どこまで行こう
3



「うっ……ああっ!」
 太一の口から押さえられない苦痛の声が洩れた。
 ヤマトははっと動きを止める。
「痛いか?」
「うん……」
 太一の痛がりようが半端ではないので、ヤマトもとまどっている。
 ヤマトの指が体の中で動く感覚に耐えられず、太一はくちびるを噛んだ。
 ヤマトが不安の色を浮かべて、太一の顔を見つめてくる。
「やっぱり、止めたほうがいいな」
「だけど――」
「俺は大丈夫だから」
 ヤマトは太一の頭を撫でた。太一の目が潤みかける。
「だけど、ヤマト」
「本当に平気だって。また今度、もっとちゃんと調べて――」
「そのとき俺が嫌だって言ったらどうするんだよ」
「……我慢する」
 ヤマトはぎゅっと眉を寄せると決意に殉ずる強い意志を込めて、ヤマトはうなずいた。
「本当に大丈夫だ。もう変な態度取ったりしないからな」
 太一の頬を撫でて、ヤマトは起き上がると自分のシャツを羽織り、太一の服を取った。
「ヤマト」
 ヤマトの腕に太一の手がかかる。
「――今、お前が止めたら、お前のこと嫌いになってやる」
「太一……」
 ヤマトは太一を見つめ、自分の腕を引き留める太一の指先を見つめた。
(こいつ、震えてるのに)
 ヤマトは顔を伏せ、そっと太一の手を離させた。
 そのまま立ち上がって、部屋を出ていく。残された太一が半分泣きかけそうな顔になったとき、ヤマトが戻ってきた。
「太一?」
「なんだよ」
 むっとした顔で、泣き顔を隠して太一はぶっきらぼうに聞き返した。
「泣いてるのか?」
「泣いてねえよ」
 泣きかけただけだ。
 ヤマトはそっぽを向いた太一の頭を撫でた。
「止めないから、嫌いになるなよ」
「え?」
 ヤマトはベッドにふたたび体を預け、太一に額をくっつけた。
「あのな、痛いのはたぶん……」
 耳元でささやかれたヤマトの言葉に太一は顔を真っ赤にした。
「当たり前だろ! 俺、男なんだから」
「だから――」
 ヤマトは小さな瓶を見せた。
「これでなんとかならないかって思ったんだけど」
「……」
 太一はおそるおそるヤマトが見せた瓶を手に取ってみた。
「これ、料理とかに使うやつじゃねえか?」
 エキストラバージンオイルと書かれたラベルに太一は眉を寄せた。
「……まだ使ってないから」
 太一は不安そうにヤマトを見つめた。ヤマトも同じ不安そうな顔で太一を見つめる。
「大丈夫か?」
「変なもの入ってないみたいだから、たぶん……ごめん、こんなのしか思いつかなかった」
 ヤマトが瓶を置く。
「それになんか塗らないと、お前――」
「分かってるから言うなって!」
 太一はかぶっていたシーツをはねのけた。
「じゃあいいんだな?」
「……」
 うなずいたかうなずかないかの微かな首の上下だったが、太一は体の力を抜いた。
「足、もう少し開いて……」
 ヤマトのためらいがちな声が聞こえてくる。言うとおりにすると、冷たい感触が体の後ろに走る。
「ヤ、ヤマト――」
 身を起こしかけて、ヤマトと目があった。
「ごめん」
 ヤマトが顔を真っ赤にして、指を引こうとした。
「あ、いや……」
 心細げな太一の顔に頬を寄せ、ヤマトは太一を抱きしめた。
「痛いのか?」
「大丈夫」
 太一は首を振った。ヤマトの手がまた、ためらいを見せながら、滑っていく。
 異物感に耐えながら、太一はヤマトの背中にしっかり手をまわしていた。
「……太一」
 ヤマトがささやいた。 緊張感と怯え、それに小さな興奮が含まれていた。
 ベッドに横たえられて、足を開かされる。
 太一は背中にまわしていた腕を解いて、シーツをしっかりつかんだ。
 ヤマトが太一の膝を持ち上げて、足の間に体を進めた。感じたことのない熱さと圧迫感が襲ってくる。
 喉の奥で声を殺して、太一は荒い呼吸を続け、ヤマトは焦ったように必死で腰を進め、泣きそうな顔で太一を見つめてくる。
「太一」
「ああ」
 痛みはオイルのせいで、そこまでひどくない。ただ体の中に感じる圧迫感と熱さが大きくて、苦しかった。
 ヤマトも苦しそうに顔を歪めている。初めて自分を受け入れた太一は思った以上にきつく、締め付けてくるのだ。
 太一の苦しそうな顔と自分の熱とに挟まれて、ヤマトはどうしたらいいのかわからなくなった。
「俺――」
 ヤマトが何か言いかけようと口を開いた拍子に体が動いて、その刺激に太一が喉を見せた。
「あっ」
 こすれたような気がして、太一はうめき声を上げた。感じ始めた異物感が大きくなっていく。
   吐き気というよりも喉の奥から何か迫りあがっていくような感覚がある。
 太一の洩らした吐息に、ヤマトがごくりと息を呑んだ。
 どうしようもないくらいに体が熱くなっていく。どうすればいいのかは、本能が教えてくれた。
 太一にしがみつくようにして、ヤマトは体を動かした。腰を進めて、もっと深く太一に体を沈めていく。
 焦りと追い詰められた切迫感のさなか、ヤマトは太一の涙に気づいた。
「太一、ごめん」
 本当はもっと優しくしたい。痛みや苦しさなど感じさせないで、もっと余裕を持って、太一を抱きしめたい。
 けれど、自分の体でさえもてあましているのに、どうすれば太一に優しくできるのだろう。
「ごめん、太一」
 快感なんてないはずだ。謝るしかできない自分が情けなかった。汗が太一の顔に落ちる。涙も混じっていた。
「ごめん、俺……」
 太一が目を開けた。苦しげにそれでも微笑して、太一はシーツから手を離し、ヤマトの背中にしがみついた。
「平気だ」
「だけど!」
 太一は必死に首を振った。
「いいから、泣くな」
 そう言う太一の声にこそ涙がにじんでいた。ヤマトは胸をつかれて太一の頬を手で挟んだ。
「太一」
 もう言葉がでてこなかった。こんな風に人と人は触れあっていくのだろうか。
 震える瞼と涙で濡れた頬、苦しげな息を吐く唇に、口づけてヤマトは太一を抱きしめた。
「好きだ」
 何度囁いたかわからない。心のままに囁いて、太一に唇を押し当てる。
 気がつけば太一の表情が和らいでいた。ヤマトは迫ってくる波を感じ、目を閉じた。
 二人分の荒い呼吸が重なっていく。
 ――太一の爪先がシーツの上を滑る。ヤマトの上半身が反って、汗がこぼれた。
 すべてを吐き出してヤマトは大きく息を吐き、それから太一の体の上へ倒れるようにして体を預けてきた。
 太一は脱力しきって、ヤマトの体の下で半ば気絶したように目を閉じている。
 ヤマトは体を起こして、太一の顔をのぞき込んだ。
「太一」
「……うん?」
 ヤマトの顔に太一はちょっと笑った。
「お前、今、無茶苦茶変な顔してる」
「……バカ野郎」
 ヤマトは太一の額に手を当て、目にかかった髪を払った。
「すっきりしたか?」
 太一の言葉にヤマトは真っ赤になった。
「バカなこと言ってる場合か」
「だってさあ――」
 軽口でも叩いていないと、ヤマトとまともに顔を合わせられない。
「どっか痛くないか」
 ヤマトが視線を下半身に向けてくる。太一は体を隠そうと、ベッドの上へずり上がろうとして、体を引きつらせた。
「太一?」
「痛ってー!」
 こらえきれず太一は呻いて、体を折り曲げようとした。
 その動きのせいでまた新しい痛みが走って、太一は唇を噛んだ。
「痛むのか」
「……すっげえ、痛い」
 ヤマトは体をずらして、太一の足の間に目を向けた。
「……!」
 情事の名残りである体液とオイルに混じって、赤いものも流れている。
 白いシーツに染みが付いて、それがひどく生々しかった。
「あ……」
 それは全部自分の行為の名残なのだと知って、ヤマトは顔を強張らせた。
「い、今、なんか拭くもの持ってくるから」
「ヤマト!」
 太一の様子に動転したのか、あわててヤマトは下着だけ履くとドアの向こうへ行ってしまった。
「ヤマト……」
 残された太一はじっとドアを見つめ、それから自分の足の間に視線を落とした。
 オイルのせいで薄く光ってもいるし、白い体液も散っている。
「……」
 体にまだ残るヤマトの感触と下半身の痛みとに太一はうつむいて耳まで真っ赤になった。

「自分でする」
 濡らしたタオルとティッシュを太一の側に置いて、ヤマトは体を拭こうとしたが、太一はそれを止めた。
「だけど、体動かせないだろ」
 ヤマトは太一が恥ずかしがっているのは知っていたが、だからといって痛がっているのに無理させるわけにはいかない。
「いいから太一はじっとしてろ」
 ベッドの下にしゃがんで、ヤマトは汚れた太一の体を拭いて、血や体液をぬぐった。
 太一は落ち着かなげに拳を握り、また開き、ヤマトが立ち上がるまでずっと黙っていた。
「――太一」
「大丈夫だ」
 太一は顔を合わせづらくて目をそらした。
「もう少し休んで、それから風呂入れてやるから」
 ヤマトは動揺を押し隠して、つぶやいた。
「……風呂洗ってくる」
 服を身につける。
 太一はヤマトの背中を見つめ、彼が振り返ると同時にまた目をそらした。
「太一」
 不安そうにおずおずとヤマトの手が太一の髪に触れた。
「お前の家、代わりに電話しとくから――泊まっていった方がいいだろう?」
 太一は目をそらしたままうなずいた。
「何かあったら呼んでくれ」
 太一に布団を掛けてやり、もう一度今度は頬に触れて、ヤマトは部屋から出ていってしまった。
 太一は天井を見つめ、それからちょっとだけ泣いた。
 何が悲しいのか自分でもよく分からなかった。
 ヤマトに無理矢理押し切られたわけでもなく、自分から選んで、後悔などしないと思っていたのに、なぜか無性に悲しかった。
「ヤマト……」
 太一はつぶやいて、それから目を閉じた。
 薄暗かった部屋は今はもう暗く、向かいのマンション棟の明かりが眩しかった。
 布団の温もりが優しく感じられ、それだけが心地よかった。
 だから、太一は気づかなかった。 布団に残ったヤマトの温もりと匂いに安堵していたことを。  強く芽生え始めた想いに、ヤマトも太一も怯えていたのだ。
 まだ二人はお互いの想いの行き所を見つけていない。

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