「おい、本当にいいのか?」
ちょっと不安げにヤマトに太一は聞いた。
「入り口に関係者以外立入禁止って書いてあったしさあ……」
「いいって。俺が関係者なんだから」
ヤマトは強引に太一を控え室へと連れ込んだ。
「けっこうみんな知り合いを入れたりしてるし。タケルも来たことあるしさ。気にするなよ」
太一はようやく納得したのか、控え室の中をもの珍しげに見まわしている。
ヤマトはドアを閉め、微笑した。
「けっこうせまいなあ」
太一はタバコの匂いがわずかにこもる部屋に置かれた木箱の上に、座って、天上を見上げた。
「なにかあったのか?」
「いや、低いかと思ったんだけど、高いもんなんだな」
「ドアが低いからそう見えるんだよ」
ヤマトは太一の側に座った。
「ふうん……でもおもしろいな。ライブハウスなんて始めて来たし」
「お前意外に固いな」
ヤマトがおもしろげに言った。
「なんだよ。中2でバンドしてるやつもめずらしいと思うぜ」
「おもしろいんだよ」
ヤマトは笑って、太一の側にもっと近寄った。
「太一……」
「え、おい――」
いきなりヤマトの顔が近づいてきたので、太一は後ずさろうとしたが、木箱からずり落ちかけただけだった。
ヤマトは軽く唇を触れ合わせただけで、太一を見つめた。
「なんだよ、こんなとこで」
「いや、別に……」
「お前さあ……このために俺を控え室に連れてきたわけ?」
太一はちょっとむっとしたのか表情を険しくした。
「……そういうわけじゃない」
「じゃ、なんでキスなんかするんだよ? 今のムードもへったくれもなかったぜ?」
「だって最近、会ってなかったし」
「しょうがないだろ。お互い色々忙しいし……」
ヤマトと二人きりで話す時間がなかったのは確かなので、太一の声は小さくなった。
「だったら、いいだろ?」
ヤマトは太一の腰を引き寄せた。
「いや、よくないって……」
太一はヤマトの胸を押し、体を離そうとした。
「誰か来たらどうするんだよ」
「ここ俺だけの控え室にしてもらってる」
太一は言葉に詰まった。
「会って話はできても、こんなことできなかっただろ」
太一を抱きしめて、ヤマトはため息をついた。
「俺たち、恋人同士のはずだろ?」
「それはまあ、一応な」
太一はどこか気のない返事を返した。その声の響きに気を取られ、太一の顔が少し赤くなっていたことにヤマトは気づかなかった。
「――エッチだってしただろ」
「お、おい……」
ヤマトの手がシャツの隙間から忍び込んでくる。
「まずいって……キスならともかく、それ以上は……ヤマト!」
「無理だ。我慢できない」
「我慢しろよ!」
太一は怒鳴ったが、ヤマトはじっと切なげに太一を見つめ返した。
「俺のこときらいになった?」
太一は困ったようにつぶやいた。
「……ちがうって。場所的にまずいだろ……」
「誰も来ないって言った」
そう言いながらもヤマトの手は太一の肌を探っていく。
「だけど……ヤマト……あっ」
ヤマトの指先が太一の胸の方にたどりついた。
「だめだってば……あれ、ないだろ……」
耳たぶが赤くなりはじめたのを見て、ヤマトは手の動きを大胆にした。
「……ゴム?」
「うん……」
太一の声が小さくなった。ヤマトの手の動きに敏感に反応している。
「汚れるからやだ……」
「ここの部屋、シャワーついてる。終わった後、洗ってやるから」
「やだって――ヤマト!」
太一はヤマトから離れて、ドアの方に走ろうとしたが、途中で捕まえられてしまった。
「太一、頼むよ……全然会ってないし、キスもしてない」
「でも……」
かたくなに拒み続ける太一にヤマトは苛立ち始めた。さきほどならまだ我慢できたかも知れないが、太一の肌に触れ反応を返してくれたのを目にし、欲望が膨れてくる。
「だけど時間ないだろ……」
「まだ一時間もある」
それが太一の最後の抵抗だった。
木箱でなく、今度は部屋に置かれてあるテーブルに太一を押しつけ、シャツのボタンをはずしていく。
指先で胸をいじくり、軽く囓るようにすると、太一が低く息を吐いた。目元が潤みかけている。
「太一、声聞かせて」
初めて体を重ねたときからに比べると、太一はずっと反応を見せてくれるようになった。 くすぐったがるだけでなく、快感も感じるようになったらしく、たまにあえぎを漏らすときもある。
「やだ……外に聞こえるだろ」
「大丈夫、今は他のバンドの演奏中だから」
「お前……ずるいよ……」
太一は悲鳴のような声とともにヤマトの頭に腕をまわした。
「あっ……」
ヤマトの愛撫が激しくなると、太一はたまりかねたように声を漏らし始めた。
「んっ……ヤマト」
「わかってる」
太一のズボンのチャックを下げ、下着の中に手を差し込む。まだぎこちない動きのヤマトの手だったが、太一は激しく息を漏らす。
普段はそんな弱々しい悲鳴や表情を見せないだけに、そのギャップがヤマトをせき立てる。
太一の体をテーブルに向き合わせ、自分に背を向けるようにすると、背中をなぞるようにして唇を這わせた。
太一はすでに愛撫を加えられ、ヤマトの手のなかで充分な反応を見せている。
「ヤマト……」
うめくような太一の声に、ヤマトは我慢できなかった。
「太一」
同じようにささやき返し、自分のズボンのチャックを下ろす。 若く荒々しい息をもらして、太一の腰に手をまわす。
「待っ……」
太一にかまわず、ヤマトはまだ慣れていないそこに押し入った。
きつさもヤマトを押し出そうとする動きも、思いきり腰を進めることで、無視しようとしたが、十分に準備のできてない太一の方は、激しい苦痛のうめきを漏らした。
「ヤ、ヤマト……」
テーブルにすがって、太一はあえいだ。
「や……もっと、ゆっくり……」
「――太一、ごめん」
ヤマトは久しぶりと言ってもよい、この時間にすっかり心を奪われ、太一を気遣う余裕もなく、激しく腰を動かした。
「痛っ……ヤマトっ、もっと優しく……」
太一の声すら、耳に入らず、ヤマトは欲望を満たそうと動き続ける。そこにいつもの余裕も優しさも見られなかった。
「――ああっ!!」
太一がまったく慣れきらない痛みに、正真正銘の悲鳴を上げる。無意識に痛みから逃れようと、体を動かそうとする。
ヤマトがその動きによる刺激で、低く呻いた。
「うっ……」
瞬間、目の前に火花が散るような感覚がヤマトを襲う。
軽い脱力感と、深い満足……そこで初めて、ヤマトは太一の様子に気づいたのだった。
「太一?」
「――ん……」
テーブルにすがったまま、太一はかすれた声を上げた。
「俺、いま……」
「――いいから、早くどけよ」
慌ててヤマトが太一から離れると、太一は床に崩れ落ちた。
「太一!」
「平気、お前、乱暴なんだもん……血、出ちゃったよ」
太一は力なく笑い、ヤマトの不安げな顔に手をあてた。
「なに変な顔してるんだよ」
「ごめん、俺、いま全然太一のこと無視してた」
「しょうがないって――シャワーどっち?」
「そこのドア……連れて行くよ」
「いい」
ヤマトの手を断って、太一は立ち上がった。ふらつく足の腿に、白い筋と赤い筋が垂れ落ちてきた。
ズボンと下着は脱いだまま、太一はシャワーを浴びにヤマトの前から姿を消した。
ドアが閉まる音がやけに大きく響き、ヤマトはしばらく呆然といまの自分の行為を思い返していた。
(いま……完璧に太一のこと無視してた。自分だけ気持ち良くなってた)
恋人のことなどまったく考えていない、自分の快楽だけを満たした交わりだった。
(俺、最低だ……)
太一は確かに嫌がり、苦痛を訴えていた。それを無視して、自分の快感だけを満足させることを優先した自分にヤマトは激しい嫌悪感を覚えた。
なかば強引にこの部屋に連れ込み、太一をいたわることなく抱いて傷つけた。
(バカだ……)
「ヤマト、いま何時?」
「八時半だけど」
「お前、出番もうすぐだろ? 行っていいぜ」
シャワーを浴び、体を洗った太一は顔を出し、ヤマトに言った。
「そうだけど、でも……」
ヤマトの声を響きを聞いて、太一は困ったような笑みをもらした。
「だから気にするなって。ほら、俺まだ慣れてないし、お前もだろ? 若いし、我慢できないせいもあるんだから」
「だけど!」
「ヤマト、早く来いよ。間に合わなねえぜ」
部屋の扉がノックされ、バンド仲間の声が届く。太一は行けよと手を振って、またシャワールームの方に姿を消した。
ヤマトはそれでもまだ、その場に立っていたが、やがて重い足取りで部屋を出ていった。
「光子郎!」
出番が終わって、すぐにステージから降りてきたヤマトに光子郎は驚いた。周りの客やステージの上のバンド仲間も普段はクールに振る舞うヤマトの思いがけない行動に目を丸くしている。
「太一は?」
一緒にいるはずの太一の姿が見あたらない。ヤマトは焦ったように光子郎に聞いた。
「あ、それが……」
光子郎が気まずそうに言った。
「気分が悪くなったから、先に帰るって……ヤマトさんに謝っといてって言ってました。――本当に具合悪そうで、顔が真っ青だったんです」
「……」
ヤマトの顔から血の気が引いた。
「ヤマトさん?」
「あ……ごめ、何でもない」
ヤマトは曖昧な笑みを浮かべると、光子郎に背を向けた。 仲間の心配するような言葉にも返事せず、ヤマトは唇を噛みしめるだけだった。
ライブが終わった後の打ち上げに参加もせずに、ヤマトは八神家に電話を掛けた。
「はい、八神です」
「石田ですけど、太一君帰ってますか?」
「あれ、ヤマトさん?」
「うん。ヒカリちゃん?」
「はい。お兄ちゃんですか?」
「帰ってる?」
「それが……」
ヒカリの声が沈んだ。
「お兄ちゃん、具合が悪いみたいで、帰ってすぐに寝てしまったんです」
「……そう……」
「少し、熱が出たみたいで――ヤマトさんから電話が会ったことは伝えておきますから」
「わかった、ありがとう」
電話を切り、ヤマトはうなだれた。
「太一……」
結局二日間、太一は学校も休み、また太一の具合を考え、ヤマトは電話をかけることもできなかった。
やきもきしながらの二日間が過ぎ、ようやくヤマトは学校で太一の姿を見ることができた。
「太一!」
ヤマトが廊下で太一を呼び止めると、太一は一緒に歩いていた友人に先に行くように頼み、ヤマトに手を挙げた。
「よっ。電話サンキュ」
「体、大丈夫だったか」
いまにも肩を掴んでゆさぶらんばかりのヤマトに太一はうなずいた。
「平気だって。母さんとヒカリがうるさいから、休んだだけだ」
「痛む?」
「平気って言ってるだろ。気にするのは解るけど、もう終わったことだし、忘れろよ」
「だけど……」
あっけらかんと話す太一だったがヤマトは泣き出しそうな顔になった。
「ヤマト――」
太一が困ったなあと辺りを見まわした。廊下なので通り過ぎざまに、二人を見ていく生徒も多い。ただでさえ目立つヤマトがいじめられた子供みたいな顔をしているのだから、なおさらだった。
予鈴が鳴る。
「……とりあえず放課後、また会おうぜ。いいだろ?」
「ああ」
「あんまり落ち込むなよ……」
太一はヤマトの肩を叩いて、教室へと戻っていった。
ホームルームが終わると同時に、ヤマトは太一の教室へと急いだ。クラスメイトに挨拶しながら、太一がヤマトの方へ歩いてくる。
「行こうか」
「――どこに?」
「そうだなあ……」
太一は少し考え込んだが、すぐに歩きだした。
「裏庭に行こうぜ。この時間なら誰もいないだろうし」
裏庭は昼休みや昼食時には陽の光が射し込んで、弁当を広げるのも仲間内で話したりするのにもちょうどいいが、放課後にもなると校舎の影になり、途端に薄暗くなる。
昼間は目立たないが、木の陰に小動物の墓などが作られてあり、不気味に思うのか、この時間帯になると寄りつく生徒は滅多にいない。
もっともそれはヤマトや太一のように、なにか話し合うためにこの場所を選ぶ生徒が多いことから、人目に付かない話し合いができる場所として生徒に認知されているということかもしれない。
今も太一とヤマトの脇を泣きながら女生徒が駆け抜けていき、その後から男子生徒がきまり悪げな顔をして、太一たちとすれ違っていった。
「別れ話でもしてたんだろうなあ」
太一の何気ない一言にヤマトは顔を強張らせた。 放課後の裏庭は別れ話をするには格好の場所でもある。
「――ヤマト、なんか変なこと考えただろ?」
太一がヤマトの様子に気づいて、あきれたように肩をすくめた。
「お前、先走りしすぎだよ。ここに連れてきたのはゆっくり話をするためで、お前と別れようと思って来たんじゃないんだからな」
「太一……」
ヤマトが顔を歪める。
「またそんな顔する……」
太一は、そっとヤマトの顔を両手で挟んだ。
「気にするなっていってるのに」
「だって、太一、二日も学校休んで……熱も出したってヒカリちゃん言ってたぜ。俺のせいだろ」
「……そう言われれば、そうだけどさあ」
「太一が嫌がってたの、俺が無理矢理押し切って――」
「待てよ、ヤマト。俺、嫌がってなんかなかったって」
太一はさすがに顔を赤らめて、小さい声で言った。
「そりゃ、最初は恥ずかしかったけど……」
「逃げだそうとしたし」
「だって洗ってやるなんて言うから……恥ずかしかったんだって! それに俺、始めてから『イヤ』なんて一言も言ってなかったと思うぜ。そりゃあ、お前ちょっと強引だったからもう少し、優しくして欲しいとは言ったけど、イヤだったわけじゃないんだからさあ」
ヤマトはそれでも、唇をきつく噛んで、うなだれている。
「なんでそんなに落ち込んだよ? だいたい俺が怒ったり落ち込んだりするならともかく、お前が元気ないなんてちょっと違うぜ」
「自分が許せないんだよ」
ヤマトは低くささやいた。
「太一が許してくれたって、あのとき太一のこと無視して自分だけ気持ちよくなってたってことが消えたわけじゃない」
「お前……」
太一はなんと言ったらよいか解らず、首を振った。ちっとも変わっていない。
こうやって自分の責任を深く感じて、責め続け落ち込んでしまうのところは、知り合ったばかりの頃とまったく変わっていなかった。それがいけないわけでなく、そんなところをひっくるめて太一はヤマトを好きだったから、なんとかヤマトの気持ちをほぐそうとしてみた。
「自分で言ってただろ、我慢できないって。しばらくやってなかったし、お前の気持ちもわかるから、そんな顔して、太一って言うのは止めろよ」
「……」
「だいたい被害者みたいな俺がもういいって言ってるんだから、もういいんだって」
「俺の気が済まない。だってこの先、また同じようなことがあったらどうするんだよ?」
「――同じようなことするつもりなのかよ?」
太一に切り返されて、ヤマトはうっと詰まった。
「先走らなきゃ、いい話だろ。だいたいそんなふうに悩んでるけど、結局どうしたいんだよ」
「それは……」
ヤマトは、悲しげな目で太一を見やった。
どうしようもない、胸がもやもやするような不思議な愛おしさを覚え、太一は、つと背伸びして、ヤマトの唇に自分の唇を重ねた。
呆気にとられたヤマトに言う。
「こうしようぜ。今からお前の家に行くから、もう一回エッチして、お前が乱暴にしなければそれで今回の事は帳消し。いいだろ?」
「あ……」
「イヤなのかよ?」
イヤというか、何というか――そんな都合の良い展開になるとはまったく思わなかったのでヤマトはとまどった。
「別にイヤだったら俺、帰ってもいいんだからな」
「イヤじゃない。でも……」
「でも?」
「お前の方からやろうなんて言うの初めてだから、びっくりしたんだよ」
太一は今度こそ真っ赤になった。
「そうだっけ??」
「いつもなりゆきか、俺が誘うかじゃなきゃお前やらせないし、俺の方がしつこいみたいな感じがしてたから……」
「え、そうだったけ?」
「淡泊なやつだなあって思ってたんだぜ?」
「そんなこと……」
太一は言いづらそうに、
「だって、いっつも脱がされるのは俺で、ヤマトは俺のことじろじろ見てるくせに、自分はちっとも脱がないし……お前の方があっさりしてるなあって俺は思う」
「最初に俺が脱ごうとしたら、嫌がったのはお前だろ」
シャツを脱いで上半身を露わにした瞬間、目を閉じて、顔をそむけた太一に衝撃を受けたヤマトは、それ以降、なるべく自分は脱がないようにしてきたのだが。
「あれはびっくりしたんだよ!」
「どうしろって言うんだよ? 脱げば怒るし、脱がなかったら脱がないでボタンがあたって痛いとか、服が汚れるとか言って、また嫌がるし」
ヤマトは今までの疑問を太一にぶつけてみた。
太一は今までのことを思い出したのか、恥ずかしそうにまばたきを何度か繰り返した。半分は記憶にあるのだが、もう半分は覚えていない。ヤマトのせいで、最中は熱でも出たみたいにぼうっとしていることが最近多くなった太一であった。
「とにかく、イヤがってなんかないって! びっくりしたって言ったろ」
なんだか思い出したせいか体がもやもやしてくる。太一は口早に否定した。
「本当か?」
「そんなことで嘘ついてどうするんだよ」
「じゃあ、こんどから俺が脱いでも怒らないな?」
「……優しくしてくれるんなら、なにしても怒らねえよ」
ヤマトと太一は互いの息がかかる近さで、じっとにらみ合った。
「じゃ、いいんだな」
「おうっ」
どうも甘い言葉のかわしあいとはほど遠いが、とりあえず仲直りをして、ヤマトは太一を抱きしめた。
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