沈め、ヤマトは太一の口を侵していた指を抜いた。あちこちに歯形がついている。キスマークの代わりと思うことにしよう。
太一を抱えたまま、ヤマトは湯船に浸かり直した。ヤマトの体を椅子代わりにするように、太一は体を預け、目を閉じた。
「お湯、変えなきゃな」
太一が力のこもらない声で囁いた。
「そうだな」
顔を傾け、余韻を残す太一にヤマトは口づける。唇は濡れて、柔らかかった。もう一つの方もかと、ヤマトが邪な思いを持ちながら指を伸ばすと、太一がしっかりその指を取った。
「今日は終わり」
「……なあ、太一」
ねだるように言ってみても、指先は太一に奪われたままだった。
「のぼせるだろ」
真っ赤になった肌で言われては、ヤマトも黙るしかない。せめてもと、湯を入れ替える間に太一の体で遊んだ。
「ヤマト、止めろ……」
太一が足の先を伸ばし、ヤマトの指先の動きに合わせて、体を震わせている。
「止めていいなら、止める」
手の中の太一は、続けて欲しいらしいので、今は言葉よりも体を信じた。
「お前……あっ、バカ」
ヤマトのわがままは、太一の涙声と痛くない拳を共にして聞き届けられたが、その結果、ヤマトは茹で上がった太一を抱えて、浴室から出ていく羽目になった。
※
テレビから二人の少年に目を移した父親は、おやと苦笑した。
「なんだ、太一のぼせたのか」
ヤマトに体を支えられながら上がってきた太一は、顔も上げる気力が残っていないようだった。
「はしゃいでたからな。声が外まで聞こえてたぞ」
ヤマトは引きつった愛想笑いを浮かべたが、横でぐったりとした太一に、すぐに視線を戻した。つられて、父親も太一に目を向ける。「太一、大丈夫か」
「あんまり」
太一は細い声で答え、ヤマトに寄りかかった。
「駄目だ、くらくらする」
「太一」
「太一」
父親と恋人に名を呼ばれても、太一は答えなかった。
「いかんな」
父親は立ち上がり、息子に近づこうとしたが、ヤマトは首を振った。
「俺が運びます」
「え……」
「慣れてるんで、大丈夫です」
言葉通り、ヤマトはしっかりした足取りで、太一の部屋まで歩いていった。太一を支える様子も堂に入ったものだ。
迫力というより、雰囲気に押されて、父親は立ち上がりかけた姿勢のまま、二人を見送った。
ドアが閉まる頃、やっと立ち上がれた父親は、あたふたとキッチンへ向かい、アイスノンを取り出すと、タオルを巻き付けて、息子の部屋の扉を開けた。
「太一、これ……」
黙ってしまったのは自分が邪魔なのでは、という意識が働いたからだった。
「ごめんな、無理させて」
ベッドに横になった太一と、その枕元で心配そうに話しかけるヤマト。照明は机の上の明かりだけで、暗がりにいる父親には二人も気づかない。
「俺だって、やりたかったんだから、気にするな」
「ありがとう」
ヤマトが微笑して、太一の額をくすぐるようにして撫でた。
「気持ち悪くないか?」
「ああ」
太一が枕の上で首を傾げ、ヤマトを見つめる。
「ヤマト」
「なんだ」
優しい呼びかけと優しい受け答えに、部屋の空気は柔らかくなっていく。
「気分が良くなるまで、隣にいてもらっていいか?」
「当たり前だ」
太一がほほえむ。太一の手を取り、握りしめると、ヤマトも笑った。
手にしたアイスノンの冷たさを感じながら、父親は音を立てないようにドアを閉めた。
「お邪魔みたいだな……」
夜遅く、帰宅した妻は飲んできたせいか、頬が薄赤かった。回復して、部屋でゲームに打ち込んでいる息子とヤマトに顔を見せ、キッチンに戻ってくる。
同窓会は楽しかったと言葉でも態度でも伝えていたが、テーブルの上でビール缶を順調に空にする夫に、首をかしげた。
「どうかしたの?」
「別に。風呂、沸いてるぞ」
ネックレスを外そうとし、妻はまた振り返った。
「大丈夫?」
「いや……」
夫の口がへの字になっている。飲み過ぎだと思い、太一の母は缶を片付け始めた。
水で缶の中に残ったアルコールを流していると、長い長いため息が聞こえた。
「――俺はヒカリが嫁に行くとき、泣くだろうなと思ってた」
「え、なあに? どうしたの」
いきなり、そのようなことを話しかけられて、呆気に取られた顔を妻は隠さない。
「でも、まさか、太一のときに泣くなんて、思わなかったんだ」
「……太一?」
「まさかなあ……」
頭を抱え込んだ夫に、呆れたと言いたげなため息をついて、太一の母は手を拭き、風呂に入ろうとキッチンを出ていく。
「もう、酔っぱらって」
文句が聞こえたが、聞こえない振りをした。
一人息子の将来に、父親は寂しさを覚え、立場的には何と呼べばいいか分からないヤマトに対し、ほんの少し厳しい態度を取ろうと決めた。――ほんの少しだ。少しだけ、疎外された分の意趣返しをするだけだ。大事な長男を取られてしまったのだから。
「……太一がなあ」
浴室からは妻が流す水音が響いてくる。将来の花嫁と花婿の父になったばかりの男は、机に顔を伏せた。今夜は悪酔いしそうだった。
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