「なんでだよ?」
ドアを開けるなり、ヤマトはそう言った。
目には期待はずれな色が浮かび、口元は笑おうと努力はしているが、ひきつるだけで、その心を示している。
「ご、ごめん……」
太一も心底すまなそうに謝ったが、太一のどこか沈んだ顔とは対照的に、タケル、大輔、光子郎の三人の顔は嬉しそうな笑顔を浮かべている。
弟と太一の手前、光子郎と大輔に怒鳴るわけにもいかず、ヤマトは玄関を開けたまま、ひきつった笑みを浮かべた。
(せっかくの二人きりの夜が……)
絶望感が襲ってくる。一体、自分が何をしたというのだろうか。
答えは分かっていたが、ヤマトは聞かずにはいられなかった。
「……帰れって言っても聞かないんだろうな」
「うん」
「当たり前だ!」
「もう家には言ってありますから」
がっくりとうなだれたヤマトの肩に太一がそっと手を置いた。
「ごめん、ヤマト」
「……ごめんですむかよ……」
ヤマトの横をタケル、大輔、光子郎が挨拶をしながら入っていく。
太一はヤマトの問いかけるような視線に情けなさそうに話し出した。
「来る途中にタケルにあって、どこ行くのかって聞かれたからヤマトの家って言ったら、僕も行くって言いだしてさあ。断ろうとしてたら、今度は大輔が通りがかって、俺も行くって……」
ヤマトは部屋の奥へと目をやった。楽しそうな声が聞こえてくる。
「ダメだって、言いながら歩いているところに光子郎が来て……」
「ついてきたんだな」
「そう……」
太一とヤマトはじっと見つめあった。
「今日は何の日だっけ」
「ヤマトの父さんが出張だから、ヤマトの家に泊まりに来る日」
「……太一だけのはずだったのにな」
「うん……」
すねるヒカリをなんとかなだめて、やっとヤマトの家に泊まりに来られたのである。
別にヤマトの家に泊まるのは初めてというわけではないが、こうやって計画を立てて最初からまるまる二日一緒にいられるということは、二人にとって一月も前からの楽しみだったのだ。
「あいつら、絶対に帰らないな」
「え? 夕方には帰るだろ」
楽観的に太一は言った。鈍いとも言うかもしれない。
ヤマトは遠い目で断言した。
「いや、それは絶対にない」
あの三人が自分と太一を二人きりにしてくれるはずがない。これだけは言い切れる自信があった。
「でも、タケルはともかく、大輔は……」
「残る」
「光子郎は……」
「残る」
ヤマトはきっぱり言って、どうしようもないというようにため息をついた。
二人だけで過ごす日というヤマトの期待は、朝から破られたのであった。
「――昼飯はどうする」
結局、部屋に上がり込んで、楽しそうにゲームをするタケルと大輔である。
なんだかんだ言って、太一も光子郎のパソコンの画面をのぞき込んで笑っていた。
ヤマトは憮然と太一とともにパソコンを眺めていたのだが、時計の針が正午をまわったのに気づいて聞いた。
「言っておくけど材料は二人分しか用意してないぞ」
「しょうがねえなあ」
大輔は押し掛けたことも忘れてつぶやいたが、ヤマトにものすごい目つきでにらまれたので、あわてて首を縮めた。
「どうします、太一さん?」
「外に食べに行きますか?」
光子郎とタケルに聞かれて、太一はヤマトを見つめた。
「二人分って何を作ろうと思ってたんだ?」
「お好み焼き」
「そっか……」
「ピザでもとりましょうか」
光子郎が提案する。賛成と大輔とタケルが手を挙げた。
「ああ。……それとお好み焼きも」
太一は嬉しそうにヤマトに笑いかける。
「ヤマトのお好み焼き、うまいんだよな――いい?」
前に食べたとき、自分がまた食べたいと洩らしていたのをヤマトは覚えていてくれたのだ。
それがとても嬉しい太一だった。
ヤマトも太一にそう言われては、断れない。
太一の嬉しそうな様子に内心得意になりつつ、エプロンを取り上げた。
他の四人は早速、ピザ屋の広告を広げてどれにするか選び出す。
育ち盛りの少年が五人だから、大きさはもちろん、財布の中身とも相談しなくてはならない。味は二の次なのかもしれなかった。
「辛いやつがいい。このホットチリっていうの」
「こっちのキャンペーン中のピザの方がジュースがついてくるよ」
大輔とタケルが言い合う横で、光子郎は考えていたが、さっとパソコンに何か打ち込むと、
「十番と十五番のピザ、それにこのキャンペーン中のピザにしましょう。ジュースが三本ついてきますし、値段もこの組み合わせが一番安くつきます」
太一は感心したような呆れたような顔で、光子郎を見つめた。
「お前、すごいなあ……」
「簡単な計算ですよ」
光子郎は恥ずかしそうにほほえむと、パソコンの電源を切った。
「……くそっ、パソコンがあるんじゃ、あっちの勝ちだろ」
「それ以前かもしれないよ、大輔君」
いいところをとられてなんだかくやしい大輔であった。
タケルは何を考えているのか解らない謎めいた表情で、太一の横顔を見つめる。
「やっぱり、年の功か」
ふとつぶやき、タケルは肩をすくめた。
――まだ、一日は長い。チャンスはいくらでもあるだろう。
太一をのぞいて、そこはかとこない緊張感が四人には漂っていた。
「できたぞ」
ヤマトは皿を並べ始める。お好み焼きのソースが焦げるにおいがキッチンに漂っていた。
「ピザは?」
ヤマトは箸を人数分数えている。
「まだ――あっ」
タイミング良くチャイムが鳴る。
「俺、行ってきます!」
「大輔君、お財布!」
ばたばたと走り出す大輔の後を光子郎が追いかける。
タケルはヤマトがキッチンの方で、もうひとつ何か作り出したのを見て、箸を並べている太一にそっと近づいた。
「太一さん」
「ん?」
「今日はごめんなさい」
太一の目がとまどったようにまばたきした。
「え、何が?」
「お兄ちゃんと二人きりになる時間を邪魔しちゃって」
「ああ……」
本当のことだが、そう言われると恥ずかしくなる。太一は頬が熱くなるのを感じた。
「でも、僕は嬉しいです」
タケルはじっと太一を見つめる。
太一はヤマトによく似た目が自分を見つめてくるので落ち着かない気分で、手の中の箸を意味もなく握り変えた。
「嬉しいって、ヤマトと一緒にいられるからだよな?」
「違います。それも嬉しいですけど、太一さんといられるからです」
太一の目が丸くなる。チャンス到来とばかりにタケルは太一に顔を近づけようとした。
「ピザ、お待ちー!」
「大輔君、危ないですって!」
行ったときと同じようにばたばたと大輔が駆けてきた。
大輔と光子郎の声を聞いて、太一ははっとタケルから体を離す。
何ごともなかったように箸を並べ出す太一を見つめて、タケルはそっとため息をついた。
「どうしたんだよ、タケル」
「君のせいだよ」
大輔に肩をすくめて見せて、タケルはピザの箱を受け取った。
(あと、三センチくらいだったのになあ)
「何がだよ」
大輔は首を捻ったが、太一から呼ばれたのであっさりとタケルへの疑問を忘れてしまった。
――その点では太一に似ているかも知れない大輔だった。
「ヤマト、チャーハンも作ったのか?」
太一がヤマトの持っている大皿の中身を見て、言った。
「冷蔵庫の残り物でな」
「うまそー!」
「旨いんだ」
大輔に言い返して、ピザの広げられたテーブルに皿を置く。
「みそ汁あっためようかな……」
「い、いいよ」
太一はヤマトの背を押して、座らせる。
「早く食べようぜ」
太一は当たり前のようにヤマトの横に座った。複雑な顔の三人である。
太一はピザではなく、まず始めにヤマトのお好み焼きに手を伸ばす。
「旨いか?」
「おいしい!」
太一は笑って、ヤマトにうなずく。
「これ食べたかったんだ」
「そうか、良かったな」
「またつくってくれよ」
「ああ」
「……先輩、こっちの旨いですよ!」
「太一さん、ジュース飲みますか」
「タバスコ、かけます?」
太一とヤマトからはじき出された気がして、大輔、光子郎、タケルの三人は、太一をヤマトとお好み焼きから別のものに注目させようと口々に太一を呼ぶ。
「いや、一人でするからいいよ」
世話をやこうとする三人に太一は苦笑した。
「子供じゃないんだからな。お前たちも食べろよ」
「――太一」
ヤマトが太一を突っついた。何だと振り向いた太一だったが、口元をヤマトの手で拭われて固まった。
「ヤマト……」
「鰹節がついてたんだよ」
あっさり言って、ヤマトはピザを一切れ、手に取った。
「食おうぜ」
――しばらくは動けないヤマト以外の四人であった。
「おい、ヤマト!」
後片づけのさいに、ちょうどよくヤマトと二人きりになれた太一はヤマトに詰め寄った。
「あれはやめろよ」
「あれ?」
皿を洗っていたヤマトは不思議そうな顔をした。
「そう! ……あいつらの前であんまりああいうことするなって言ってるんだ」
「いつもしてるだろ」
太一が口の周りにケチャップやソースをつけるのはめずらしいことではないし、それをヤマトが拭うのもめずらしいことではなかった。もちろん、二人きりのときに限られるが。
「それはそうだけど、今日はダメだって……」
語尾を小さくしてうつむき、皿を拭き続ける太一にヤマトは目を細めた。
「分かった」
ヤマトは太一がガラスの皿を流しの上に置いたのを見計らって、太一の耳を軽く噛んだ。
「わっ!」
耳元を押さえてヤマトに向き直った太一の顔は真っ赤だった。
「何するんだよ」
「キス」
ヤマトは手の泡を流して、太一を壁際に追い詰めた。
「いや、でも……」
「軽いやつだから」
「う……」
今にも誰かキッチンを覗くのではないかと、太一は気が気ではなかったが、ヤマトは気にする様子も見せず太一に顔を近づけた。
「ほら、顔上げろって」
「でもさ……」
まだ文句を言いたそうな太一だったが、ヤマトの唇が近づいてきたのでしょうがなく目を閉じる。
本当に軽い、触れるか触れないかのキスだったが、太一は今までしてきたキスで一番、胸がときめいたキスのような気がした。
ヤマトが微笑したので、太一も笑う。
「なんか初めてのときみたいだな」
「ああ」
二人で交わした初めてのキスを思い出して、ヤマトはくすっぐたそうな顔をした。
「あのときは太一、しばらく顔を上げてくれなかったよな」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
くすくすと笑い声が洩れる。
「タケル君、意外に冷静ですね」
「それは、一応免疫がついてますから」
皿を仕舞おうとやってきた光子郎とタケルは小声でささやき合った。
「やっぱり恋人同士というところではヤマトさんにはかないませんね」
「そこを逆手に取ればいいんじゃないでしょうか?」
とりあえず、ヤマトと太一をこれ以上二人きりにさせないようにすることにはお互いに異論はなかった。
大輔は呑気に雑誌などをめくっている。
「だったら……」
「ここでこうして……」
ひそひそ話し合い出す二人にはまったく気がつかず、ヤマトと太一はしばし二人だけの時間を楽しんだのだった。
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