お邪魔してます
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 戻ってきた二人とまた食事を再開する。
 手に絆創膏を張ったヤマトの顔がだいぶ和らいでいた。火傷したのがそんなに嬉しいのだろうか。
 自分の息子の喜びの基準がよく分からなくなったが話が弾むようになってきたのでよしとしよう。
 学校生活やクラブ活動について、色々話を聞いた。太一君はサッカー部に所属しているらしい。ヤマトの話しも合わせるとかなりの実力を持っているようだ。こんな風に話を聞いていると、悪い子どころか、しっかりした子だと思えてくる。
 部活が忙しくて遊ぶ暇もなかなかとれない、と聞いたときは、太一君の彼女を紹介したのはヤマトなのだろうかなどと考えてしまった。
 かたやサッカーに汗を流すスポーツ少年。かたや髪を伸ばして、バンド活動に精を出す俺の息子。……気にならないと言えば嘘だ。年頃の息子の父親というのは、娘ほどではなくても大変なものなのだ。
「なあ、太一君」
 ちょっとした会話の間にさり気なく聞いてみた。カマをかけた、と言ってもいい。
 息子の交友関係を知るには、まず身近な友人の話が一番だ。
「はい」
「しかしそんなに部活が忙しいと、彼女と遊ぶ暇もないだろう?」
「……まあ、そうかもしれないです」
 太一君は少し警戒するような顔になった。遊ぶ暇もないとはいっても、今日はばっちり会っているし、あまり親しくない俺からそんなこと聞かれたせいもあるだろう。
「親父、あんまり変なこと言うなよ」
 ヤマトが横やりを入れてきた。微笑して、ヤマトを見る。
「そういうこいつはばっちり遊んでるしな」
「な、何言ってるんだよ!」
 お、あせってやがる。太一君はヤマトをちらっと見た。
「遊んでいるって?」
「バンド仲間と打ち上げだって言ってよく遅くなるんだよ――なあ」
「あれは付き合いとかあるからだって!」
「中二でもう付き合いか。酒臭かったときも一回あったな」
「あれは、無理矢理飲まされて……」
「その割には平気な顔してたしな」
「そんなの関係ないだろ」
 今度はムキになってきた。太一君、ちょっと笑っている。
「酒もそうだけど、あとは女の子だなあ。こいつ、年上から可愛がられてるみたいでなあ」
「……へえ、そうなんですか」
「――もう、片づけるぞ」
 ぎくりとヤマトは立ち上がって、皿を片づけ始めた。俺が何か言う前に、太一君が首を振った。
「ヤマト、まだいいだろ?」
 ヤマトがおとなしくまた座った。だけど、なんだか顔が強張ってないか? 太一君の方も、少し表情が無い。
 ……いや、表情が怖い。さっきのバンドエイドの話のときの視線よりも、数段厳しい。
 ナツコがやきもちを焼いていたときの目をまた思い出して、ちょっと照れくさくなった。
「それで、年上の子がどうかしたんですか?」
「え、ああ。年上って言っても高校生とかその辺かな。たまに大学生の子もいて、びっくりしたこともあったか。俺から見たら、ヤマトはまだまだ子供だと思うんだけど、やっぱり同い年の子から見ると大人っぽく見えるんだろうな」
「……学校でも、もててますよ」
 バレンタインデーのときの話を少ししてくれて、太一君はため息をついた。やっぱり友人が女の子にもてるとイヤなのだろうか?
 俺の学生時代にもやたら女の子にもてるやつがいたが、側にいるとけっこう美味しい思いも……いや、今は太一君のことだ。
「いや、でも太一君ももてるだろう?」
「いえ、全然です」
 あっさり首を振った太一君、しかしそんなことはないだろう。
「そうかい? 本気な女の子とかは何人かいそうに見えるけどな」
 そこで、これは意味がない質問だと俺は気づいた。
「ああ、そうか、彼女がいるもんな。他の子なんか目に入らないってことか」
「……」
 ちょっと突っ込みすぎたかもしれない。しかし、太一君少し赤くなっていた。
 これはいけるかもしれない。さらに突っ込んで聞いてみた。
「いい子なのかい?」
「……けっこううるさいところがあって」
 太一君、乗ってきたぞ。この調子だ。酔いも手伝って俺も大胆になってくる。
「口やかましいってとこか」
「はい。細かいところにうるさくて、よく叱られてます」
「ひょっとして年上?」
「……同い年です」
「同じ中学校かい?」
「そうです」
「お前、知ってるか、ヤマト」
「ああ……」
 なんだ、ヤマトのやつ。妙に嬉しそうな顔をして。口元がゆるんでいるぞ。マーボー豆腐、そんなに辛くはないが、どうしたんだ?
「でも忙しかったらなかなか会えないだろう。寂しくないかい」
「相手も忙しいやつなんで、しょうがないです」
「部活か、何かやってる子か? テニスとか、バレーとか?」
「……音楽関係です」
「ひょっとしてバンド?」
 太一君はうなずいた。
「そうか。ヤマトのバンド仲間は野郎ばっかりだけどなあ。バンド仲間に男とかいるんだろ?」
「はい」
「じゃあ、やきもち焼いたりするだろ?」
「いつもです。そいつもてるから」
 太一君はつぶやいて、大きなため息をついた。中学生でもこんなため息をつくのか。
 よっぽど相手がいい子なのか、惚れ込んでいるってことかもしれない。それくらいに深いため息だった。
「でも、太一」
 ヤマトがあわてたように身を乗り出す。部屋は別に暑くないのに、どうしてこいつも赤くなっているんだ。
「そいつもお前のこと好きに決まってるだろ」
「……どうだか」
 太一君はじっとヤマトを見て、目を逸らした。
「大丈夫だって」
 あんまりヤマトが力強く断言するので、俺は不思議に思った。
「どうしてお前がそんなこと言えるんだ?」
 ヤマトはあわてて、そっぽを向いた。
 しかし太一君の元気がなくなったような気もしたので、この話ではなく、別の話にもっていこうとしたのだ。
「でも、やっぱりもてるってことは可愛いんだろう?」
 ……同じような話題だった。気になって仕方ないのだ。
 やっぱりヤマトの友だちだし、そう考えると、この子が一体どんな女性と付き合っているのか、知っておきたい気持ちもある。いや、ひょっとしたらそれは建前で、ただの好奇心なのかも知れないが。
 太一君はそれでも気を取り直したように、こっちを向いた。
「可愛い……まあ、たまにそう思うけど、いつもはかっこいいというか、しょうがないやつだというか……」
 太一君の頬がちょっとゆるんだ。ああ、これは俺も経験がある。惚れた相手のことを話すのは楽しいんだよな。のろけってやつなのだが、ちょっとほほえましい。
 キスマークのことを考えたら、そう和んでもいられないのだが、太一君の顔はそれは幸せそうだった。
「けっこう涙もろくって、そのくせ強がり言って――」
「ほっとけない?」
「はい」
「そりゃあ、だいぶはまってるみたいだなあ」
「……はまってます」
 太一君は照れながらも言い切った。しかしどうしてヤマトから目を逸らすんだ? ヤマトが知っている相手だから恥ずかしいとか? 太一君、顔も赤いし、それを言うならヤマトも真っ赤だ。俺は全然暑くないのに、不思議だ。
「しかし相手は幸せじゃないか。そんな風に思われているなんてな」
「そうだといいんですけど」
 ああ、なんとなく分かった。この場合は太一君の方が惚れているわけだ。で、相手の子はそこまででもないってことかもしれない。どうしたって惚れた方が負けという部分はあるしなあ。
「うちのヤマトもそれくらい惚れる相手を見つけられたらいいんだがな」
 ヤマトが不満そうに大きな声を上げた。
「俺だって、好きなやつくらいいる!」
 「へえ、誰だよ」
 だいぶ回り道になったが、ヤマトの相手が誰か分かるかもしれない。
 しかし太一君の話は興味深かった。相手の子だって、彼ならすぐに本気になってくるだろう。おじさん、影ながら応援してるからな……ところでヤマトだ。
 話によると、意地っ張りで強情で無鉄砲な子らしい。
 趣味が悪いわけではないが、なんだかえらくパワフルそうな子じゃないか。こいつ押しが強そうで、弱いところがあるからなあ。
 こりゃ、相手に振り回されてる可能性が高いな。のろけとしか言いようがない言葉の数々には、少々呆れてしまった。
「太一君はヤマトの相手のこと知ってるか?」
 太一君は気まずそうに、マーボー豆腐を掬う手を止めた。
 先ほどの話の名残か、耳朶まで真っ赤になっている。
「まあ、一応……」
「こいつ、あんまり話したくないみたいでなあ。教えてくれないか」
「親父、止めろって」
 ヤマトが俺の足をまた蹴ってきた。
「年はいくつなのかな」
 太一君の代わりにヤマトが答えた。
「同い年だよ。――もうこれでいいだろう、ほら片づけるから、向こう行ってろよ」
「なんだよ、まだいいじゃないか」
「俺の相手なんか聞いてどうするんだよ。親父には関係ないだろう」
 そう言うとヤマトは皿を持ってキッチンへ行ってしまった。太一君もあわてて皿を運ぼうとする。
「ああ、いいよ。ヤマトが片づけるから置いておきなさい」
 それからヤマトには聞こえないように声を小さくして、話しかけた。
「太一君はヤマトの相手と会ったことがあるんだろう」
「はい、一応」
「どんな子だった?」
「どんな……」
 太一君は言葉に詰まって、困った顔になった。
 ヤマトがキッチンから、ぶっきらぼうな声で太一君を呼んだ。
「太一、皿拭いてくれ」
 あいつめ、気がついていたか。太一君はごまかすように何かつぶやいてキッチンへ行ってしまった。
 グラスの底に少しだけ残っていたビールを飲んでしまって、俺はため息をついた。ちょっと強引だったかもしれないな。今日のところはもう諦めるか。
 付き合っているらしい子がいるということが分かっただけでも大した進歩だ、俺にも、ヤマトにも――あいつも大きくなったんだなあ……。
 ふっとほろ苦い気分になったのは、たぶん酔いのせいだ。瓶ビール一本分の酔いは、すぐに醒めるだろう。
 それまでは、ヤマトが小さかった頃のことでも思い出しているか。

 夕食の片づけが済んで、帰るという太一君をヤマトと二人で引き留めてから、風呂に入った。
 もう風呂に入ったヤマトと太一君は、部屋で適当にくつろいでいるだろう。そういや、冷蔵庫の中にパイナップルがあったな。上がったら、切って持っていってやろう。
 乳白色のお湯に浸かりながら、パイナップルの切り方を思い出し、俺はいつもよりは短い時間で、風呂から上がった。
 パイナップルはちょうどいいくらいに熟れていた。ひとつ摘んでみると、よく冷えて実に甘い。風呂上がりのデザートにはもってこいだろう。
 皿に盛って、爪楊枝を二本添えてから、ヤマトの部屋のドアを開けた。
 部屋は暗かったが、居間からの明かりで二人の様子がよく分かる。
 分かるのだが……。
「……」
 ヤマト、プロレスごっこってのは、そんなものだったか?
 太一君、涙目じゃないか。
 唇は濡れてるし、パジャマの前もはだけて――おい、首筋のキスマークの数……増えてないか?
「ノックぐらいしろよ!」
「す、すまん」
 こちらを見たヤマトの目は我が息子ながら実に怖かった。
 食卓での睨みとは迫力が違う。食事を邪魔されたライオンだって、それほど怖い目はしないと思うぞ……。
 あわてて扉を閉める。……少し呆然としつつ、パイナップルを冷蔵庫に仕舞った。
「タバコ買ってくるからな」
 ドア越しに言ってみたが返事はなかった。そりゃ、取り込み中とあっては返事もできやせんだろうがな。
 タバコの自販機の明かりはやけにまぶしく見えた。
 ポケットの小銭を押し込むと、ボタンを押す。出てきたのは、いつも吸っている銘柄じゃなかった。
 そう言えば確かめもせずに、ボタンを押していた。たまにはいいかと、あきらめて、封を切ると一本銜える。
 ――バンドをやっていて、口うるさくて、もてている、か。やれやれ、ヤマトの奴、涙もろいのか。確かによく強がるところもあるしなあ。
 俺が早く帰ってきて、怒るはずだ。とんだお邪魔虫だったのだから。
 街灯を見ながら、煙を吐く。初めて飲んだこのタバコはちょっと味気ない。
 マンションを見上げて、煙をドーナツ型になるように吐いた。ちょっと崩れたが、うまくいった。
 これをやるとナツコはいい顔をしなかったが、小さな頃のヤマトは喜んでいた。
 もう十年も前の話だ。あいつも一人前に、のろける歳になった。これから、色々大変なこともあるだろうが、太一君ならヤマトを引っ張っていくだろう。
 ヤマトが引っ張れるようになるのはいつのことやら……尻に敷かれるかも、というところは、親父似なんだろうな。
 ……それにしてもヤマトときたら、ずいぶんと我慢がない。せめて俺が寝付くまでは耐えるのが、男ってもんだろう。まったく近頃の若い奴と来たら……。
 ――さてと、もう少し時間をつぶしてから、部屋に戻るか。これ以上、お邪魔虫にはなりたくないからな。
 短くなったタバコを自販機横の灰皿に捨て、二本目に火を付けると静かに燻らせながら、その辺をぶらつき出す。
 明日の朝、ヤマトと太一君はどんな顔をして出てくるだろうか。それを思うと、なぜだか笑顔がこぼれてきた。
 ま、しっかりやってくれ、ヤマト。まだ先は長いんだからな。


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