ヤマトの予想通り、夕方を過ぎても誰も帰らなかった。
もうとっくに諦めていたのと、後片づけの時の太一とのキスで幾分、気持ちを和らげていたヤマトは、さっさと夕食の準備にとりかかる。
夕飯は安いながらも量だけはたっぷりある肉と野菜で焼き肉だ。
「おい、誰か風呂洗ってこいよ」
タマネギを切りながら、近くのレンタルショップで借りてきたビデオに夢中の四人に声をかける。
太一が立ち上がりかけたのを光子郎が止める。
「僕がやりますから」
「いいよ、ビデオ代おごってくれたの光子郎だろ。これぐらいするよ」
「ですが」
「いいって」
太一は光子郎の頭を軽くこづいて、風呂場へ行ってしまった。
残されたタケルたちの耳に、包丁がまな板にあたるリズミカルな音だけが大きく響く。
太一がいなくなった途端、話題のコメディー映画もつまらなくなってしまった。
「ニュース、ニュース」
大輔がビデオを止め、チャンネルを変える。
「大輔君、ニュースなんて見てるの?」
「当たり前だろ。タケルは見てないのかよ」
「どうせ、スポーツニュースだけだろ」
ヤマトがにやにや笑って、口を挟む。
「……」
図星だったらしく、言葉につまった大輔に光子郎も笑みをもらす。
「なんだよ、おもしろいんだぜ!」
「たまには他のニュースも見ろよ」
大輔はぐっと胸を張る。
「見てるよ!」
「――まさか、天気予報とか言いませんよね」
光子郎の言葉にまたも詰まる大輔であった。
笑い合う四人のもとに、風呂洗いを終えた太一が戻ってくる。
「なんだよ、どうかしたのか?」
笑っている四人を見比べて、太一が聞いた。
「ああ、こいつがさ」
言いかけたヤマトは目を丸くした。
「太一……」
ヤマトの声に振り向いた光子郎やタケル、大輔も目を大きく見開く。
「どうしたんだよ、太一!」
上半身は裸、下半身はトランクスだけという格好の太一は照れくさそうに言った。
「蛇口の切り替えが、シャワーになってるの気がつかなくてそのまま水を出したら……」
濡れた服を持ち上げる。
「びしょぬれになってさあ……」
太一は自分の荷物が置いてあるヤマトの部屋のドアを開ける。
「ヤマトも気をつけろよ」
たいして気にしていないらしくあっさり言うと、太一はさっさと着替えにドアの向こうに行ってしまった。
「び、びっくりした……」
大輔がつぶやき、光子郎はうつむき、タケルは複雑な顔をし、そして今現在の太一の恋人であるヤマトは非常に渋い顔でまた、野菜を切り始めたのだった。
「お兄ちゃん、手伝おうか」
「ああ、悪い。そっちの野菜向こうに持っていってくれ」
「うん」
ヤマトが切った野菜を運ぶタケルとすれ違いに、光子郎がキッチンに入ってくる。
「ヤマトさん、ホットプレートはどこにあるんですか?」
「ああ、太一が知ってる。――太一!」
「なに?」
太一が顔を見せた。
「プレートだしてくれ」
「どこだっけなあ……」
戸棚をあさり出す太一に光子郎が聞いた。
「太一さん、ヤマトさんの家に詳しいんですね」
「けっこう来てるからなあ」
この場合の『来てる』はきっと、自分が太一の家に遊びに行くときとはちがったニュアンスを含んでいるにちがいない。もっと色っぽい『来てる』のはずだ。
(まさか洗面所に太一さん用の歯ブラシがあるなんてことないですよね)
思わず確認をに行ってしまう光子郎である。
――歯ブラシはなかったが、ヤマトの部屋のタンスに太一用の服が何枚か用意されていることまでは光子郎も気がつかなかった。
さて、賑やかな夕食も終わり、後片づけも人数を活かして早く終わった。
今度の片づけの際はタケルが皿拭きをし、太一はテーブルの片づけをしていたのでヤマトもさすがに太一と二人きりにはなれなかった。
「風呂、沸いたぞ」
湯加減を見に行ったヤマトがさきほどのビデオの続きを見ている太一たちに声をかける。
「誰から入るんだ?」
太一は満腹になったせいで少し眠たくなったのか、小さくあくびした。
「二人ずつ入れよ」
ヤマトはさらりと言った。
「お湯の節約になるからな。二人ずつ」
「一人、余りますけど?」
光子郎はじっと皆を見まわした。さっと太一以外の四人に緊張感が走る。
「そいつが最後」
「じゃあ最初はタケルと大輔?」
太一がヤマトの視線には気づかずに聞いた。
「俺、太一先輩と入る!」
大輔が太一の腕をつかむ。
「この間の試合のことで聞きたいこともあるんです」
「そっか、じゃあ俺と大輔か?」
「ちょっと待って下さい」
何か言いかけたタケルとヤマトよりも先に光子郎が大輔の腕をつかんで、さりげなく太一から引き離した。
「せっかくですし、くじにしませんか?」
「くじ? たかが風呂に入るくらいで?」
太一は笑ったが、光子郎や他の三人は真剣な顔でうなずいた。
「賛成だ」
「俺も」
「僕も」
「え?」
太一は呆れたようにくじを作り出す四人を見たが、あまりの真剣さになんだか口を挟みづらくなってしまった。
寝るときはたぶん居間に雑魚寝になるのだから、入浴が最後の太一と二人きりになるチャンスであることは皆、承知だ。
太一がたじろぐくらいに四人は真剣に、一枚ずつ折って混ぜ合わせた紙を取っていく。
「いいですか、同じ番号の人同士が一緒にお風呂に入ります」
光子郎の説明にうなずくヤマトたち。太一も遅れて一枚、手に取った。
「では、開いて下さい」
かさかさと紙が開かれる。
「太一、何番だった?」
ヤマトがのぞきこんできたので、太一は紙を見せた。
「三番」
「え……俺、一番」
タケルが手を挙げる。
「僕も一番、お兄ちゃんと僕だ」
「俺は二番だ」
「僕もです」
大輔と光子郎が紙を上げて番号を示す。
「なんだ、俺一人で入るのか」
太一は言って、テーブルの上のペットボトルをつまらなそうに取り上げた。
「タケル、ヤマト、早く入ってこいよ」
「ああ……」
「はい」
見るからにがっかりしたヤマトの様子に太一は誰にも気づかれぬようにつぶやいた。
「バカ……こんなときに二人で風呂に入れるかよ」
太一にはヤマトとペアになれば、絶対に風呂に入るだけではすまない予感があった。
ただでさえ浴室というのは声が反響するようにできているのだから、居間で待っている三人に聞こえてしまうではないか。
(やっぱり今日は無理かなあ……)
こうなったらヒカリが怒るのは忘れて、もう一晩泊まっていこうかなと考える太一であった。
(俺だって……)
――ヤマトと一緒に入りたかった。太一はこっそりつぶやいて頬を赤くした。
「布団敷くぞ」
最後の順番の太一が風呂に入っている間に、ヤマトは客用の布団が仕舞ってある押入を開いた。
「おい、手伝え」
アイスをなめている大輔やタケルに声をかける。
枕を放り投げて、空いたスペースに適当に布団を敷いていく。
早速、枕投げを始める大輔に染みをつけるなと注意してから、ヤマトは時計を眺めた。
十時を少しまわったところである。布団さえ敷いておけば、眠たくなったやつから勝手に寝るだろう。後は太一がどこに寝るかである。
やっぱり、自分の分の布団もこっちに引っ張ってくるかとヤマトは考えた。
(あいつ一人だけにしといたらなあ……)
たとえれば、狼の中に羊を置き去りにするようなものかもしれない。
この場合、狼は少し紳士的かもしれないし、羊の方が強いのかもしれないが、気をつけておくにこしたことはない。
「なんだよ、いいもん食べてるな」
ドアが開いて、湯上がりの太一が顔を見せた。いつもはねている髪も濡れたせいで垂れており、普段の太一とは違う感じがする。
太一の湯上がり姿は何度も目にしているヤマトだったが、いつも見つめ直してしまうのだから、タケルや大輔、光子郎は言うまでもない。
少年らしい体の線にじっと吸い寄せられたように目がいっている。
太一は不思議そうな顔で自分の体を見下ろした。
「なんか、ついてるか?」
「い、いえ何も!」
はっと我に返って光子郎は首を振る。大輔は溶けたアイスが手に付くのも構わずに、太一を見ていたが、タケルに突っつかれてあわてて手を洗う。
苦々しいが、それでも気分はいい。ヤマトは得意そうに微笑した。
「俺にもアイスくれよ」
太一は冷凍庫を開けて、一本取り出すとヤマトの側に行った。
「なんかバラバラじゃないか?」
敷かれた布団を見て、太一は感想を述べた。
「もっとくっつけてさあ、話せるようにしようぜ。キャンプとかのときみたいにさ」
「でも先輩、寝相が悪いやつとかいて蹴っ飛ばされるの嫌ですよ、俺」
「はは、そうだな」
大輔の言葉に、太一は笑ってヤマトの肩に手を置いた。
「こいつも意外に寝相わるいもんな」
大輔はともかく、光子郎とタケルは非常に複雑な顔をした。
「知ってるんですね、太一さん」
「え、ああ……」
なんだかまずいことを言ったかなと太一は考えた。
「だって普通、一緒に寝てたら――」
はっとそこで太一は意味を悟る。これはまずい一言だったかもしれない。
ヤマトは知らん顔だ。失言に気づいて太一はあわててヤマトから離れた。
「まあ、色々あったしな」
ごまかして太一はヤマトの部屋に行ってしまった。
何がどう色々なのか、さすがに聞くこともできず光子郎とタケルは肩を落とした。
なんというか……太一の口からそんなことを聞くとダメージが大きい。
「どうしたんだよ、タケル」
呑気にごろごろしていた大輔が声をかける。
「いいや、ちょっと世の中って冷たいなあって」
訳の分からないことを口にしたタケルに大輔は首をかしげた。
(やっぱりこいつ変なやつだなあ)
感想は心の中にとどめておくとして、大輔は布団を眺めた。
「誰がどこで寝るんだ?」
「お兄ちゃんはどうするの? 部屋で寝る?」
「いや、俺もこっちで寝る」
「やっぱりくっつけましょうよ」
光子郎は布団を引っ張って、なるべく布団が並ぶようにしようとした。
「タケル、お前いびきかくか?」
「かかないよ……」
布団に転がって、大輔は呑気に頭を掻いている。
「そういうお前が一番、うるさそうだな」
ヤマトの一言に大輔はむかっときて、立ち上がりかける。
一言文句を言おうと、口を開きかけたところで、
「ウノしようぜ」
ちょうどよく太一がカードを持ってヤマトの部屋から出てくる。
まだちょっと顔が赤いが、さっきのことはないことにしようと思ったらしい。
「罰ゲームありでさ」
「罰ゲーム?」
「尻文字」
太一は笑った。
「自分の名前を尻で書く。けっこうきついだろ」
十回以上のゲームの結果、一番負けは大輔だった。
太一以上に顔に出やすいところと、光子郎の情け容赦ない攻撃でほとんど最下位から抜け出せなかったのだ。
一位はカード運の良さでタケル、二位は冷静な駆け引きで光子郎、太一は可もなく不可もなく三位といったところだった。
ヤマトは太一の前では情けないところは見せられないと思ったのか、なんとか四位を死守した。
大輔のカード運の悪さがなかったら危なかったかもしれない。
立ち上がって、尻文字を披露する大輔で盛り上がった後は皆、さすがに疲れて、布団に寝そべった。
「どうする? もう寝るか」
「腹減った……」
大輔がキッチンへ向かう。
「なんかあったけ?」
「あるだろ」
夕食の買い出しに行ったとき買い込んだお菓子を両手に抱えて、大輔は戻ってきた。
「汚すなよ」
「わかってるよ」
食べ盛りの食欲を満たして、満足すると大輔は大きなあくびをした。
「大輔、眠たいのか」
太一が声をかける。
「大丈夫です……」
テレビ番組もそろそろ深夜枠に入ってきた。大輔のあくびはタケルに伝染する。
「寝るか」
タケルの様子にヤマトは兄らしく言った。
「そうですね」
光子郎もあくびして、お菓子を片づけだす。
「歯磨きしてこい」
大輔とタケルに言うと、二人は目をこすりながら洗面所の方に行く。
光子郎が食べかすを捨てにキッチンへ行くと、ヤマトは素早く太一にささやいた。
「みんな寝たら、来いよ」
「おい」
「――いいから、来いよ」
念押ししてヤマトは自分の部屋に戻っていってしまった。
自分の布団を敷くヤマトをこっそり見つめて、太一は顔を赤くした。
(まさかなあ……)
もちろん、そのまさかだった。
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