そんなやきもち
2



 何気ないふうを装って、光子郎は太一の家に電話をかけた。
 相談があるのだと言うと、予想以上にあっさりと太一は光子郎と会うことを了承した。
「いいぜ、お前の家でいいの?」
「いえ、できたら――」
 ヤマトの家近くの公園を指定する。
 別に怪しむ気配もなく、電話を切った太一に、光子郎はため息を付いた。
 ヤマトはすでに太一が来るはずであろう公園に向かっている。
 これでいいのだが、なんだか歯がゆい気分になる。
(僕はお人好しなんじゃないんだろうか?)
 ふとした疑問が浮かび、光子郎は再度ため息をつくのだった。

(相談ってなんだろ)
 だいぶ日も暮れてきた街を歩きながら、太一は考えていたが、周りの景色が妙に見慣れているので、不思議に思った。
(あれ?)
 はっと気づく。
(ここってヤマトの家の近く!)
 まさかと思い、もうすぐそこに見える公園を見ると、果たしてヤマトは入り口に立っている。咄嗟に逃げようとしたが、ヤマトが太一を見つける方が早かった。
「太一!」
 叫んで、ヤマトは走る。一瞬の差で、太一の腕をしっかり掴むと、太一はその手を振り払おうとした。
「離せよ!」
「太一、話を聞けって!」
 太一は首を振った。
「いいって、もういいって!」
「よくない!」
 怒鳴ったヤマトの迫力に押され、太一は口を閉じた。
 帰宅途中の学生や会社員がじろじろと、二人を眺めて通り過ぎていく。
 太一がおとなしくなったうちに、ヤマトは太一を引っ張るようにして、自分の家まで連れていった。太一は黙ってついてくる。
 エレベーターに乗ったとき、さりげなく太一の顔に目をやって、ヤマトはぎょっとした。
 ヤマトが初めて見る、沈んだ悲しげな顔だった。唇が震えているのは気のせいではない。
 エレベータから出て、家の鍵を開け、中に入るとヤマトは困ったように口を開いた。
「あの、太一?」
「なんだよ」
 無愛想な声が返ってきた。
「話、聞いてくれるか?」
 太一はしばらくうつむいていたが、やがて小さく頷いた。
「だから、デートっていうのは――」
 大輔たちの帰りが遅くなる理由をこしらえて家族に伝えにいったとき、大輔の姉に嘘を見破られたことから、そんなことになったのだと、ヤマトは説明した。
「すぐにドアを閉められたから、それで……」
 太一はふいと横を向いた。
「くだらない言い訳するなよ」
 その素っ気ない言い方にさすがにヤマトもむかっとくる。
「言い訳じゃない、本当のことなんだって」
「嘘臭い」
「――お前」
 ヤマトの声が低くなる。
 朝から話も聞いてもらえず、冷たい態度をとられた挙げ句、今の言葉だ。
「俺のこと信用してないのか」
「他の子とデートの約束するような相手を信用しろって?」
 ヤマトの声の調子に太一の声も険しくなる。
「それが、誤解だって言ってるだろう。第一、俺が言ったんじゃなくて向こうが言ってきたことなんだからな」
「やっぱり言われたんじゃないか!」
 太一はヤマトをにらんだ。
「俺に黙って行くつもりだったんだろ!」
「どうしてそういう風に考えるんだよ。行くなんて一言も行ってないだろ」
「そりゃあ俺に言える訳がないだろ。だって……」
「なんだよ?」
「――浮気は黙ってするもんだからな」
「!」
 ヤマトの頬がさっと紅潮した。
「俺が浮気するって言うのか?」
「ああ! もう何人かとしてるんじゃないのか?」
「お前!」
 ヤマトの目に激しい怒りが燃え上がった。
「いいかげんにしろ!」
 太一はびくっとしたが、唇を噛んで横を向いただけだった。
 ヤマトは静かに何か考え込んでいたが、やがて太一に手を伸ばす。
「わっ!」
 太一の体が不意に押されて、床に転がる
 床で思いきり頭を打つ。痛さに顔をしかめていると、ヤマトが上からのしかかってきた。
 息がかかる至近距離に顔を近づけられ、太一の声が震えた。
「なんだよ……」
「別に」
 ヤマトは素っ気なく言うと、太一の服の裾をまくり上げた。
「なにしてるんだよ!」
 触れてきた手が、胸を探り始めるのに太一はもがいた。
「いいだろ」
 言うあいだにも手は着ていたシャツをたくし上げて、肌を露わにする。
「止めろよ、ヤマト!」
 ヤマトは太一をにらみつけた。
「太一が俺の話を聞かないんだったら俺も太一の言うことなんか聞かない」
 太一はヤマトの体から逃れようとしたが、ヤマトはいつもとはまったく違う乱暴な力で太一を組み敷き、肌に触れてくる。
 抵抗する太一に、ヤマトは肌に思いきり噛みつくことで、太一に苦痛の声を上げさせた。血がゆっくり滲みだす。
 ヤマトの指先がズボンの中に入ってきたとき、太一はついに涙をこぼしてしまった。
「止めろよ、ヤマト……」
 ヤマトは手を止めない。
「止めろってば……」
 太一は弱々しく言って、堪えきれないようにまた幾つか涙をこぼした。
「ヤマト、怖い……」
 ――ヤマトは、黙って太一から離れた。
 太一が体を起こして、目元を拭おうとするとそれより先に、ヤマトの手が伸びてきた。
 血をぬぐい、傷口に簡単な手当を施すあいだ、ヤマトは一言も口を聞かなかった。
「ヤマト」
 太一が呼んだ。無視して立ち上がる。だいぶ暗くなってきた外を見つめ、カーテンを閉めた。外からの明かりで、明るかった部屋が薄暗くなる。
 まだ乱れた服装のまま、太一は床に座り込んでいる。
「ヤマト……」
 振り向かない。ひっくとしゃっくりのような音が響いた。
「ヤマト」
 太一が泣いている。それ以上無視することはヤマトには無理だった。太一の側に跪いて、ぽろぽろと涙がこぼれていく頬に手をあてる。
「ヤマト……ごめん」
 嗚咽の合間に太一がつぶやいた。
「悪かったよ」
 太一を抱き寄せて、ヤマトもささやいた。
「ごめん、ヤマト、ごめん」
 太一がヤマトにしがみついて、肩を震わせた。
「もういい……俺が悪かったんだから」
 どうしようもなく太一が愛おしくなって、ヤマトはふっとため息をつく。
 太一は目をこすって、顔を上げた。
 こすれて赤くなった目元にヤマトは軽くキスをして、太一をじっと見つめた。
「もう怒ってないか?」
 太一は言い淀んだが、これ以上意地を張っても仕方ないと思ったらしい。
「怒ってたわけじゃねえよ」
「怒ってたじゃないか」
 太一は顔を真っ赤にして、小さい声で続けた。
「――や、やきもち焼いてたんだよ。悪いか」
「……俺に?」
「決まってるだろ!」
「へえ……」
 ヤマトはゆるんでくる口元を必死でこらえた。そうか、そうだったのか。
 ずいぶんと激しいやきもちだったが、それも自分への想いゆえと思っても間違いはないだろう。
「……俺、もう帰る」
 太一は恥ずかしくなったのか、ヤマトから離れて立ち上がろうとした。
「待てよ」
 ヤマトは太一を引き留めて、その肩に手を置いた。
「ヤマト……?」
「帰すわけないだろ」
「わっ、ちょっと――」
 唇が重なる。触れてきた手が微妙な場所を探り出す。
 乱れ始める呼吸の合間に太一が言った。
「明日、学校だろ」
「一回だけなら大丈夫」
「一回で終わるか!」
 ヤマトはじっと太一を見つめる。こうやって見つめると、大抵太一は、折れる。とくに今日のようなケンカの後の仲直りでは、百パーセント、落ちる。
「――終わったら、家まで送ってけよ」
「もちろん」
 すでに服は半分以上脱がされている。
 ヤマトの背に手をまわして、太一はその額に口づけた。
「じゃ、部屋まで連れてけ」
「はいはい」
 話が決まった途端に偉そうな態度になった太一にヤマトはおとなしく従った。この態度が照れ隠しというのは、もうすっかり承知している。
 ちなみにこうやって偉そうな態度を取られれば取られるほど、それを突き崩すのも楽しみというものだ。
 触れ合う素肌の感触にほほえみながら、ベッドに横たわらせて、太一の上に重なる。
(大輔、ありがとうな)
 始まりはどうあれ、こんなきっかけを作った大輔に、心で礼を言って、現金なヤマトは今夜ベッドの上で何十回となくするであろうキスを、すねたような唇に落とし、太一をしっかり抱きしめた。

「よっ!」
 肩を叩かれて大輔は振り向いた。
「先輩……」
大輔がどきりとするほどの、満開の笑顔の太一だった。
「なに?」
 誰が見ても、機嫌がいいことがまるわかりの太一は首をかしげた。
「何でもないです……」
 何があったのだろう――大輔は昨日の朝の太一の迫力を思い出し、今の太一の心の底からの笑顔と比べてみた。
(わかんねえなあ……)
 一緒に歩いているうちに太一からは鼻歌まで出てきた。
「いい天気だな」
「そ、そうですね」
 薄曇りである。
 太一はにこにこと大輔に笑いかけ、いつもの分かれ道まで来ると、太一は今まで以上に顔を輝かせた。
「ヤマト!」
「はよ、太一」
 大輔は太一とは正反対な剣呑な目つきをして、ヤマトをにらんだ。
 話さなくても分かる。この少年――ヤマトとは気が合わない。
 警戒する大輔の側に近づいて、ヤマトはにやっと笑い、耳元にささやきかけた。
「これで貸し借りはとりあえずなしにしてやる」
「え?」
「行くぞ、太一」
「じゃあな、大輔」
 手を振る太一に、大輔も手を振り返しながら、大輔は今の言葉の意味を考える。
 太一の上機嫌、日頃はつんけんしたヤマトのだいぶ穏やかな態度――。
「あいつ、太一先輩と何かあったのか?」
 大輔は首を捻りながら、学校へ向かって歩き出す。
 光子郎やタケルなら、太一とヤマトの上機嫌の意味に何か感づいたのかも知れない。
 太一の首筋に二つ貼ってある絆創膏の意味に、残念ながら大輔は何も思わなかった。
「わかんねえな……。やっぱり中学生って大人なのかなあ」
 呑気なことを考えながら歩く大輔の頭上では、ようやく太陽が雲から姿を見せ始めている。
 もうしばらくすれば、太一が言うようないい天気になるだろう。

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