「へえ」
そんな話を聞かされても、太一はそう頷いただけだった。
あれと、不思議に思った大輔だが、同時に内心笑みを漏らす。
(ひょっとしたら太一先輩、あいつのことそんなに好きじゃないのかもな)
自分に引き合わせて考えたなら、とてもじゃないが、好きな相手が他の相手とデートするなんて聞いたのなら平静でなんていられないだろう。
「もう困るんですよね。姉ちゃんときたら、ヤマト君と連絡取ってこいとか言って……」
「そっか……」
太一の声には何の変化もない。大輔は思わずちらりと太一の方を見上げた。
「!」
太一は無表情だった。だからこそ怖い。気のせいかも知れないが……いや、気のせいではない。目がまったく笑っていない。
「た、太一先輩?」
「なんだ」
大輔を見た太一はにっこりとほほえんだ。その笑顔もいつもとはまったく違う。すさまじいくらいの気迫がある。
何か自分はとんでもないことをしでかしたのかもしれない――大輔は青ざめた。
「じゃ、俺、こっちだから」
小学校と中学校の分かれ道で太一は言った。
「大輔、いいこと教えてくれてありがとうな」
太一は軽く手を挙げて、すたすたと歩いていく。
ライバルであるはずのヤマトのことを思い浮かべて、大輔は心の中で合掌した。
「太一、取れたぜ!」
昇降口で靴を履き替えていると、ヤマトが声をかけてきた。
「この間言ってた例の映画の券、二枚。今度の土曜日のぶんだ」
ヤマトはうきうきとチケットを太一に見せようと差し出した。
太一が以前、この映画の公開前に、絶対見に行くんだ、と話していたことを聞き逃さなかったヤマトはチケット前売り開始と同時に手に入れたのだ。久しぶりのデートになるかもしれない。
「へえ」
太一はチケットを取り上げ、にっこり笑った。うきうきしていたヤマトは太一のいつもと違う笑顔に気づかなかった。
「二時半からだから、昼飯喰って、それからだな」
太一はチケットをヤマトに返した。
「良かったな。あとは晴れると最高だよな」
ヤマトはふと太一の声が乾いた感情のないものだということに気づき、眉をひそめた。
「太一?」
「気をつけてな」
「へっ?」
そこでヤマトは太一の目が、まったく笑っていない、冷たいものを浮かべていることに遅まきながら気がついた。
「デートするんだろ? 大輔の姉さんと」
「なっ!!」
ヤマトが顔を引きつらせた。
「楽しんで来いよ、デート」
優しすぎるほどの声で太一はそういうと、固まってしまったヤマトを押しのけて、教室へと行ってしまった。
「な、なんで、知ってるんだよ、あいつ……」
残されたヤマトの手から、はらりとチケットが二枚落ちた。
とにかく太一の妙な誤解を解こうと、ヤマトは頑張った。
授業が終わるたびに太一に会いに行き、話しかけるのだが、ことごとく冷たい視線と、素っ気ない言葉の前にヤマトも為すすべがない。
正直言って、ここまで怒っている太一を見るのも初めてである。
(どうすればいいんだよ!)
とにかく、今度大輔にあったら、問答無用で一発蹴りか拳を決めることにして、昼休みにもう一度太一のもとへ向かう。
「太一!」
「あっ、光子郎!」
太一はヤマトをあっさりかわして、ちょうど通りかかった光子郎に手を振った。
「ちょうど良かった。実はさあ……」
太一はヤマトに向けるあの仮面のような笑顔ではなく、いつもの笑顔で光子郎に話しかけていく。
「パソコン部の教室の出入りのことなんだけど……」
光子郎はヤマトと太一を当惑したように交互に見やったが、太一は強引に光子郎の肩に手をまわして、ヤマトの前を通り過ぎていってしまった。
「いいんですか、太一さん。ヤマトさんが何か言ってましたけど……」
「いいの!」
太一は強く否定し、光子郎は不思議そうな顔をした。
「ケンカでもしてるんですか?」
「してない」
「でも、何かあったのでしょう?」
「……別に」
太一はとぼけようとしたが、このくらいで光子郎が引き下がるわけもない。
結局、太一は今朝大輔に聞いた話をそのまま、光子郎に話すことになった。
「――そうだったんですか」
太一のふくれっ面を、可愛いなあと思いつつ、光子郎は頷いた。
「もうアイツの顔、見たくない」
太一はぷいっと横を向いた。子供みたいな仕草に光子郎はちょっとどきりとしたが、やはりあくまでも勝負はフェアにいきたいものだ。ここは敵に塩を送ることになるが、太一の誤解を解かなくてはならない。
「少し、落ち着いてヤマトさんの話を聞いてみたらどうでしょう?」
「やだ」
「大輔君の話だけでは、分からないこともあるかもしれませんし」
「大輔の姉さんとデートの約束した、これで十分だろ」
「いえ、そこにいたるまで、何かあったはずかと思うのですが……」
「何かって?」
「それは……」
すぐには思いつかなくて、光子郎は首をかしげた。
太一はまだふくれっ面のまま、言った。
「デートの約束する前に何かあるって言ったら、あれしかないだろ」
「あれ?」
「告白だろ」
「――ヤマトさんが好きなのは太一さんでしょう? それなのにどうして告白なんてするんですか」
太一は顔を赤くしてちょっとうろたえたが、すぐに返事した。
「だから、ヤマトじゃなくて、大輔の姉さんが告白したってことだよ」
「ああ」
光子郎は納得しかけたが、太一の表情を見て、あわてて否定した。
「そんなことありませんよ」
「どうしてそんなこと言えるんだよ」
そういわれると返しようがない。光子郎が言葉に詰まるのを見て太一は、ふくれっ面からしゅんとした悲しげな顔になった。
「なんだよ、ヤマトのやつ……俺とだってなかなかデートできないっていうのにさ」
完璧に太一はむくれてしまった。
「もう知るかよ。ヤマトなんてさ……」
「――と、言うわけです」
放課後さっさと帰ってしまった太一ではなく、光子郎を引き留めて、ヤマトは事情を簡単に説明した。
対して光子郎の方は、太一の思いこんでいる誤解をヤマトに伝えたのだ。
光子郎の口から太一の誤解の深さを知って、ヤマトは体中の力が抜けていくような気がした。
「あ、あいつ、そんな風に思ってたのか……」
「大輔君の話だけ聞くと、そう思わざるを得ませんよ」
大輔は姉ちゃんがヤマトとデートの約束をしてた――そう太一に言ったのだ。
自分の帰りが遅い理由をヤマトが姉に伝えたことから始まったという辺りは、すっかり忘れているらしい。
「拳、二発だ……」
思わず、そう決意してしまうヤマトだったが、今は太一の機嫌をなだめる方が先だ。
「どうするんですか、ヤマトさん」
「どうするって……会って話すよ。とにかく誤解を解かなきゃ、どうしようもない」
「――ヤマトさんが会いに行って、太一さん、素直に会ってくれるでしょうか」
ヤマトは頭を抱えた。
「絶対会ってくれない……俺には分かる」
あの太一の目つきだけは勘弁して欲しい。心の底から怒っていることが分かる目を見るたびにヤマトは、大げさに言えば生きた心地もしないのだ。
「ああ、もうっ。どうすればいいんだよっ!」
光子郎はくすりと笑い、こう言った。
「お手伝いしましょうか」
「?」
「僕が呼び出しをするなら太一さんも応じると思います」
「いいのか?」
複雑な気分でヤマトは聞いた。
「お前だって――」
言いかけたヤマトを遮って、光子郎はにっこり笑った。
「かまいません。――ヤマトさん、一つ貸しですからね」
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