ゆっくり歩こう
2



 とりとめのない会話を交わし、ヤマトのマンションに到着する。
 エレベーターで部屋まで上がりながら、太一はヤマトの手を握りしめた。
「――変だな。初めてのときよりどきどきしてる」
 ヤマトは太一に耳を寄せ、ささやいた。
「俺も」

「なんか久しぶりな気がする」
 ヤマトの部屋に入って、太一はそうつぶやいた。
「そうだっけ?」
 ヤマトは鞄を下ろし、ブレザーを脱いだ。
「変な気分」
 太一はヤマトの椅子を引いて腰掛けると、ヤマトを見上げた。
「なにが?」
 言って、ヤマトは太一の方に身をかがめた。
「ヤマト、背が伸びたなあって。髪も伸びたし……」
「何言ってるんだよ」
「初めてあったとき、こんなふうになるなんて思わなかったよ」
 太一は目を伏せた。
 ヤマトは唇を寄せ、
「この部屋にいる太一、可愛いな。いつもの太一じゃないみたいだ」
「なんだよ」
「いや、服脱がせてもいい?」
「自分で脱ぐ」
 ブレザーを脱いだところで、ヤマトの手が伸びてきた。
「脱がさせろよ」
「なんで、ヤマト、人を裸にするのが好きなんだよ」
 ヤマトの手が滑らかにボタンをはずしていくのを眺めつつ、太一は頬を赤くした。
「ちょこっとずつ見えていくのが、いやらしいから。太一ってボタンをはずしていくと、体が赤くなっていくから、おもしろい」
「!」
 太一は何も言えず、ますます赤くなった。太一が口を閉じたので、ヤマトは手を伸ばし、ズボンのチャックを下ろす。
「足上げて」
「お、おい……」
「脱げないだろ」
「そりゃそうだけど……」
 釈然としないと太一は思ったが、ヤマトの言うとおり、腰を浮かせてズボンを脱いでしまう。
 下半身が部屋の空気にさらされて、一瞬鳥肌が浮いた。
「寒い」
「すぐ暑くなるだろ」
「おまえ、エッチするときと普段と全然感じが違うよな」
「太一も違う」
 ヤマトはそう言うと、太一の胸に手を這わせる。こうやって夢中になると少しぶっきらぼうになることを太一は知っていたので、反論はしなかった。
 ヤマトが太一に触れてくる。
「あっ……」
 一つだけボタンをはずさずないでいたため中途半端に、シャツは太一の肩に引っかかっている。ヤマトは奇妙な興奮を感じつつ、下から手を差し込んで、ぷくりと小さく膨らんでいる突起を、指先でつまむ。
 太一はちょっと唇を噛んで、ヤマトの手の動きを耐えているように見えた。
「一応、防音壁だし、親父は遅いから、声だしてもいいぜ」
「う……ん」
 太一の目がとろんとぼやけはじめている。少し肌に触れられたくらいで、ヤマトにもたれかかるようにし、口からはすでに荒い息が洩れ始めてきた。
「太一……?」
「俺、なんか変……」
 太一はヤマトに抱きついて言った。
「なんで、始めたばっかりなのにこんなになってるんだろ」
 太一の反応に気づいて、ヤマトがそっと手を移動させた。
「ほんとだ……」
「あっ、ヤマト……」
 ヤマトが優しく触れてきたので、太一は切なげに息をもらした。
「どうして?」
「わかんないよ……んっ!」
 ヤマトは太一を椅子から立たせ、ベッドへと横たわらせた。
「もう少し待ってくれよな」
「あっ、そこ……」
 ヤマトの唇が胸を、手が下をなぶる。ヤマトの手が太一の反応で濡れ始める。
「ヤ、ヤマト」
 太一が荒い息のさなかにささやく。
「なに、太一」
「服、脱いで」
 ヤマトはブレザーを脱いだだけで、太一のほとんど半裸な状態とは正反対だったのだ。
「わかった」
 手早くシャツのボタンをはずし、、衣服を脱ぎ捨てていくヤマトの姿を太一は、ぼうっと見ている。すらりとした体だが、見かけよりはかなりしっかりと筋肉がついている。
「太一……」
 服を脱いだヤマトが太一の上にのしかかってくる。重みと、直接触れあう肌のぬくもりが心地よい。
 太一は目を閉じて、ヤマトの熱い唇を頬や唇に受けた。
 ヤマトの背に手をまわし、このあいだとはどこか違うヤマトの優しすぎる愛撫に、自分に対する気遣いがあるのだと思った。
 こんなに思われている――ヤマトの自分を見つめる瞳、触れてくる指先、伝わるぬくもり、なにもかもが自分に向けられている。こんなにも自分が感じやすくなっているのはたぶん、ヤマトの優しさのせいだ。
「ヤマト」
 無意識にヤマトの名を呼んだ。ヤマトが顔を上げた。
「どうした」
 太一は応えない。わずかに開かれた太一の唇にもう一度キスして、ヤマトは太一の足のあいだに自分の膝を割り入れた。
「……いい? 太一」
 ヤマトはかすれた声で言う。
 太一はうなずいた。ヤマトは指を太一の足から腿の奥へと滑らせ、そっと探った。
「痛まないか?」
「ん……大丈夫」
 わずかに触れたヤマトの指に一瞬、眉をしかめた太一だったが、ヤマトの言葉に首を振った。
「なにか塗った方がいいな」
 太一の表情に気づいて、ヤマトの指が離れ、次いで体が離れる。
 太一は起きあがろうとしたが、すぐにヤマトは何か手にして戻ってきた。
「それ……」
「初めてしたとき、使ったやつ」
 小さな小瓶に入ったオイルだった。
「絶対、痛い思いはさせたくないんだ」
「なに、気を使ってるんだよ」
 まだこのあいだのことを気にしているのだろうか、ヤマトは。
「傷つけたくないんだよ」
 ヤマトはぼそっと言うと、太一のシャツを優しく脱がせた。
 ヤマトと同じく、全裸になった太一はとまどうようにヤマトを見つめた。
「ヤマト、俺……」
 太一は突き上げてくる感情を押さえ込むことができなかった。
「どうしよう、お前のこと、すごい好きだ」
「太一?」
 太一はヤマトの体を抱きしめるようにして言った。
「なんか俺、変だ。ヤマトが優しくしてくれるとすっごくどきどきしてくる。いつもエッチするとき、こんなふうには思わなかったのに……。いま、俺おかしくなってる」
「太一……」
 ヤマトはうれしさと微妙な恥ずかしさとが混じり合った複雑な気持ちで、太一の告白を受け取った。
「俺だって――」
 世界中に自分たち二人だけしかいないような気がした。
「俺、いま太一のことしか考えられない」
 太一の瞳が潤んだように見えたが、ヤマトの目にはなにかもやがかかったようで、よく解らなかった。
 熱に浮かされたように、太一に触れ、熱い反応を導き出す。太一の吐息や声が耳にこだまして、ヤマトを駆り立てた。
 指先にたらしたオイルの冷たい感触に太一が息をのむ。
 最初は遠慮がちに動いていたヤマトの指は、やがて太一に切なげな声を上げさせる動きへと変化していく。
「ヤ、ヤマト……」
 太一が震え声でヤマトを呼んだ。その呼びかけがなにを指しているか、なにを欲しているか解らないほど、ヤマトは幼くはない。
「わかってる」
 指を引っ込めて、太一の足を掴み、開かせる。腰を進め、太一の体を気遣いながら、身を沈めていく。
 太一の口から、はあっと長い息が漏れた。寄せられた眉と、シーツを掴む手が太一の体への苦痛を物語っている。
「太一、大丈夫か」
 きつい感触にヤマトも苦しげに聞いた。
「バカ、大丈夫じゃなきゃ、やらねえよ」
 切れ切れにだが減らず口をたたいて、太一はまた吐息をもらした。今度のは苦しいだけでなく、甘い響きもともなっている。
「平気だから、ヤマト」
「ああ……」
 ヤマトがゆっくり動くと、太一はどうにも声を抑えきれなくなってしまう。
 体を揺さぶられて、気が遠くなっていく。ヤマトのぬくもりと、ヤマトが与える快楽と、それだけで頭がいっぱいになってしまう。
「んっ……」
「太一……太一」
 ヤマトの声が立場こそ違え、同じ快楽に歪んでいく。
 ヤマトの動きが激しさを増す。太一はわずかに身をよじらせ、その動きから生まれた快感に声を上げた。
「ヤマト、もう……」
「俺も――!」
 太一の声にヤマトの声が重なった。
 少ないものではあるが、それでも何度かこうして体を重ねてきたことはある。それでも今日のこのときほど、お互いに満たされていると思ったのは初めてだった。
 最後の瞬間の、体が消え失せてしまうような強烈な感覚にとらわれる。ほんの一瞬だけの快感の頂点のはずなのに、いやに長く感じられた。
 引いていく波のように快感が去っていくと、ヤマトは深いため息をはいて、太一を見下ろした。
 ぼんやりとした、焦点の合わない太一の瞳が何度かまたたかれる。
「ヤマト……」
「ああ」
 ものすごい脱力感が襲ってくる。それでもその疲労は心地よかった。
 太一から離れ、並んで横になる。
 太一はまだ息が乱れていたが、ヤマトに向かってほほえんだ。
「なんかすごかったな」
「ああ……すごかった」
 ヤマトは、火照った太一の体に腕をまわし、側に引き寄せた。
「シーツ、むちゃくちゃだぜ」
「いいよ、捨てるか、洗うかするだけだから」
「うん……」
 太一はヤマトの胸に顔を押しつけた。
 あまりに激しい交わりに、気力も体力も使い果たし、二人はしばらくぼんやりと互いの肌のぬくもりを感じるだけで、黙り込んでいた。
 外から、かすかに車のクラクション音が聞こえてくる。
「ヤマト、腹減った……」
「え――もうこんな時間かよ」
 ベッドの脇に置いてある時計は、七時半過ぎを示していた。
 ヤマトは起きあがり、服を手に取った。
「とりあえず飯作るから」
「オムライスがいい」
 太一はヤマトに注文してから、ゆっくり起きあがろうとしたが、ヤマトに止められた。
「風呂か?」
「うん」
「連れてってやるから、あんまり動くな」
「なんだよ、偉そうに」
 太一はそう言ったが、口調はきついものではなかった。
 ヤマトが微笑して、太一の髪を直してやる。
「泊まっていくだろ?」
「あ、でも……」
「明日は休みだ。ちょうど良かったな」
「そうだったけ?」
 太一はヤマトの部屋の壁にかかっているカレンダーで、日付と曜日を確かめてみた。
「本当だ」
「風呂の後で、電話しろよ」
「そうだよなあ」
 ヤマトとの快楽の名残があちこちに残ったこの体で、何も知らないであろう母や妹といつものようにはたぶん、しゃべれないだろう。後ろめたいような気恥ずかしいようなそんな気分がするに違いない。
「風呂、湧かしてくるから」
「あ、ヤマト……」
 ヤマトが部屋を出ようとしると、太一が呼び止めた。
「なんだ?」
「……俺も連れてけ」
「?」
「一人にしとくなよ……」
 太一は恥ずかしそうに言った。ヤマトは照れ隠しにわざと乱暴な口調で応えた。
「なに、甘えてるんだよ」
 そう言いながらも、太一を抱え起こし、シャツを羽織らせてやる。
 半分、抱きかかえるようにして、リビングの方へ太一を連れていく。
 「な、ヤマト、ちょっと」
 太一がヤマトの袖を引っ張った。
 ヤマトが太一の方を向くと、太一は唇をヤマトの唇に押しあてた。
「ちぇっ」
 ヤマトが太一の頬を両手で挟んで、軽くつまんだ。
「なんだよ、もう」
「へへっ」
 太一は目をきらめかせ、ヤマトに笑いかけた。
 ヤマトもつられたように笑い、それから今度はヤマトが太一にキスを仕掛けた。
「……なあ、ヤマト」
「ん?」
「また、しような」
 ヤマトは一瞬、絶句し、顔を赤くした。
「イヤか?」
「イヤなわけないだろうが!」
 即答したヤマトに太一は微笑んだ。
「それでいいんだ」
 満足そうに笑う太一。ヤマトはため息をついた。
 なんだか太一にいつもリードされている気がする。
 太一をソファーに座らせて、風呂の用意をし、オムライスに使うタマネギを刻みながら、ヤマトは心に決めた。
 今度こそ、太一をリードして、自分のことをからかう余裕などなくさせようと――。
 それができるかどうかはたぶん、誰も知らないし、分からない。けれど二人が幸せなのは確かだった。
(親父が帰ってくる前に、太一に服着せないとな)
 ソファーに座っている、太一のシャツの裾を気にしない座り方に、気を取られつつヤマトは思う。
 ヤマトと太一の夜は静かに暖かく更けていった。


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