夜明け直前の青い世界に包まれながら、クロードは白々と明けてくる空を見上げる。
今夜も徹夜だった。
もう一週間、ろくに眠っていない。
兵を率いて馬を走らせ、関所を封じ、寝る間を惜しんで捜索しているのだが、未だにクレアもイグニスも見つからなかった。
街道を使って逃げてはいないのだろうか。山狩りの準備も進めてはいるが、なんとか二人がカルバンの領地を出る前に見つけ出したい。流通に影響が出てしまうが、いっそ街道も完全に封鎖してしまいたかった。
公爵へと嫁ぐことが決まった姫君の出奔などと、醜聞を広めることを拒んだカルバンにより、そこまでは出来なかったが。
(兄上……)
兄のしでかした事が、クロードにはどうしても理解できない。思慮深い兄が、主家の姫を攫って逃げるなどと、今でも信じられなかった。
(どうせまた、姫様の我侭なんだ。
兄上はただ、姫様の我侭に振り回されて、一緒に行動をしているだけなんだ)
決して、兄が自分の意思で姫君を攫ったとは思いたくない。
沸々と湧き上がる怒りに、クロードは唇をかみ締める。
思えば、初対面からして気に入らない姫君だった。イグニスはクロードの兄であるのに。かの姫君は、イグニスは自分の物だとばかりに兄を独占していた。
兄も兄だ。
異なる母を持つとはいえ、同じ父を持つ弟よりも、一滴も血を共有しない姫君を優先してきたのだから。
これでは姫君が図に乗るはずである。
(確かに、可愛いとは思うけど……)
容姿の点では間違いなく。
性格の面でも、我侭ではあるが純真で優しい所もある。
クロードとて、主家の姫でなければ、兄を独占さえされなければ、恋に惑っていたと思う。
兄のことさえなければ。
(馬鹿な事を……)
クレアと兄の失踪を知った時、クロードは即座に死を覚悟した。娘を溺愛していたこともあるが、カルバンはやり手の政治家でもある。最高の政略道具である美貌の姫君を攫われては、兄はおろか、自分や家族にも累は及ぶと。
だが、累が自分や家族に及ぶことはなかった。事前に父親が兄を勘当していたらしい。そんな話を、城下から三つ町を越えた所で初めて聞いた。
(兄上を追い出すなんて……)
クロードとしては、家は兄に継いでもらいたい。正妻の長子だとか、婚外子だからと、全てにおいて自分より勝る兄に家督を譲られたくはなかった。 何か一つでも、自分に兄より勝る部分があれば、また違ったかもしれないが。
悔しいのだ、勝ち逃げをされてしまっては。
クロードの兄に対する敬愛の根源は、劣等感。
外国人の生母の血を貶されてもいじける事なく背筋を伸ばし、父の無言の期待にも見事に応え、理想の騎士として自分の中に君臨する兄。
重すぎる母の愛に潰され、優秀な兄と差別することなく、同じように期待をしてくれる父に応えられない弟。
自分が決して勝てない自慢の兄の未来を、姫君の我侭一つで潰されてしまうのは我慢できなかった。
「――クロード!」
名を呼ばれ、クロードは手綱を引いて馬を止める。
走り寄ってくる騎士の顔を見れば、自分と同じように疲れが滲み出ていた。
「東の街道で褐色の肌をした男と、黒髪の美女を捕らえたらしい。確認に行け」
「また人違いじゃないだろうな」
本来、カルバンの領地では褐色の肌は珍しい。国境近くの村や町であれば珍しくもないが、少なくとも城下町にはほとんど居ない。そのせいで、幼い頃の兄が苦労したとも聞いている。
それにも関わらず、兄を探すこの一週間でクロードはもう何組かの褐色の肌をした男と黒髪の娘に対面していた。
城下町から国境へ向かって馬を進めているのだから、進む度に数が増えるのなら解るが、ろくに進まぬうちから数が多いというのは、どういうことか。
元々『褐色の肌をした男と黒髪の娘』という組み合わせを探しているのだから当たり前といえば当たり前だったが、それにしても数が多すぎる。
「今度の二人組みは、先日お館様が作られた首飾りを持っていたそうだ」
姫君の顔を知る者は少ないため、手配書は作れなかったが、装飾品であれば話は別だ。
クレアの部屋からいくつかの装飾品が持ち出されている事に気がついた乳母は、すぐに細工師へ問い合わせ、デザイン画を複製させた。
クレア本人を見分ける事は出来ないが、装飾品であれば、デザイン画さえあれば誰にでも見比べることが出来る。
デザイン画と同じ装飾品を持った黒髪の娘がいたのなら、それが姫君である可能性は高い。
「わかった。すぐに向かう!」
寝ずに地図と睨み合っていたため、周辺の地形はすでにクロードの頭の中にある。
クロードは騎士の案内も待たずに、馬の鼻を東へと向けて走りはじめた。