フィリーを伴い、こっそりとクロードの部屋へと通うようになると、クレアは本からは得られないことを学ぶ機会に恵まれた。
 それは、薄い壁からもれ聞こえる噂話といった、生身の男の声だった。

「お館様が新しく通ってる愛人みたか? すっげー乳がでかいよな」

「今度はいった下働きの子! エロイ身体しててよ。
 あれは絶対何人も男喰ってるぜ。俺も食われてぇ!」

「あそこの店の女は舌使いが絶品だよな!」

 等など。主に女性の身体つきについてや、卑猥な言葉が飛び交う兵士達の雑談に、フィリーは嫌悪感を顕わにし、クレアは自分の良く知る二人の騎士とはかけ離れすぎた男性像に瞬く。
 そして、下級兵士の間で、自分の縁談話が噂されているのも聞こえてきた。
 城主自慢の末の姫君。
 誰もがその美しさを知る無垢な乙女。
 父親の偏愛から離宮に閉じ込められ、滅多なことでは姿を見かけない、ほとんど幻の美姫。
 自分に対して続く賛美を聞き、クレアは壁から耳を離す。これ以上聞き耳を立てていても、面白そうな話は聞けそうにない。

「あれだけ可愛い姫様だと、お付の二人も大変だな」

 話題が自分から二人の騎士に移ったと感じ、クレアは再び耳を澄ませる。自分への賛美など聞いても仕方がないが、あの二人の噂であれば聞いておきたい。

「馬鹿言え。どんなに可愛くても、主家の姫様だぞ? 手が出せるわけでもない」

「生殺しもいいとこだ」

 近頃はじまった花嫁教育と、クロードの持つ艶本のおかげで、クレアは兵士達が話している言葉の意味がなんとなく理解できた。
 自分がイグニスとクロードにとって、性の対象たりえるか、という内容だ。
 好奇心から知識を仕入れてはいるが、カルバンの恐慌により肝の冷える思いをさせられた記憶は新しい。アレと同じことを嫁いだ先で夫とするのだと思うと、近頃では嫁ぐ事さえ抵抗がある。
 性的対象として二人に見られているのなら、クレアも二人に対する認識を改めねばならない。
 息さえ潜めて耳を澄ませるクレアに気づくはずもなく、兵士達はなおも噂話を続けた。

「じゃ、だからか? 兄の方が色街常連なの」

(……色街?)

 耳に馴染みのない単語だった。
 クレアは記憶を探り、それがいったいどういう場所であるかを思いだす。
 確か、フィリーの持ってきた恋愛小説の中に、借金のカタに色街へと売られたヒロインがいたはずだ。ヒロインは娼婦と呼ばれる職に就き、お金をもらって多くの男性と夫婦に――正しくはないが、クレアはそう理解していた――なっていた。
 つまりは、そういう女性が大勢いる場所が色街。

「純真無垢で可愛い姫様に、全身で信頼されてうっかり自分が狼にならないよう、三日と空けずに通ってるって話だぜ」

「その噂、俺も聞いた。ていうか、実際に兄の方を色街で見かけた」

「マジかよ。相手どんな女だった?」

「黒髪の美女。胸なんかこう……バン、キュッ、バーンって感じでよ」

 寝耳に水なイグニスの噂話に、クレアとフィリーは顔を見合わせ、互いに一言も聞き漏らすまいと全神経を耳に集中させた。

「娼婦と客ってより、恋人みてーにベタベタしてた」

(……イグニスに、恋人?)

 イグニスに恋人が居るなどと、クレアはこれまで一度も考えたこともない。
 おそらくは無意識であろう。クレアの眉間に刻まれる皺に、フィリーは内心で冷や汗を流す。我侭で感情の起伏が激しいこともある姫君だが、今のような表情を見たのは初めてだ。

「あの、姫様? 気にする事はございませんわ。イグニス様も男性ですもの。必要があって、その……そういう所に通うのでしょう」

 何に対するフォローなのかはわからなかったが、フィリーはそっと壁からクレアを引き離す。このまま聞き耳を立てていたら、クレアの臍がどう曲がるか予想もつかない。

「それに、イグニス様は姫様の騎士なのですから。ホント、うっかりお館様のようなことをなさる訳にはいきませんもの」

 そっと唇に人差し指をあて、今ここで聞いたことは秘密ですよ、と念を押すフィリーに、クレアはぼんやりと頷く。
 カルバンと同じ事をイグニスがする。
 同じ想像を、した事がある。
 あの時は、イグニスにならば平気だと思ったのだが。
 イグニスが自分以外の女性にそれをしているという事実は、クレアを鉛で出来た靄を飲み込んだような陰鬱な気分にした。

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