(……言わなきゃ良かった)

 数日前より繰り返し続けた自嘲に、クレアは寝台の中で寝返りを打つ。
 色街へと出かけた翌日、宣言どおり懇々と続くカーラのお説教が終わった後、クロードの口からイグニスの不在を聞かされた。もちろん、一日中離 宮に戻らないのではなく、クレアの前に出てこないだけで、これまで通りクレアの警護は続けている。
 単純に考えれば、クロードとイグニスの警備を担当する場所が入れ替わっただけだ。これまではイグニスが常にクレアの視界に入る場所で警護していたが、今はそこにクロードが居る。
 クロードが城にあがって以来、このような事は一度もなかったのだが。如何に他者の思惑に鈍いクレアにも、自分がイグニスに避けられているのだと理解できた。

(お嫁に行く日まで、ずっとこんな感じなのかな……)

 自覚したばかりの恋心から、それは非常に辛い。

(お嫁さん、か……)

 乳母により、男女の営みを知識として教えられたクレアには、見ず知らずの男と寝台に入るのは恐ろしかった。けれど、自分一人では父の領地はおろか、離宮からも逃げ出せないことを、クレアは知っている。

「……?」

 微かに物音がした気がして、クレアは寝台の上で身体を起す。首を巡らせて見ると、音は露台(バルコニー)から聞こえていた。

「……イグニス?」

 窓辺に映る人影に、クレアは戸惑いながら騎士の名を呼ぶ。視界から捉えることのできるに訪問者の情報は影だけだが、クレアにはわかる。人影の主は、間違いなく自分の騎士であると。
 なぜ、自分の騎士が露台から現れるのだろうか。
 フィリーの持っていた恋愛小説の一節のような出来事に、クレアは慌てて寝台を降りて露台へと駆け寄った。

「ど、どうしたの……?」

 戸惑いながらも露台へと続く窓を開けると、そこに居たのはやはりイグニスだった。銀色の髪が月光を受けて輝いている。

「少し、姫様に確認したい事があって来ました」

「確認?」

 数日ぶりに見たイグニスの顔に、クレアは一瞬だけ顔を綻ばせ、すぐに落胆した。
 月の輝く時間に、騎士が姫の部屋に忍んできたのだ。恋を自覚したばかりの乙女が夢馳せてもしかたがない。
 一人で勝手に浮き沈みを繰り返すクレアには気づかず、イグニスはやや緊張した面持ちで口を開いた。

「……先日の、連れて逃げろという命令は、まだ有効でしょうか?」

「え?」

 一度はイグニス本人により窘められ、諦めた提案を持ち出され、クレアは意味がわからず瞬く。
 しかし、なかなか返事をしない自分を辛抱強く、真剣な眼差しで見つめる瑠璃の瞳に、クレアは次第に聞かれた言葉の意味を理解した。

「ゆ、有効! 今すぐにでも……」

 上ずった声で答えるクレアに、イグニスは慌ててクレアの口を塞ぐ。寝室のすぐ外でクロードが警護していることは、イグニスも知っていた。あまり大きな声を出しては、クロードに気づかれてしまう。

「でも、そんなことしたら、イグニスの家族が……」

 心はすぐにでも逃げ出したいが、イグニスに説かれた『騎士と姫が駆け落ちした場合』に起こるであろう事は避けたい。
 声を落としたクレアに、イグニスは苦笑いを浮かべた。

「大丈夫です。一生分の我侭を言って、父に勘当してもらいました」

 たまには我侭を言う側に回るのも良いものですね、と冗談を交えながら、イグニスはクレアにわかる言葉を選ぶ。

「父とはもう他人なので、家に累が及ぶことはありません。
 私は家族と家の全てを失いました。ですから姫様」

 躊躇いながらもクレアの腰に手を沿え、イグニスは自分の懐へとクレアを引き寄せる。――今のような触れ方を、ずっとしたかった。

「姫様が私の、新しい家族になってくれますか?」

 吸い込まれるように瑠璃色の瞳を見つめ、クレアは青い瞳を見開く。
 それは、つまり……?

「姫様が私の『お嫁さん』になってくれるのでしたら、私はどこまでだって姫様を連れて――」

「なる!」

 言葉の意味を理解した瞬間、クレアは飛びつくようにそう答えていた。再び大きくなってしまったクレアの声に、イグニスがコツリと額を重ねる。

「……イグニスのお嫁さんになりたい」

 声を潜め、そう答える。この距離ならば、どんな小さな声でもイグニスに届くはずだ。

「約束ですよ?」

 ちゅっと音を立てて唇へと落とされたイグニスの唇に、クレアは頬を染める。触れるだけの軽い口付けではあったが、騎士と姫君として、これまでにして来たものとは、意味も種類も違うのだ。
 熱を持った頬を冷ますように両手で包み、クレアは視線を彷徨わせる。視界の隅に寝台を捉えると、頬の熱はさらに上がった。

「……魅力的な提案ですが、それはまた今度」

 クレアの視線の先に気が付いたイグニスが囁く。男と女として寝台で確かめ合うのは確かに魅力的だったが、まず真っ先にやらなければならないことがあった。

「まずは姫様。このまま私に攫われてください」

 恭しく膝をつき、騎士の礼をとって手を差し出すイグニスに、クレアは誘われるままに手を重ね、引っ込めた。

「あ、……少し待って」

「何か持ち出したい物でもおありですか?」

「うん。ひとつだけ」

 足音を立てないように鏡台へと走り、クレアは宝石箱を開く。その中央には一対の耳飾りが納められていた。

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